オリジナル小説 恋愛

恋のイルミネーション物語/第4部・❄️『恋のイルミネーション☆冬色メモリーズ』1章❄️

小説タイトル『恋のイルミネーション物語/第4部・『恋のイルミネーション☆冬色メモリーズ』


🌿 全体テーマ

「あの日、誰かの恋を応援していた少女は、知らないうちに自分自身の恋の物語を始めていた。」

秋編では、るなと先輩の恋が、花火のようなドキドキから、隣にいるだけで安心できる温かな想いへと深まりました。

冬編では、その恋の始まりを振り返りながら、二人がこれから迎える未来へと進んでいきます。
夏の恋は、花火のように弾けた。秋の恋は、イルミネーションのように静かに灯った。その光は、冬へ続いていく。

第4部・『恋のイルミネーション☆冬色メモリーズ』章構成

第1章「あの日から続く冬の光」❄️

時期:11月末〜12月初旬

第1節「秋の終わり、冬の予感」

秋の紅葉が終わり、街に冬のイルミネーションが灯り始める。
るなは、秋に先輩と交わした「冬に会おう」という約束を思い出す。

第2節「冬のイルミネーション、再び」

先輩と待ち合わせ。久しぶりに見る冬の光に、るなは夏の花火や秋の紅葉、二人で過ごした時間を思い返す。

第3節「ひかりが覚えていたこと」

ひかり、ゆずは、まなとの会話から、第1部のひかりと朝比奈透先輩の恋が話題になる。
るなが二人の恋を応援していた頃の思い出がよみがえる。

第4節「誰かの恋を応援していた日」

ひかりが「あの頃、るなにもいっぱい助けてもらったよね」と語る。
るなは、自分が誰かの恋を応援する側だったことを懐かしく思い出す。

第5節「あの日のいちご飴」

帰宅後、るなは昔の出来事を思い出す。
ひかりのためにその場を離れ、いちご飴を買いに行った夜。
そこから、物語は過去へと移る。

第2章「いちご飴と、最初の出会い」🍓

回想:第1部の頃

第1節「ひかり、作戦です!」

イルミネーションと花火が輝く夜。るなは、ひかりと透先輩の様子を見て、二人きりになる時間を作ろうとする。

「あっ! あっちにいちご飴売ってます!」

自分も食べたい気持ちは隠せない、るならしい作戦🤣

第2節「いちご飴に夢中♡」

無事にいちご飴を手に入れたるな。花火よりもイルミネーションよりも、目の前のいちご飴に夢中になってしまう。

第3節「ドンッ! すみません!」

よそ見をしながら歩いていたるなは、スケッチブックを持った少年――桐生蒼先輩にぶつかってしまう。

「あっ、すみません!」

散らばった紙を拾うるな。その中の一枚に、目が留まる。

第4節「光を描く人」

蒼先輩が描いていたのは、イルミネーションと花火の風景。単に光を描くのではなく、光に照らされた街や人々の表情まで描かれていた。

「……きれい」

るなは、その絵に心を惹かれる。

第5節「もう一度、見たい絵」

少し言葉を交わした二人。るなはお詫びにいちご飴を勧めるなど、ちょっとした笑いも生まれる。

別れたあと、るなはもう一度あの絵を見たいと思う。しかし、この時点ではまだ、それが恋の始まりだとは気づいていない。

第3章「絵の中に見つけた光」🎨

時期:12月

第1節「また会えたらいいな」

現在に戻る。るなは、あの日の出会いを思い出しながら、先輩との思い出をたどる。
最初は少し他人行儀だった二人が、いつの間にか自然に一緒にいられる関係になっていた。

第2節「先輩のスケッチブック」

先輩と冬の街を歩く中で、昔のスケッチブックの話になる。
先輩も、いちご飴を食べながら絵にぶつかってきたるなのことを覚えていた。

「……そこ、覚えてたんですか!?」

「忘れるわけないだろ」

るな、真っ赤になる🤣🍓

第3節「同じ景色、違う気持ち」

二人でイルミネーションを眺める。
昔は絵に惹かれたるなも、今は先輩と一緒にこの景色を見られることに幸せを感じる。

第4節「先輩が見ている世界」

先輩がスケッチブックを開く。
るなは、先輩が光だけでなく、その場にいる人の気持ちまで大切に描いていることに改めて気づく。

第5節「私も、この景色の一部」

先輩が、イルミネーションを眺めるるなの姿を描く。
るなは、自分もまた先輩の見ている世界の一部になっているのだと感じる。

第4章「冬色に深まる恋」💕❄️

第1節「寒いね、先輩」

冷たい風が吹く夜。二人は温かい飲み物を買い、ゆっくり街を歩く。
何気ない会話にも、以前とは違う安心感がある。

第2節「思い出の写真」

るなはスマートフォンの写真を見返す。
夏の花火、秋いちご、お月見、焼きいも、ハロウィン、モンブラン、紅葉。
季節の一つひとつに先輩や友達との思い出が詰まっている。

第3節「変わったこと、変わらないこと」

先輩と出会った頃の自分を思い出す。
緊張していたこと、絵に心を動かされたこと、そして今、隣で自然に笑えること。
恋の形は変わっても、好きな気持ちは変わらない。

第4節「これからも、一緒に」

るなは、先輩とこれからも季節を重ねていきたいと伝える。
先輩もまた、これからの景色を一緒に見ていこうと答える。

第5節「冬色のイルミネーション」

二人の前に広がる冬の光。
るなは、夏の花火から始まった恋が、秋を越えて今も続いていることを感じる。

第5章「次の季節へ、恋の光」✨

第1節「クリスマスの約束」

クリスマスが近づく。るなと先輩は、冬の街で過ごす時間を楽しみにする。
大きなイベントだけでなく、何気ない時間も大切にしたいと思うようになる。

第2節「友達と見る冬の光」

ひかり、ゆずは、まなとも冬のイルミネーションを楽しむ。
恋人との時間だけでなく、友達と笑い合う時間も、るなにとってかけがえのない光だと改めて感じる。

第3節「先輩の描いた、私」

先輩が描いた、イルミネーションの中にいるるなの絵。
るなは少し恥ずかしがりながらも、絵の中の自分が幸せそうに笑っていることに気づく。

第4節「また来年も」

二人は来年も一緒に冬のイルミネーションを見ようと約束する。
るなは、来年だけでなく、その先の季節も一緒に迎えたいと願う。

第5節「冬色メモリーズ」

物語の締めくくり。るなは、これまでの季節を思い返す。

夏の花火のように弾けた恋。秋の紅葉のように深まった恋。
そして冬のイルミネーションのように、静かに輝き続ける恋。
あの日、いちご飴を買いに行かなかったら。

あの日、先輩の絵に出会わなかったら。

今の私は、ここにいなかったのかもしれない。

「……先輩に出会えて、よかった」

「何か言った?」

「……秘密です♡」

冬の光は、次の季節へと続いていく。

 

 

ジャンル

青春恋愛小説/アイドル的ラブストーリー/季節物
(全年齢・やさしい恋)

主要登場人物(6名)


1. 星野 るな(ほしの るな)

  • 年齢:18歳

  • 性別:女性

  • 立場:高校3年生、ひかりの親友(ひかりとは永久親友)

  • 性格:性恋バナ担当で親友の背中を押す役。いちごとチョコがあれば幸せ。ズレた発言で周囲を和ませる。恋に対してはマイペースで、「急がない恋派」

  • 役割:今回の主人公。一応気になる人はいるが、親友と甘いものがあれば満足。誰からも愛されるキャラだが、決してお節介ではなく、ほんの少し背中を押すタイプ

2.桐生 蒼(きりゅう あおい)

  • 年齢:19歳

  • 性別:男性

  • 立場:美術大学1年生

  • 性格:穏やかで観察眼が鋭い。感性が豊かで、言葉選びが独特

  • 役割:るなの「一応気になる人」。るなの"ズレた発言"を面白がり、自然体で接してくれる。るなが唯一「ちょっとドキドキする」相手


3. 白雪 ひかり(しらゆき ひかり)

  • 年齢:18歳

  • 性別:女性

  • 立場:高校3年生、るなの親友(るなの"永久親友枠")

  • 性格:明るい・ちょっと照れ屋・感情表現が素直

  • 役割:恋愛の経験者・るなの支え


4. 小日向 まな(こひなた まな)

  • 年齢:17歳

  • 性別:女性

  • 立場:高校2年生で後輩

  • 性格:元気で憧れ体質。るなを「るな先輩」と慕っている

  • 役割:るなの恋心に最初に気づき、さりげなくサポートする役割。純粋な応援者

5.橘 ゆずは(たちばな ゆずは)

  • 年齢:18歳

  • 性別:女性

  • 立場:高校3年生、るなのクラスメイトでひかりとるなとは友人

  • 性格:しっかり者でちょっと毒舌。でも根は優しい

  • 役割:るなの恋を外側から冷静にツッコミつつ、実は誰よりも応援している


6. 朝比奈 透(あさひな とおる)

  • 年齢:19歳

  • 性別:男性

  • 立場:大学1年生

  • 性格:優しい・落ち着いている・少し不器用

  • 役割:恋のお相手


舞台・設定

街(イルミネーションのある商店街)

  • 場所:
    地方都市の高校とその周辺。商店街、カフェ、コンビニ、公園、そして冬から春にかけてのイルミネーションスポット

  • 地方都市

  • 毎年11月から3月まで
    「ウィンターイルミネーション+月1回の冬花火」が行われる街

  • 高校・駅前・商店街・川沿いの花火スポット


物語の世界観を特徴づける重要な設定:

  • 「るな基準の記念日」という概念。るなは日常の小さな幸せを勝手に記念日化する

  • いちごとチョコという二つの「甘さ」が、恋心のメタファーとして機能

  • 「恋は急がなくていい」という、るな独自の恋愛哲学

  • ひかりと透の関係が「ゆっくり育てた恋の成功例」として物語の背景に存在

 

 

 第4部・『恋のイルミネーション☆冬色メモリーズ』第1章「あの日から続く冬の光」

第1節「秋の終わり、冬の予感」❄️

十一月の終わり。

ついこの間まで街を彩っていた紅葉も、少しずつその姿を変え始めていた。

鮮やかな赤や橙に染まっていた木々は、枝先に残ったわずかな葉を風に揺らし、歩道には乾いた落ち葉が静かに積もっている。

夕方の空は、日が沈むにつれて淡い橙色から薄紫色へと変わり、遠くの建物の窓には、帰宅する人々の暮らしを映すように小さな明かりが灯り始めていた。

秋が終わろうとしている。

それは、目に見える景色だけではなく、肌に触れる風や、日が暮れるまでの時間の短さからも感じられた。

「……寒くなったなぁ」

星野るなは、制服の上から羽織ったコートの襟元をそっと押さえた。

白い息が、ほんの少しだけ空気の中に浮かぶ。

吐いた息が白く見えるたびに、るなはなんとなく嬉しくなった。

冬が近づいている証拠。

街の景色が変わり始める季節。

そして――。

「……冬のイルミネーション、かぁ」

ぽつりとつぶやいた言葉に、るな自身が少しだけ照れくさくなった。

頭の中に浮かんだのは、つい先日まで続いていた秋の思い出だった。

秋いちごを食べに行った日。

十五夜の月を見上げた夜。

焼きいもを半分こした帰り道。

ハロウィンのオレンジ色に染まった街。

友達と笑いながら食べたモンブラン。

そして、最後の紅葉を見に行った日。

一つひとつの出来事が、季節のページをめくるように、るなの心の中に浮かんでは消えていく。

どれも特別な大事件ではなかった。

世界が変わるような出来事でもなかった。

ただ、好きなものを食べて、綺麗な景色を見て、友達と笑って、先輩と一緒に歩いた。

それだけ。

でも、振り返ってみると、その一日一日が、驚くほど鮮やかな色を持っていた。

「……いっぱい、思い出ができたなぁ」

るなは小さく笑った。

秋の初めには、まだ少し暑さが残っていた。

あの頃は、夏の花火の余韻が心のどこかに残っていて、先輩と会うたびに胸がどきどきしていた。

けれど、季節が進むにつれて、その気持ちにも少しずつ変化が生まれた。

会えたら嬉しい。

一緒に歩けたら楽しい。

隣にいるだけで安心する。

何も話さない時間さえ、心地よく感じられる。

そんな気持ちが、自分の中にゆっくりと積み重なっていった。

夏の頃の自分に、今の気持ちを説明したら、きっと驚くに違いない。

「恋って、もっとずっと、どきどきするものだと思ってたのに……」

るなは、少しだけ頬を緩めた。

「……今でも、どきどきするんだけどね♡」

先輩が不意に優しい言葉をかけてくれたとき。

こちらを見て笑ってくれたとき。

何気なく名前を呼んでくれたとき。

そういう瞬間には、今だって胸が跳ねる。

でも、以前とは違う。

好きな人の前で、ずっと緊張していなくてもいい。

うまく話せなくても、沈黙してしまっても、無理に格好をつけなくてもいい。

自然に笑って、自然に話して、自然に隣を歩ける。

そういう関係になれたことが、るなには何より嬉しかった。

「……先輩」

口にした名前は、冷たい風にさらわれるほど小さかった。

けれど、その一言だけで、心の中が少し温かくなった。

るなは鞄を持ち直し、夕暮れの道を歩き始めた。

学校から駅へ向かう道。

毎日通っているはずなのに、今日はいつもと少し違って見える。

街路樹の葉はほとんど落ち、枝の向こうには、冬らしい澄んだ空が広がっていた。

道沿いの店先には、赤や緑の飾りが並び始めている。

ガラス窓には小さな星のシール。

入口には金色のリボン。

ショーウインドーには、雪の結晶を模した飾りが揺れていた。

まだクリスマス本番には早い。

それでも、街はもう冬を迎える準備を始めていた。

「わぁ……もう、こんなに飾ってるんだ」

るなは、ある雑貨店の前で足を止めた。

窓辺には、手のひらほどの小さなクリスマスツリーが置かれている。

枝先には金色の星と、小さな赤い実。

その周囲には、細い電飾が巻きつけられていて、温かな光がゆっくりと明滅していた。

「かわいい……♡」

思わず、顔がほころぶ。

こういうものを見ると、つい足を止めてしまう。

美味しそうな食べ物を見つけたときと同じくらい、綺麗なものや可愛いものにも弱い。

ただし、食べ物の場合は、眺めるだけでは終われないことが多いのだけれど。

「……あ、そうだ」

るなは、ふと何かを思い出したように鞄からスマートフォンを取り出した。

画面を開き、写真の一覧を指で滑らせていく。

秋の思い出が並ぶ。

真っ赤ないちご。

十五夜の月。

半分に割った焼きいも。

ハロウィンの飾り。

カフェで撮ったモンブラン。

色づいた紅葉。

「ふふっ……」

写真を見ているだけで、そのときの会話まで思い出される。

秋いちごを前に、つい熱く語ってしまった自分。

月明かりの下で、先輩と静かに空を見上げた時間。

焼きいもの温かさを分け合った帰り道。

ハロウィンの夜に、少しだけ大胆になってしまった自分。

モンブランを囲んで、ひかりやゆずは、まなと笑い転げた女子会。

最後の紅葉の下で、先輩と交わした約束。

どの写真にも、そのときの自分が写っていた。

笑っている自分。

夢中になっている自分。

少し照れている自分。

先輩の隣で、自然に笑っている自分。

「……あれ?」

るなは、ある写真のところで指を止めた。

紅葉の並木道で撮った一枚。

夕暮れの光を受けた葉が、赤や橙に輝いている。

写真の端には、先輩の姿も小さく写り込んでいた。

自分が紅葉に夢中になっている間、先輩が少し離れた場所からこちらを見ていたらしい。

撮影した覚えはある。

けれど、こんなふうに先輩が写っていることには気づかなかった。

「……先輩、こっち見てたんだ」

声に出してから、るなは急に恥ずかしくなった。

誰も聞いていないのに、スマートフォンを胸元に引き寄せる。

「……いやいや、写真だから! たまたまだから!」

自分で自分に言い訳をする。

その様子を見ている人がいたら、きっと不思議に思っただろう。

けれど、今のるなには、それだけで十分に幸せだった。

好きな人との思い出は、何度振り返っても新しい発見がある。

そのときは気づかなかった小さな表情や、何気ない仕草。

時間が経ってから初めて気づくこともある。

そういうものが、少しずつ心の中に積み重なっていくのだ。

「……冬も、写真いっぱい撮りたいな」

そうつぶやいた瞬間。

るなの頭の中に、ある言葉が浮かんだ。

――冬に会おう。

それは、紅葉を見に行った日の帰り際。

駅へ向かう道で、先輩と交わした約束だった。

あの日、紅葉を眺めながら、二人は何度も写真を撮った。

夏の花火とは違う、静かで落ち着いた秋の景色。

風が吹くたびに舞い落ちる葉。

夕暮れに染まる並木道。

少しずつ冷たくなっていく空気。

その全部が、るなの中に残っている。

そして、帰り道。

駅へ向かう途中で、先輩が言ったのだ。

「もうすぐ、冬のイルミネーションも始まるな」

その言葉を聞いたとき、るなは思わず顔を上げた。

「……冬のイルミネーション?」

「ああ。駅前も、街の通りも、そろそろ飾りつけが始まると思う」

「わぁ……! 絶対、綺麗ですよね!」

いつものように、るなの声が少し弾んだ。

「夏の花火も綺麗でしたけど、秋の紅葉も素敵でしたし……冬は冬で、また違う光が見られるんでしょうね!」

「そうだな」

先輩は、るなの話を聞きながら笑っていた。

「寒くなるけどな」

「それは……そうですけど!」

るなは少し頬を膨らませた。

「寒いのは苦手です。でも、綺麗な景色を見るためなら頑張れます!」

「焼きいもがあれば?」

「もちろんです!」

即答だった。

「温かい飲み物も必要です!」

「他には?」

「えっと……手袋と、マフラーと……あと、いちご飴があれば最高です♡」

「冬のイルミネーションに、いちご飴?」

「はい! 季節は関係ありません!」

るなが胸を張ると、先輩は声を出して笑った。

「本当に好きだな、いちご」

「好きなものは好きなんです!」

るなも笑った。

何気ない会話。

いつも通りの、二人らしいやり取り。

でも、そのときのるなは、心の中でひそかに願っていた。

また、一緒に来たい。

また、隣で同じ景色を見たい。

そして、来年も、その次の年も――。

そんな未来を想像することが、少しずつ自然になっていた。

駅が近づき、別れの時間がやってくる。

「今日はありがとうございました、先輩」

「こちらこそ。楽しかったよ」

「紅葉、すごく綺麗でしたね」

「ああ」

先輩は少しだけ足を止め、夕暮れの空を見上げた。

「次は、冬だな」

るなは、思わず顔を上げた。

「……冬?」

「うん。イルミネーション」

ほんの短い言葉だった。

けれど、その瞬間、るなの胸の中に小さな光が灯った気がした。

「……一緒に、見に行ってくれるんですか?」

聞いてから、少し恥ずかしくなった。

先輩は、そんなるなを見て穏やかに笑った。

「そのつもりだけど?」

「……っ!」

るなの頬が、ぱっと赤くなる。

「い、行きたいです!」

思わず声が大きくなった。

「ぜひ! ぜひ一緒に行きたいです!」

「わかった」

「絶対ですよ?」

「約束する」

先輩は、静かにうなずいた。

「冬に会おう」

その言葉を聞いたとき、るなは笑顔になった。

「……はい!」

そのとき交わした約束が、今、目の前の冬の景色につながっている。

るなは、スマートフォンを胸元に抱えたまま、ゆっくりと息を吐いた。

「……冬に会おう、か」

自分でつぶやいてみる。

あの日は、まだ紅葉が枝に残っていた。

今は、街のあちこちにクリスマスの飾りが並び始めている。

同じ街なのに、季節が変わると、こんなにも違って見える。

そして、景色が変わっても、あの日の約束は消えずに残っている。

「……ふふっ」

るなは、思わず笑った。

「楽しみだなぁ……♡」

その声は、誰に聞かせるためでもなかった。

ただ、自分の心の中にある嬉しさが、自然にこぼれただけだった。

スマートフォンを鞄にしまい、再び歩き出す。

駅へ向かう道の途中、広場の方から賑やかな声が聞こえてきた。

普段なら、帰宅する人々が行き交うだけの場所。

けれど、今日は少し様子が違う。

広場の中央には、まだ飾りつけの途中らしい大きなツリーが立っていた。

その周囲では、作業をしている人たちが電飾を取りつけたり、飾りの位置を調整したりしている。

ツリーの根元には、箱に入ったオーナメントが並んでいた。

赤い球。

金色の星。

銀色のリボン。

雪の結晶を模した飾り。

その一つひとつが、これから訪れる冬の夜を彩るために準備されている。

「わぁ……!」

るなは、思わず立ち止まった。

「大きい……!」

まだ明かりはついていない。

けれど、枝の間には無数の小さな電球が取りつけられ、足元には光を反射する飾りが置かれていた。

点灯したら、きっと綺麗だろう。

夜空の下で、たくさんの光が一斉に輝く。

その光を見上げながら、家族や友達、恋人たちが笑顔になる。

そんな光景が、るなには簡単に想像できた。

「……先輩と見たいな」

気づけば、また口にしていた。

今度は、恥ずかしくてごまかすこともしなかった。

ただ、素直にそう思った。

冬のイルミネーションを見たい。

先輩と一緒に。

それだけで、今年の冬が特別な季節になる気がした。

「……よし!」

るなは、小さく拳を握った。

「冬の準備、始めなきゃ!」

まずは、暖かいコート。

手袋も必要だ。

マフラーは、去年のものでもいいけれど、できれば少し可愛いものが欲しい。

それから、写真を撮るためにスマートフォンの容量も確認しておこう。

そして、イルミネーションを見たあとは――。

「……温かいもの、食べたいなぁ」

途端に、頭の中に食べ物のことが浮かぶ。

「スープとか、グラタンとか……あっ、冬限定のいちごスイーツも出る頃かな?」

るなは足を止めた。

そして、真剣な顔で考え込む。

イルミネーションを見に行く。

先輩と一緒に。

綺麗な光を眺めて、写真を撮って、ゆっくり歩く。

それから、温かいものを食べる。

できれば、デザートも。

できれば、いちごの。

「……完璧です♡」

思わず満足げにうなずいた。

恋の計画なのか、食事の計画なのか。

自分でも少しわからなくなってきたけれど、どちらも楽しみなのだから仕方がない。

そのとき、鞄の中でスマートフォンが震えた。

「……ん?」

取り出してみると、画面には先輩からのメッセージが表示されていた。

るなの心臓が、ほんの少し跳ねる。

『今日は寒かったな。ちゃんと温かくして帰れよ』

短いメッセージ。

それだけなのに、るなは何度も読み返してしまった。

「……先輩……♡」

頬が緩む。

ついさっきまで、一緒に過ごす冬のことを考えていた。

すると今度は、先輩の方から連絡が来た。

偶然かもしれない。

ただ帰り道を心配してくれただけかもしれない。

それでも、嬉しかった。

るなは、すぐに返信を打ち始めた。

『はい! 先輩も暖かくしてくださいね!』

一度送信しようとして、指を止める。

これだけだと、少し物足りない。

いや、十分だろうか。

でも、せっかくなら――。

『冬のイルミネーション、楽しみにしてます♡』

そこまで入力して、るなは画面を見つめた。

「……うーん」

送ってもいい。

先輩だって、約束してくれたのだから。

でも、こういう言葉を自分から送るのは、少し照れくさい。

「……えいっ!」

思い切って送信した。

メッセージは、すぐに画面の向こうへと消えていく。

るなはスマートフォンを握りしめたまま、返事を待った。

数秒。

十秒。

それほど長い時間ではない。

それなのに、妙に落ち着かない。

「……別に、すぐ返事が来なくてもいいんですけどね?」

誰に向けているのかもわからない言い訳をつぶやく。

その瞬間、画面が光った。

『俺も楽しみにしてるよ』

たった一行。

たった一行なのに。

「…………っ!」

るなは思わず口元を押さえた。

「……もう……!」

嬉しい。

ただ、それだけだった。

大げさな言葉はいらない。

特別なプレゼントもいらない。

先輩が同じように、二人で過ごす時間を楽しみにしてくれている。

それがわかっただけで、心の中がぽかぽかと温かくなった。

冷たい風が吹き抜ける。

街路樹の枝が揺れ、残っていた小さな葉が一枚、ゆっくりと地面へ落ちた。

るなは、その葉を目で追った。

秋が終わっていく。

けれど、寂しいとは思わなかった。

秋が終わるからこそ、冬がやってくる。

秋の思い出があるからこそ、冬の約束が楽しみになる。

季節は、ひとつ終わるたびに、次の季節を連れてくる。

恋も、きっと同じなのだろう。

夏には夏の光があった。

秋には秋の光があった。

そして、これから迎える冬にも、きっと冬だけの光がある。

その光の中で、どんな思い出が生まれるのだろう。

どんな会話をして、どんな景色を見て、どんなふうに笑うのだろう。

考えるだけで、胸が弾んだ。

「……今年の冬も、いっぱい思い出を作ろう」

るなは、そっとつぶやいた。

「先輩と一緒に……♡」

そして、もう一度だけ広場のツリーを振り返った。

まだ明かりのついていない、大きなツリー。

その枝には、これから灯る光が静かに待っていた。

今はまだ、何も輝いていない。

けれど、光がないわけではない。

これから輝くための準備をしている。

るなの心も、どこか似ていた。

夏の花火で大きく弾けた恋。

秋の紅葉の下で、少しずつ深まった想い。

そして今、冬の始まりに立っている。

これから先に待っている景色を、まだ全部知っているわけではない。

それでも、ひとつだけ確かなことがあった。

先輩と一緒に、また新しい季節を迎えたい。

その願いが、るなの中で静かに輝いていた。

「……待っててね、冬のイルミネーション!」

誰に聞かせるでもなく、るなは笑顔で言った。

それから、冷たくなった両手をコートのポケットに入れ、駅へ向かって歩き出す。

足元では、落ち葉が小さく音を立てた。

遠くの街では、冬の飾りつけが少しずつ進んでいる。

まだ点灯していない光。

これから出会う景色。

そして、もう交わした約束。

それらすべてが、冬の始まりを待っていた。

るなは、ふと空を見上げる。

夕暮れの向こうに、一番星がひとつ輝いていた。

「……あっ、星!」

小さな声がこぼれる。

その星は、まるでこれから始まる冬の物語を見守っているようだった。

るなは微笑み、もう一度スマートフォンを取り出した。

先輩とのメッセージを、そっと見返す。

『俺も楽しみにしてるよ』

何度読んでも、嬉しい。

「……えへへ♡」

頬が緩んでしまうのは、もう仕方がなかった。

今年の冬。

どんな光が二人を待っているのだろう。

その答えは、まだわからない。

けれど、きっと大丈夫。

隣に先輩がいてくれたら。

同じ景色を見て、同じ時間を過ごせたら。

きっと、そのひとつひとつが、大切な思い出になる。

秋の終わりに交わした、小さな約束。

それは今、冬の始まりを告げる光になろうとしていた。

そして、るなはまだ知らない。

これから訪れる冬のイルミネーションが、ただ美しい景色を見るだけの時間ではなく、彼女自身の過去と今をつなぐ、大切な記憶を呼び起こすことになるのを。

あの日。

いちご飴を片手に、よそ見をしながら歩いていた自分。

スケッチブックを持った先輩。

初めて目にした、光を描く絵。

その小さな出会いが、今の二人へとつながっていることを。

まだ、るなは思い出していない。

けれど、その記憶は確かに、心の奥に残っていた。

冬の光が、街に灯り始める。

秋の思い出を胸に抱きながら、るなは新しい季節へと歩き出した。

秋の終わり。

冬の予感。

そして――。

あの日から続く、恋のイルミネーション。

それは、次の光へと続いていく。

 

 第2節「冬のイルミネーション、再び」

十二月に入った最初の週末。

街は、すっかり冬の装いに変わっていた。

駅前の街路樹には、金色や白色の電飾が巻きつけられ、商店街の入口には大きなリースが飾られている。ショーウインドーには雪の結晶や小さなサンタクロースが並び、通りを歩く人々の服装も、コートやマフラー、手袋といった冬らしいものになっていた。

吐く息は白く、風は頬に冷たい。

それでも、街を行き交う人々の表情はどこか明るかった。

もうすぐクリスマス。

一年の終わりが近づくこの季節には、普段の街並みまで少し特別に見える、不思議な力がある。

そして今日。

星野るなにとっても、特別な一日がやってきた。

「……よしっ!」

自宅の玄関で、るなは鏡をのぞき込んだ。

淡いベージュのコートに、少し長めのマフラー。手袋は去年買ったお気に入りで、靴は歩きやすいものを選んだ。

髪はいつもより丁寧に整えてある。

とはいえ、気合いを入れすぎたように見えるのも恥ずかしい。

何度も鏡を確認した結果、結局いつもと大きくは変わらない仕上がりになった。

「……うん。大丈夫!」

自分に言い聞かせるようにうなずく。

今日、会うのは先輩。

美大一年生になった先輩は、高校を卒業してから、以前のように毎日顔を合わせることはなくなった。

学校が終われば会える。

廊下ですれ違えば話せる。

そんな日常は、もう過去のものだ。

今は、お互いの予定を合わせて会う。

だからこそ、一緒に過ごせる時間が以前よりも特別に感じられるようになった。

もちろん、会えない日が続けば寂しい。

何気ない出来事を話したいと思うこともある。

美味しいものを見つけたときには、一緒に食べたらどんな顔をするだろうと想像してしまう。

綺麗な景色を見たときには、先輩にも見せたいと思う。

そんな気持ちが積み重なって、今日という日がやってきた。

「……冬のイルミネーション、かぁ」

るなは、コートのポケットに入れたスマートフォンを取り出した。

画面には、先輩とのメッセージが残っている。

『土曜日、駅前で待ち合わせようか』

『はい! 楽しみにしてます!』

『寒くなりそうだから、暖かくしておいで』

『了解です! 先輩もですよ!』

そのあと、るなが送ったメッセージ。

『冬のイルミネーション、楽しみにしてます♡』

そして先輩からの返事。

『俺も楽しみにしてるよ』

何度見ても、顔が緩んでしまう。

「……えへへ」

るなはスマートフォンを胸に抱えた。

「……よしっ! 行ってきます!」

誰もいない玄関にそう告げて、元気よく家を出た。

冬の空気は冷たかった。

けれど、今日のるなの心は、それ以上に温かかった。

駅前に到着したのは、待ち合わせ時刻の十五分前だった。

「……早く着きすぎたかな?」

時計を確認して、るなは小さく首を傾げる。

電車の時間を調べて、乗り換えも確認して、余裕を持って家を出た。

その結果が、十五分前。

遅刻するよりはずっといい。

そう思う一方で、待ち合わせ場所に先輩がまだいないことを確認すると、少しだけ物足りなさを感じた。

「……まだ、ですよね」

当たり前のことをつぶやきながら、駅前の広場を見回す。

広場の中央には、今年も大きなクリスマスツリーが設置されていた。

先週見たときには、まだ電飾の取りつけが終わっていなかった。

今は違う。

ツリー全体に金色の光が巻きつき、赤や銀色のオーナメントが枝の間で輝いている。頂上には大きな星が飾られ、足元には雪を模した白い装飾が敷かれていた。

周囲の街路樹にも電飾が取りつけられ、駅前の広場は、冬の訪れを祝うような華やかな空間になっていた。

「わぁ……!」

るなは、思わず声を上げた。

「すごい……! もう、こんなに綺麗になってる!」

ツリーの光が、通り過ぎる人々の顔を優しく照らしている。

小さな子どもが母親の手を引きながら、ツリーを見上げていた。

若いカップルが並んで写真を撮っている。

年配の夫婦が、ゆっくりと歩きながら飾りつけを眺めていた。

それぞれが、それぞれの時間を過ごしている。

誰かにとっては、毎年恒例の冬の景色。

誰かにとっては、初めて見るイルミネーション。

そして、るなにとっては――。

「……先輩と見る、冬の光」

その言葉を口にした瞬間、胸の奥がふわりと温かくなった。

去年までの自分だったら、ただ綺麗だと思って眺めていたかもしれない。

でも今は、この景色を先輩と一緒に見られることが嬉しい。

同じものを見て、同じところで立ち止まって、同じように綺麗だと思える。

そんな時間が待ち遠しかった。

「……あっ!」

るなは、ふと思い出してスマートフォンを取り出した。

「先輩が来る前に、ちょっとだけ写真を……」

カメラを起動して、ツリーを画面に収める。

一枚目。

少し上向きすぎた。

二枚目。

今度は手前の人が大きく写ってしまった。

三枚目。

「……あっ、いいかも!」

ツリーの星と、枝に散りばめられた光が綺麗に収まった。

るなは満足げにうなずいた。

「よしっ! これ、先輩にも見せよう♡」

そう思ったところで、ふと手が止まる。

今、目の前にいるのだから、写真を見せる必要はない。

それどころか、これから一緒に見るのだから、先に撮りすぎるのも少し違う気がした。

「……うーん。やっぱり、一緒に撮ったほうがいいかな」

ひとりごとを言いながら、写真を保存する。

そしてスマートフォンをしまおうとした、そのときだった。

「るな」

聞き慣れた声が、後ろから届いた。

「……えっ?」

るなは振り返った。

そこには、コート姿の先輩が立っていた。

「先輩!」

思わず声が弾む。

「お待たせ」

「い、いえ! 私も今来たところです!」

……本当は十五分前に到着していた。

けれど、こういうときに正直に「十五分前からいました!」と答えるのも、なんだか恥ずかしい。

先輩は、そんなるなの様子を見て少し笑った。

「そう? 寒くなかった?」

「大丈夫です! ちゃんと暖かくしてきましたから!」

るなは、マフラーを少し持ち上げて見せた。

「ほら!」

「うん。似合ってる」

「……っ!」

ほんの何気ない一言。

けれど、るなの頬はたちまち熱くなった。

「そ、そうですか?」

「うん」

「……ありがとうございます♡」

目を合わせるのが少し恥ずかしくなって、るなはツリーの方へ視線をそらした。

その様子に気づいているのかいないのか、先輩は穏やかな表情で隣に並んだ。

「もう点灯してるんだな」

「はい! 先週はまだ飾りつけの途中だったんですけど、今日はすっかり完成してます!」

「へえ。先週も見に来たの?」

「えっと……ちょっとだけです」

「ちょっとだけ?」

「……はい。ちょっとだけ、です」

るなは、言葉を濁した。

本当は、先週もこの場所を通りかかって、ツリーの完成を楽しみにしていた。

今日、先輩と来ることを想像しながら、どんなふうに輝くのだろうと考えていた。

けれど、それを全部話すのは少し照れくさい。

先輩は、それ以上追及しなかった。

ただ、ツリーを見上げて言った。

「綺麗だな」

「……はい!」

るなは笑顔でうなずいた。

二人の視線が、同じ光へと向かう。

その瞬間、るなはふと思った。

――こういう時間が、好きなんだ。

特別なことをしなくてもいい。

無理に話題を探さなくてもいい。

ただ、隣にいて、同じ景色を眺める。

それだけで、心が満たされていく。

夏の頃には、こんなふうに思えなかったかもしれない。

先輩と一緒にいると、何を話せばいいのか、どう振る舞えばいいのか、考えることばかりだった。

嬉しいのに、緊張する。

話したいのに、言葉が出てこない。

そんな自分に戸惑うこともあった。

でも、今は違う。

もちろん、今でもどきどきする。

先輩が笑ってくれると嬉しいし、優しい言葉をかけられると、胸が跳ねる。

けれど、その気持ちを無理に隠そうとしなくてもよくなった。

嬉しいときは、嬉しい。

楽しいときは、楽しい。

そうやって、少しずつ素直になれた気がする。

「……るな?」

「……えっ?」

先輩の声で、るなは我に返った。

「どうした? 何か考えてた?」

「えっ!? あ、いえ! その……」

慌てて首を振る。

「イルミネーションが綺麗だなぁって!」

「そうだな」

「あと……」

「あと?」

るなは、ちらりと先輩を見た。

「……先輩と一緒に見られて、嬉しいなって」

言ってしまった。

口にした途端、顔が熱くなる。

「……あっ、えっと、今のは……!」

慌てて取り繕おうとしたけれど、先輩は笑わなかった。

からかうこともなかった。

ただ、優しく目を細めて言った。

「俺も、嬉しいよ」

「…………」

るなは、言葉を失った。

胸の奥に、温かなものがじんわりと広がっていく。

「……もう」

ようやく出てきた声は、とても小さかった。

「先輩、そういうの……急に言うの、反則です」

「そう?」

「そうです!」

るなは頬を膨らませた。

けれど、その口元は笑っていた。

先輩も、そんなるなを見て笑った。

冬の冷たい空気の中で、二人の間だけ、少し温度が上がったような気がした。

駅前の広場を抜けると、イルミネーションが続く並木道が広がっていた。

歩道の両側に立つ木々には、白や金色の光が幾重にも巻きつけられている。

枝から枝へと光がつながり、まるで星が地上に降りてきたようだった。

通りの奥には、青白い光で飾られたアーチが見える。

その向こうには小さな広場があり、光のオブジェや、雪を模した装飾が設置されていた。

「わぁ……! こっちも綺麗!」

るなは、歩きながら何度も足を止めた。

右を見て、左を見て、上を見上げて。

どこを見ても、光がある。

「……あっ、先輩! あそこ、見てください!」

「ん?」

るなが指さした先には、光でできた小さなトンネルがあった。

白い電飾がアーチ状に並び、内側には星の形をした飾りが浮かんでいる。

「すごくないですか!? ここ、通れるみたいですよ!」

「本当だな」

「行きましょう!」

るなは、先輩の袖をそっと引いた。

そして、すぐに手を離す。

自分から引っ張っておいて、急に恥ずかしくなったのだ。

先輩は、その仕草を見て微笑んだ。

「行こうか」

「……はい♡」

二人で光のトンネルへ入る。

頭上には無数の小さな光。

左右の飾りが、歩くたびに違う角度から輝いて見えた。

るなは、思わず足を止めた。

「……すごい」

声が自然に小さくなる。

ここだけ、街の喧騒から切り離されたようだった。

人々の話し声も、遠くを走る車の音も、少しだけ遠くに聞こえる。

光に包まれた空間の中で、るなは隣の先輩を見た。

先輩も、頭上を見上げている。

その横顔を見ていると、胸の奥に懐かしい感覚がよみがえった。

――夏の花火。

あの日も、こんなふうに隣にいた。

夜空に大きな花火が打ち上がり、周囲から歓声が上がった。

光が広がるたび、先輩の横顔が一瞬だけ明るく照らされた。

そのときのるなは、花火を見ているはずなのに、気づくと先輩の方を見ていた。

大きな音が鳴るたびに肩が跳ねて、隣にいることを意識するたびに胸がどきどきした。

好き。

その気持ちが大きすぎて、どう扱えばいいのかわからなかった。

花火の光は、あまりにも鮮やかだった。

一瞬で夜空を染め上げ、消えてしまう。

だからこそ、目を離したくなかった。

その瞬間を逃したくなかった。

先輩と過ごす時間も、同じように感じていた。

一緒にいられる時間が終わってしまうのが寂しくて、帰り道が近づくたびに、もう少しだけ一緒にいたいと思った。

けれど、季節は進んだ。

花火の夜から、秋へ。

夏の強い光が遠い思い出になっても、先輩への気持ちは消えなかった。

むしろ、ゆっくりと形を変えながら、深くなっていった。

「……夏、懐かしいな」

気づけば、るなはつぶやいていた。

「夏?」

隣から先輩の声がする。

「はい。花火を見に行ったときのこと、思い出してました」

「ああ……あのときか」

先輩も、夜空を見上げるように少し視線を上げた。

「すごく暑かったよな」

「そうでしたね!」

るなは、思わず笑った。

「人もいっぱいで、屋台もいっぱいで……」

「るなは、屋台に夢中だった気がするけど」

「えっ!?」

るなは、ぱっと先輩を見た。

「そ、そんなことないですよ!」

「そう?」

「……ちょっとは夢中でしたけど!」

「ちょっと?」

「……かなり、です」

先輩が笑い出す。

るなも、つられて笑った。

「だって、屋台って特別じゃないですか! 焼きそばも、かき氷も、たこ焼きも……あっ、もちろん花火もちゃんと見ましたよ!」

「うん。知ってる」

「本当ですか?」

「花火が上がったとき、ちゃんと見てたから」

その言葉に、るなは少しだけ照れくさくなった。

花火を見ていた。

それは間違いない。

でも、先輩の隣にいられたことが嬉しくて、何度も横顔を確かめていたことまでは、言えなかった。

「……あのときは、すごくどきどきしてました」

るなは、光のトンネルの先を見ながら言った。

「花火が上がるたびに、綺麗だなって思って。でも……先輩が隣にいることのほうが、気になっちゃったりして」

口にしてから、少し恥ずかしくなった。

けれど、今なら言える気がした。

あの頃よりも、素直になれたから。

先輩は、しばらく黙っていた。

やがて、穏やかな声で言った。

「そうだったんだ」

「……はい」

「俺も、楽しかったよ」

その一言が、るなの心に優しく染み込んだ。

「……本当ですか?」

「本当」

先輩は、まっすぐにるなを見た。

「また一緒に見たいと思ってた」

「…………っ」

るなは、思わず立ち止まった。

冬の光が、視界の中で滲んだように見えた。

もちろん、涙ではない。

ただ、胸がいっぱいになっただけだ。

「……私もです」

小さく、でもはっきりと答えた。

「また一緒に、いろんな景色を見たいです」

先輩は微笑んだ。

「そうだな」

二人は再び歩き始めた。

今度は、先ほどよりも少しだけ近い距離で。

光のトンネルを抜けると、広場の中央に大きな光のオブジェが見えてきた。

白い光をまとった木々が並び、その中央には、金色の星をかたどった装飾が浮かんでいる。

地面には小さなライトが散りばめられ、まるで星空が足元まで降りてきたようだった。

「……わぁ」

るなは、またもや声を上げた。

「ここ、すごく綺麗ですね!」

「うん」

先輩も足を止めた。

しばらく二人で眺めていると、るなはふと、秋の紅葉を思い出した。

あの日は、赤や橙の葉が夕暮れの光を受けて輝いていた。

風が吹くたびに、葉がひらひらと舞い落ちていた。

先輩と並んで歩きながら、何度も写真を撮った。

そのときの自分は、紅葉の色に夢中になっていた。

けれど、今になって思う。

あの日の景色が綺麗だったのは、紅葉だけが理由ではなかった。

隣に先輩がいたから。

同じものを見て、同じ時間を過ごせたから。

「……秋も、綺麗でしたね」

るなは、静かに言った。

「紅葉?」

「はい。先輩と見に行った、最後の紅葉です」

「そうだな」

「夏は花火で、秋は紅葉で……冬はイルミネーションですね」

「季節ごとに、違う光があるな」

その言葉を聞いて、るなは目を輝かせた。

「そうなんです!」

嬉しそうに、先輩を見上げる。

「夏の花火は、一瞬で夜空いっぱいに広がる光で。秋の紅葉は、木々や道をゆっくり染めていく光みたいで……冬のイルミネーションは、街の中にずっと灯っている光、という感じがします!」

「なるほど」

「同じ光でも、全然違うんですよね」

るなは、目の前のオブジェを見つめた。

「……でも、どれも好きです」

夏の花火。

秋の紅葉。

冬のイルミネーション。

それぞれに違う美しさがある。

どれか一つを選ぶことはできない。

だって、どの季節にも、先輩との大切な思い出があるから。

「……先輩と一緒に見た景色だから、余計に好きなのかもしれません」

るなは、そっと言った。

先輩はすぐには答えなかった。

ただ、るなの言葉を受け止めるように、静かに隣に立っていた。

やがて、先輩は口を開いた。

「じゃあ、これからも増やしていこう」

「……え?」

「一緒に見る景色」

るなは、先輩を見上げた。

「夏も、秋も、冬も。その先も」

その言葉を聞いた瞬間、るなの胸が大きく跳ねた。

夏も。

秋も。

冬も。

その先も。

それは、今日だけの約束ではなかった。

これから迎える季節を、二人で一緒に過ごしていこうという言葉だった。

「……はい」

るなは、笑顔でうなずいた。

「いっぱい増やしたいです!」

「うん」

「春には桜も見たいですし、夏にはまた花火も見たいですし……秋には紅葉も!」

「忙しくなりそうだな」

「もちろんです!」

るなは胸を張った。

「季節のイベントは、見逃せませんから!」

「食べ物のイベントも?」

「……それは、当然です!」

先輩が吹き出した。

「やっぱり、そっちも大事なんだな」

「大事です!」

るなは真剣な顔で言い切った。

「季節限定の食べ物には、その季節にしか出会えない魅力があるんです!」

「はいはい」

「はいはい、じゃないです!」

「わかった、わかった」

先輩は笑いながら、両手を軽く上げた。

「じゃあ、来年も一緒に食べに行こう」

「……っ!」

るなの目が、ぱっと輝く。

「本当ですか!?」

「うん」

「約束ですよ!?」

「約束」

その言葉を聞いたるなは、嬉しさを隠しきれずに笑った。

「……えへへ♡」

そして、ふと思いついたように付け加える。

「ちなみに、冬のいちごスイーツも対象ですよね?」

「……やっぱり、それが本命?」

「違います!」

即座に否定した。

「先輩と一緒に過ごす時間が本命です! いちごスイーツは……その、追加の楽しみです!」

言い終えた瞬間、るなは自分の言葉に気づいて、顔を赤くした。

「……あっ」

先輩も、少し驚いたようにるなを見ていた。

「……るな」

「は、はいっ?」

「今の、嬉しかった」

「…………」

今度こそ、るなは完全に言葉を失った。

冬の光が、二人を包んでいる。

冷たい風が頬を撫でていく。

それなのに、心だけは、どうしようもなく温かかった。

広場を一周した頃には、空はすっかり暗くなっていた。

イルミネーションの光は、夕暮れの中で見るよりも鮮やかになり、街全体を幻想的な景色へと変えていた。

駅前のツリーも、遠くから眺めると、ひときわ大きく輝いて見える。

「……もう、こんな時間なんですね」

るなは時計を確認して言った。

「早いな」

先輩も、少し名残惜しそうに広場を見渡した。

「まだ、見ていたいですけど……」

るなは、少しだけ口を尖らせた。

「ずっと見ていたら、帰れなくなっちゃいそうです」

「寒いしな」

「……そうなんですよね」

二人は顔を見合わせて笑った。

駅へ向かう途中、温かい飲み物を売っている店が目に入った。

「……あっ!」

るなは、ぴたりと足を止めた。

「先輩、温かい飲み物、買いませんか?」

「いいね」

「ですよね!」

るなは嬉しそうに店へ向かった。

温かいココア。

ミルクティー。

コーヒー。

冬らしい飲み物が並んでいる。

るなは真剣な顔でメニューを見つめた。

「……うーん」

「迷ってる?」

「はい……ココアもいいですし、ミルクティーも捨てがたいです……」

「好きな方でいいんじゃない?」

「それが決められないんです!」

先輩は笑った。

「じゃあ、今日はココアにしたら?」

「……ココア」

るなは、メニューを見つめたままうなずいた。

「……そうですね。冬のイルミネーションには、ココアが似合います!」

「そんな決まりがあるの?」

「今、決まりました!」

「そうなんだ」

「はい!」

元気よく答えて、るなはココアを注文した。

先輩はコーヒーを選んだ。

受け取ったカップは、両手で包むと、じんわりと温かかった。

「……あったかい」

るなは、ほっと息をついた。

「こういうの、冬って感じがしますね」

「ああ」

二人はカップを手に、駅前のベンチへ向かった。

少し離れた場所では、ツリーを背景に写真を撮る人々が行き交っている。

イルミネーションはまだ輝いていた。

今度は歩き回るのではなく、座ってゆっくり眺める。

それだけで、時間の流れが少しゆっくりになったように感じられた。

るなはココアを一口飲んだ。

「……おいしい♡」

自然に笑顔になる。

甘さと温かさが、冷えた身体にゆっくり広がっていく。

「先輩、ココアもおすすめですよ!」

「今度、飲んでみるよ」

「ぜひ!」

るなは満足げにうなずいた。

それから、カップを両手で包んだまま、もう一度ツリーを見上げた。

「……今日、来られてよかったです」

「うん」

「先輩と一緒に見られて、嬉しかったです」

今度は、照れながらも、はっきりと伝えられた。

先輩は、穏やかな笑顔で答えた。

「俺も」

その短い返事を聞いて、るなは目を細めた。

「……また来たいですね」

「来よう」

「来年も?」

「来年も」

「その次も?」

先輩は少し考えるふりをしてから、笑った。

「その次も」

るなは、思わず笑顔になった。

「……約束ですよ♡」

「ああ。約束」

二人の間に、静かな時間が流れた。

特別な言葉を交わさなくても、気まずくなることはない。

無理に会話を続けようとしなくても、寂しくならない。

隣に先輩がいる。

同じ光を眺めている。

手の中には温かいココアがある。

それだけで、十分だった。

るなは、ふと自分の心に問いかけた。

夏の花火を見ていた頃。

先輩と一緒にいるだけで、胸がいっぱいになっていた。

何か話さなきゃ。

もっと一緒にいたい。

帰りたくない。

そんな気持ちが、いつも心の中を駆け回っていた。

秋になって、少しずつ変わった。

二人で紅葉を見て、焼きいもを食べて、何気ない話をする。

そういう時間が、特別なものになっていった。

そして今。

冬のイルミネーションを眺めながら、るなは思う。

好きな人と一緒にいることは、胸がどきどきするだけではないのだ。

安心できること。

素直に笑えること。

これからの季節を一緒に迎えたいと思えること。

そういう気持ちも、恋なのだ。

「……先輩」

「ん?」

「私、これからも……いろんな景色を見たいです」

先輩は、るなの方を向いた。

「うん」

「綺麗な景色も、美味しいものも、季節ごとのイベントも……」

るなは少し笑った。

「それから、何でもない普通の日も」

先輩は、静かにうなずいた。

「俺も、そう思うよ」

その答えを聞いて、るなは胸の中でそっと微笑んだ。

今年の冬は、まだ始まったばかり。

クリスマスも、年末も、これからやってくる。

どんな思い出が待っているのかは、まだわからない。

けれど、今日のこの時間は、きっと忘れない。

冬の光を見上げたこと。

先輩が隣で笑っていたこと。

温かいココアを飲みながら、来年の約束をしたこと。

それらすべてが、また一つ、大切な記憶になった。

帰りの電車に乗る前、るなは改札の手前で立ち止まった。

「今日はありがとうございました、先輩」

「こちらこそ。楽しかったよ」

「……本当に、あっという間でしたね」

「そうだな」

「もっと時間があれば、まだまだ見たかったです」

「また来ればいい」

先輩は、何でもないことのように言った。

「イルミネーションは、まだしばらくやってるだろうし」

「……はい!」

るなは、ぱっと笑顔になった。

また来られる。

今日で終わりではない。

そう思えることが、嬉しかった。

「じゃあ、また連絡するよ」

「はい! 待ってます!」

先輩は軽く手を振り、駅の出口へ向かった。

るなも手を振り返した。

先輩の姿が人混みの向こうに消えていくまで、しばらくその場に立っていた。

そして、ゆっくりと息を吐いた。

「……楽しかったなぁ」

胸の中には、まだ冬の光が残っていた。

帰りの電車の中。

るなは窓の外を眺めながら、今日撮った写真を確認した。

大きなクリスマスツリー。

光のトンネル。

金色に輝くオブジェ。

温かいココア。

そして、最後に撮った一枚。

先輩と並んで見上げたイルミネーション。

二人の姿は写っていない。

けれど、その景色を見ていた時間は、確かに二人のものだった。

「……ふふっ」

るなは小さく笑った。

そして、写真に短い名前をつけた。

『冬の光、再び』

その文字を見て、少しだけ考える。

夏の花火。

秋の紅葉。

冬のイルミネーション。

季節は変わっていく。

景色も変わっていく。

けれど、先輩と一緒に見た光は、どれも心の中に残っている。

それぞれ違う色で。

それぞれ違う温かさで。

そして、その全部が、今の自分につながっている。

「……次は、どんな景色が見られるのかな」

るなは窓の外へ視線を戻した。

遠くの街明かりが、流れるように後ろへ過ぎていく。

その光の向こうに、まだ見たことのない冬の景色が待っている。

そして、るなはまだ知らない。

この冬のイルミネーションが、彼女の心に眠っていた、ある日の記憶を呼び起こすことになるのを。

いちご飴を片手に、夢中で歩いていた夜。

スケッチブックを持った先輩と、初めて出会った瞬間。

あのときの小さな出来事が、今の二人へとつながっていたことを。

それは、もう少し先の物語。

今はただ、今日の温かな記憶を胸に抱いていたかった。

「……先輩、また会いましょうね」

誰にも聞こえないほど小さな声で、るなはつぶやいた。

窓の外では、冬の街が静かに輝いている。

秋の思い出を越えて。

夏の花火の余韻を抱いて。

二人の物語は、また新しい光の中へと進んでいく。

冬のイルミネーションは、再び灯った。

そして、その光は、るなの心に残る思い出を一つずつ照らし始めていた。

 第3節 ひかりが覚えていたこと

冬のイルミネーションを先輩と見に行った翌週。

日曜日の午後、るなは自分の部屋でスマートフォンに保存した写真を眺めていた。

駅前の大きなクリスマスツリー。

青白い光が降り注ぐイルミネーションのトンネル。

並んで歩いた光の道。

温かいココアを両手で包みながら、先輩と一緒に眺めた街の景色。

どの写真にも、冬の澄んだ空気と、胸の奥にじんわり広がる温かさが残っているような気がした。

「うふふ……♡」

思わず頬が緩む。

写真の中に先輩の姿はほとんど写っていない。

けれど、どの写真にも先輩と一緒にいた時間が写っている。

同じ景色を見て、同じ光に感動して、同じところで立ち止まって。

ほんの少し前まで、先輩と並んで歩くだけで緊張していたのに。

今では、何を話そうかと悩むより先に、今日あった出来事を聞いてほしいと思うようになっていた。

美味しいものを食べたら教えたい。

綺麗な景色を見つけたら、一緒に見たい。

面白いことがあったら、先輩の反応が見たい。

そんな気持ちが、いつの間にか当たり前になっていた。

「夏は花火で、秋は紅葉で、冬はイルミネーション……」

るなは写真を指でゆっくり送った。

「季節ごとに、先輩との思い出が増えていくんだなぁ……」

そのとき、スマートフォンが震えた。

画面に表示されたのは、ひかりからのメッセージだった。

『るな、今日の午後って空いてる?』

続けて、もう一通。

『ゆずはちゃんとまなちゃんも一緒なんだけど、久しぶりに四人でお茶しない?』

「お茶!」

るなの目が輝いた。

恋の話も、近況報告も、美味しいものも。

四人で集まれば、話題はいくらでもある。

しかも、ひかりから誘ってくれるなんて嬉しい。

るなはすぐに返信した。

『空いてるよー! 行く行く!』

さらに、少し考えてから付け加える。

『ケーキのお店がいいな♡』

送信して数秒後。

『るなならそう言うと思った』

ひかりから返事が来た。

「えへへ……。さすが、ひかり!」

るなはクローゼットからお気に入りのコートを取り出した。

冬の休日。

親友たちとのお茶会。

そして、きっと話題になるであろう恋の話。

るなはまだ知らなかった。

今日の会話が、彼女自身の恋の始まりへとつながる、懐かしい記憶の扉を開くことになるとは。

* * *

待ち合わせ場所は、駅から少し歩いたところにあるカフェだった。

大きな窓から冬の日差しが差し込み、店内にはクリスマスを思わせる小さな飾りが並んでいる。

テーブルには赤い実をつけた小枝が飾られ、カウンターの横には小さなクリスマスツリー。

窓際の席に座ったるなは、メニューを開いた瞬間から真剣な表情になっていた。

「うーん……。いちごのショートケーキもいいし、季節限定のモンブランも捨てがたい……。あっ、チョコレートケーキもある!」

「まだ誰も注文してないんだけど」

隣から、ゆずはの冷静な声が飛んできた。

「るな先輩、メニューを見ているときが一番真剣ですよね」

まながくすくすと笑う。

「だって、ケーキ選びは大切な問題だよ! 人生には、真剣に向き合わなきゃいけない瞬間があるの!」

「その瞬間がケーキなの?」

「もちろん!」

「即答しないでください、るな先輩!」

まなのツッコミに、ひかりが楽しそうに笑った。

「ふふっ。るならしいね」

その笑顔を見て、るなも嬉しくなる。

ひかりの笑顔は、以前と変わらない。

ただ、以前よりもずっと柔らかくなった気がする。

好きな人のことを考えて、恥ずかしそうに頬を染めたり。

相手から届いた何気ないメッセージを、大切そうに読み返したり。

そんなひかりの姿を、るなは何度も見てきた。

そして、そのたびに思っていた。

――ひかりが幸せそうで、よかった。

やがて注文した飲み物とケーキが運ばれてきた。

るなは悩み抜いた末に、いちごのショートケーキを選んだ。

真っ白な生クリームの上に、赤く艶やかないちごが二粒。

そのうちの一粒を見つめながら、るなは満足そうに頷いた。

「うん。今日はこれにして正解!」

「まだ一口も食べてないでしょう?」

ゆずはが呆れたように言う。

「見た目で分かるの。これは絶対に美味しい!」

「るな先輩のケーキを見る目、すごいですね……」

「まな、今度ケーキソムリエの資格を取ろうかな」

「そんな資格があるかどうかも分からないのに、進路を決めないでください!」

四人の笑い声が、カフェの窓辺に広がった。

温かい紅茶を飲み、ケーキを食べ、学校のことや最近の出来事を話す。

ひかりはクラスであったことを話し、ゆずはは相変わらず周囲への鋭いツッコミを忘れない。まなは学校で流行っている話題を教えてくれた。

そして、話がひと段落した頃。

ひかりが、ふと窓の外へ目を向けた。

「そういえば、駅前のイルミネーション、もう見に行った?」

「行ったよ!」

るなは待ってましたとばかりに身を乗り出した。

「先輩と一緒に行ってきたの!」

「やっぱり!」

ひかりが嬉しそうに笑う。

「この前、るなが写真を送ってくれたでしょう? すごく綺麗だったね」

「あっ、見てくれたんだ!」

「うん。ツリーもトンネルも綺麗だったけど……」

ひかりは少しだけ言葉を切った。

「るなが楽しそうだったのが、一番印象に残ったかな」

「えっ……」

るなの頬が、ぽっと赤くなる。

「そ、そうかな?」

「そうだよ。写真だけでも伝わってきたもの」

「ふふっ。先輩と一緒だったからね♡」

照れながらも、るなは素直に答えた。

ゆずはが紅茶のカップを置く。

「はいはい。冬のイルミネーションデート、ごちそうさまです」

「ゆずはちゃん、まだ何も詳しく話してないよ?」

「その顔を見れば十分」

「どんな顔!?」

「『先輩と一緒にいられて幸せです』って顔」

「うわぁぁっ! 言わないでぇ!」

るなが両手で頬を覆うと、まなまで笑い出した。

「るな先輩、可愛いです♡」

「まなまでぇ!」

賑やかなやり取りの中で、ひかりは優しく微笑んでいた。

その表情を見て、るなはふと思った。

ひかりは、こういう話をするとき、いつも自分のことを本当に嬉しそうに聞いてくれる。

それは、ただ親友だからというだけではないのかもしれない。

ひかり自身も、恋をしてきたから。

好きな人がいる喜びも、会えない時間の寂しさも、相手の言葉ひとつで心が揺れる気持ちも知っているから。

「……ひかり」

「ん?」

「ひかりは、透先輩とは最近どうなの?」

るなが何気なく尋ねると、ひかりは一瞬だけ目を丸くした。

そして、頬をほんのり赤くした。

「えっ……。と、透先輩?」

「うん。最近、二人でどこか行った?」

「えっと……この前、一緒に駅前を歩いたよ。透先輩、大学のことも少し話してくれて……」

「わぁ、いいなぁ!」

るなは両手を合わせた。

「それで、それで? どこを歩いたの? 何を話したの? 透先輩、ひかりに何か優しいこと言ってくれた?」

「るな、質問が多いよ……!」

ひかりは困ったように笑った。

「でも、楽しかったよ。何か特別なことをしたわけじゃないけど、隣を歩いて、いろいろ話して……。それだけで、すごく嬉しかった」

その言葉に、るなはぱちぱちと瞬きをした。

「……そっか」

それから、にっこりと笑う。

「よかったね、ひかり!」

その笑顔を見て、ひかりの表情も柔らかくなった。

「うん。ありがとう」

短いやり取りだった。

けれど、その瞬間、四人の間に流れる空気が、ほんの少しだけ懐かしいものに変わった。

ひかりが恋をして。

透先輩を好きになって。

どうすればいいか分からずに悩んでいた、あの頃。

るなは、その恋を応援していた。

まだ自分自身の恋が、どんな形になるのかも知らなかった頃。

誰かの幸せを願うことが、こんなにも自分の心を温かくするのだと知った頃。

ひかりが紅茶のカップを両手で包んだ。

「……ねえ、るな」

「ん?」

「あの頃のこと、覚えてる?」

「え?」

「私が透先輩のことを好きになって……るなに相談していた頃」

るなは、ゆっくりと瞬きをした。

そして、口元に笑みを浮かべた。

「もちろん! 忘れるわけないよ!」

* * *

あの頃。

まだ、季節が今ほど寒くなる前。

ひかりは、好きな人ができたことを、るなに打ち明けてくれた。

相手は、朝比奈透先輩。

穏やかで、優しくて、周りをよく見ている人。

ひかりが透先輩の話をするとき、いつもより少しだけ声が小さくなったり、何でもない言葉を思い返して頬を赤くしたりすることを、るなは知っていた。

けれど、当時のひかりは、自分の気持ちをどうすればいいのか分からずにいた。

好きだと伝える勇気もない。

かといって、何もせずにいるのも苦しい。

透先輩と話せた日は嬉しくて、話せなかった日は寂しい。

そんな気持ちの中で、ひかりは何度も立ち止まっていた。

ある日の放課後。

校舎の窓から夕焼けが差し込む教室で、ひかりはるなに尋ねた。

『ねえ、るな……。好きな人がいるって、どうしたらいいのかな』

『えっ? 好きな人?』

『うん……』

『好きなら、好きでいいんじゃない?』

あまりにも真っ直ぐな返事に、ひかりは困ったように笑った。

『そんなに簡単じゃないよ……』

『そっかぁ……』

るなは少し考えた。

それから、ひかりの顔を覗き込んだ。

『じゃあさ、ひかりは透先輩と、どうなりたいの?』

『どうなりたい……?』

『うん。もっとお話ししたいとか、一緒に帰りたいとか、そういうの』

ひかりは、すぐには答えられなかった。

けれど、しばらくして、小さな声で言った。

『……もっと、一緒にいたい』

るなは、ぱっと笑顔になった。

『じゃあ、その気持ちを大事にしようよ!』

『でも、迷惑だったらどうしよう……』

『ひかりが透先輩のことを大切に思ってるのは、迷惑なんかじゃないと思うよ』

『るな……』

『いきなり告白しなくてもいいじゃん! まずは挨拶して、少しずつお話しして、透先輩のことを知っていけばいいんだよ』

そのときのるなは、恋愛の専門家でも何でもなかった。

自分自身の恋だって、まだはっきりと形になっていない。

それでも、ひかりのことは大切だった。

ひかりが笑ってくれたら嬉しい。

ひかりが悲しそうにしていたら、何とかしてあげたい。

だから、ひかりが好きな人と一緒にいられるように、自分にできることをしたかった。

『私、応援するよ!』

そう言ったとき、ひかりは驚いたように目を見開いた。

『……本当に?』

『もちろん! ひかりの恋、全力応援!』

るなは両手で小さなガッツポーズを作った。

『作戦名は……ひかりの恋をキラキラ大作戦!』

『ふふっ……何それ』

『えっ、可愛くない?』

『可愛いけど……ちょっと恥ずかしいよ』

『じゃあ、秘密の作戦にしよう!』

夕焼け色の教室に、二人の笑い声が広がった。

その日から、るなはひかりの恋を応援することになった。

透先輩と自然に話せる機会を考えたり、ひかりが緊張しているときには背中を押したり。

ひかりがうまく話せた日は、一緒になって喜んだ。

思うようにいかなかった日は、ひかりの話を最後まで聞いた。

もちろん、すべてが計画どおりに進んだわけではない。

むしろ、予定外のことばかりだった。

透先輩を見つけた途端にひかりが固まってしまったり、せっかく話しかけようとしたのに、タイミングを逃してしまったり。

るなが張り切りすぎて、ひかりに「ちょっと待って!」と止められることもあった。

それでも、二人は少しずつ前へ進んでいった。

ひかりが自分の気持ちを見つめ直し、透先輩と向き合い、やがて二人の距離が縮まっていく。

るなにとって、それはとても大切な時間だった。

誰かの恋を応援すること。

自分のことのように喜ぶこと。

好きな人を想う気持ちが、必ずしも自分だけの中で完結するものではないのだと知ること。

そして何より。

大切な友達が、好きな人と笑い合えるようになること。

それが、るなにとっての幸せだった。

* * *

「……るな?」

ひかりの声に、るなは我に返った。

「あっ、ごめん! ちょっと思い出してた!」

「やっぱり覚えてるんだね」

「うん!」

るなは、懐かしそうに笑った。

「ひかりが透先輩の話をするとき、すっごく可愛かったんだよ。いつもは落ち着いてるのに、透先輩のことになると、急に恥ずかしそうになっちゃって!」

「るな……! そんなことまで覚えてなくていいよ……!」

ひかりの頬が一気に赤くなった。

「えー、だって可愛かったんだもん!」

「はいはい。るな、そこで止めときなさい」

ゆずはが笑いながら口を挟んだ。

「ひかりが本気で照れてるでしょ」

「ゆずはちゃん……!」

「でも、あの頃のひかり、確かに分かりやすかったよね」

ゆずはは、少し懐かしそうに目を細めた。

「透先輩が近くにいると、急に姿勢がよくなったり、髪を気にしたりして」

「ゆずはちゃんまで……!」

「だって本当のことだし」

「まなも覚えてます!」

まなが勢いよく手を挙げた。

「ひかり先輩が透先輩とお話しできた日は、るな先輩が私にまで報告してくれたんですよ!」

「えっ、るな、そんなことしてたの?」

ひかりが驚いてるなを見る。

「えへへ……。だって嬉しかったんだもん!」

るなは少し照れくさそうに笑った。

「ひかりが『今日は透先輩と少しお話しできたよ』って言ってくれると、私まで嬉しくなっちゃって。まなにも『今日のひかり、頑張ったんだよ!』って話してた気がする」

「はい。るな先輩、自分のことみたいに喜んでました」

まなは、当時を思い出すように微笑んだ。

「私、あの頃のるな先輩を見て、友達の恋を応援するって素敵だなって思ったんです」

「まな……」

るなは少し驚いた。

そんなふうに思われていたなんて、知らなかった。

「でも、私、本当に何もしてないよ? ただ応援してただけだし……」

「それが大切なんじゃない?」

ゆずはが静かに言った。

「誰かが悩んでるとき、すぐに答えを出してあげられなくても、そばにいて話を聞くことはできるでしょう。るなは、そういうことを自然にやってたんだと思う」

「ゆずは……」

ひかりが、ゆずはの言葉に頷いた。

「うん。私もそう思う」

ひかりは、るなの目をまっすぐ見つめた。

「るながいてくれたから、私は自分の気持ちから逃げずにいられたんだと思う」

「……!」

「もちろん、最後に自分の気持ちを伝えたのは私だよ。でも、どうしたらいいか分からなくなったとき、るなが一緒に考えてくれたでしょう?」

ひかりは、カップの中で揺れる紅茶を見つめた。

「私、自分の気持ちを誰かに話すのが苦手だったから……。好きな人ができても、どうしていいか分からなかった。でも、るなは否定しないで聞いてくれた」

「だって、ひかりの気持ちだもん」

るなは、当たり前のように答えた。

「好きな人がいるって、すごく素敵なことだと思うよ。もちろん、楽しいことばっかりじゃないけど……。好きだから悩むし、好きだから頑張りたいんだよね」

そう話したあと、るなはふっと笑った。

「……って、今ならちょっと分かる気がする」

「今なら?」

ひかりが尋ねる。

「うん。私も先輩のことが好きだから」

言葉にした瞬間、るなの胸の奥が温かくなった。

以前なら、誰かの恋を応援することが、自分にとっての恋のすべてだった。

好きな人のことを考えて頬を赤くするひかりを見守りながら、自分もいつか、そんなふうに誰かを好きになるのだろうかと思ったことはあった。

けれど、そのときはまだ知らなかった。

誰かの絵に心を奪われること。

その人の見ている景色を、もっと知りたいと思うこと。

何気ない会話を何度も思い返し、次に会える日を楽しみにすること。

そして、その人と一緒に過ごす季節が、自分にとって特別な意味を持つようになること。

それらが、いつか自分自身の身に起こるなんて。

「るな……」

ひかりは、優しく笑った。

「るなも、幸せそうだね」

「……えへへ♡」

るなは照れながら頷いた。

「うん。幸せ!」

その返事は、とても素直だった。

* * *

四人の話題は、自然と昔の出来事へと移っていった。

ひかりと透先輩が初めてゆっくり話せた日のこと。

緊張しながらも、一歩踏み出したひかりのこと。

ゆずはが二人の様子を見守りながら、るなの暴走を止めていたこと。

まなが、先輩たちの恋を遠くから応援していたこと。

今では笑って話せる出来事も、当時はひとつひとつが大切な瞬間だった。

「そういえばさ」

ゆずはが、ふと思い出したように言った。

「ひかりと透先輩のことを応援してた頃、るなって、よく途中でいなくなってたよね」

「……え?」

るなの手が止まった。

「いなくなってた?」

「うん。何かあると『ちょっと行ってくるね!』って、すぐにどこかへ行っちゃって」

「あっ、それ、覚えてます!」

まなが顔を上げた。

「イベントのときもそうでしたよね。ひかり先輩と透先輩が二人で話せるようにって、るな先輩が気を利かせて……」

「ああ!」

ひかりの表情が、ぱっと明るくなった。

「そうだ。あのときも、るなが私たちのために場所を空けてくれたんだよね」

「……あのとき?」

るなは、カップを持つ手にそっと力を込めた。

頭の中に、ひとつの景色が浮かびかける。

夜の空気。

色とりどりの光。

人々の楽しそうな声。

そして、甘い香り。

けれど、その景色はまだ輪郭が曖昧で、手を伸ばそうとすると遠ざかってしまう。

「……あれ?」

るなは小さく呟いた。

「どうしたの、るな?」

ひかりが心配そうに顔を覗き込む。

「ううん……。何か、懐かしい感じがして」

「懐かしい?」

「うん。ひかりと透先輩のことを応援してたとき……私、何してたっけ?」

「ええっ?」

ひかりは驚いたように目を丸くした。

「るな、忘れちゃったの?」

「いや、全部忘れたわけじゃないよ! ちゃんと覚えてるもん!」

るなは慌てて手を振った。

「ひかりが透先輩とお話しできて嬉しそうだったことも、ゆずはが私にツッコんでたことも、まなが一緒に喜んでくれたことも……」

「最後のは、今も変わらないですね」

まなが笑う。

「でも、イベントの日のことは、ちょっと細かいところが……」

るなは眉を寄せた。

ひかりと透先輩が、二人で話せるようにしてあげたかった。

その気持ちは覚えている。

けれど、自分がそのあと、どこへ行ったのか。

何を見たのか。

誰と出会ったのか。

そのあたりの記憶が、なぜかはっきりしない。

まるで、ずっと閉じていたアルバムの一ページだけが、薄い布に覆われているようだった。

「確か……」

るなは、ゆっくりと言葉を探した。

「私、何かを買いに行ったんだよね?」

「あっ、そうそう!」

ひかりが頷いた。

「るな、私たちに気を遣ってくれて、『ちょっと向こうに行ってくるね』って言ってたよ」

「向こう……?」

「屋台が並んでいたほうだったと思う。食べ物のお店がいっぱいあって……」

その言葉を聞いた瞬間。

るなの頭の中で、何かが小さく弾けた。

赤い色。

透明な飴の光沢。

甘い香り。

そして、夜の光を映した、ひときわ綺麗な何か。

「……いちご飴?」

思わず、その言葉が口からこぼれた。

「え?」

ひかりが顔を上げる。

「いちご飴……。私、いちご飴を買いに行ったんだっけ?」

「そうだったと思う!」

ひかりは、懐かしそうに笑った。

「るな、いちご飴を見つけたら嬉しそうだったもの。『あっちでいちご飴が売ってたので買ってきます!』って言ってた気がする」

「……あっ!」

るなは、目を見開いた。

その声が、記憶の奥から聞こえてきた気がした。

――あっちでいちご飴が売ってたので買ってきます!

確かに、自分の声だった。

元気で、少し慌ただしくて、食べ物のことになると一直線。

今と、あまり変わっていない。

「うわぁ……! 私、そんなこと言ってたんだ!」

「言ってたよ」

ひかりが笑う。

「私、あのとき、るなにすごく助けられたんだよ。るなが自然に離れてくれたから、透先輩と落ち着いて話せたの」

「そっか……。よかったぁ」

るなは胸を撫で下ろした。

けれど、なぜだろう。

いちご飴という言葉を聞いてから、さっきまで曖昧だった景色が、少しずつ鮮やかになっていく気がした。

夜の冷たい空気。

屋台の明かり。

手の中にある、赤い果実を包んだ飴。

そして――。

「……絵」

るなは、ふいに呟いた。

「え? 絵?」

ゆずはが聞き返した。

「うん……。何か、絵を見たような気がする」

るな自身も、何を言っているのか分からなかった。

ただ、その言葉が、胸の奥から浮かび上がってきた。

絵。

夜の光。

誰かが、何かを描いていた。

スケッチブック。

鉛筆を持つ手。

光を見つめる横顔。

それらはまだ断片的で、ひとつの思い出としてつながってはいない。

けれど、そこには確かに、何かがあった。

「……るな?」

ひかりが心配そうに呼んだ。

「大丈夫?」

「うん、大丈夫! 何か、昔のことを思い出しそうになっただけ」

るなは笑ってみせた。

「でも、変だなぁ。あの頃のことは覚えてるつもりだったのに、細かいところは忘れちゃってるんだね」

「そういうこと、あるよ」

ひかりが穏やかに言った。

「毎日いろんなことがあるし、そのときは何でもないと思っていた出来事が、あとから大切な思い出になっていたりするから」

「……あとから、大切な思い出に?」

「うん」

ひかりは、るなを見つめた。

「そのときは気づかなかったけど、振り返ってみたら、今の自分につながっていた……。そんなことって、あると思うんだ」

るなは、その言葉を静かに聞いた。

今の自分につながっていた出来事。

何気ない一日。

何気ない寄り道。

何気ない出会い。

もし、あの日、いちご飴を買いに行かなかったら。

もし、あの日、いつもどおりひかりのそばにいたら。

もし、あの日、屋台の明かりに気を取られず、別の道を歩いていたら。

今の自分は、ここにいたのだろうか。

先輩と出会い、一緒に夏の花火を見て、秋の紅葉を眺め、冬のイルミネーションを歩く。

そんな未来につながっていたのだろうか。

「……そうだね」

るなは、ゆっくり頷いた。

「私にも、そういうことがあったのかもしれない」

まだ、はっきりとは思い出せない。

けれど、胸の奥が不思議と温かかった。

* * *

「でも、るな先輩がいちご飴を買いに行ったのは、るな先輩らしいですね!」

少ししんみりした空気を変えるように、まなが明るい声を出した。

「ひかり先輩の恋を応援している最中でも、いちご飴は大切だったんですね!」

「まな、それはちょっと違うよ!」

るなは慌てて反論した。

「ひかりの恋を応援することと、いちご飴を食べることは、どっちも大切なの!」

「どっちもなんですか!?」

「どっちも!」

「るな先輩、そこは迷わないんですね……」

まなは、くすくすと笑った。

「でも、いちご飴がきっかけで、何か大切なことがあったのかもしれないですね」

「……うん」

るなは、ふと真面目な表情になった。

「そうかもしれない」

ゆずはが、少しだけ身を乗り出した。

「もしかして、先輩と初めて会ったときのこと?」

「えっ?」

るなは、驚いてゆずはを見た。

「だって、るな。今、絵って言ったでしょう?」

「う、うん……」

「先輩って、絵を描く人じゃない」

ゆずはは、落ち着いた口調で続けた。

「前に、先輩のスケッチブックを見せてもらったことがあるって、るなが話してくれたよね。街の景色とか、光の描き方とか」

「……そうだった」

るなは、目を伏せた。

先輩のスケッチブック。

鉛筆で描かれた街の景色。

光と影の重なり。

ただ明るいだけではない、静かな夜の美しさ。

先輩の絵を見たとき、るなは思ったのだ。

――この人は、私と同じ景色を見ているのに、私とは違うものを見つけているんだ。

同じイルミネーションでも、ただ綺麗だと思うだけではなく、その光の向こうにある空気や、人の表情まで見つめている。

そんな世界を、もっと知りたいと思った。

もっと、この人の話を聞いてみたいと思った。

その気持ちが、どこから始まったのか。

今のるなは、少しずつ思い出しかけていた。

「……あの日だったのかな」

るなは、小さく呟いた。

「先輩と初めて出会った日……」

ひかりが、優しく頷いた。

「そうかもしれないね」

「私、ちゃんと覚えてるつもりだったんだけどなぁ……」

るなは困ったように笑った。

「先輩と初めて話したときのことも、絵を見せてもらったときのことも、もちろん覚えてるよ。でも、その前に何があったのか、どんな気持ちでそこにいたのか……。細かいところは、曖昧になってたのかも」

「大切な思い出ほど、何度も思い返す部分と、いつの間にか忘れてしまう部分があるのかもしれないね」

ひかりの言葉に、るなは頷いた。

今まで、先輩との思い出を何度も振り返ってきた。

夏の花火。

秋のコスモス。

紅葉の帰り道。

そして、冬のイルミネーション。

そのどれもが、今の自分にとって大切な思い出だった。

けれど、もっと前。

まだ先輩を「先輩」と呼ぶことさえ、少し緊張していた頃。

自分が、誰かの恋を応援することに夢中だった頃。

あの日の自分は、どんな気持ちで夜の街を歩いていたのだろう。

何を見て、何を考えて、どんな言葉を交わしたのだろう。

そして、あの人の絵を見た瞬間。

自分の中で、何が変わったのだろう。

「……もう一度、思い出したいな」

るなは、ぽつりと言った。

「え?」

ひかりが顔を上げる。

「先輩と初めて会った日のこと。ちゃんと、最初から思い出したい」

るなは、窓の外に目を向けた。

冬の午後の光が、街の建物を柔らかく照らしている。

「だって、今の私が先輩のことを好きなのは、あの日があったからかもしれないでしょう?」

その言葉に、ひかりは微笑んだ。

「うん。きっと、そうだね」

「だったら、あの日のことも大切にしたいな」

るなは、自分の胸にそっと手を当てた。

「今の私につながっている、大切な思い出だから」

ゆずはは、そんなるなを見て、少しだけ表情を和らげた。

「……いいんじゃない? たまには、昔のことをゆっくり思い出してみるのも」

「うん!」

るなは明るく頷いた。

そして、ふと思いついたように顔を上げる。

「そうだ! 先輩に聞いてみようかな。初めて会ったとき、私ってどんな感じだった? って!」

「それは……」

ゆずはが、少し考えた。

「聞くのはいいけど、変なことを言われても怒らないようにね」

「えっ、何で!?」

「だって、るなのことだから、いちご飴に夢中で周りが見えてなかったとか、そういう話になりそうじゃない」

「うっ……!」

るなの動きが止まった。

否定できない。

食べ物に夢中になる自分。

周りの景色が見えなくなる自分。

それは、今でもよくあることだった。

「……先輩、そんなこと覚えてるかな?」

「覚えてるんじゃない?」

ゆずはが即答する。

「初対面で印象に残る出来事って、案外忘れないものだし」

「うわぁ……。どうしよう。私、恥ずかしいことしてたら……!」

「るな先輩、今さらですよ!」

まなが笑いながら言った。

「今のるな先輩も、ケーキを前にすると周りが見えなくなりますから!」

「まなぁぁ!」

再び、テーブルに笑い声が広がった。

ひかりも、目元を細めて笑っている。

その笑顔を見て、るなは思った。

あの頃、自分はひかりの恋を応援していた。

ひかりが好きな人と一緒にいられるように。

ひかりが自分の気持ちを伝えられるように。

そのために、できることを一生懸命考えていた。

そして、ひかりの恋が少しずつ前へ進んでいく中で、自分もまた、思いがけない出会いをしていた。

人の恋を応援していた自分が、いつの間にか、自分自身の恋の始まりに立ち会っていたのだ。

そう考えると、何だか不思議だった。

もし、あの日のひかりが透先輩を好きになっていなかったら。

もし、るなが二人のためにその場を離れなかったら。

もし、いちご飴を買いに行こうと思わなかったら。

先輩と出会うことはなかったのかもしれない。

もちろん、人生に「もしも」はない。

過去は変えられないし、選ばなかった道の先に何があったのかも分からない。

けれど、今ここにいる自分は、確かにあの日の自分からつながっている。

ひかりを応援したいと思ったこと。

いちご飴を買いに行ったこと。

夜の街で、ひとつの絵に心を奪われたこと。

そのすべてが、今の自分につながっている。

「……ひかり」

「なあに?」

「私、ひかりの恋を応援できてよかった」

るなは、まっすぐにひかりを見つめた。

「ひかりが透先輩と出会って、好きになって、悩んで……。それを近くで見ていられてよかったなって思う」

「るな……」

「だって、ひかりが幸せになってくれたから。私も、すごく嬉しかったんだよ」

ひかりは、目を細めた。

「私こそ、るなが友達でいてくれてよかった」

そう言って、そっと笑う。

「るなが応援してくれたこと、今でも覚えてるよ。あの頃の私は、自分の気持ちに自信が持てなかったから……。るなが『大丈夫だよ』って言ってくれるだけで、もう少し頑張ってみようって思えたんだ」

「ひかり……」

「だから、今度は私が応援するね」

「え?」

ひかりは、るなの手をそっと握った。

「るなの恋も」

その言葉に、るなの頬が赤くなった。

「……もう、ひかりったら!」

「ふふっ。だって、私もるなの幸せを願ってるから」

「……ありがとう」

るなは、ひかりの手を握り返した。

窓の外では、冬の光がゆっくりと傾いていた。

カフェの中は温かく、テーブルの上には食べ終えたケーキのお皿と、少し冷めた紅茶が並んでいる。

ゆずはとまなは、二人の様子を見ながら、何も言わずに微笑んでいた。

友達の恋を応援すること。

自分の恋を応援してもらうこと。

そのどちらも、るなにとって大切なものだった。

* * *

カフェを出る頃には、空が少しずつ夕焼け色に染まり始めていた。

「今日は楽しかったね!」

駅へ向かう道を歩きながら、るなは笑顔で言った。

「うん。また四人で集まろうね」

ひかりが答える。

「次は、どこのお店にする?」

まなが尋ねた。

「それはもちろん、ケーキの美味しいお店!」

るなが胸を張ると、ゆずはがすかさず言った。

「今日もケーキだったでしょうが」

「ケーキは何回食べても美味しいの!」

「名言みたいに言わないでください、るな先輩!」

まなの笑い声が響く。

いつものような、賑やかで楽しい帰り道。

けれど、るなの心の中には、さっきからひとつの景色が浮かび続けていた。

夜の屋台。

赤いいちご飴。

光を描く人。

まだ、すべてを思い出せたわけではない。

それでも、あの日の記憶が、少しずつ近づいてきているような気がした。

駅で三人と別れたあと、るなはひとり、家へ向かう道を歩いた。

冷たい風が頬を撫でる。

街路樹には、冬の訪れを知らせる小さなイルミネーションが灯り始めていた。

その光を見つめながら、るなはスマートフォンを取り出した。

先輩とのメッセージ画面を開く。

少し迷ってから、文字を打ち込んだ。

『先輩、突然だけど……』

そこで指が止まる。

何と聞けばいいのだろう。

初めて会った日のことを覚えているか。

自分がどんな様子だったか。

先輩は、あのとき何を思っていたのか。

聞きたいことはたくさんある。

けれど、今すぐ尋ねてしまうのも、何だかもったいない気がした。

思い出は、焦って引き出すものではないのかもしれない。

ゆっくりと振り返りながら、自分の中で大切に確かめていくものなのかもしれない。

「……うん」

るなは、入力しかけた文章を消した。

そして、代わりに短いメッセージを送った。

『今日は友達とお茶してきたよ! 昔のことをいろいろ思い出しちゃった♡』

すぐに既読がついた。

少しして、先輩から返信が届く。

『そうか。楽しかったみたいだな』

続けて、もう一通。

『何を思い出したんだ?』

「……えへへ」

るなは、思わず笑った。

やっぱり、先輩には何でもお見通しなのだろうか。

いや、そんなはずはない。

でも、そう思いたくなるくらい、先輩はいつも、るなの気持ちを自然に受け止めてくれる。

るなは、しばらく画面を見つめたあと、返信した。

『ひかりと透先輩の恋を応援してた頃のこと!』

それから、少し考えて付け加えた。

『それと……いちご飴のこと♡』

送信してから、るなは空を見上げた。

冬の空は澄んでいて、遠くに一番星が見え始めていた。

あの日、自分は何を見たのだろう。

どんな光に心を奪われたのだろう。

そして、先輩は、あの夜、どんな気持ちで絵を描いていたのだろう。

まだ答えは出ない。

けれど、ひとつだけ確かなことがあった。

今の自分は、あの日の出会いを大切に思っている。

先輩と出会えたこと。

先輩の絵を好きになったこと。

先輩の見ている世界を、もっと知りたいと思ったこと。

そして、今こうして、一緒に季節を重ねられること。

そのすべてが、るなにとって、かけがえのない宝物だった。

スマートフォンが、もう一度震えた。

『いちご飴? 懐かしいな』

先輩からの返信だった。

るなは、はっとして画面を見つめた。

「……懐かしい?」

胸の奥で、何かが小さく動いた。

先輩も、覚えている。

あの日のことを。

いちご飴のことを。

もしかしたら、先輩の中にも、あの日の記憶が残っているのかもしれない。

るなは、ゆっくりと文字を打ち込んだ。

『先輩も覚えてるの?』

送信。

しばらくして、返信が届いた。

『もちろん。忘れるわけないだろ』

その言葉を見た瞬間、るなの胸が、きゅっと温かくなった。

「……そっか」

思わず笑みがこぼれる。

忘れるわけない。

その一言が、何より嬉しかった。

あの日は、るなにとって、何気ない一日の続きだったのかもしれない。

ひかりの恋を応援して、いちご飴を買いに行って、偶然誰かとぶつかって。

けれど、その何気ない出来事が、今の自分につながっている。

そして、きっと先輩にとっても。

るなは、スマートフォンを胸元にそっと抱き寄せた。

「……あの日、何があったんだろう」

自分の記憶の中に眠っている、最初の出会い。

もう一度、その始まりからたどってみたい。

いちご飴の甘い香り。

冬の夜の光。

そして、スケッチブックに描かれた、あの美しい景色。

るなは、ゆっくりと歩き出した。

冬の街に灯る光が、ひとつ、またひとつと増えていく。

それはまるで、心の奥にしまわれていた思い出を、順番に照らし始めているかのようだった。

ひかりが覚えていたこと。

ゆずはが覚えていたこと。

まなが覚えていたこと。

そして、先輩が覚えていたこと。

みんなの記憶の中に、あの日の欠片が残っている。

それらをたどっていけば、きっと思い出せる。

自分が、どうして先輩と出会ったのか。

どんなふうに、最初の一歩を踏み出したのか。

そして、あの日の小さな出来事が、どんなふうに今の恋へとつながっていったのか。

るなは、冬の空を見上げた。

「……先輩」

小さく名前を呼ぶ。

その声は、冷たい空気の中に溶けていった。

けれど、胸の中に灯った温かさは、消えなかった。

あの日の光は、まだ心の奥に残っている。

今はまだ、すべてを思い出せなくてもいい。

ひとつずつ、ゆっくりと。

あの日の自分に、会いに行こう。

そして、もう一度知りたい。

あの夜、スケッチブックを抱えた先輩が、どんな景色を見ていたのか。

その景色の中に、自分はどんなふうに映っていたのか。

冬のイルミネーションが、街を優しく包み込んでいた。

その光の向こうに、二人の恋が始まった夜の記憶が、静かに待っていた。

 第4節 誰かの恋を応援していた日

翌週の水曜日。

放課後の教室には、冬の夕暮れが静かに差し込んでいた。

窓の向こうに見える空は、淡いオレンジ色から少しずつ藍色へと変わり始めている。校庭からは運動部の掛け声が聞こえ、廊下を歩く生徒たちの声も、いつもより少しだけ弾んでいた。

冬休みまで、あと少し。

街にはクリスマスの飾りが増え、駅前のイルミネーションもすっかり冬の景色になっている。

そんな放課後の教室で、星野るなは机の上に頬杖をつきながら、スマートフォンの画面を眺めていた。

表示されているのは、先日、先輩と一緒に見に行ったイルミネーションの写真。

青白い光に包まれた並木道。

大きなクリスマスツリー。

温かい飲み物を手に、二人で眺めた街の景色。

「……えへへ♡」

思わず、笑みがこぼれる。

「また見てるの?」

向かいの席から、橘ゆずはの声が飛んできた。

「えっ?」

「その顔。絶対、先輩との写真を見てたでしょ」

「な、何で分かるの!?」

「何でって……分かるでしょうよ」

ゆずはは呆れたように肩をすくめた。

「るな、先輩の話になると顔に出すぎなのよ」

「そ、そんなことないもん!」

「じゃあ、今、何を見てたの?」

「冬のイルミネーション!」

「誰と見に行ったの?」

「……先輩とです♡」

「ほらね」

「うわぁぁっ!」

るなは慌ててスマートフォンを胸に抱えた。

その様子を見て、隣で帰り支度をしていた小日向まなが、くすくすと笑う。

「るな先輩、幸せそうで何よりです♡」

「まなぁ……!」

「でも、本当に楽しそうでしたよね。先輩と冬のイルミネーション」

「うん! すっごく綺麗だったよ!」

るなは、ぱっと表情を明るくした。

「夏の花火とは全然違うの。夏は夜空いっぱいに光が広がる感じだけど、冬のイルミネーションは、街全体がキラキラしていて……。歩いているだけで、景色の中に入っちゃったみたいな気分になるんだよ!」

「へえ……」

まなが目を輝かせる。

「私も見に行きたいです!」

「行こう、行こう! 今度、みんなで行こうよ!」

「いいですね!」

「ただし」

ゆずはが、すかさず口を挟んだ。

「るなは先輩と二人で行く予定を優先しないこと」

「ええっ!?」

「だって、みんなで行こうって言った直後に『先輩とも行きたいなぁ♡』って顔してるもの」

「うっ……!」

否定できない。

実際、るなの頭の中では、みんなでイルミネーションを見る計画と、先輩ともう一度見に行く計画が、仲良く並んでいた。

どちらも大切。

どちらも楽しみ。

そして、どちらも実現したら嬉しい。

「……だって、何回見ても綺麗なんだもん」

るなが小さく言うと、ゆずははふっと笑った。

「はいはい。分かってるわよ」

そのとき、教室の入口から、柔らかな声が聞こえてきた。

「みんな、まだいたんだね」

「あっ、ひかり!」

白雪ひかりが、鞄を持って教室へ入ってきた。

今日は委員会の仕事があったため、いつもより帰りが遅くなったらしい。

「お待たせ。もう帰るところ?」

「ううん! ちょうど、イルミネーションの話をしてたところ!」

るなが答える。

「ひかりも一緒に帰ろうよ!」

「うん、もちろん」

ひかりは微笑みながら、空いている席に鞄を置いた。

それから、るなの手元にあるスマートフォンを見て、ふと目を細めた。

「……あっ。その写真、先輩と見に行ったときの?」

「そう!」

「やっぱり綺麗だね」

「でしょう? この写真、私のお気に入りなの!」

るなは嬉しそうに画面を見せた。

ひかりは写真を眺めながら、懐かしそうに微笑んだ。

「いいなぁ……。二人とも、すっかり自然な感じになったね」

「自然な感じ?」

「うん。夏の頃は、るな、先輩と一緒にいるだけで少し緊張していたでしょう?」

「……そ、そうだったかな?」

「そうだったよ」

ひかりは、楽しそうに頷いた。

「先輩が近くに来ると、急に姿勢がよくなったり、何を話そうか一生懸命考えたりしてたもの」

「ひかりまでぇ!」

るなは頬を膨らませた。

「そんなこと、わざわざ覚えてなくていいのに!」

「ふふっ。だって、可愛かったんだもの」

「ううう……」

るなは机に突っ伏した。

けれど、ひかりの言葉に嫌な気持ちはしなかった。

むしろ、懐かしかった。

先輩と出会った頃。

まだ、今のように何でも話せる関係ではなかった頃。

先輩の言葉ひとつに胸を弾ませ、次に会える日を心待ちにしていた頃。

あの頃の自分を思い出すと、少し恥ずかしい。

でも、今の自分につながる、大切な時間だった。

「……そういえばさ」

ひかりが、ふと口を開いた。

「この前、るなとお茶したときに、昔のことを話したでしょう?」

「うん。ひかりと透先輩の恋の話!」

「そう。それで、帰ってからもいろいろ思い出していたんだけど……」

ひかりは、少しだけ目を伏せた。

「私、あの頃、るなにもいっぱい助けてもらったよね」

その言葉に、るなは顔を上げた。

「……え?」

「透先輩のことが好きだった頃。どうしたらいいか分からなくて、何度も悩んでいたでしょう?」

「うん……」

「そのたびに、るなが話を聞いてくれたよね。私が不安になっているときも、うまくいかなくて落ち込んだときも……。るなはいつも、私の気持ちを大切にしてくれた」

ひかりは、優しい笑みを浮かべた。

「だから、改めてありがとうって伝えたくなったの」

教室が、ほんの少し静かになった。

窓の外から聞こえる運動部の声が、遠くに感じられる。

るなは、ひかりを見つめたまま、すぐには言葉を返せなかった。

「……ひかり」

「うん?」

「私、そんなに大したことしてないよ?」

るなは、少し照れくさそうに笑った。

「ただ、ひかりの話を聞いて、一緒に考えて……。ひかりが頑張っているのを見て、応援してただけだもん」

「うん」

「ひかりが透先輩と話せたら、私も嬉しかったし。二人の距離が近づいたら、もっと嬉しかったし……」

そこまで言って、るなはふと口を閉じた。

自分が話しているのに、まるで遠い昔の出来事を、誰かから聞いているような不思議な気持ちになった。

そうだ。

あの頃の自分は、誰かの恋を応援する側だった。

ひかりが恋に悩んでいるとき、どうしたら笑顔になれるかを考えていた。

透先輩と話せる機会があれば、ひかりの背中を押した。

二人が一緒にいる時間を大切にできるように、自分にできることを探した。

あの頃の自分にとって、ひかりの恋は、自分自身のことのように大切だった。

けれど、今は違う。

自分にも、大切な人がいる。

好きな人と一緒に季節を重ねる喜びを知った。

会いたいと思う気持ちも、隣にいるだけで安心する気持ちも、次に会える日が待ち遠しい気持ちも、知った。

そして、誰かを好きになるということが、どれほど心を温かくするのかを知った。

「……そっか」

るなは、小さく呟いた。

「私、あの頃は、ひかりの恋を応援するのが嬉しかったんだね」

ひかりは、静かに頷いた。

「うん。私も、るなが応援してくれて嬉しかった」

* * *

四人は帰り支度を終えると、一緒に校舎を出た。

冬の夕暮れは早い。

校門を抜ける頃には、空の青さが少しずつ深まり、街路樹の枝先に残った葉が、冷たい風に揺れていた。

四人の吐く息が、白くほどけていく。

「寒くなったねぇ……」

るなはコートの襟元を整えた。

「本当に。朝はまだよかったけど、夕方になると冷えるね」

ひかりがマフラーを巻き直す。

「冬休みも近いですし、風邪をひかないようにしないとですね」

まなが言うと、ゆずはが頷いた。

「そうね。特にるな。寒いからって、夜中にアイスばっかり食べないこと」

「えっ!?」

「この前、そう言ってたでしょう?」

「だ、だって……冬のアイスって美味しいんだよ?」

「そこは否定しないけど、食べすぎは駄目」

「うう……。ゆずは、厳しい……」

「あなたの健康を心配してるの」

そんなやり取りをしながら、四人は駅へ向かう道を歩いていった。

途中、小さな公園の前を通りかかったとき、ひかりがふと足を止めた。

「……あっ、ここ」

「ん? どうしたの、ひかり?」

るなが振り返る。

公園の入口には、冬の飾りつけが施されていた。

小さな木々に白い電飾が巻かれ、入口の柵には赤いリボンが結ばれている。

まだ明るい時間なので、イルミネーションは点灯していない。

けれど、夕暮れの景色の中に立つその場所は、どこか懐かしい雰囲気を漂わせていた。

「この公園……。前に、透先輩と話したことがあるんだ」

「えっ、そうなの?」

るなは目を輝かせた。

「どんな話? どんな話?」

「るな、急に元気にならないで」

ゆずはが呆れる。

「だって、気になるんだもん!」

ひかりは頬を少し赤くしながら、笑った。

「そんなに特別なことじゃないよ。まだ、透先輩と今ほど話せなかった頃……。偶然ここで会って、少しだけ話したの」

「偶然?」

「うん。私、どう話しかけたらいいか分からなくて、すごく緊張していたんだけど……。透先輩が、自然に話しかけてくれたんだ」

ひかりの目が、夕暮れの公園へ向けられた。

「そのあと、るなに報告したんだよね。『今日、透先輩とお話しできた』って」

「……あっ!」

るなの記憶が、少しずつ動き始めた。

放課後の教室。

ひかりが頬を赤くしながら、今日あった出来事を話してくれたこと。

透先輩がどんな言葉をかけてくれたのか、ひかりが一生懸命に思い出しながら説明してくれたこと。

そして、その話を聞いた自分が、まるで自分の恋がうまくいったかのように喜んだこと。

あの頃の自分は、ひかりの恋が少しでも前に進むと、胸がいっぱいになった。

「……覚えてるよ」

るなは、懐かしそうに微笑んだ。

「ひかり、すっごく嬉しそうだったもん」

「うん。あのときは、本当に嬉しかった」

「私も嬉しかった!」

るなは、勢いよく頷いた。

「ひかりが好きな人とお話しできたんだもん! それだけで、今日はいい日だー! って思ったよ!」

「ふふっ。るな、そういうところ、昔から変わらないね」

ひかりは、優しく笑った。

「誰かの嬉しいことを、自分のことみたいに喜んでくれるところ」

「……そうかな?」

「そうだよ」

ひかりは、少しだけ真剣な表情になった。

「私、あの頃は、自分の気持ちばかりでいっぱいだったんだ。透先輩と話せたら嬉しいし、話せなかったら落ち込むし……。自分でも、どうしてこんなに一喜一憂するのか分からなかった」

「うん……」

「でも、るなは、そんな私の話を何度も聞いてくれたでしょう?」

ひかりは、ゆっくりと言葉を続けた。

「同じ話を何度もしても、ちゃんと聞いてくれた。私が嬉しかったことを一緒に喜んでくれて、不安なことがあったら、一緒に考えてくれた」

るなは、静かに耳を傾けた。

「それが、私にはすごく心強かったんだよ」

「……ひかり」

「だからね。あの頃の私は、透先輩に支えてもらっていたのと同じくらい、るなにも支えてもらっていたんだと思う」

その言葉を聞いた瞬間、るなの胸がじんわりと温かくなった。

自分は、ただ応援していただけだと思っていた。

何か特別なことをしたわけではない。

恋をうまく進める方法を知っていたわけでもない。

ただ、ひかりの話を聞いて、ひかりの気持ちを大切にしたかった。

それだけだった。

けれど、その「それだけ」が、ひかりにとっては大切な支えになっていたのだ。

「……そっか」

るなは、小さく笑った。

「私、ひかりの役に立ててたんだね」

「うん。いっぱい助けてもらったよ」

ひかりは、はっきりと頷いた。

「ありがとう、るな」

その言葉は、冬の空気の中で、静かにるなの心へ届いた。

* * *

公園を通り過ぎたあと、四人は駅前の広場へ向かった。

クリスマスが近づくにつれ、街の飾りつけは少しずつ華やかになっている。

店先には赤や緑のリースが飾られ、ショーウィンドウには冬限定の商品が並んでいた。

駅前の大きなツリーも、夕暮れの中で静かに光を待っている。

るなは、そのツリーを見上げながら、ふと呟いた。

「……あの頃の私って、ずっと誰かを応援してたんだね」

「そうだね」

ゆずはが頷く。

「ひかりの恋が中心だったけど、私たちも一緒に見守っていたし」

「私は、るな先輩が一生懸命だったのを覚えています!」

まなが明るく言った。

「ひかり先輩が悩んでいると、るな先輩も真剣な顔になっていましたよね」

「えっ、そうだった?」

「はい! いつもは食べ物の話をしているときが一番真剣なのに、ひかり先輩の恋の話になると、同じくらい真剣でした!」

「まな、それ褒めてる?」

「もちろんです!」

「……本当に?」

「はい!」

まなが笑顔で頷く。

ゆずはが、横から付け加えた。

「まあ、るなは誰かが困ってると放っておけないところがあるからね」

「ゆずは……」

「ただし、張り切りすぎることもあるけど」

「うっ……」

「相手の気持ちを聞く前に、勝手に作戦を考えたりね」

「ううっ……」

「それで、ひかりに『ちょっと待って』って止められたり」

「ゆずはぁぁ!」

るなが抗議すると、ひかりとまなが笑い出した。

「でも、るなの作戦、嬉しかったよ」

ひかりは笑顔のまま言った。

「少し強引なときもあったけど、私のために考えてくれているのが分かったから」

「……えへへ」

るなは照れくさそうに頭を掻いた。

「だって、ひかりに幸せになってほしかったんだもん」

「うん」

「ひかりが透先輩と一緒にいるところを見ると、私まで幸せな気持ちになれたの。二人が笑っていると、よかったなぁって思ったし……。もっと仲良くなってほしいなって思ったし」

るなは、駅前のツリーを見上げた。

「自分の恋じゃないのに、あんなに嬉しくなれるんだなって……。あの頃、初めて知ったのかもしれない」

その言葉に、ひかりは静かに頷いた。

「私も、るなに教えてもらったことがたくさんあるよ」

「えっ?」

「誰かを好きになることは、自分一人だけで頑張ることじゃないんだって。自分の気持ちを大切にしながら、周りの人にも支えてもらっていいんだって……。そう思えるようになったのは、るなのおかげだよ」

るなは、何も言わずにひかりを見つめた。

ひかりは、少し照れくさそうに微笑む。

「だから、あの頃のことを思い出すと、今でも感謝しているんだ」

「……ひかり」

るなは、胸の奥が熱くなるのを感じた。

友達の恋を応援していた日々。

ひかりの話を聞いて、一緒に笑って、悩んで、喜んだ日々。

あの頃の自分にとって、それは特別なことではなかった。

友達だから。

大切だから。

ひかりが笑ってくれるなら、それだけで嬉しかった。

でも、今になって振り返ると、あの日々は、自分にとってもかけがえのない時間だったのだと分かる。

ひかりの恋を見守る中で、自分は人を好きになる気持ちの美しさを知った。

誰かの幸せを願うことの温かさを知った。

そして、恋というものが、当人だけでなく、その周りにいる人たちの心まで明るくすることを知った。

それは、今の自分の恋にも、きっとつながっている。

「……ねえ、ひかり」

「なあに?」

「私、先輩のことを好きになってから、時々思うんだ」

るなは、少し恥ずかしそうに笑った。

「ひかりは、こんな気持ちだったのかなって」

「……こんな気持ち?」

「うん。会える日が楽しみで、何を話そうか考えて、会ったあとは、今日のことを何度も思い出しちゃうの」

るなは、指先をそっと重ねた。

「先輩が笑ってくれると嬉しいし、何気ない言葉を覚えていてくれると、すごく幸せで……。一緒にいると安心するのに、たまに、すっごくドキドキすることもあって」

「……うん」

ひかりは、嬉しそうに頷いた。

「きっと、そうだったと思う」

「そっかぁ……」

るなは、空を見上げた。

「私、あの頃はひかりの恋を応援する側だったから、自分がこんな気持ちになるなんて、ちゃんとは分かってなかったんだね」

「そうかもしれないね」

ひかりは、るなの隣に並んだ。

「でも、るなは、あの頃から誰かを大切に思う気持ちを知っていたんだと思うよ」

「……誰かを大切に思う気持ち?」

「うん。相手が自分の好きな人でも、大切な友達でも……。その人が笑ってくれたら嬉しいし、幸せでいてほしいって思うでしょう?」

るなは、ゆっくりと頷いた。

「……うん」

「るなは、ずっとそういう気持ちを持っていたんだよ」

ひかりの言葉は、柔らかかった。

「だから、今のるなの恋も、きっとるならしい形になっているんだと思う」

るなは、少しだけ目を伏せた。

先輩と一緒にいると、楽しい。

嬉しい。

幸せ。

けれど、それだけではない。

先輩が大切にしているものを、自分も大切にしたいと思う。

先輩が見ている景色を、もっと知りたいと思う。

先輩が絵を描くとき、どんな気持ちで鉛筆を動かしているのか、その心の中まで知りたいと思う。

ただ一緒にいるだけではなく、相手の世界を大切にしたい。

それは、ひかりの恋を応援していた頃に、自分が大切にしていた気持ちと、どこか似ている気がした。

「……ありがとう、ひかり」

るなは、静かに微笑んだ。

「私、ひかりの恋を応援できて、本当によかった」

「私も、るなに応援してもらえてよかった」

二人は顔を見合わせて笑った。

* * *

駅前の広場で、まながふと思い出したように声を上げた。

「あっ! そういえば、るな先輩!」

「ん? どうしたの、まな?」

「この前、昔のことを思い出したいって言っていましたよね?」

「あっ、うん!」

るなは頷いた。

ひかりとお茶をしたとき、話題になったこと。

ひかりと透先輩の恋を応援していた頃。

そして、いちご飴を買いに行った夜のこと。

先輩との出会いが、どんなふうに始まったのか。

「私、あの頃のことを、もっとちゃんと思い出したいなって思ってるんだ」

「じゃあ、私たちも覚えていることを話しますね!」

まなが笑顔で言った。

「私、るな先輩がひかり先輩のために頑張っていたところ、いくつも覚えていますから!」

「本当?」

「はい!」

「私も、覚えていることがあれば話すよ」

ひかりが頷いた。

「当時は気づかなかったことも、今なら分かるかもしれないし」

「……ありがとう!」

るなは、二人の手を取るようにして、嬉しそうに笑った。

ゆずはは、そんな三人を見て、ふっと息をついた。

「まったく……。みんな、昔の話になると熱心なんだから」

「ゆずはだって、いろいろ覚えてるでしょう?」

ひかりが尋ねる。

「まあね」

ゆずはは、少し照れたように視線をそらした。

「私だって、あの頃のことは忘れてないわよ。るなが張り切りすぎて、ひかりが困っていたこともね」

「ゆずはぁ!」

「でも……」

ゆずはは、少しだけ表情を柔らかくした。

「るながいたから、ひかりが前に進めたのは本当だと思う」

「……!」

「私たちだけじゃ、あそこまで自然に応援できなかったかもしれないし。るなは、誰かの気持ちを明るくするのが上手なんだと思う」

るなは、思わず目を丸くした。

「ゆずは……。今、すっごく褒めてくれた?」

「たまにはね」

「わぁぁ! ありがとう!」

「ちょっと、抱きつかないで!」

るなは勢いよくゆずはに抱きつき、ゆずはは慌ててその肩を押し返した。

「るな先輩、私も褒めます!」

「まなまで!?」

「るな先輩は、友達のことを本当に大切にしてくれます。だから、私もるな先輩のことが大好きです!」

「まなぁぁ……!」

るなは感激して、まなにも抱きついた。

「ありがとう! 私もまなが大好きだよぉ!」

「わわっ! るな先輩、く、苦しいです!」

「ちょっと、駅前で何やってるのよ!」

ゆずはのツッコミが響く。

ひかりは、そんな三人を見ながら、楽しそうに笑っていた。

冬の夕暮れ。

駅前のツリーには、少しずつ灯りがともり始めていた。

ひとつ、またひとつ。

小さな光が集まって、大きなツリーを輝かせていく。

るなは、友達の笑顔を見つめながら思った。

あの頃、自分はひかりの恋を応援していた。

ひかりが笑顔になれるように。

ひかりが好きな人と一緒にいられるように。

それが嬉しくて、楽しくて、夢中だった。

そして今、自分も恋をしている。

先輩と一緒に季節を重ねながら、少しずつ、恋の温かさを知っている。

でも、あの頃の自分が大切にしていたものは、今も変わらない。

大切な人が笑ってくれること。

その人が幸せでいてくれること。

自分の存在が、その笑顔につながっていること。

それは、友達への気持ちでも、恋人への気持ちでも、きっと同じなのだ。

「……あの頃の私、頑張ってたんだなぁ」

るなは、ぽつりと呟いた。

「うん。頑張ってたよ」

ひかりが答える。

「いっぱい、ありがとうね」

「……えへへ」

るなは、少し照れくさそうに笑った。

「どういたしまして♡」

* * *

駅で三人と別れたあと、るなはひとりで帰り道を歩いていた。

街には、冬のイルミネーションが少しずつ広がっている。

ショーウィンドウの中のクリスマスツリー。

街路樹に巻きつけられた小さな電飾。

店先に並ぶ、赤や金色の飾り。

どの光も、寒い冬の街を温かく彩っていた。

るなは、コートのポケットに手を入れながら、今日の会話を思い返していた。

ひかりが言ってくれた言葉。

――あの頃、るなにもいっぱい助けてもらったよね。

何度も思い出すうちに、その言葉が胸の中で少しずつ大きくなっていった。

自分は、ただ応援していただけだと思っていた。

ひかりが透先輩を好きになって、悩んで、頑張っている。

だから、友達として力になりたかった。

それだけだった。

でも、ひかりは、あの時間を大切に覚えていてくれた。

自分の言葉が、ひかりの背中を押していたこと。

一緒に喜んだことが、ひかりにとって嬉しかったこと。

自分がそばにいたことを、今でも感謝してくれていること。

「……嬉しいな」

るなは、小さく笑った。

誰かの恋を応援することは、その人の恋の物語を、少しだけ一緒に歩くことなのかもしれない。

主人公は、その人自身。

どんな言葉を伝えるか、どんな道を選ぶか、最後に決めるのも、その人自身。

でも、迷ったときに話を聞いたり、不安なときに背中を押したり、嬉しいことがあった日に一緒に笑ったりすることはできる。

その時間も、きっと恋の物語の一部なのだ。

そして、ひかりの恋を応援していた自分にも、ひとつの物語があった。

誰かの幸せを願っていた日々。

誰かの恋を自分のことのように喜んでいた日々。

そんな自分が、いつの間にか、自分自身の恋の物語を歩き始めていた。

「……不思議だなぁ」

るなは、夜空を見上げた。

もし、あの頃の自分に会えるなら、何と声をかけるだろう。

ひかりの恋を応援していた、あの頃の自分。

自分の未来に、どんな出会いが待っているのかも知らなかった自分。

きっと、こう言うだろう。

――そのまま、ひかりを応援してあげてね。

――大切な友達の幸せを、心から喜んであげてね。

――そして、いつか自分にも、大切な人ができるよ。

――その人と一緒に、夏の花火を見て、秋の紅葉を眺めて、冬のイルミネーションを歩く日が来るよ。

そこまで考えて、るなは、少し恥ずかしくなった。

「……うわぁ。未来の自分、幸せすぎない?」

頬が緩む。

けれど、そう思えることが嬉しかった。

今の自分は、確かに幸せだ。

先輩がいて、ひかりがいて、ゆずはがいて、まながいる。

それぞれ違う形で、大切な人たちが自分のそばにいてくれる。

そして、自分もまた、誰かのそばにいられる。

そのことが、何よりも温かかった。

スマートフォンを取り出すと、先輩からメッセージが届いていた。

『今日はどうだった? 友達とは楽しく過ごせたか?』

るなは、すぐに返信した。

『うん! すっごく楽しかったよ!』

少し考えてから、もう一通送る。

『ひかりと透先輩の恋を応援していた頃のことを、いろいろ思い出したの』

すると、先輩から返事が届いた。

『そうか。懐かしいな』

その言葉を見て、るなは目を丸くした。

「……懐かしい?」

先輩も、あの頃のことを知っている。

当然だ。

先輩は、あの頃からるなの人生の中にいた人なのだから。

けれど、今のるなにとっては、少し不思議な感覚だった。

自分がひかりの恋を応援していた時間。

まだ先輩との距離が、今ほど近くなかった時間。

その頃の自分を、先輩もまた、どこかで見ていたのだ。

るなは、ゆっくりと文字を打ち込んだ。

『あの頃の私は、誰かの恋を応援する側だったんだよね』

送信。

少しして、先輩から返信が届く。

『そうだったな』

そして、もう一通。

『でも、誰かを大切に思うところは、今も変わっていないと思う』

「……!」

るなは、足を止めた。

街路樹のイルミネーションが、目の前で柔らかく光っている。

誰かを大切に思うところは、今も変わっていない。

その言葉が、胸の奥にじんわりと広がった。

「……先輩」

るなは、思わず呟いた。

先輩は、どうしてこんなにも、るなの心を温かくしてくれるのだろう。

何気ない言葉なのに。

短いメッセージなのに。

それだけで、今日一日がもっと大切な思い出になったような気がする。

るなは、笑顔で返信した。

『ありがとう♡ 私、これからも大切な人を大切にしていきたいな』

送信して、スマートフォンを胸元に抱いた。

冬の空気は冷たい。

けれど、心は温かかった。

ひかりの恋を応援していた日々。

先輩と出会った日。

そして、今、先輩と一緒に歩いている日々。

それぞれの時間は、別々の出来事のようでいて、一本の道のようにつながっている。

あの日の自分がいたから、今の自分がいる。

ひかりの恋を応援していた自分がいたから、先輩と出会うきっかけも生まれた。

そして、その出会いがあったから、今、こうして先輩との思い出を重ねている。

るなは、ゆっくりと歩き出した。

街の光が、足元を優しく照らしている。

いつか、先輩と一緒に、この道を歩く日が来るだろうか。

今度は、今日の思い出を話しながら。

あの頃の自分のことを、少し照れくさそうに笑いながら。

そして、先輩と出会った夜のことも、最初から、もう一度振り返りながら。

「……先輩に、ちゃんと聞いてみよう」

るなは、小さく呟いた。

あの日、自分はどんな顔をしていたのか。

先輩は、どんな気持ちで自分を見ていたのか。

そして、二人の物語は、どんなふうに始まったのか。

その答えを知ることが、少しだけ怖くて、でも、とても楽しみだった。

冬の街には、無数の光が灯っていた。

そのひとつひとつが、誰かの大切な時間を照らしているように見えた。

誰かの恋を応援していた日。

友達と笑い合った日。

大切な人に出会った日。

そして、その人と一緒に未来を歩き始めた日。

どの日も、決して特別な出来事ばかりではない。

けれど、振り返ったとき、かけがえのない光になっている。

るなは、夜空を見上げて微笑んだ。

「……あの頃の私にも、ありがとう、だね♡」

その声は、冬の夜にそっと溶けていった。

誰かの恋を応援していた自分。

誰かの幸せを願っていた自分。

そして今、自分自身の恋を大切にしている自分。

すべてが、同じ一本の道の上にある。

その道の先には、先輩と一緒に見る冬の光が待っている。

そして、その光の向こうには――。

まだ思い出しきれていない、二人の最初の出会いがある。

あの日、いちご飴を買いに行った夜。

るなが、光を描く人に出会った夜。

その記憶は、もうすぐ、もう一度鮮やかによみがえろうとしていた。

 

第5節 あの日のいちご飴

家に帰り着いた頃には、空はすっかり夜の色に染まっていた。

玄関の扉を開けると、暖房の効いた室内から、ほっとするような温かさが流れてくる。

「ただいまー!」

るなは靴を脱ぎながら、いつもの調子で声を上げた。

返事を聞きながらリビングへ向かい、コートを脱いで、自分の部屋へと足を進める。

今日は、ひかりたちと一緒に帰ったあとも、ずっと昔のことを考えていた。

ひかりと朝比奈透先輩の恋を応援していた頃。

ひかりが嬉しそうに話してくれたこと。

自分が張り切って作戦を考えたり、ゆずはに呆れられたり、まなと一緒にひかりの幸せを願ったりしたこと。

あの頃は、毎日のように何かが起こっていた気がする。

今思えば、ほんの些細な出来事ばかりだったのかもしれない。

でも、ひかりにとっては大切な一歩だった。

そして、るなにとっても。

「……懐かしいなぁ」

自分の部屋に入ったるなは、ベッドの端に腰を下ろした。

机の上には、先日、先輩と一緒に見に行った冬のイルミネーションの写真を印刷したものが置いてある。

駅前の大きなクリスマスツリー。

光のトンネル。

街路樹に飾られた無数の小さな灯り。

写真を見ているだけで、先輩と過ごした時間がよみがえってくる。

あの日、先輩は隣を歩きながら、何度も足を止めて景色を眺めていた。

光が地面に落ちる様子。

木々の枝に沿って伸びる光の線。

遠くの建物の窓に映る、イルミネーションの色。

先輩は、るなが見過ごしてしまいそうな小さな景色まで、丁寧に見つめていた。

そして、その景色を見ている先輩の横顔を、るなもまた、何度も見ていた。

――先輩といると、同じ景色が、少し違って見える。

最近、るなはよくそう思う。

夏の花火も、秋の紅葉も、冬のイルミネーションも。

先輩と一緒に見た景色は、ただ綺麗だったというだけではなく、そのときの会話や、隣にいた先輩の表情まで含めて、ひとつの思い出になっている。

「……えへへ♡」

思わず笑みがこぼれた。

それから、今日のひかりとの会話を思い出す。

――あの頃、るなにもいっぱい助けてもらったよね。

ひかりは、そう言ってくれた。

自分では、ただ応援していただけだと思っていた。

ひかりが好きな人と一緒にいられるように。

自分の気持ちを伝えられるように。

そのために、少しでも力になりたかった。

でも、ひかりは、その時間を大切に覚えていてくれた。

るなが一緒に喜んでくれたこと。

悩んでいるときに話を聞いてくれたこと。

背中を押してくれたこと。

そのひとつひとつが、ひかりにとって支えになっていたのだ。

「……そっか」

るなは、膝の上で両手を重ねた。

「私、ちゃんとひかりの力になれてたんだね」

それは、嬉しい発見だった。

友達のために何かをすること。

その人が笑顔になってくれること。

そして、何年かたってから、「あのとき、ありがとう」と言ってもらえること。

どれも、心が温かくなる出来事だった。

けれど――。

「……あの日のことは、まだ全部思い出せないんだよね」

るなは、ふと呟いた。

ひかりと透先輩の恋を応援していた頃のことは、よく覚えている。

けれど、その中でも、ある一日の記憶だけが、少し曖昧になっていた。

イベントの夜。

ひかりと透先輩が、二人で話せるように、自分がその場を離れたとき。

屋台が並ぶほうへ歩いていったこと。

いちご飴を買いに行ったこと。

そして、そのあとに、誰かの絵を見たような気がすること。

そこまでは、少しずつ思い出せていた。

でも、細かな順番や、そのとき自分が何を考えていたのかは、まだはっきりしない。

るなは、枕元に置いてあったスマートフォンを手に取った。

先輩とのメッセージ画面を開く。

最後に届いたメッセージは、今日の帰り道に交わしたものだった。

『でも、誰かを大切に思うところは、今も変わっていないと思う』

先輩の言葉を、もう一度読み返す。

「……先輩って、ほんとに優しいんだから」

小さく笑ってから、るなは新しいメッセージを打ち込んだ。

『先輩、あの日のこと、覚えてる?』

そこまで入力して、指が止まった。

あの日。

これだけでは、どの日のことか分からないだろう。

それに、何を聞きたいのか、自分でもまだうまく整理できていない。

先輩に聞きたいことは、たくさんあった。

最初に会ったとき、どんな印象を持ったのか。

自分のことを覚えていたのは、いつからなのか。

あの日、先輩はどんな絵を描いていたのか。

でも、いちばん知りたいのは、きっと――。

「……どうして、あの絵が、あんなに好きになったんだろう」

るなは、スマートフォンを膝の上に置いた。

先輩の絵を好きになった理由は、今なら少し分かる気がする。

光の描き方が綺麗だった。

街の景色が、まるで本当にそこにあるように感じられた。

そして、絵の中には、ただ明るいだけではない、優しい温かさがあった。

けれど、初めて見たときの自分は、そんなことを上手に説明できなかったはずだ。

ただ、心を奪われた。

もっと見たいと思った。

この絵を描いた人は、どんな人なのだろうと思った。

その気持ちが、今の恋へとつながっていった。

「……もう一度、思い出したいな」

るなは、目を閉じた。

あの日の夜。

あの日の光。

あの日の、いちご飴。

記憶の中に残る小さな欠片を、ひとつずつ拾い集めるように。

ゆっくりと、あの頃の自分を思い出していく。

* * *

――あの日は、今より少しだけ、世界が違って見えていた。

まだ、冬の寒さが本格的になる前。

街には、季節の変わり目を知らせる飾りが増え始めていた。

夕暮れの空には薄い雲が流れ、風が吹くたびに木々の葉が揺れている。

学校では、いつもと変わらない毎日が続いていた。

授業を受けて、友達と話して、放課後になれば、ひかりやゆずはと一緒に帰る。

けれど、その頃のるなには、ひとつだけ、気になって仕方のないことがあった。

白雪ひかりの恋。

ひかりが好きになった人。

朝比奈透先輩。

ひかりは、透先輩の話をするとき、いつもより少しだけ表情が変わった。

普段は落ち着いていて、何事にも丁寧に向き合うひかり。

けれど、透先輩のことになると、何気ない会話を何度も思い返したり、たった一言の言葉に頬を赤くしたりする。

その様子が、るなにはとても可愛らしく思えた。

そして、何よりも。

ひかりが、本当に幸せそうだった。

だから、るなは決めていた。

ひかりの恋を、全力で応援する。

ひかりが透先輩と話せるように。

ひかりが自分の気持ちを大切にできるように。

自分にできることがあれば、何でもしたい。

それが、当時のるなの気持ちだった。

*

「るな……どうしよう」

ある日の放課後。

教室の窓際で、ひかりが小さな声を出した。

「ん? どうしたの、ひかり?」

るなは、鞄に教科書をしまう手を止めた。

ひかりは、少し困ったような表情で、スマートフォンを見つめている。

「透先輩と、イベントに行くことになったの」

「……えっ?」

るなは、目を見開いた。

「えええっ!?」

「るな、声が大きいよ……!」

「あっ、ご、ごめん!」

慌てて口を押さえる。

けれど、胸の中では大きな歓声が上がっていた。

透先輩とイベント。

二人で。

一緒に。

それは、ひかりにとって、とても大きな一歩ではないだろうか。

「すごいじゃん、ひかり!」

「で、でも……。まだ、二人きりって決まったわけじゃないし……」

「えっ? そうなの?」

「うん。イベントには、ほかの人も来るみたいで……。でも、透先輩が誘ってくれたから……」

ひかりは、言葉の途中で頬を赤くした。

その表情を見た瞬間、るなは胸の前で両手を握りしめた。

――これは、応援しなきゃ!

心の中で、決意が固まる。

「よーし!」

「るな?」

「ひかりの恋、応援作戦! 今回も頑張ろう!」

「えっ、作戦って……」

「大丈夫! 今回は、ひかりが自然に透先輩と話せるようにするの!」

「で、でも、無理に何かしなくても……」

「無理はしないよ! でも、せっかくの機会だもん。ひかりが楽しめるように、いっぱい応援する!」

るなは、にっこりと笑った。

ひかりは、少し困ったようにしながらも、最後には小さく笑った。

「……ありがとう、るな」

「どういたしまして!」

そのときのるなは、まだ知らなかった。

ひかりの恋を応援しようと張り切っているその夜に、自分自身の未来を変える出会いが待っていることを。

* * *

そして、イベント当日。

街の広場には、多くの人が集まっていた。

広場を囲む木々には色とりどりの灯りが飾られ、屋台からは甘い香りや、焼きたての食べ物の香りが漂ってくる。

あちこちから楽しそうな声が聞こえ、子どもたちは光る飾りを手に走り回っていた。

夜空には、冬の訪れを感じさせる冷たい風が吹いている。

けれど、広場の中は、人々の熱気と明かりで温かく感じられた。

「わぁ……! すごい!」

るなは、目の前に広がる光景に声を上げた。

木々に巻きつけられた電飾が、まるで星のように輝いている。

通りの向こうには、大きな光のアーチ。

広場の中央には、季節を彩る華やかな飾りが並んでいた。

そして、少し離れたところには、さまざまな屋台が軒を連ねている。

温かい飲み物。

焼きたてのお菓子。

色とりどりの飴。

甘い香りが風に乗って、るなの鼻をくすぐった。

「……おいしそう」

思わず呟く。

「るな、今は食べ物より、ひかりのこと!」

隣から、ゆずはの声が飛んできた。

「はっ!」

るなは、我に返った。

そうだった。

今日は、ひかりの恋を応援するために来たのだ。

屋台は、あとでゆっくり見ればいい。

いちご飴も、きっと逃げない。

……たぶん。

「うん! 分かってるよ、ゆずは!」

「本当に?」

「本当だよ!」

るなは胸を張った。

けれど、その視線は、ほんの一瞬だけ屋台のほうへ吸い寄せられていた。

「……るな」

「はいっ!」

「いちご飴を見ていたでしょう」

「……見てません!」

「嘘をつかない」

「……ちょっとだけ見てました」

「もう……」

ゆずはが呆れたように息をつく。

そのやり取りを見て、ひかりがくすっと笑った。

「でも、あとで一緒に買いに行こうね」

「本当!?」

るなの顔が、ぱっと輝いた。

「うん。イベントはまだ長いし、ゆっくり楽しもう」

「やったぁ!」

「だから、今はひかりの応援!」

「はいっ!」

るなは、勢いよく頷いた。

ひかりが笑ってくれる。

それだけで、るなは嬉しかった。

* * *

広場を少し進んだところで、ひかりが足を止めた。

「あ……透先輩」

その視線の先に、朝比奈透の姿があった。

落ち着いた色のコートを着て、周囲の様子を見ながら立っている。

ひかりに気づくと、透先輩は穏やかな笑顔を浮かべた。

「白雪さん。来てくれたんだね」

「は、はい……!」

ひかりの声が、少しだけ上ずった。

るなは、心の中で叫んだ。

――頑張って、ひかり!

けれど、表情には出さない。

ひかりが緊張していることは、隣にいるだけで分かった。

いつもなら自然にできる挨拶も、好きな人を前にすると、少しだけ難しくなる。

それでも、ひかりは一生懸命に笑顔を作った。

「今日は、よろしくお願いします」

「こちらこそ。いろいろ見て回ろう」

「はい」

二人が並んで歩き始める。

るなは、その後ろ姿を見送りながら、ゆずはの袖をそっと引いた。

「……ねえ、ゆずは」

「何?」

「いい感じじゃない?」

「そうね」

ゆずはも、小さく微笑んだ。

「ひかり、頑張ってるじゃない」

「うん……!」

るなは嬉しくなった。

自分が何かをしたわけではない。

でも、ひかりが一歩を踏み出した。

好きな人の隣を歩き、同じ景色を見ている。

それだけで、胸がいっぱいになった。

やがて、イベント会場の奥へ進んだところで、ゆずはが時計を確認した。

「私、ちょっと飲み物を買ってくるわ」

「うん、分かった」

るなが答えると、ゆずはは二人を見てから、少しだけ声を落とした。

「……ひかり、透先輩と話せる機会を大切にね」

「うん」

ひかりは、小さく頷いた。

その様子を見て、るなは思った。

今なら、ひかりと透先輩が二人で話せる時間を作れるかもしれない。

せっかくのイベントなのだ。

ただ、みんなで歩き回るだけではなく、二人だけで話せる時間もあったほうがいい。

ひかりが自分の気持ちを少しずつ伝えられるように。

透先輩も、ひかりのことをもっと知ることができるように。

るなは、そっとひかりの横へ近づいた。

「……ひかり」

「なあに?」

「私、ちょっと向こうに行ってくるね」

「えっ?」

ひかりが驚いたように振り返る。

「どこに行くの?」

「えっと……」

るなは、屋台の並ぶ方向をちらりと見た。

そこには、赤く艶やかないちご飴が並ぶ屋台が見えた。

透明な飴に包まれたいちごが、灯りを受けてキラキラと輝いている。

……やっぱり、美味しそう。

でも、今はそれだけが理由ではなかった。

「……あっちで、いちご飴が売ってたので買ってきます!」

るなは、明るく言った。

ひかりは、少し驚いたあと、ふっと笑った。

「……うん。分かった」

「ゆっくり楽しんでね!」

るなは、ひかりにだけ聞こえるように、小さく付け加えた。

「透先輩と、いっぱいお話ししてきてね」

「……るな」

ひかりの頬が、ほんのりと赤くなった。

「ありがとう」

「どういたしまして!」

るなは、にっこりと笑った。

それから、ひかりと透先輩に手を振り、屋台のほうへ歩き出した。

後ろから、二人の話し声が聞こえる。

何を話しているのかまでは分からない。

でも、ひかりが少しずつ緊張を解いて、自然に笑えるようになったらいい。

透先輩と、楽しい時間を過ごせたらいい。

そう願いながら、るなは人々の間を進んでいった。

冷たい風が頬を撫でる。

屋台の明かりが、目の前に近づいてくる。

甘い香りが、さっきよりも強くなった。

「……よーし!」

るなは、小さく拳を握った。

「ひかりの恋を応援したあとは、私もいちご飴を楽しむぞー!」

もちろん、ひかりのことは忘れていない。

ひかりが笑顔で過ごせることを、心から願っている。

そのうえで、自分の楽しみも大切にしたい。

それが、るならしい考え方だった。

* * *

屋台の前に着くと、るなは目を輝かせた。

「わぁ……!」

透明な飴に包まれた赤いいちご。

その表面には、屋台の灯りが小さく映り込んでいる。

ひとつひとつが、まるで宝石のようだった。

「いらっしゃい!」

店の人が、明るく声をかけてくれる。

「いちご飴、ひとつください!」

「はいよ。少し待ってね」

るなは、嬉しそうに頷いた。

その間も、視線はいちご飴から離れない。

赤い果実。

つやつやの飴。

光を受けて、きらりと輝く表面。

見ているだけで、口の中に甘酸っぱい味が広がるようだった。

「……早く食べたいなぁ」

思わず、声が漏れる。

店の人が笑った。

「そんなに楽しみにしてくれると、こっちも嬉しいね」

「だって、いちご飴、大好きなんです!」

「そうかい。熱い飴だから、気をつけて食べるんだよ」

「はーい!」

やがて、いちご飴が手渡された。

るなは、それを両手で大切に持った。

赤いいちごを包む飴が、広場の光を反射している。

まるで、手の中に小さな光を持っているようだった。

「……綺麗」

るなは、思わず呟いた。

そして、ひと口。

ぱりっ。

薄い飴が割れる音がして、そのあとに、いちごの甘酸っぱさが広がった。

「……んんーっ!」

るなの顔が、ぱっと輝く。

「美味しいーっ!」

思わず、声が出た。

甘い。

でも、いちごの酸味があるから、甘さが重たくならない。

飴のパリッとした食感と、いちごの柔らかさが重なって、口の中いっぱいに幸せが広がる。

「やっぱり、いちご飴は最高……♡」

るなは、うっとりとした表情で、もうひと口食べた。

周囲では、イベントを楽しむ人々が行き交っている。

遠くから音楽が聞こえ、広場の光が夜の空気を彩っていた。

るなは、いちご飴を食べながら、ゆっくりと歩き始めた。

ひかりは、今頃どうしているだろう。

透先輩と、楽しく話せているだろうか。

ちゃんと笑えているだろうか。

そんなことを考えながらも、手元のいちご飴を見ると、自然と頬が緩んでしまう。

「……ひかり、頑張ってね」

小さく呟く。

「私も、いちご飴を食べながら応援してるからね!」

誰に聞かせるでもなく、そう言って笑った。

そのときだった。

少し先の通路で、人の流れが途切れた。

広場の中心から少し離れた場所。

大きな飾りのそばに、ベンチが置かれている。

その近くに、ひとりの人影があった。

誰かが、スケッチブックを広げている。

手元には鉛筆。

目の前には、光に彩られた街の景色。

その人は、周囲の賑やかさから少し距離を置くようにして、静かに何かを描いていた。

るなは、まだその人が誰なのか知らなかった。

自分の人生を大きく変えることになる出会いが、すぐそこまで近づいていることも。

ただ、いちご飴を手に、夜の光の中を歩いていた。

ひと口、またひと口。

甘い飴と、いちごの味を楽しみながら。

そのとき、風が吹いた。

広場の飾りが揺れ、光が地面の上で細かく瞬いた。

スケッチブックを広げていた人が、顔を上げた。

そして、るなは――。

* * *

――その夜のことを、るなはゆっくりと思い出していた。

ベッドの上。

閉じた瞳の向こうに、あの日の景色が浮かんでいる。

広場の灯り。

いちご飴の甘い香り。

ひかりのために、その場を離れたこと。

そして、スケッチブックを広げた人の姿。

「……あっ」

るなは、ぱっと目を開けた。

胸の奥で、記憶の欠片がひとつにつながりかけていた。

そうだ。

自分は、あの日、いちご飴を買いに行った。

ひかりと透先輩が二人で話せるように、その場を離れた。

そして、いちご飴を食べながら歩いていたときに、誰かと出会った。

その人は、絵を描いていた。

夜の光を。

街の景色を。

人々の賑わいの中にある、静かな美しさを。

るなは、ゆっくりと息を吸った。

「……先輩」

小さく、その呼び名を口にする。

今の自分にとって、当たり前になった呼び名。

でも、あの日の自分は、まだ知らなかった。

その人が、これから何度も会いたいと思う人になることを。

その人の絵を見るたびに、心が動くようになることを。

そして、その人と一緒に、夏の花火も、秋の紅葉も、冬のイルミネーションも見に行くようになることを。

あの日の自分は、ただ、ひかりの恋を応援していた。

そのために、いちご飴を買いに行った。

それだけのことだった。

けれど、その何気ない選択が、未来へとつながっていた。

「……あの日、いちご飴を買いに行ってよかった」

るなは、そっと呟いた。

その言葉を口にすると、胸の奥がじんわりと温かくなった。

もし、あの日、ひかりのそばを離れなかったら。

もし、いちご飴を買いに行かなかったら。

もし、あの夜、あの場所を歩いていなかったら。

今の自分は、先輩と出会っていなかったかもしれない。

もちろん、人生に「もしも」はない。

でも、あの日の自分が選んだ道が、今の自分につながっている。

そのことが、何よりも嬉しかった。

るなは、枕元のスマートフォンを手に取った。

先輩とのメッセージ画面を開く。

しばらく画面を見つめてから、ゆっくりと文字を打ち込んだ。

『先輩。私、あの日のことを思い出してきたよ』

送信。

すぐに既読がついた。

少しして、返事が届く。

『そうか』

短い言葉。

けれど、その一言が、るなにはとても温かく感じられた。

続けて、もう一通。

『あの日、いちご飴を買いに行ったんだよね』

送信すると、先輩から返信が届いた。

『そうだったな』

るなは、画面を見つめた。

先輩も覚えている。

あの日のことを。

いちご飴を持った、自分のことを。

るなは、少しだけ笑った。

「……ふふっ」

そして、スマートフォンを胸元に抱いた。

あの日の記憶は、もうすぐ、すべてつながる。

いちご飴の甘い香り。

夜の広場に灯る光。

スケッチブックを広げた人。

そして、初めて交わした言葉。

るなは、ゆっくりと目を閉じた。

もう一度、あの日の自分に会いに行こう。

まだ何も知らず、ただ一生懸命に友達の恋を応援していた自分に。

そして、あの夜、光を描く人に出会った瞬間へ。

冬の夜は、静かだった。

窓の外では、街の灯りが小さく輝いている。

その光を見つめながら、るなは、そっと微笑んだ。

――あの日、いちご飴を買いに行ったこと。

それが、すべての始まりだった。

第1章 第5節「 あの日のいちご飴」――了。

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