オリジナル小説 恋愛

恋のイルミネーション物語/第4部・❄️『恋のイルミネーション☆冬色メモリーズ』2章❄️

小説タイトル『恋のイルミネーション物語/第4部・『恋のイルミネーション☆冬色メモリーズ』

 


🌿 全体テーマ

「あの日、誰かの恋を応援していた少女は、知らないうちに自分自身の恋の物語を始めていた。」

秋編では、るなと先輩の恋が、花火のようなドキドキから、隣にいるだけで安心できる温かな想いへと深まりました。

冬編では、その恋の始まりを振り返りながら、二人がこれから迎える未来へと進んでいきます。
夏の恋は、花火のように弾けた。秋の恋は、イルミネーションのように静かに灯った。その光は、冬へ続いていく。

第4部・『恋のイルミネーション☆冬色メモリーズ』章構成

第1章「あの日から続く冬の光」❄️

時期:11月末〜12月初旬

第1節「秋の終わり、冬の予感」

秋の紅葉が終わり、街に冬のイルミネーションが灯り始める。
るなは、秋に先輩と交わした「冬に会おう」という約束を思い出す。

第2節「冬のイルミネーション、再び」

先輩と待ち合わせ。久しぶりに見る冬の光に、るなは夏の花火や秋の紅葉、二人で過ごした時間を思い返す。

第3節「ひかりが覚えていたこと」

ひかり、ゆずは、まなとの会話から、第1部のひかりと朝比奈透先輩の恋が話題になる。
るなが二人の恋を応援していた頃の思い出がよみがえる。

第4節「誰かの恋を応援していた日」

ひかりが「あの頃、るなにもいっぱい助けてもらったよね」と語る。
るなは、自分が誰かの恋を応援する側だったことを懐かしく思い出す。

第5節「あの日のいちご飴」

帰宅後、るなは昔の出来事を思い出す。
ひかりのためにその場を離れ、いちご飴を買いに行った夜。
そこから、物語は過去へと移る。

第2章「いちご飴と、最初の出会い」🍓

回想:第1部の頃

第1節「ひかり、作戦です!」

イルミネーションと花火が輝く夜。るなは、ひかりと透先輩の様子を見て、二人きりになる時間を作ろうとする。

「あっ! あっちにいちご飴売ってます!」

自分も食べたい気持ちは隠せない、るならしい作戦🤣

第2節「いちご飴に夢中♡」

無事にいちご飴を手に入れたるな。花火よりもイルミネーションよりも、目の前のいちご飴に夢中になってしまう。

第3節「ドンッ! すみません!」

よそ見をしながら歩いていたるなは、スケッチブックを持った少年――桐生蒼先輩にぶつかってしまう。

「あっ、すみません!」

散らばった紙を拾うるな。その中の一枚に、目が留まる。

第4節「光を描く人」

蒼先輩が描いていたのは、イルミネーションと花火の風景。単に光を描くのではなく、光に照らされた街や人々の表情まで描かれていた。

「……きれい」

るなは、その絵に心を惹かれる。

第5節「もう一度、見たい絵」

少し言葉を交わした二人。るなはお詫びにいちご飴を勧めるなど、ちょっとした笑いも生まれる。

別れたあと、るなはもう一度あの絵を見たいと思う。しかし、この時点ではまだ、それが恋の始まりだとは気づいていない。

第3章「絵の中に見つけた光」🎨

時期:12月

第1節「また会えたらいいな」

現在に戻る。るなは、あの日の出会いを思い出しながら、先輩との思い出をたどる。
最初は少し他人行儀だった二人が、いつの間にか自然に一緒にいられる関係になっていた。

第2節「先輩のスケッチブック」

先輩と冬の街を歩く中で、昔のスケッチブックの話になる。
先輩も、いちご飴を食べながら絵にぶつかってきたるなのことを覚えていた。

「……そこ、覚えてたんですか!?」

「忘れるわけないだろ」

るな、真っ赤になる🤣🍓

第3節「同じ景色、違う気持ち」

二人でイルミネーションを眺める。
昔は絵に惹かれたるなも、今は先輩と一緒にこの景色を見られることに幸せを感じる。

第4節「先輩が見ている世界」

先輩がスケッチブックを開く。
るなは、先輩が光だけでなく、その場にいる人の気持ちまで大切に描いていることに改めて気づく。

第5節「私も、この景色の一部」

先輩が、イルミネーションを眺めるるなの姿を描く。
るなは、自分もまた先輩の見ている世界の一部になっているのだと感じる。

第4章「冬色に深まる恋」💕❄️

第1節「寒いね、先輩」

冷たい風が吹く夜。二人は温かい飲み物を買い、ゆっくり街を歩く。
何気ない会話にも、以前とは違う安心感がある。

第2節「思い出の写真」

るなはスマートフォンの写真を見返す。
夏の花火、秋いちご、お月見、焼きいも、ハロウィン、モンブラン、紅葉。
季節の一つひとつに先輩や友達との思い出が詰まっている。

第3節「変わったこと、変わらないこと」

先輩と出会った頃の自分を思い出す。
緊張していたこと、絵に心を動かされたこと、そして今、隣で自然に笑えること。
恋の形は変わっても、好きな気持ちは変わらない。

第4節「これからも、一緒に」

るなは、先輩とこれからも季節を重ねていきたいと伝える。
先輩もまた、これからの景色を一緒に見ていこうと答える。

第5節「冬色のイルミネーション」

二人の前に広がる冬の光。
るなは、夏の花火から始まった恋が、秋を越えて今も続いていることを感じる。

第5章「次の季節へ、恋の光」✨

第1節「クリスマスの約束」

クリスマスが近づく。るなと先輩は、冬の街で過ごす時間を楽しみにする。
大きなイベントだけでなく、何気ない時間も大切にしたいと思うようになる。

第2節「友達と見る冬の光」

ひかり、ゆずは、まなとも冬のイルミネーションを楽しむ。
恋人との時間だけでなく、友達と笑い合う時間も、るなにとってかけがえのない光だと改めて感じる。

第3節「先輩の描いた、私」

先輩が描いた、イルミネーションの中にいるるなの絵。
るなは少し恥ずかしがりながらも、絵の中の自分が幸せそうに笑っていることに気づく。

第4節「また来年も」

二人は来年も一緒に冬のイルミネーションを見ようと約束する。
るなは、来年だけでなく、その先の季節も一緒に迎えたいと願う。

第5節「冬色メモリーズ」

物語の締めくくり。るなは、これまでの季節を思い返す。

夏の花火のように弾けた恋。秋の紅葉のように深まった恋。
そして冬のイルミネーションのように、静かに輝き続ける恋。
あの日、いちご飴を買いに行かなかったら。

あの日、先輩の絵に出会わなかったら。

今の私は、ここにいなかったのかもしれない。

「……先輩に出会えて、よかった」

「何か言った?」

「……秘密です♡」

冬の光は、次の季節へと続いていく。

 

 

ジャンル

青春恋愛小説/アイドル的ラブストーリー/季節物
(全年齢・やさしい恋)

主要登場人物(6名)


1. 星野 るな(ほしの るな)

  • 年齢:18歳

  • 性別:女性

  • 立場:高校2年生、ひかりの親友(ひかりとは永久親友)

  • 性格:性恋バナ担当で親友の背中を押す役。いちごとチョコがあれば幸せ。ズレた発言で周囲を和ませる。恋に対してはマイペースで、「急がない恋派」

  • 役割:今回の主人公。一応気になる人はいるが、親友と甘いものがあれば満足。誰からも愛されるキャラだが、決してお節介ではなく、ほんの少し背中を押すタイプ

2.桐生 蒼(きりゅう あおい)

  • 年齢:19歳

  • 性別:男性

  • 立場:美術大学1年生

  • 性格:穏やかで観察眼が鋭い。感性が豊かで、言葉選びが独特

  • 役割:るなの「一応気になる人」。るなの"ズレた発言"を面白がり、自然体で接してくれる。るなが唯一「ちょっとドキドキする」相手


3. 白雪 ひかり(しらゆき ひかり)

  • 年齢:18歳

  • 性別:女性

  • 立場:高校3年生、るなの親友(るなの"永久親友枠")

  • 性格:明るい・ちょっと照れ屋・感情表現が素直

  • 役割:恋愛の経験者・るなの支え


4. 小日向 まな(こひなた まな)

  • 年齢:17歳

  • 性別:女性

  • 立場:高校2年生で後輩

  • 性格:元気で憧れ体質。るなを「るな先輩」と慕っている

  • 役割:るなの恋心に最初に気づき、さりげなくサポートする役割。純粋な応援者

5.橘 ゆずは(たちばな ゆずは)

  • 年齢:18歳

  • 性別:女性

  • 立場:高校3年生、るなのクラスメイトでひかりとるなとは友人

  • 性格:しっかり者でちょっと毒舌。でも根は優しい

  • 役割:るなの恋を外側から冷静にツッコミつつ、実は誰よりも応援している


6. 朝比奈 透(あさひな とおる)

  • 年齢:19歳

  • 性別:男性

  • 立場:大学1年生

  • 性格:優しい・落ち着いている・少し不器用

  • 役割:白雪ひかりの恋人


舞台・設定

街(イルミネーションのある商店街)

  • 場所:
    地方都市の高校とその周辺。商店街、カフェ、コンビニ、公園、そして冬から春にかけてのイルミネーションスポット

  • 地方都市

  • 毎年11月から3月まで
    「ウィンターイルミネーション+月1回の冬花火」が行われる街

  • 高校・駅前・商店街・川沿いの花火スポット


物語の世界観を特徴づける重要な設定:

  • 「るな基準の記念日」という概念。るなは日常の小さな幸せを勝手に記念日化する

  • いちごとチョコという二つの「甘さ」が、恋心のメタファーとして機能

  • 「恋は急がなくていい」という、るな独自の恋愛哲学

  • ひかりと透の関係が「ゆっくり育てた恋の成功例」として物語の背景に存在

 

恋のイルミネーション物語/第4部・『恋のイルミネーション☆冬色メモリーズ』曲

曲紹介『恋のイルミネーションシリーズ』

この秋の物語、第4部・『恋のイルミネーション☆冬色メモリーズ』からオリジナル曲が出来ました。
オリジナル曲「もみじ色イルミネーション」


タイトル:『もみじ色イルミネーション』歌詞紹介

【歌詞】
[Intro]
秋風が 頬を撫でて
最後の葉が 舞い落ちる
夏の花火が 遠くなって
今は 静かな光の中

[Verse 1]
甘い香りに 誘われた道
赤い実みたいな 小さな恋
月明かりの下 見上げた空
言葉より近い 温もり

ほくほく笑った 帰り道
オレンジ色の 夜の街
友達と過ごした 甘い時間
全部 思い出になっていく

[Pre-Chorus]
季節が変わるたび
心も少しずつ変わって
気づけば あの日より
ずっと自然に 笑えてる

[Chorus]
もみじ色イルミネーション
秋の街を 染めてゆく
夏の花火みたいな
恋じゃなくても いいんだね

もみじ色イルミネーション
赤く 黄色く 輝いて
君と歩いた この季節を
心の中に 灯していく

[Verse 2]
笑い声が 響いた夜
カボチャ色の イルミネーション
甘い栗を囲んだ午後
友達と 笑い合った日

一枚ずつ増えていく
秋の思い出アルバム
写真には 残せない
声や温度も 胸に残る

[Pre-Chorus 2]
何気ない一日が
振り返れば 宝物
一緒に見た景色ほど
優しく 心を照らしてる

[Chorus]
もみじ色イルミネーション
秋の夜を 包み込む
好きという気持ちも
少しずつ 深くなった

もみじ色イルミネーション
二人の影を 照らしてる
何も話さなくても
隣にいるだけで 嬉しい

[Bridge]
夏は 一瞬の花火
秋は ゆっくり色づく葉
恋もきっと 同じなんだね
少しずつ 色を変えて

赤くなって
黄色くなって
最後には 優しい色になる

[Final Chorus]
もみじ色イルミネーション
今年の秋を 抱きしめて
出会えた笑顔も
重ねた時間も 忘れない

もみじ色イルミネーション
次の季節へ 続いてく
春も 夏も 秋も 冬も
また一緒に 見られますように

もみじ色イルミネーション
夜空に舞う 最後の葉
「また来年」と 手を振れば
未来の光が 待っている

[Outro]
夏の花火は 一瞬の光
秋の紅葉は 季節の光
そして冬には――

まだ見たことのない
新しい光が
きっと 待っている

 

 第4部・『恋のイルミネーション☆冬色メモリーズ』第2章「いちご飴と、最初の出会い」

第1節「ひかり、作戦です!」🍓

冬の夜空に、最初の花火が咲いた。

澄み切った空気を震わせるような、ぱんっ、という軽やかな音。

その直後、夜空いっぱいに広がったのは、金色と白銀の光だった。

「わあ……!」

思わず声を上げた私は、両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。

夜空に咲いた花火は、まるで大きな花のようだった。

中心から外側へ向かって光が広がり、細かな火花がぱらぱらと降り注ぐ。消えたと思った次の瞬間には、今度は赤や青の光が夜空を彩った。

その下では、街路樹に飾られたイルミネーションがきらきらと輝いている。

金色の光が並木道を照らし、青白い光が建物の輪郭を浮かび上がらせ、足元には小さな星を散りばめたような光の道が続いていた。

冬の夜。

イルミネーション。

そして、花火。

こんなに素敵なものが一度に楽しめるなんて、最高すぎる!

……あっ。

もちろん、花火もイルミネーションも大好きです。

でも、屋台の食べ物も大好きです!

むしろ、こんなに素敵なイベントなら、食べ歩きもセットで楽しむべきだと思うのです!

「るな、今、何を考えてるの?」

隣から聞こえた声に、私はびくっと肩を揺らした。

「えっ? な、何も考えてませんよ?」

「本当に?」

「ほ、本当です!」

白雪ひかりが、じっと私の顔を見つめている。

その隣では、橘ゆずはが呆れたようにため息をついた。

「……どうせ屋台でしょ」

「な、なぜ分かったんですか!?」

「顔に書いてあるからよ。『花火もいいけど、いちご飴はもっといい』って」

「書いてませんよ!?」

「じゃあ、今、頭の中で何を考えてたの?」

「ええっ!? それは……」

私は思わず口をつぐんだ。

いちご飴。

りんご飴。

チョコバナナ。

焼きそば。

たこ焼き。

それから、あったかい甘酒もいいかもしれない。

いやいや、待って。

今は食べ物の話をしている場合ではないのです!

なぜなら、本日の私には、とても大切な使命があるからです!

そう。

ひかりの恋を応援すること!

私は改めて、ひかりの隣にいる人物をちらりと見た。

朝比奈透先輩。

ひかりが想いを寄せている、大切な人。

透先輩は、花火の上がる夜空を見上げていた。

落ち着いた表情。

柔らかな横顔。

花火の光が、その瞳に小さく映っている。

……うん。

やっぱり、絵になる二人だと思う。

ひかりは優しくて、少し恥ずかしがり屋で、でも大切なことにはまっすぐな人。

透先輩も、そんなひかりを大切にしてくれている。

なのに。

なのに、二人とも、あと一歩がなかなか踏み出せないのだ。

私は心の中で、ぐっと拳を握った。

よし。

今日こそ、二人の距離を少しでも縮めるのです!

……ただし。

その作戦を成功させるためには、私自身が少しばかり離れる必要がある。

そして、私が離れるためには、自然な理由が必要だ。

自然な理由。

不自然ではない理由。

誰も疑わない理由。

そう、例えば――。

「るな?」

「はいっ!」

ひかりに呼ばれ、私は勢いよく返事をした。

「どうしたの? さっきから、何か考えているみたいだけど」

「い、いえ! 何でもないです。」

「……本当に?」

「はい! とっても、とっても普通です!」

「普通って、自分で言うものなの?」

ゆずはが小さく笑った。

しまった。

怪しまれている。

私は慌てて、花火のほうを指さした。

「あっ! 見てください! 今の花火、すっごく大きかったですね!」

「うん。きれいだったね」

ひかりが夜空を見上げる。

その表情は、いつものように穏やかだった。

けれど、透先輩が隣にいることを意識しているのだろう。

頬が、ほんの少し赤い。

……これは。

これは、やっぱり応援しなければ!

私は二人の顔を交互に見た。

透先輩がひかりに話しかける。

「寒くない?」

「えっ? あ、大丈夫です」

「そっか。人も多いから、無理しないでね」

「はい。ありがとうございます」

たったそれだけの会話。

なのに、ひかりはとても嬉しそうだった。

透先輩も、ひかりの返事を聞くと、安心したように微笑んだ。

……うん。

いい感じです。

ものすごく、いい感じです!

でも、二人とも、まだ少し遠慮している。

もう少しだけ。

ほんの少しだけ、二人きりになれる時間があったら。

きっと、今よりも自然に話せるはず。

私は周囲を見渡した。

イベント会場は、たくさんの人で賑わっていた。

家族連れ。

友達同士のグループ。

手を繋いで歩くカップル。

写真を撮っている人たち。

そして、屋台の前にできた長い行列。

焼きとうもろこしの香ばしい匂いが漂い、甘いお菓子の香りが風に乗って流れてくる。

あっちの屋台では、チョコバナナが売られている。

その向こうには、たこ焼きの看板。

さらに奥には、赤い提灯が並んでいた。

……。

…………。

……いけません。

今は食べ物に気を取られている場合ではありません!

私はぶんぶんと首を振った。

「るな、首が取れそうよ」

「取れませんよ!?」

「そんなに振ったら、取れなくても痛くなるわ」

「ゆずは、私を何だと思ってるんですか!」

「食欲に忠実な友達」

「否定できないのが悔しいです!」

ゆずはは、くすくすと笑った。

ひかりも、口元を押さえて笑っている。

その笑顔を見て、私は少しだけ安心した。

そう。

ひかりには、笑っていてほしい。

好きな人と一緒にいる時間を、楽しい思い出にしてほしい。

私ができることなんて、ほんの少ししかないかもしれない。

でも、そのほんの少しで、ひかりが幸せになれるのなら。

私は、いくらだって頑張れる。

……たぶん。

いや、絶対に!

私は、もう一度二人を見た。

透先輩が、ひかりのほうへ身体を向けている。

「次の花火、少し向こうから見てみる?」

「向こう、ですか?」

「うん。あっちのほうが、少し人が少ないみたいだから」

ひかりの瞳が、ぱっと明るくなった。

「はい。行ってみたいです」

……来ました!

これは、絶好のチャンスです!

二人で向こうへ行ってもらえば、自然と二人きりになれる。

けれど、私たち三人が一緒に移動したら、結局いつもの四人……ではなく、三人で歩くことになってしまう。

ひかりと透先輩が並んで歩いても、私とゆずはが後ろからついていけば、二人は気を遣って私たちに話しかけるだろう。

それでは意味がない。

どうすればいい?

どうすれば、自然に二人きりにできる?

私は頭の中で、必死に作戦を組み立てた。

そのとき。

視界の端に、赤く輝くものが飛び込んできた。

つやつや。

ぴかぴか。

真っ赤な丸い果実に、透明な飴が薄くまとわりついている。

屋台の照明を受けて、宝石みたいに輝いていた。

その看板には、大きくこう書かれていた。

――いちご飴。

「……っ!」

私は息をのんだ。

いちご飴。

いちご飴です!

いちごの甘酸っぱさと、パリッとした飴の食感。

あの、ひとくち目の、カリッという音。

噛んだ瞬間に広がる甘さ。

いちごの果汁がじゅわっと口の中に広がる、あの幸福感。

……いけません。

考えただけで、食べたくなってしまいました。

いや、違う!

今の私は、ひかりの恋を応援する作戦を考えているのです!

いちご飴は関係ありません!

……関係、ない?

私は、もう一度ひかりと透先輩を見た。

二人は、さっきよりも少し近い距離で並んでいた。

透先輩が、ひかりに何かを話している。

ひかりは、嬉しそうに頷いていた。

でも、まだ二人きりではない。

私たちがいる。

ゆずはもいる。

……そうか。

そうです!

ここで私が自然に離れればいいのです!

しかも、いちご飴を買いに行くという理由なら、誰も不思議に思わない。

いや、むしろ私らしい。

あまりにも私らしい。

完璧な作戦ではありませんか!

私は心の中で、両手を高く掲げた。

作戦名。

『ひかりを二人きりにしよう! ついでにいちご飴も食べちゃおう大作戦!』

……長い。

しかも、後半が本音です。

でも、作戦は作戦です!

私は、そっとゆずはの袖を引いた。

「ゆずは」

「何?」

「ちょっと、協力してほしいことがあるんです」

「……何を企んでいるの?」

「企んでません!」

「その顔は、何か企んでる顔よ」

「そんな顔、あるんですか!?」

「あるわよ。今、まさに目の前に」

ゆずはは腕を組んだ。

私は、ひかりたちに聞こえないよう、小さな声で話しかけた。

「ひかりと透先輩を、二人きりにしてあげたいんです」

ゆずはの表情が、ほんの少し変わった。

そして、ひかりと透先輩をちらりと見る。

「……なるほどね」

「ですよね!」

「それで?」

「えっ?」

「どうするつもりなの?」

私は胸を張った。

「私が、あっちの屋台に行きます!」

「……それだけ?」

「はい!」

「それだけで、どうして二人きりになるの?」

「えっ……」

私は固まった。

あれ?

そう言われると、確かにそうかもしれない。

私がいなくなったところで、ゆずはが残っていたら、二人きりにはならない。

ゆずはが一緒に行ってくれたらいいのでは?

いや、でも、ゆずはまで離れたら不自然では?

……。

…………。

あっ!

私は、ぽんっと手を打った。

「ゆずはも、一緒に来てくれればいいんです!」

「何で私まで?」

「ええっ!?」

「私は別に、いちご飴を買いたいわけじゃないもの」

「そ、そんな……!」

「それに、私まで離れたら、ひかりと透先輩が気を遣うかもしれないでしょ?」

「……あ」

私は、思わず口を閉じた。

確かに。

私たちが二人のために離れたと気づいたら、ひかりはきっと申し訳なく思う。

透先輩だって、気を遣うかもしれない。

それでは、せっかくの時間が台無しになってしまう。

自然に。

あくまでも自然に。

何も特別なことではないように、二人が一緒に過ごせる時間を作る。

それが、今回の作戦の大切なところなのだ。

私は、真剣な顔で頷いた。

「……分かりました。私、一人で行きます」

「ええ。それが一番自然かもね」

「ゆずはは、ひかりのそばにいてあげてください」

「分かったわ」

ゆずはは、少しだけ優しい顔で笑った。

「でも、るな」

「はい?」

「いちご飴を買いに行くのはいいけど、迷子にならないでよ?」

「なりませんよ!」

「人が多いんだから、ちゃんと周りを見て歩きなさい」

「分かってます!」

「それから、食べながら走らない」

「走りません!」

「前を見て歩く」

「見ます!」

「飴に夢中になって、誰かにぶつからない」

「……はい?」

私は、一瞬だけ言葉に詰まった。

なぜだろう。

最後の注意だけ、妙に具体的ではありませんか?

「ゆずは……私、そんなに信用ないですか?」

「あるわよ」

「本当ですか!?」

「食べ物を持っていないときはね」

「ひどいです!」

私が抗議すると、ゆずはは笑いながら肩をすくめた。

「冗談よ。気をつけて行ってらっしゃい」

「……もう!」

私は頬を膨らませた。

けれど、ゆずはが笑ってくれたおかげで、少し緊張がほぐれた。

よし。

これで準備は整いました!

あとは、自然に。

自然に、自然に……。

私は、ひかりたちのほうへ向き直った。

「あっ!」

大きな声が出た。

二人が、同時にこちらを見る。

「どうしたの、るな?」

ひかりが不思議そうに首を傾げた。

私は、遠くの屋台を指さした。

赤い看板。

つやつやのいちご飴。

見ているだけで、お腹が空いてくる。

……違う違う!

今は、作戦です!

私は満面の笑みを浮かべた。

「あっちにいちご飴売ってます!」

「いちご飴?」

ひかりが、私の指さす方向を見た。

「はい! すっごくおいしそうです!」

「……るな、目が輝いてるわよ」

ゆずはが、ぼそっと呟いた。

「気のせいです!」

「いや、明らかに輝いてるでしょ」

「気のせいです!」

私は勢いよく言い切った。

そして、ひかりに向かって、できるだけ自然な声で続けた。

「私、ちょっと買ってきますね!」

「えっ、でも……」

ひかりが、少し戸惑ったように私を見た。

「一緒に行こうか?」

その言葉に、私は一瞬だけ迷った。

ひかりと一緒にいちご飴を買いに行くのも、もちろん楽しい。

むしろ、ひかりと一緒に食べたら、きっともっとおいしい。

でも。

でも、今は。

私は、ひかりの手をそっと握った。

「大丈夫です、ひかり!」

「るな……?」

「せっかく透先輩が、向こうのほうが見やすいって教えてくれたんですから!」

私は、ひかりと透先輩を交互に見た。

「お二人は、あっちで花火を見ていてください! 私は、いちご飴を買ってから追いかけます!」

言いながら、心の中で何度も自分に言い聞かせる。

自然に。

あくまでも自然に。

私は、ただいちご飴を買いに行くだけ。

そういうことにするのです!

ひかりは、少しだけ心配そうな顔をした。

「本当に、一人で大丈夫?」

「大丈夫です!」

私は、にっこり笑った。

「私、いちご飴を買うのは得意ですから!」

「……それ、得意不得意があるの?」

ゆずはが呆れた声を出した。

「ありますよ! 屋台の行列を見極める能力とか、飴の輝きを見分ける能力とか!」

「そんな能力、聞いたことないわ」

「今、私が発表しました!」

ひかりが、くすっと笑った。

「ふふっ。るならしいね」

「えへへ……」

その笑顔を見て、私は胸の奥が温かくなった。

ひかりが笑っている。

それだけで、嬉しい。

そして、その隣には透先輩がいる。

この二人が、今日という日を素敵な思い出にできたらいい。

私はそう願いながら、もう一度、ひかり先輩の手を軽く握った。

「ひかり」

「うん?」

「今日は、いっぱい楽しみましょうね!」

「……うん。ありがとう、るな」

ひかりは、少し照れたように微笑んだ。

その表情を見て、私は心の中で小さくガッツポーズをした。

よし。

第一段階、成功です!

あとは、二人が自然に話せる時間を作るだけ。

私は、透先輩にも笑顔を向けた。

「透先輩、ひかりをよろしくお願いします!」

「えっ?」

ひかりが、ぱっと顔を赤くした。

「る、るな!?」

透先輩も、少し驚いたように目を瞬かせた。

「うん。分かった。……ありがとう」

そう言って、透先輩は穏やかに笑った。

その笑顔に、私は思わず頬を緩めた。

……うん。

やっぱり、いい人だ。

ひかりのことを、ちゃんと大切にしてくれる。

だからこそ、二人にはもっと一緒にいてほしい。

私は、くるりと身体の向きを変えた。

「それでは、いちご飴を買ってきまーす!」

「るな、気をつけてね!」

「はーい!」

ひかりの声に手を振りながら、私は人混みの中へと歩き出した。

……いや。

歩き出した、つもりだった。

ところが。

屋台の方向へ向かう途中、私は何度も足を止めてしまった。

右側の屋台からは、ソースの香ばしい匂い。

左側の屋台には、ふわふわの綿菓子。

その先には、焼きとうもろこし。

さらに奥には、温かそうなスープを売っている屋台まである。

……。

…………。

いけません。

これは、誘惑が多すぎます!

でも、今日の私は使命を背負っているのです。

ひかりと透先輩の恋を応援するという、大切な使命を!

私は自分の頬を、両手でぺちぺちと軽く叩いた。

「しっかり、るな!」

小さく呟く。

「今日は、ひかりのための日です!」

そう。

私は、ひかりの幸せを願っている。

だからこそ、今は寄り道をしてはいけない。

……いちご飴を買ったら、まっすぐ戻る。

それだけです。

それだけなのに。

目の前に、焼きたてのチョコバナナが現れた。

「……っ!」

私は、思わず立ち止まった。

チョコレートが、つやつやと輝いている。

カラフルなトッピングも可愛い。

でも。

でも、今日のお目当ては、いちご飴です!

私は、ぐっと視線をそらした。

「また今度……!」

自分に言い聞かせる。

そのまま数歩進んだところで、今度は甘い香りが漂ってきた。

焼きりんご。

……。

…………。

私は、空を見上げた。

「神様……。どうして冬のお祭りには、こんなにおいしいものがあるんですか……?」

もちろん、返事はない。

代わりに、夜空で花火が大きく咲いた。

ぱあんっ!

金色の光が、冬の街を照らす。

周囲から歓声が上がった。

「わああっ!」

「きれい!」

「すごいね!」

私は、思わず足を止めた。

夜空に広がる光。

街路樹のイルミネーション。

楽しそうな人々の声。

冷たい風。

そして、甘い屋台の匂い。

なんて素敵な夜なのだろう。

私は、しばらくその景色を見つめた。

……そうだ。

ひかりと透先輩も、今、同じ花火を見ているはず。

二人で並んで、同じ夜空を見上げている。

その光景を想像すると、自然と笑顔がこぼれた。

「……うん。頑張ろう」

私は小さく呟いた。

ひかりの恋を応援するために。

そして、いちご飴を買うために。

私は再び歩き出した。

屋台の前には、少しだけ行列ができていた。

けれど、並んでいる人たちも、みんな楽しそうだ。

家族連れの小さな子どもが、いちご飴を指さしている。

「ママ、あれ食べたい!」

「順番に買おうね」

そんな会話が聞こえてきて、私は思わず微笑んだ。

やっぱり、いちご飴は人気なのです。

赤くて、つやつやしていて、可愛くて。

見ているだけで幸せになる。

……食べたら、もっと幸せになる!

私は列の最後尾に並んだ。

少しずつ、少しずつ、屋台へ近づいていく。

そして、ついに。

「はい、お待たせ!」

店員さんが、赤い飴を差し出してくれた。

「わあ……!」

私は、両手で受け取った。

透明な飴に包まれたいちごは、屋台の明かりを受けて、まるで小さな宝石のように輝いていた。

真っ赤な果実。

つややかな表面。

持ち手の木の棒。

完璧です。

これは、完璧ないちご飴です!

「ありがとうございます!」

私は、ぺこりと頭を下げた。

そして、いちご飴を胸の前に掲げた。

「……ついに、出会えましたね」

まるで、運命の相手に語りかけるように。

もちろん、いちご飴に返事はない。

でも、いいのです。

この輝きだけで、十分に気持ちは通じ合っています!

……いや、通じ合っているのは私だけかもしれません。

とにかく。

私は、いちご飴をひとくちかじった。

カリッ。

薄い飴が、心地よい音を立てて割れた。

その奥から、いちごの甘酸っぱさが広がる。

「……おいしい!」

思わず声が漏れた。

甘い。

でも、いちごの酸味があるから、甘すぎない。

パリパリの飴と、みずみずしい果実。

この組み合わせを考えた人は、本当に天才だと思う。

私は、幸せいっぱいの顔で、もうひとくちかじった。

カリッ。

……最高です。

ひかり、ごめんなさい。

今だけは、少しだけ。

少しだけ、いちご飴に夢中にさせてください!

私は、いちご飴を大切に持ちながら、来た道を戻ろうとした。

そのときだった。

花火の音が、また夜空に響いた。

ぱあんっ!

思わず顔を上げる。

夜空には、白い光が大きく広がっていた。

その光が、イルミネーションの飾られた街路樹を照らし、道を歩く人々の顔を明るく浮かび上がらせている。

誰もが、空を見上げていた。

笑っている人。

驚いている子ども。

肩を寄せ合う恋人たち。

その光景は、まるで一枚の絵のようだった。

私は、いちご飴を持ったまま、しばらく立ち止まっていた。

……きれい。

さっきまで、いちご飴のことで頭がいっぱいだったのに。

今は、夜空の光から目が離せない。

花火が消えたあとも、イルミネーションは輝き続けていた。

冬の夜に浮かぶ、無数の小さな光。

それぞれの光が、誰かの笑顔を照らしている。

その景色を見ていると、不思議と胸が温かくなった。

……ひかりと透先輩も、こんなふうに笑ってくれたらいいな。

二人が一緒にいる時間が、今日の夜のように、きらきらした思い出になればいい。

私は、そっといちご飴を握り直した。

「……よし!」

たちのところへ。

そう思って歩き出した、その瞬間。

前から来た人を避けようとして、私はほんの少し横へ動いた。

その先に、誰かが立っていることに気づかなかった。

いや、正確には。

人影は見えていた。

けれど、その人が手に持っていたものに、私は気づいていなかったのだ。

その人は、少し離れた街路樹のそばに立っていた。

片手には、小さなスケッチブック。

もう片方の手には、鉛筆。

夜空を見上げていたかと思うと、視線をスケッチブックへ戻し、何かを描き込んでいる。

周囲の賑やかな声も、屋台の呼び込みも、花火の音も。

その人には、あまり届いていないようだった。

ただ、目の前に広がる光を、じっと見つめている。

まるで、誰にも見えない何かを探しているように。

私は、その横を通り過ぎようとした。

そのとき。

また、花火が上がった。

ぱあんっ!

私は反射的に、空を見上げた。

同時に、いちご飴を持った手が、少しだけ外側へ揺れる。

そして――。

「……あっ!」

誰かの声がした。

私の足が止まった。

目の前には、見覚えのない男の人。

その人の手から、スケッチブックが少し傾いていた。

私は、慌てて頭を下げた。

「す、すみません!」

いちご飴を持った手を引き寄せる。

「大丈夫ですか!? 私、前を見てなくて……!」

男の人は、驚いたように私を見ていた。

その瞳には、花火の光が小さく映っていた。

そして、彼は――。

静かに、口を開いた。

「……大丈夫?」

その声を聞いた瞬間。

私は、なぜだか、ほんの少しだけ息をのんだ。

知らない人のはずなのに。

初めて聞く声のはずなのに。

その声は、冬の夜のざわめきの中で、不思議なくらいはっきりと耳に届いた。

私は、顔を上げた。

目の前の人が持っているスケッチブック。

そこに描かれていたのは、さっきまで私が見上げていたイルミネーションだった。

けれど、ただのイルミネーションではなかった。

光の一つひとつが、柔らかく重なっている。

花火の光が夜空に広がり、その下で人々が笑っている。

街路樹の明かりは、まるで星が地上に降りてきたように描かれていた。

そして、その景色の片隅には、小さな女の子の後ろ姿があった。

誰かと手を繋いでいるわけでもない。

特別なポーズをしているわけでもない。

ただ、夜空を見上げている。

それなのに。

その小さな後ろ姿が、なぜだかとても幸せそうに見えた。

「……わあ」

思わず、声が漏れた。

私は、いちご飴を持ったまま、スケッチブックに目を奪われていた。

その人は、私の視線に気づいたのだろう。

少しだけ、スケッチブックを持ち直した。

「……絵、好きなの?」

私は、はっと我に返った。

「あっ! はい! すごく、きれいです!」

言ってから、慌てて口元を押さえる。

「あ、すみません! 勝手に見ちゃって……」

「いいよ」

彼は、穏やかに微笑んだ。

「見てもらうために描いてるわけじゃないけど、そう言ってもらえるのは嬉しいから」

その言葉に、私はもう一度、スケッチブックを見た。

光の描き方が、とても優しい。

夜空の明るさだけではなく、その下にいる人たちの温かさまで伝わってくるようだった。

……この人は。

この人は、同じ景色を見ているのに、私とは違うものを見つけているのかもしれない。

私は、まだ名前も知らないその人を見つめた。

そして、思った。

もう少しだけ。

もう少しだけ、この絵を見ていたい。

けれど、手元には、いちご飴。

頭の片隅には、ひかりの恋を応援するという使命。

私は、はっとして顔を上げた。

「あっ! すみません、私、戻らなきゃ!」

「うん」

「本当に、ぶつかってしまってすみませんでした!」

「気にしないで。怪我がなくてよかった」

彼は、もう一度、穏やかに笑った。

その笑顔を見たとき、私はなぜだか、胸の奥に小さな光が灯ったような気がした。

でも、その光が何なのかは、まだ分からない。

私は、ぺこりと頭を下げた。

「それでは、失礼します!」

そして、くるりと向きを変えた。

いちご飴を持った手を、今度こそしっかりと身体の近くに寄せて。

人混みの向こうには、ひかりたちが待っている。

私は、小走りになりかけて、ゆずはの言葉を思い出した。

――食べながら走らない。

――前を見て歩く。

――飴に夢中になって、誰かにぶつからない。

「……ゆずは、何で分かったんだろう」

私は、小さく呟いた。

そして、思わず笑ってしまった。

今度こそ、前を見て歩こう。

ひかりと透先輩のところへ戻って、二人の様子を確かめよう。

……それから。

さっきの絵。

もう一度、見られたらいいな。

そんなことを考えながら、私はイルミネーションの光の中へ歩き出した。

このときの私は、まだ知らなかった。

たった今、目の前で出会った人が。

いつか、自分にとって誰よりも大切な人になることを。

いちご飴を買いに行った、ほんの小さな寄り道。

ひかりの恋を応援するために考えた、ささやかな作戦。

その二つが、私自身の恋の始まりにつながっていたことを。

夜空では、最後の花火が大きく咲いた。

金色の光が、冬の街を照らす。

イルミネーションは、何事もなかったかのように輝き続けていた。

そして、私の手の中では。

赤いいちご飴が、きらきらと光っていた。

まるで、これから始まる物語を、そっと祝福してくれているかのように。

 

 第2節「いちご飴に夢中♡」

カリッ。

口の中で、薄い飴が小さな音を立てて割れた。

続いて、甘酸っぱい果汁がじゅわっと広がる。

「……ん〜〜っ! おいしい〜っ♡」

思わず、頬が緩んだ。

冬の夜空には、色とりどりの花火が咲いている。

街路樹には、金色や青白いイルミネーションが輝いている。

周囲からは、歓声や笑い声が聞こえてくる。

けれど。

今の私にとって、そんなものは二の次だった。

なぜなら。

私の手には、念願のいちご飴があるからです!

「ふふふ……♡」

私は、手に持ったいちご飴をうっとりと見つめた。

赤くて、つやつやしていて、透明な飴の膜がきらきら光っている。

屋台の明かりを受けたその姿は、まるで宝石みたいだった。

しかも、見た目が可愛いだけではない。

ひとくち食べれば、パリッとした飴の食感。

そのあとに広がる、いちご本来の甘酸っぱさ。

甘いものを食べているはずなのに、後味は爽やか。

もう、最高としか言いようがない。

「いちご飴って、どうしてこんなにおいしいんだろう……」

私は真剣に考えた。

いちごが素晴らしいから?

飴が素晴らしいから?

それとも、この二つを組み合わせようと考えた人が天才だから?

……うん。

全部ですね!

私はひとりで深く頷いた。

「うんうん。やっぱり、いちご飴は偉大です!」

誰に向かって言っているのか、自分でも分からない。

でも、いいのです。

おいしいものを食べていると、つい感想を口に出したくなるものなのです!

……さて。

ここで、ひとつ大切なことを思い出そう。

私は、ただいちご飴を食べるために、この場所へ来たわけではない。

いや。

いちご飴を食べたかったのは、間違いない。

それはもう、間違いなく本音です。

けれど、今日の私には、もうひとつ重要な目的がある。

そう。

親友・ひかりの恋を応援すること!

私は、はっと顔を上げた。

「……あっ!」

そうだった!

ひかりと透先輩を、二人きりにしてあげるために、私はここへ来たのだった。

ひかりは、私にとって大切な親友。

同じ学校に通って、たくさん話して、笑って、ときには悩みを打ち明け合ってきた。

そんなひかりが、好きな人と一緒にいる。

それだけで、私まで嬉しくなる。

だからこそ、今日のイベントは、ひかりにとって素敵な思い出になってほしかった。

透先輩と、もっと自然に話せるようになってほしい。

少しずつでも、二人の距離が縮まってほしい。

そして、いつか。

二人が照れずに手を繋いで歩けるようになったら……。

「……きゃ〜っ♡」

私は、いちご飴を持ったまま、小さく両手を握りしめた。

想像しただけで、なんだか嬉しい!

ひかりと透先輩が、イルミネーションの下を並んで歩いている。

透先輩が優しく笑って、ひかりが少し恥ずかしそうに微笑む。

そして、二人の手がそっと触れて……。

「……ふふふ♡」

いけません。

想像が膨らみすぎています!

私は、こほんと咳払いをした。

「よし。早く戻らなくちゃ!」

そう言って、私は一歩踏み出した。

……ところが。

その瞬間、手の中のいちご飴が、街路樹の光を受けてきらりと輝いた。

「……あ」

思わず、足が止まった。

きれい。

やっぱり、きれいです。

赤い果実に、透明な飴。

その表面に映る、小さな光。

まるで、いちごの中にイルミネーションが閉じ込められているみたい。

私は、顔を近づけて、じっと見つめた。

「……可愛い♡」

花火の光が、飴の表面に一瞬だけ映る。

その光が消えると、今度は青白いイルミネーションが映った。

さらに少し角度を変えると、金色の光がきらり。

「わあ……! いちご飴って、イルミネーションも楽しめるんですね!」

……いやいや。

そんなことを言っている場合ではありません。

私は、ぶんぶんと首を振った。

ひかりのもとへ戻る。

それが今の使命。

いちご飴の観察は、帰ってからでもできる!

……たぶん。

いや、でも。

せっかく、こんなにきれいなんですから。

もう一回くらい、眺めてもいいですよね?

私は、いちご飴を少しだけ傾けた。

きらり。

「……うふふ♡」

もう一度、傾ける。

きらきら。

「……えへへ♡」

さらに、もう一度。

ぴかっ。

「……はっ!」

私は我に返った。

「だ、だめです! 私、何をしてるんですか!」

いちご飴に夢中になりすぎです!

いくら好きだからって、いちご飴を眺めているだけで時間を使ってしまうなんて!

……。

…………。

でも。

こんなに可愛いんですよ?

眺めたくなるのも、仕方ないと思いませんか?

私は誰にともなく問いかけた。

もちろん、答えは返ってこない。

代わりに、夜空で花火が上がった。

ぱあんっ!

周囲から歓声が湧き上がる。

「わああっ!」

「きれい!」

「すごいね!」

私は反射的に顔を上げた。

大きな金色の花火が、夜空いっぱいに広がっている。

光の粒が、ゆっくりと散っていく。

その景色は、息をのむほど美しかった。

「……わあ」

思わず、声が漏れる。

そうだ。

私は今、花火のイベントに来ているのだった。

夜空に咲く花火。

街を彩るイルミネーション。

冬の夜を楽しむ人々。

どれも、今しか見られない景色だ。

私はしばらく空を見上げていた。

花火が消えたあとも、余韻が夜空に残っているような気がした。

……きれいだったな。

そう思った次の瞬間。

私は、手の中のいちご飴を見た。

「……あ」

いちご飴も、きれい。

……。

…………。

……私、何をやっているんでしょう。

せっかくの花火なのに、最後にはいちご飴を見てしまう。

我ながら、食いしん坊すぎる。

でも、仕方ない。

だって、いちご飴がおいしいんですもの!

私は、もうひとくちかじった。

カリッ。

「ん〜〜っ♡」

……幸せです。

今、この瞬間、私は世界一幸せな女の子かもしれません。

もちろん、ひかりの恋を応援することも大切。

花火もイルミネーションも素敵。

でも、目の前においしいものがあったら、つい夢中になってしまう。

それが、星野るなという女の子なのです。

……と、自分で自分を正当化してみました。

えへへ。

*

いちご飴を食べながら、私はゆっくりと歩き始めた。

人混みを避けて、通路の端を進む。

周囲には、楽しそうな人たちがたくさんいた。

小さな子どもが、お父さんの手を引いている。

女の子たちが、イルミネーションを背景に写真を撮っている。

カップルが、肩を寄せ合いながら夜空を見上げている。

その光景を眺めていると、自然と笑顔になった。

みんな、それぞれに楽しんでいる。

大切な人と過ごす人。

友達と笑い合う人。

家族と一緒に歩く人。

そして、私みたいに、いちご飴を食べながら歩いている人もいる。

……あれ?

今、私みたいな人って言いました?

私は思わず、周囲を見回した。

いちご飴を持っている人は、何人かいた。

でも、私ほど真剣な顔でいちご飴を見つめている人はいない気がする。

「……ふふっ」

なんだか、おかしくなってしまった。

私は、いちご飴を少し高く掲げた。

「あなたは、今日の私の最高の相棒です♡」

もちろん、いちご飴は答えない。

でも、その赤い表面は、相変わらずつやつやしていた。

……よし。

あと少し食べたら、ひかりのところへ戻ろう。

そう決めた私は、いちご飴をひとくちかじった。

カリッ。

甘い。

おいしい。

幸せ。

……もうひとくち。

カリッ。

うん。

やっぱりおいしい。

……あとひとくち。

カリッ。

……。

…………。

「……あれ?」

私は、手元を見た。

いちご飴が、思っていたより小さくなっている。

そりゃそうです。

食べているのだから。

でも、なんだか少し寂しい。

「……もう、こんなに食べちゃった」

私は、いちご飴をじっと見つめた。

さっきまで、あんなに大きくて、つやつやしていて、宝石みたいだったのに。

今は、残りが少なくなっている。

……。

…………。

待ってください。

いちご飴がなくなったら、私は何を楽しみに歩けばいいのでしょう?

いやいや。

花火があります。

イルミネーションがあります。

親友の恋を応援するという大切な使命もあります。

楽しみは、たくさんある!

私は、自分に言い聞かせた。

……でも。

いちご飴、おいしかったな。

もう一本、買おうかな。

……。

…………。

「だめです!」

私は、自分の頬を軽く押さえた。

「るな! 今日は一本って決めたでしょう!」

誰もそんなことは決めていない。

ただ、私の中で勝手にルールを作っただけである。

でも、ここで二本目を買いに行ったら、ひかりのところへ戻るのが遅くなってしまう。

それはいけない。

親友の恋を応援するために離れたのに、いちご飴のおかわりを買いに行って戻らないなんて。

……。

…………。

ちょっとだけ、あり得そうなのが怖いです。

私は、ぶるぶると首を振った。

「よし。戻りましょう!」

今度こそ、ひかりたちのところへ戻るのです!

そう決意して、私は前を向いた。

……ところが。

少し先に、別の屋台が見えた。

そこには、可愛らしい赤い看板が掲げられていた。

看板には、白い文字でこう書かれている。

――いちご大福。

「…………」

私は立ち止まった。

いちご。

大福。

いちごと大福。

もちもちの生地。

甘いあんこ。

その中に、甘酸っぱいいちご。

……。

…………。

「……いけません」

私は、ゆっくりと目を閉じた。

これは、罠です。

冬のイベント会場には、おいしいものの罠が多すぎる!

焼きそばも、チョコバナナも、焼きりんごも、いちご大福も。

みんな私を誘惑してくる!

私は、そっと顔を背けた。

「……また今度。いちご大福は、また今度です」

自分に言い聞かせる。

そのまま、歩き出そうとした。

そのとき。

ふわり、と風が吹いた。

冷たい冬の風。

頬に触れた空気が、少しだけ冷たかった。

「……さむっ」

私は、思わず肩をすくめた。

そういえば、ずっと外にいる。

冬の夜なのだから、寒くて当然だ。

手袋をしてくればよかったかな。

でも、いちご飴を持っているから、片手は使えない。

私は、いちご飴を持った手を胸の前に寄せた。

そして、空を見上げた。

街路樹の光が、風に揺れる枝を照らしている。

遠くの建物には、白い光が並んでいた。

まるで、冬の夜に浮かぶ星のようだった。

「……きれい」

今度は、素直にそう思った。

いちご飴を食べることに夢中になっていたけれど、やっぱり、この景色は特別だ。

花火が上がるたびに、夜空の色が変わる。

イルミネーションは、ずっと輝き続けている。

そして、そこに集まる人たちは、みんな楽しそうに笑っている。

この夜の景色は、きっと、いつか思い出になる。

今日のことを振り返ったとき。

私は、どんなことを覚えているだろう。

花火の色?

イルミネーションの光?

それとも、ひかりが透先輩と一緒に過ごしていた姿?

……。

…………。

「……いちご飴!」

私は、思わず声を出した。

そうです!

きっと、いちご飴のことも覚えているはずです!

だって、こんなにおいしかったんですから!

私は、自分で言って、自分で笑ってしまった。

「もう、私ったら……!」

でも、こんなふうに笑えることが、なんだか嬉しかった。

大切な親友がいて。

好きなものがあって。

きれいな景色を見られて。

おいしいものを食べられる。

それだけで、十分に幸せだ。

……あ。

そうだ。

私は、ふと思い出した。

ひかりも、今ごろ透先輩と一緒に、花火を見ているのだろうか。

ちゃんと話せているかな。

緊張していないかな。

透先輩も、楽しんでくれているかな。

私は、少しだけ心配になった。

でも、きっと大丈夫。

ゆずはも一緒にいる。

あの子なら、ひかりの様子を見ながら、さりげなく助けてくれるはずだ。

……たぶん。

いや、ゆずはの場合、助けるつもりがなくても、鋭いひと言で二人を照れさせる可能性がある。

例えば。

『ひかり、透先輩のことばっかり見てるじゃない』

とか。

……。

…………。

「……ゆずは、言いそう!」

私は思わず笑った。

そして、すぐに首を振った。

だめだめ。

ゆずはを想像している場合ではありません。

早く戻って、二人の様子を見なければ。

私は、残りのいちご飴を見つめた。

あと少し。

本当に、あと少しだけ。

最後のひとくちを、大切に味わおう。

私は、いちご飴を口元へ運んだ。

カリッ。

甘い飴が割れる。

そのあとに、いちごの味が広がる。

「……おいしい♡」

小さく呟いた。

そして、最後のひとくちを、ゆっくりと味わった。

甘さが消えていく。

いちごの香りが、ほんの少し残る。

私は、空になった木の棒を見つめた。

「……ごちそうさまでした」

まるで、何か大切な儀式を終えたように。

私は、丁寧に頭を下げた。

もちろん、いちご飴は返事をしない。

でも、私の心は満たされていた。

おいしかった。

本当に、おいしかった。

……さて!

これで、ようやく本来の目的に戻れます。

私は、木の棒を捨てられる場所を探し、近くのごみ箱へ向かった。

ごみをきちんと捨てて、手元を確認する。

よし。

これで準備完了です!

「ひかり、待っててね!」

私は、小さく呟いた。

「今、戻るから!」

そう言って、顔を上げた。

その瞬間だった。

少し離れた場所で、誰かがスケッチブックを広げているのが見えた。

街路樹のそば。

イルミネーションの光が届く場所。

その人は、周囲の賑わいから少しだけ離れて、静かに鉛筆を動かしていた。

夜空を見上げる。

スケッチブックを見る。

また、夜空を見る。

その繰り返し。

私は、思わず足を止めた。

「……絵を描いてるのかな?」

遠くからでは、細かいところまでは分からない。

けれど、スケッチブックに描かれているのは、どうやらイルミネーションのようだった。

金色の光。

青白い光。

その向こうに広がる、冬の夜空。

……。

…………。

あれ?

私は、首を傾げた。

さっきまで、私も同じ景色を見ていた。

でも、あの人は、ただ景色を眺めているのとは違う。

何かを探しているように見える。

光の位置を確かめているのだろうか。

花火の色を覚えているのだろうか。

それとも、イルミネーションの輝きを、自分の中に取り込もうとしているのだろうか。

私は、少しだけ興味を持った。

絵を描く人って、どんなことを考えているんだろう。

同じ景色を見ていても、私とは違うものが見えているのかもしれない。

私は、もう一度、夜空を見上げた。

花火は、ちょうど途切れていた。

けれど、イルミネーションは輝いている。

その光は、道を歩く人たちの顔を照らしていた。

笑っている人。

写真を撮っている人。

大切な人と話している人。

……あ。

もしかしたら。

あの人は、景色だけではなく、そこにいる人たちも描いているのかもしれない。

そう思うと、なんだか素敵だな、と感じた。

私は、もう少しだけ見ていたくなった。

……。

…………。

……あっ!

私は、はっと我に返った。

「だめです! ひかりのところへ戻らなくちゃ!」

そうです。

今の私は、親友の恋を応援する途中なのです!

絵を描いている人に興味を持つのは、悪いことではない。

でも、今は先にやることがある。

私は、名残惜しさを感じながらも、もう一度、歩き出した。

……ただし。

ほんの一瞬だけ。

ほんの一瞬だけ、振り返ってしまった。

その人は、まだスケッチブックを見つめていた。

まるで、夜の光の中に、大切な何かを見つけたかのように。

私は、少しだけ不思議な気持ちになった。

でも、その理由は分からなかった。

今は、まだ。

*

ひかりたちがいる場所へ戻る道は、思っていたよりも賑やかだった。

屋台の前には行列ができ、イルミネーションの下では、写真を撮る人たちが順番を待っている。

私は、人の流れに合わせて歩きながら、ひかりと透先輩のことを考えていた。

……ちゃんと、二人きりになれたかな。

私が離れたことで、少しでも話しやすくなっていたらいい。

ひかりが、今日の夜を楽しかったと思ってくれたらいい。

そして、いつか。

ひかりが、透先輩と過ごした時間を思い出して、幸せそうに笑ってくれたら。

それだけで、私も嬉しい。

私は、胸の前で手を握った。

「……頑張れ、ひかり!」

小さく呟く。

そのとき。

前方から、聞き覚えのある声がした。

「……るな?」

「……えっ?」

私は顔を上げた。

そこには、ゆずはが立っていた。

腕を組んで、こちらを見ている。

その隣には、ひかりもいた。

そして、少し離れた場所に、透先輩の姿も見えた。

「あっ! ゆずは! ひかり!」

私は、ぱっと笑顔になった。

「ただいま戻りました!」

「……遅かったわね」

「えっ!?」

ゆずはのひと言に、私はぴたりと止まった。

「そ、そんなに遅かったですか?」

「いちご飴を買いに行っただけで、ずいぶん時間がかかったじゃない」

「え、えっと……」

私は、思わず目を泳がせた。

いちご飴を買って。

眺めて。

食べて。

また眺めて。

花火を見て。

イルミネーションを見て。

いちご飴の偉大さについて考えて。

……。

…………。

これは、説明しないほうがよさそうです。

「……いろいろあったんです!」

「いろいろって何よ」

「いろいろは、いろいろです!」

ゆずはが、じとっとした目で私を見た。

「……まさか、いちご飴に夢中になってたんじゃないでしょうね?」

「…………」

私は固まった。

ひかりが、きょとんとした顔で私を見る。

「るな?」

「……えへへ」

私は、そっと笑った。

「……少しだけ?」

「少しだけじゃないでしょ!」

ゆずはの声が、夜空に響いた。

「やっぱり!」

「だ、だって、おいしかったんです!」

「分かったから!」

「しかも、すっごくきれいだったんです!」

「いちご飴が?」

「はい! イルミネーションが映って、きらきらしてて!」

「……もう、何を言ってるのよ」

ゆずはは、額に手を当てた。

ひかりは、そんな私たちを見て、くすくす笑っていた。

「ふふっ。るな、本当にいちご飴が好きなんだね」

「はいっ!」

私は、胸を張って答えた。

「大好きです!」

……。

…………。

……あれ?

私は、そこでようやく気づいた。

ひかりが笑っている。

透先輩も、少し離れたところから、穏やかな表情でこちらを見ている。

二人の間には、さっきよりも自然な空気が流れているような気がした。

ひかりは、少しだけ頬を赤くしていた。

けれど、どこか嬉しそうだった。

私は、そっとひかりに近づいた。

「……ひかり」

「うん?」

「……どうだった?」

小さな声で尋ねる。

ひかりは、一瞬だけ目を丸くした。

それから、私の意図に気づいたのだろう。

頬を赤くしながら、ふわりと微笑んだ。

「……うん。楽しかったよ」

その言葉を聞いた瞬間、私の胸が温かくなった。

「……そっか!」

私は、思いきり笑った。

「よかったね、ひかり!」

「……るな」

ひかりは、少し恥ずかしそうに私の袖をつまんだ。

「ありがとう」

そのひと言に、私は首を横に振った。

「ううん。私は、何もしてないよ!」

……。

…………。

いや。

いちご飴を買いに行ったことは、確かに何かをしたことになるのかもしれない。

でも、ひかりが楽しい時間を過ごせたのなら、それでいい。

私は、そう思った。

そして、透先輩にも笑顔を向けた。

「透先輩! ひかりと、いっぱいお話しできましたか?」

「……うん。おかげさまで」

透先輩は、穏やかに笑った。

「ありがとう、るなさん」

「えへへ。どういたしまして!」

私は、胸を張った。

作戦成功!

……と言いたいところだけれど。

実際には、私はいちご飴に夢中になっていただけだ。

その間に、二人がどんな話をしたのかは分からない。

でも、二人の表情を見れば、きっと楽しい時間だったのだろう。

それで十分。

私は、満足そうに頷いた。

そのとき、ゆずはが私の顔を覗き込んだ。

「……で?」

「はい?」

「いちご飴は?」

「……えっ?」

「もう食べたの?」

「…………」

私は、ゆっくりと頷いた。

「……はい」

「……そう」

ゆずはは、呆れたように息を吐いた。

「本当に、食べ物のことになると夢中になるんだから」

「ううっ……!」

「次からは、ちゃんと時間を決めなさいよ」

「は、はい……」

私は、しゅんと肩を落とした。

けれど、ひかりがすぐに笑顔で言ってくれた。

「でも、るな。いちご飴、おいしかった?」

私は、ぱっと顔を上げた。

「はいっ! すっごくおいしかったです!」

「ふふっ。よかったね」

「はい!」

私は、満面の笑みで頷いた。

……そう。

今日の私は、ひかりの恋を応援できた。

いちご飴も食べられた。

花火も見られた。

イルミネーションも楽しめた。

なんて素敵な夜なのだろう。

私は、改めて夜空を見上げた。

花火の光が、またひとつ咲いた。

金色の光が広がり、ゆっくりと消えていく。

その下では、イルミネーションが変わらず輝いていた。

私は、そっと微笑んだ。

この夜のことを、いつか思い出す日が来るのだろうか。

ひかりと透先輩が一緒に過ごした時間。

ゆずはと笑い合ったこと。

そして、いちご飴を食べたこと。

……。

…………。

うん。

きっと、思い出す。

そのときも、私はきっと笑っている。

だって、こんなに楽しい夜だったのだから。

私は、もう一度、いちご飴を食べたときの甘さを思い出した。

口の中には、もう何も残っていない。

でも、胸の中には、温かな幸せが残っていた。

親友の笑顔。

好きなものを食べた満足感。

冬の夜の輝き。

それらが、私の心の中で、ひとつになっていた。

そして、そのとき。

私は、ふと、さっき見かけた人のことを思い出した。

街路樹のそばで、スケッチブックを広げていた人。

イルミネーションを、静かに描いていた人。

あの絵には、どんな景色が描かれていたのだろう。

光だけではなく、人々の笑顔も描かれていたのだろうか。

私は、もう一度、その方向を見た。

けれど、そこにはもう、同じ姿は見当たらなかった。

「……あれ?」

私は、少しだけ首を傾げた。

もう帰ってしまったのかな。

それとも、別の場所へ移動したのだろうか。

……。

…………。

まあ、いいか。

私は、小さく笑った。

今は、ひかりたちと一緒に、この夜を楽しもう。

そう思って、親友たちのほうへ向き直った。

「ねえ、次はどこへ行きますか?」

「……るな、まだ何か食べるつもり?」

ゆずはが、警戒するように私を見た。

「えっ!? ち、違いますよ!」

「本当?」

「本当です!」

「……その目は?」

「えっ?」

「次の屋台を探している目よ」

「ち、違いますってば!」

私は慌てて首を振った。

ひかりが、とうとう声を出して笑った。

「ふふふっ! もう、二人とも!」

透先輩も、楽しそうに微笑んでいる。

その笑顔を見て、私も笑った。

冬の夜は、まだ終わらない。

花火も、イルミネーションも、私たちの笑い声も。

この時間は、もう少しだけ続いていく。

そして、私はまだ知らない。

あのスケッチブックを持った人と、もう一度言葉を交わすことになるなんて。

その出会いが、いつか自分の人生を大きく変えることになるなんて。

このときの私は、ただ、親友の笑顔が嬉しかった。

いちご飴がおいしかった。

そして、冬の夜がきれいだった。

それだけで、十分に幸せだったのだ。

……でも。

もし、あの日の自分に、ひとつだけ教えてあげられるとしたら。

私は、きっとこう言うだろう。

――るな。

いちご飴に夢中になるのはいいけれど。

たまには、ちゃんと前を見て歩くんだよ。

……。

…………。

……いや。

それでは、物語が始まらなかったかもしれない。

私は、くすっと笑った。

だって。

あの夜の小さな偶然が、いつか大切な思い出になるのだから。

赤いいちご飴。

きらめくイルミネーション。

夜空に咲いた花火。

そして、スケッチブックを持った、まだ名前も知らない人。

そのすべてが、少しずつ、私の未来へとつながっていく。

けれど、今はまだ。

私は、何も知らない。

ただ、笑っている。

親友と一緒に。

冬の夜の光の中で。

そして、心のどこかには、あの絵の光景が、小さな余韻となって残っていた。

……もう一度、見てみたいな。

そんな気持ちを、まだ自分でも不思議に思いながら。

私は、ひかりたちと一緒に、イルミネーションの輝く道を歩き出した。

夜空には、次の花火が上がろうとしていた。

冬の街は、まだまだ、きらきらと輝いていた。

 第3節「ドンッ! すみません!」

いちご飴というものは、どうしてあんなにも人を夢中にさせるのだろう。

星野るなは、そんなことを真剣に考えながら、夜店の並ぶ道を歩いていた。

手に持っているのは、赤くてつやつやしたいちご飴。

透明な飴の膜に包まれた真っ赤ないちごは、提灯の明かりを受けてきらきらと輝いている。

ひと口かじれば、パリッ。

薄い飴が割れる音のあとに、甘酸っぱいいちごの果汁が口いっぱいに広がる。

その瞬間、るなは思わず目を細めた。

「ん~~っ! おいしいっ!」

幸せだった。

今日のお祭りには、きれいなイルミネーションがあって、夜空には花火が上がって、屋台にはおいしそうな食べ物が並んでいる。

もちろん、それらも魅力的だ。

けれど、今のるなにとって、一番輝いているものは何かと聞かれたら。

迷わず答えるだろう。

――いちご飴です!

「やっぱり、いちご飴って最高だよね……」

誰に聞かせるでもなく、るなは小さくつぶやいた。

その声には、食べ物に対する揺るぎない信頼が込められていた。

ただし。

彼女は、いちご飴を味わうことに夢中になりすぎていた。

目の前の景色を楽しむことも、周囲の人の流れを確認することも、少しばかり後回しになっていたのである。

もちろん、本人に悪気はない。

むしろ本人としては、祭りを十分に満喫しているつもりだった。

いちご飴を楽しみながら、きらきらした光を眺める。

花火の音を聞きながら、次のひと口を考える。

これ以上、何を望むというのだろう。

「……あっ、そうだ!」

るなは、ふと思い出したように顔を上げた。

「ひかりたち、待ってるんだった!」

そうだった。

今日は、親友の白雪ひかりと朝比奈透の時間を作るために、るなが自分から少し離れたのだ。

ひかりは、るなにとって大切な親友。

そのひかりが好きな人と一緒にいるのなら、できるだけ自然に、二人きりになれる時間を作ってあげたい。

そう考えていたはずだった。

「よしっ! いちご飴も食べたし、そろそろ戻らなくちゃ!」

るなは、いちご飴を持った手を胸の前に掲げ、ひとりで小さく気合いを入れた。

ところが。

次の瞬間、視線は再び、手元のいちご飴に吸い寄せられた。

「……でも、この飴のつやつや具合、すごくない?」

透明な飴の表面に、イルミネーションの光が映っている。

赤い果実の輪郭をなぞるように、白や金色の光が揺れていた。

「わあ……。いちご飴の中に、イルミネーションが入ってるみたい」

もちろん、本当に中に入っているわけではない。

けれど、るなにはそう見えた。

光を映したいちご飴は、まるで小さな宝石のようだった。

そして、宝石のようなものを見つけたら、もっと近くで眺めたくなるのが、るなという少女である。

彼女は歩く速度を緩め、いちご飴を少し持ち上げた。

「この角度もかわいい……。こっちから見ると、もっときらきらしてる……」

そのときだった。

人の流れが、ほんの少しだけ途切れた。

るなの前を歩いていた人が横へ移動し、向こう側から来る人の姿が見えた。

けれど、るなはまだ、いちご飴を見つめていた。

前を向いていなかった。

相手もまた、手に持ったスケッチブックへ視線を落としていた。

彼は、祭りの賑わいから少し離れた場所を歩いていた。

片手には、使い込まれたスケッチブック。

もう片方の手には、数枚の紙と鉛筆があった。

周囲から聞こえる歓声や屋台の呼び声に、特別な反応を見せることもない。

彼の意識は、目の前に広がる光の景色と、頭の中に残っている描きかけの絵に向けられていた。

あと少し。

あと少しだけ、あの光の形を確かめたい。

そう思って、彼はスケッチブックに目を落とした。

そして――。

「わっ!」

「うわっ!」

ドンッ!

二人の肩がぶつかった。

るなの手から、いちご飴が大きく揺れる。

「きゃっ! いちご飴っ!」

最初に心配したのは、自分の体でも、相手の体でもなかった。

いちご飴だった。

けれど、幸いにも串は手から離れなかった。

るなは慌ててそれを握り直した。

一方、ぶつかった少年の手からは、スケッチブックと何枚かの紙が滑り落ちていた。

「あっ……!」

紙が、風にあおられた。

一枚は足元へ。

もう一枚は、石畳の上をすべるように。

さらに一枚は、近くの植え込みのそばへと飛んでいった。

「す、すみません!」

るなは、はっと顔を上げた。

自分がぶつかった相手を見て、ようやく状況を理解する。

同じくらいの年頃だろうか。

落ち着いた雰囲気の少年だった。

柔らかな光を受けた横顔は、どこか静かで、祭りの賑わいの中にいるのに、ひとりだけ違う時間を過ごしているように見えた。

少年は驚いた表情を浮かべていたが、怒っているようには見えなかった。

むしろ、散らばった紙のほうを気にしている。

「ごめんなさい! 私、前を見てなくて……!」

るなは、持っていたいちご飴を落とさないよう気をつけながら、すぐにしゃがみ込んだ。

「大丈夫ですか? どこかぶつけませんでした?」

「うん、大丈夫。そっちは?」

「私は平気です! あっ、でも……!」

るなは、地面に散らばった紙を見た。

「紙が!」

「……ああ」

少年が手を伸ばすよりも早く、るなは近くの紙を拾い上げた。

「すみません、本当にすみません! 私がよそ見してたから……!」

「いや、僕もスケッチブックを見ていたから。お互いさまだよ」

「でも、こんなにたくさん……!」

るなは、足元に落ちていた紙を一枚ずつ拾い集めた。

紙の端が石畳に触れて、少しだけ折れ曲がっている。

風に飛ばされた一枚を追いかけ、別の一枚を拾い、さらにもう一枚。

いつもの食いしん坊な様子からは想像できないほど、るなは真剣だった。

自分がぶつかったせいで、相手の大切なものを散らかしてしまった。

それが申し訳なくて、少しでも早く元に戻したかった。

「こっちにもありました!」

「ありがとう」

「あと一枚……あっ、あそこ!」

るなは植え込みのそばに落ちていた紙を見つけ、そっと拾い上げた。

紙の角が少し折れている。

破れてはいないようだった。

ほっと胸をなで下ろし、少年のもとへ戻る。

「これで全部でしょうか?」

少年は、自分の手元に集まった紙を確認した。

「たぶん、大丈夫。ありがとう。助かったよ」

「いえいえ! こちらこそ、ごめんなさい!」

るなは、ぺこりと頭を下げた。

頭を下げた拍子に、手元のいちご飴が視界に入る。

飴の表面には、まだきらきらと光が映っていた。

……いやいや。

今は、いちご飴を眺めている場合ではない。

るなは自分に言い聞かせるように、気持ちを引き締めた。

「本当に、すみませんでした。お怪我がなくてよかったです」

「うん。君も大丈夫そうでよかった」

少年はそう言って、落ちた紙をスケッチブックへ戻そうとした。

そのとき。

るなの手に、一枚だけ紙が残っていることに気づいた。

「あ……」

それは、ほかの紙とは少し違っていた。

紙の上に、細い鉛筆の線が幾重にも重なっている。

光の粒。

木々の輪郭。

遠くに並ぶ街灯。

そして、夜の中に浮かび上がる、無数の小さな明かり。

るなは、何気なくその紙に視線を落とした。

ほんの一瞬。

ただ、拾った紙を相手に渡そうとしただけだった。

それなのに。

次の瞬間、るなの手が止まった。

「……え?」

思わず、声がこぼれた。

そこに描かれていたのは、今、自分が立っている場所の景色だった。

祭りのイルミネーション。

木々の間を縫うように続く光。

人々の頭上に浮かぶ、丸い光の飾り。

遠くで上がる花火の明るさが、夜空の一部を淡く照らしている。

見慣れたはずの景色だった。

さっきまで、自分もその中を歩いていた。

それなのに。

紙の上の景色は、るなが見ていたものとは、どこか違っていた。

同じ光なのに。

同じ夜なのに。

こんなにも、きれいだっただろうか。

「……わあ」

るなの口から、自然と言葉がこぼれた。

少年が顔を上げる。

「ん?」

「これ……」

るなは、紙を持つ手に少しだけ力を込めた。

「これ、あなたが描いたんですか?」

尋ねてから、少し失礼だったかもしれないと思った。

こんなにきれいな絵を見て、誰が描いたのか聞くのは当然のことかもしれない。

けれど、目の前の少年が描いたと決まったわけではない。

「あっ、すみません! 勝手に見ちゃって……!」

慌てて紙を差し出そうとした。

しかし少年は、気にした様子もなく答えた。

「うん。僕が描いたものだよ」

「やっぱり……!」

るなは、思わず顔を輝かせた。

それから、はっとする。

自分は、まだこの少年のことを何も知らない。

名前も、学年も、どこの学校なのかも。

ただ、ぶつかってしまった相手。

それだけのはずだった。

なのに、今は目の前の一枚の絵が、どうしても気になって仕方がなかった。

「すごいです……!」

るなは、素直な気持ちをそのまま口にした。

「すごく、きれい……!」

少年は、ほんの少し目を見開いた。

それから、照れたように視線を落とした。

「……そうかな」

「はい!」

返事は即答だった。

「だって、光が……!」

そこまで言って、るなは言葉に詰まった。

何がすごいのか。

どこがきれいなのか。

自分の気持ちを伝えたいのに、うまく説明できない。

頭の中には、たくさんの言葉が浮かんでいる。

でも、どれも少し違う気がした。

「えっと……」

るなは、もう一度、紙に目を落とした。

そこに描かれている光は、ただ明るいだけではなかった。

一本一本の線が、少しずつ違う。

近くの光はくっきりと。

遠くの光は、夜の空気に溶けるように。

強く輝く場所もあれば、そっと寄り添うような小さな光もある。

その違いが、景色全体に奥行きを与えていた。

イルミネーションは、ただそこに並んでいるだけではない。

まるで夜そのものが、光を抱きしめているようだった。

「……あの」

るなは、ゆっくりと顔を上げた。

「この絵を見ていると、なんだか……同じ場所なのに、違うところに来たみたいです」

少年は、黙って彼女の言葉を聞いていた。

「私、さっきまで、ここを歩いていたんです。イルミネーションも見たし、花火も見たし……」

そこで、るなは手元のいちご飴に気づいた。

「あっ、いちご飴も食べてました!」

思わず、余計なことまで口にしてしまう。

少年の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。

るなは気づかないまま、話を続けた。

「でも、この絵を見ると、さっきまで見ていた景色が、もっと特別なものに見えるんです」

言いながら、自分でも不思議だった。

自分は、絵について詳しいわけではない。

美術の知識があるわけでもない。

ただ、きれいなものを見るのが好きで、おいしいものを食べるのが好きで、楽しいことが好き。

そんな普通の高校生だ。

だから、難しいことはわからない。

けれど。

この絵が好きだということだけは、はっきりわかった。

「光って、こんなふうに描けるんですね……」

るなは、ぽつりとつぶやいた。

その声は、さっきまでの明るい声とは少し違っていた。

驚きと、感動と。

自分の知らなかった世界を、ほんの少しだけ見つけたような声だった。

少年は、彼女の手元にある絵を見つめた。

「光を描くのは、けっこう難しいんだ」

「そうなんですか?」

「うん。明るいところを白く残すだけじゃ、光らしく見えないこともあるし。周りの暗さや、光が当たっているものの色も大事だから」

「周りの暗さ……」

るなは、もう一度、絵を見た。

たしかに、光そのものだけを描いているわけではない。

光の周りにある暗い部分も、木々の影も、遠くの建物も。

そのすべてがあるから、光が輝いて見える。

「……あっ!」

るなは、何かに気づいたように顔を上げた。

「だから、こんなにきれいなんですね!」

「え?」

「光だけじゃなくて、周りの景色も、ちゃんと描かれているから!」

少年は少し驚いた顔をした。

それから、ゆっくりとうなずいた。

「……そうだね。そういうこともあると思う」

彼の声は静かだった。

自分の絵を褒められることに慣れているのか、あるいは、褒められること自体に少し照れているのか。

るなには、まだわからなかった。

ただ、彼が絵のことを話すとき、声の調子がほんの少し変わることには気づいた。

さっきまでの落ち着いた声に、温度が加わる。

自分の好きなものについて話している人の声。

大切にしているものを、誰かに伝えようとしている声。

るなは、その声を聞きながら、ふと考えた。

この人は、いつもこんなふうに景色を見ているのだろうか。

きらきらした光だけでなく、その周りの暗さまで。

人が見過ごしてしまうような、小さな違いまで。

立ち止まって、じっと見つめて。

そして、自分の手で描き残す。

そんなふうに世界を見ている人がいることを、るなは知らなかった。

「……あの」

今度は、少年のほうが口を開いた。

「君は、絵が好きなの?」

「えっ?」

突然の質問に、るなは目をぱちぱちさせた。

「私ですか?」

「うん」

「えっと……」

るなは、少し考えた。

絵を描くのが得意かと聞かれたら、そうでもない。

美術の授業では、先生に褒められることもあれば、思ったように描けずに悩むこともある。

でも、絵を見るのは好きだった。

特に、きれいな景色を描いた絵。

自分が行ったことのある場所が描かれていたら、うれしくなる。

行ったことのない場所なら、そこへ行ってみたくなる。

絵の中に、自分の知らない世界が広がっているような気がするからだ。

「はい。描くのは、そんなに上手じゃないですけど……見るのは好きです!」

「そっか」

「でも、こんなふうに思ったことは、あまりなかったかもしれません」

「こんなふうに?」

「同じ景色なのに、誰かが描くと、違う景色に見えるんだなって」

少年は、しばらく黙っていた。

その沈黙を、るなは不思議と気まずく感じなかった。

目の前の少年は、無理に話を続けようとしない。

こちらの言葉を急かすこともない。

ただ、ゆっくりと受け止めてくれているようだった。

やがて、少年は小さく笑った。

「……そう言ってもらえるのは、うれしいな」

その笑顔を見た瞬間。

るなは、ほんの少しだけ、胸の奥が温かくなった。

それが何なのかは、わからなかった。

絵を褒めたら、相手が喜んでくれた。

ただ、それだけのことだ。

そう思った。

そう思おうとした。

けれど、なぜだろう。

少年が笑った顔が、思っていたよりも長く、心に残った。

そのとき、遠くから歓声が上がった。

「わああっ! きれい!」

空に、大きな花火が開いたのだ。

夜空に広がる光の輪。

少し遅れて、どん、と胸に響く音が届く。

周囲の人々が一斉に空を見上げた。

るなも、反射的に顔を上げる。

「わっ、花火!」

さっきまで絵に夢中になっていたことも忘れ、目を輝かせた。

「すごい! 大きい!」

花火は、夜空の真ん中で、赤や金色の光を散らしていた。

その光が、少しずつ消えていく。

最後に残った細い光が、夜の中へ溶けていった。

るなは、しばらく空を見上げていた。

それから、ふと、隣にいる少年を見た。

彼は花火を見ていた。

ただし、空だけを見ているわけではなかった。

花火に照らされた人々の顔。

光を受けて色の変わる木々。

遠くの建物の輪郭。

それらを確かめるように、静かな目で眺めていた。

そして、彼の手元には、まだスケッチブックがある。

るなは、その様子を見て思った。

この人にとって、花火はどんなふうに見えているのだろう。

自分にとっての花火は、きれいで、楽しくて、思わず声を上げたくなるものだ。

でも、この人は、花火の光がどこに落ちるのかまで見ているようだった。

花火が消えたあとに残るものまで、見つけようとしているようだった。

「……描かないんですか?」

るなは、思わず尋ねた。

「え?」

「花火です。今の花火も、描くのかなって」

少年は夜空を見上げたまま、少し考えた。

「描くこともあるよ。でも、花火はすぐに消えてしまうから」

「すぐに消えちゃう……」

「うん。描こうと思っている間に、形が変わってしまうこともある」

少年は、空に残る煙を見つめた。

「だから、目で見て覚えておくことも大事なんだと思う」

「目で見て、覚える……」

るなは、その言葉を繰り返した。

いつもなら、花火を見たあとに「きれいだったね!」と言って、友達と笑い合う。

その時間は楽しいし、大切だ。

けれど、今の少年の言葉を聞いていると、消えてしまう光を、心の中に残しておくという考え方もあるのだと気づかされた。

写真を撮るのとは、少し違う。

絵に描くのとも、少し違う。

自分の目で見て、自分の心に残す。

そして、必要なときに、思い出せるようにする。

るなは、自分の胸のあたりに、そっと手を当てた。

もちろん、そこに花火が入っているわけではない。

けれど、今見た花火の光は、確かに自分の中にも残っている気がした。

「……なんだか、素敵ですね」

そう言うと、少年は少しだけ首を傾げた。

「そうかな」

「はい!」

るなは、またもや即答した。

「だって、消えちゃうものでも、覚えていたら、なくならないみたいです!」

言ったあとで、少し恥ずかしくなった。

自分でも、何を言っているのだろうと思った。

でも、少年は笑わなかった。

ただ、彼女の言葉を静かに聞いていた。

「……そういう考え方も、あるね」

その声が、ほんの少し柔らかくなった。

るなは、なぜだかうれしくなった。

自分の言葉が、ちゃんと届いたような気がしたからだ。

けれど。

そこで、ふと、現実に引き戻される。

「あっ!」

るなは、はっとした。

「ひかりたち!」

そうだった。

自分は、親友たちのところへ戻る途中だったのだ。

ひかりと透が、せっかく二人で過ごしている時間を作ったのに。

自分が戻るのが遅くなりすぎたら、二人を気にさせてしまうかもしれない。

「どうしたの?」

少年が尋ねる。

「私、友達と来ていて……ちょっと離れているんです!」

「ああ、そうなんだ」

「だから、そろそろ戻らないと!」

るなは、手に持ったいちご飴を見た。

まだ少し残っている。

もうひと口だけ食べたい。

……いや、今はそれどころではない。

るなは、いちご飴を落とさないように握り直した。

そして、手元の紙に目を落とす。

「あっ! これ、お返ししますね!」

るなは、先ほどから持っていたスケッチを、両手でそっと差し出した。

「勝手に見てしまって、ごめんなさい。でも、本当にすごくきれいでした!」

「ありがとう」

少年は、紙を受け取った。

その指先が、紙の端を丁寧に押さえる。

まるで、紙に描かれた光まで大切に扱っているようだった。

るなは、ふと、その手元を見つめた。

この人は、絵を描くことが好きなのだろう。

きっと、今日だけではない。

いつも、こんなふうに光を見つめて、描いているのだろう。

そのことが、なぜだかうれしかった。

自分の知らない世界を、見せてもらったような気がしたから。

「あの……」

るなは、もう一度、口を開いた。

「もし、またどこかで会えたら……そのときも、絵を見せてもらっていいですか?」

言ってから、るなは目を丸くした。

あれ?

自分は今、何を言ったのだろう。

初めて会った人に。

名前も知らない人に。

また会えたら、絵を見せてほしいなんて。

少し図々しかったかもしれない。

「……あっ! ごめんなさい! 変なこと言っちゃいました!」

るなは、慌てて手を振った。

「今のは、忘れてください! その、絵がすごくきれいだったから、つい……!」

「ううん」

少年は、静かに首を横に振った。

「別に、変なことじゃないよ」

「え……?」

「また会うことがあったら、そのときにね」

それは、特別な約束というほどのものではなかった。

名前を交換したわけでもない。

連絡先を聞いたわけでもない。

いつ、どこで会うのかもわからない。

ただ、また会うことがあったら。

そんな、ささやかな言葉だった。

それなのに、るなの心は、ふわりと軽くなった。

「……はい!」

思わず、笑顔になる。

「ありがとうございます!」

そして、るなはぺこりと頭を下げた。

「今日は、本当にすみませんでした! それと、絵を見せてくれてありがとうございました!」

「こちらこそ。気をつけて帰ってね」

「はい!」

るなは、くるりと向きを変えた。

今度こそ、ちゃんと前を向いて歩こう。

ひかりたちのところへ戻らなくては。

そう思って、一歩踏み出した。

ところが。

「あっ、いちご飴!」

手元を見た瞬間、るなはまた小さく声を上げた。

まだ、いちご飴が残っている。

飴の表面には、花火の光が映っていた。

さっきよりも少しだけ、違って見える。

ただ赤くて、甘くて、おいしいだけではない。

その表面には、今見た花火も、イルミネーションも、夜の光も映っている。

そして、るなは思い出した。

少年の描いた絵。

同じ景色なのに、まるで違う世界のように見えた、あの一枚。

「……すごかったなあ」

るなは、小さくつぶやいた。

それから、はっとして首を振る。

「だ、だめだめ! 早く戻らなくちゃ!」

今度こそ、前を向いて歩き始めた。

少し先には、友達の姿が見える。

ひかりが何かを話していて、透が穏やかに笑っている。

その様子を見た瞬間、るなはほっとした。

二人とも、楽しそうだった。

自分がいなくても、ちゃんと笑い合えている。

それがうれしかった。

けれど、戻る途中。

るなは、もう一度だけ、さっきの場所を振り返った。

少年は、まだそこにいた。

スケッチブックを抱え、落ち着いた様子で、再び景色を眺めている。

花火の光が、彼の横顔を淡く照らしていた。

るなは、足を止めた。

声をかけようか。

もう一度、ありがとうと言おうか。

それとも、名前を聞いてみようか。

ほんの少し迷った。

でも、すぐに思い直した。

せっかくの友達との時間を、これ以上遅らせるわけにはいかない。

それに、彼は今、絵を描こうとしているのだ。

邪魔をしてはいけない。

るなは、小さく頭を下げた。

遠くからでは、相手に見えなかったかもしれない。

それでも、自然とそうしたくなった。

そして、今度こそ歩き出した。

少年の姿が、人の流れの向こうへと遠ざかっていく。

やがて、イルミネーションの光に紛れ、見えなくなった。

そのとき。

「るなー!」

聞き慣れた声がした。

ひかりだった。

「もう、どこまで行ってたの?」

「あっ、ごめんね、ひかり!」

るなは、慌てて駆け寄った。

「いちご飴を買いに行ったら、ちょっと……いろいろあって!」

「いろいろ?」

ひかりが不思議そうに首を傾げる。

隣にいたゆずはも、じっとるなを見た。

「その『いろいろ』って、どうせ食べ物関係でしょ?」

「えっ! なんでわかったの!?」

「るなのことだから」

「ひどいっ! でも、正解です!」

るなは、胸を張って答えた。

ひかりが、くすっと笑った。

「ふふっ。いちご飴、おいしかった?」

「うん! すっごくおいしかった!」

るなは満面の笑みでうなずいた。

それから、少しだけ言葉を切った。

「……それとね」

「うん?」

「すっごく、きれいな絵を見たんだ」

ひかりが、目を丸くした。

「絵?」

「うん。イルミネーションの絵。光がね、本当にきれいで……同じ景色なのに、全然違って見えるの」

言いながら、るなは先ほどの絵を思い出した。

夜の中に浮かぶ光。

その光を受け止める木々。

そして、絵を描いていた少年の、静かな横顔。

「へえ……。そんなにすごい絵だったんだ」

「うん!」

るなは、何度もうなずいた。

「描いた人もね、すごく落ち着いた人で……。私、ぶつかっちゃったんだけど、怒らないで、優しくしてくれたんだ」

「ええっ!? ぶつかったの?」

ゆずはが、すかさず反応した。

「ちょっと、るな! ちゃんと前を見て歩きなさいよ!」

「ううっ……。はい……」

「いちご飴を見てたんでしょ?」

「……はい」

「やっぱり!」

ゆずはは、あきれたようにため息をついた。

けれど、その表情はどこか優しかった。

「まあ、相手が怪我しなかったならよかったけど」

「うん。私も相手の人も大丈夫だったよ」

るなは、ほっとしたように笑った。

ひかりは、そんなるなの顔をじっと見ていた。

「でも、るな。なんだか楽しそう」

「え?」

「絵の話をしているとき、いつもより目がきらきらしてたから」

「そ、そうかな?」

るなは、自分の頬に手を当てた。

そんなに顔に出ていただろうか。

確かに、絵はきれいだった。

もう一度見たいと思うくらいに。

でも、それだけだ。

絵が好きだと思った。

描いた人のことが、少し気になった。

それだけのこと。

……のはずだった。

「また会えるといいね」

ひかりが、柔らかく言った。

「えっ?」

「その絵を描いた人。るな、もう一度見たいんでしょ?」

「……うん」

るなは、素直にうなずいた。

「もう一度、見られたらいいな」

その言葉を口にしたとき、胸の奥が小さく弾んだ。

もう一度、あの絵を見たい。

あの人が、どんな絵を描くのか知りたい。

あの人が、どんな景色を見ているのか、もう少し知りたい。

でも、名前も知らない。

学校もわからない。

どこに住んでいるのかも、何年生なのかも。

次に会える保証など、どこにもなかった。

それなのに。

るなは、不思議と、また会えるような気がしていた。

根拠なんてない。

ただ、そんな気がしただけ。

それから、るなは親友たちと一緒に、再びイルミネーションの下を歩き始めた。

花火は、まだ夜空に咲いていた。

屋台からは、おいしそうな匂いが流れてくる。

ひかりとゆずはの会話に笑いながら、るなは時折、さっきの絵を思い出した。

あの光。

あの線。

あの静かな声。

そして、別れ際の言葉。

――また会うことがあったら、そのときにね。

「……また、会えるかな」

気づかないうちに、そんな言葉が口からこぼれていた。

「ん? 何か言った?」

ひかりが、隣から顔をのぞき込んでくる。

「ううん! なんでもない!」

るなは、慌てて笑った。

「それより、ひかり! 次はどこ行く? あっ、あそこにいちご大福もあるよ!」

「えっ、まだ食べるの?」

ゆずはが目を丸くする。

「だって、いちご大福だよ!?」

「いちご飴を食べたばかりでしょ!」

「いちご飴といちご大福は別腹です!」

「別腹って何よ!」

ひかりが、楽しそうに笑った。

るなも笑った。

いつもどおりの、にぎやかな夜。

いつもどおりの、自分。

けれど。

その夜のるなには、ひとつだけ、新しいものが増えていた。

まだ名前も知らない少年の描いた、一枚の絵。

そして、その絵をもう一度見てみたいという、小さな願い。

その願いが、これから自分の毎日を少しずつ変えていくことなど。

このときのるなは、まだ知らなかった。

恋が始まる瞬間は、いつも劇的なものとは限らない。

運命の出会いを告げる鐘が鳴るわけでもない。

世界が突然、色を変えるわけでもない。

ただ、何気ない夜の片隅で。

偶然ぶつかった相手の落とした紙を拾い上げて。

そこに描かれた光を、きれいだと思う。

そして、もう一度見たいと願う。

それだけのことが、心の中に小さな灯りをともすこともある。

その灯りは、まだとても小さい。

恋と呼ぶには、あまりにも淡くて。

好きという言葉にするには、まだ何も知らなすぎて。

それでも、確かにそこにあった。

夜空に咲く花火のように、強く、まぶしく輝く光ではない。

遠くのイルミネーションのように、誰もが気づく光でもない。

ただ、胸の奥にそっと残る、小さな光。

その光を、るなはまだ、自分でも知らなかった。

けれど、いつかきっと思い出す。

あの夜のことを。

いちご飴を持って、前を見ずに歩いていたこと。

ぶつかってしまった少年の、少し驚いた顔。

散らばった紙の中に見つけた、一枚の絵。

そして、その絵を見た瞬間に、自分の心が動いたことを。

あの日、あの場所で。

星野るなは、まだ知らない未来へと続く光を見つけたのだった。

その光を描いていた少年の名前は――。

桐生蒼。

後に、るなが「先輩」と呼び、隣にいるだけで安心できるようになる人。

夏の花火を一緒に見て、秋のイルミネーションを歩き、冬の光の中で未来を約束する人。

けれど、この夜の二人は、まだ何も知らない。

ただ偶然ぶつかり、謝って、散らばった紙を拾い、ひとつの絵を通して、ほんの少しだけ言葉を交わしただけ。

それだけだった。

それだけなのに。

るなの心には、あの絵の光が残っていた。

そして、その光は、これから長い時間をかけて、少しずつ大きくなっていく。

まるで、夜のイルミネーションが、一つ、また一つと灯っていくように。

最初は、気づかないほど小さな光。

やがて、振り返れば、そこからずっと続いていたとわかる光。

恋のイルミネーションは、もう始まっていた。

ただし、そのことに気づくのは、まだ少し先の話である。

 第4節「光を描く人」

あの絵は、いったい何だったのだろう。

お祭りの夜から、少し時間がたった帰り道。

星野るなは、親友たちと並んで歩きながら、何度目になるかわからない問いを心の中で繰り返していた。

夜空に咲いた花火。

木々の間に連なるイルミネーション。

その光に照らされた街並み。

そして、そこにいる人々の姿。

あの少年が描いた一枚の絵には、そんな景色が収められていた。

ただ、それだけなら、きっと珍しいものではない。

お祭りの風景を描く人はいる。

花火を描く人もいる。

きらきらと輝くイルミネーションを、絵に残そうとする人だっているだろう。

けれど、あの絵は、るなが今まで見たものとは少し違っていた。

「……なんで、あんなにきれいだったんだろう」

るなは、誰にも聞こえないくらいの声でつぶやいた。

「るな?」

「ひゃいっ!?」

突然、隣から声をかけられ、るなは肩を跳ねさせた。

振り向くと、白雪ひかりが不思議そうにこちらを見ていた。

「どうしたの? さっきから、ずっと考えごとしてるみたいだけど」

「えっ? そ、そうかな?」

「うん。さっきも、ゆずはちゃんが話しかけたのに、気づいてなかったよ?」

「ええっ!?」

るなは、慌てて反対側を振り返った。

そこには、いかにも呆れていますという顔をした橘ゆずはがいた。

「まったく……。るな、聞いてる?」

「ご、ごめん! 何のお話だったっけ?」

「帰りに何か食べていくかって話!」

「食べ物!?」

その言葉を聞いた瞬間、るなの目がぱっと輝いた。

「食べる! 食べたい! 何があるの?」

「……ほら。食べ物の話になったら、急に反応するんだから」

「だって、食べ物は大切だよ!?」

「はいはい」

ゆずはは、わざとらしく肩をすくめた。

ひかりは、くすくすと笑っている。

いつもの三人だった。

食べ物の話になれば元気いっぱいになるるな。

そんなるなに、遠慮なくツッコミを入れるゆずは。

そして、二人のやり取りを穏やかに見守るひかり。

いつもなら、るなもその会話に夢中になって、すぐに笑い声を上げていたはずだった。

けれど、今日は少しだけ違った。

食べ物の話をしている間にも、頭の片隅に、あの絵が浮かんでくる。

赤や金色の光。

夜空を彩る花火。

光を受けて笑う人々。

そして、その絵を描いていた少年。

静かな声。

少し照れたような笑顔。

自分が絵を褒めたとき、うれしそうにしていた表情。

思い出すたびに、るなの心には、小さな疑問が生まれた。

――あの人は、どうしてあんなふうに光を描けるんだろう?

その疑問は、思った以上に、るなの心から離れてくれなかった。

*

家に帰ると、るなは玄関で靴を脱ぎ、いつものように元気よく声を上げた。

「ただいまー!」

返事を聞きながら部屋へ向かい、鞄を置く。

そして、制服から部屋着に着替えると、ベッドの上へぽすんと腰を下ろした。

「ふわぁ……。楽しかったぁ」

今日のお祭りは、楽しかった。

ひかりと透が一緒にいる姿を見られたし、ゆずはともたくさん話した。

花火はきれいだったし、イルミネーションもすてきだった。

もちろん、いちご飴も最高だった。

「……いちご飴、おいしかったなぁ」

るなは、うっとりと目を細めた。

飴のパリッとした食感。

いちごの甘酸っぱさ。

口の中に広がる、あの幸せな味。

思い出しただけで、もう一度食べたくなる。

「今度は、いちご大福も食べたいな……」

そこまで考えてから、るなはふと口を閉じた。

「……じゃなくて!」

自分で自分にツッコミを入れる。

「今日は、いちご飴の話じゃないでしょ!」

そう。

今、思い出していたのは、いちご飴ではなかった。

正確に言えば、いちご飴がきっかけで出会った、あの少年のことだった。

るなは、枕を抱きしめながら、ベッドの上にごろんと横になった。

「……あの人、絵を描くのが好きなのかな」

当たり前のことを口にしてから、少しだけ笑ってしまう。

だって、あれほど真剣にスケッチブックを持っていたのだ。

好きでなければ、あんなふうには描かないだろう。

でも、るなが知りたいのは、そういうことだけではなかった。

どうして、あの景色を描こうと思ったのだろう。

どうして、あんなに細かく、人々の表情まで描いていたのだろう。

どうして、ただの光を、あんなにも温かいものに見せられるのだろう。

「うーん……」

るなは枕に頬を押しつけた。

「わかんない……」

もちろん、本人に聞けばいい。

また会うことができたなら。

そうすれば、いろいろと教えてもらえるかもしれない。

けれど、そこで問題がひとつあった。

「……名前、聞いてない」

るなは、ぱちりと目を開いた。

そうなのだ。

あれだけ話をしたのに、名前を知らない。

自分の名前も伝えていない。

学校も、学年も、何もわからない。

わかっているのは、絵を描いていたこと。

光を描くのが好きらしいこと。

それから、ぶつかった自分を責めずに、優しく声をかけてくれたこと。

「……私、何やってるんだろ」

思わず、苦笑いがこぼれた。

初めて会った人に、名前も聞かずに別れてしまうなんて。

しかも、もう一度会いたいと思っているのに。

でも、あのときは、ひかりたちのところへ戻ることで頭がいっぱいだった。

何より、初対面の人に、いきなり名前を聞くのも少し勇気がいる。

あのとき、もう少し落ち着いていたら。

もう少し、ちゃんと話せていたら。

そんな考えが、次々と浮かんでくる。

けれど、どれだけ考えても、時間は戻らない。

「……また会えたら、聞いてみよう」

るなは、小さくつぶやいた。

その言葉を口にすると、胸の奥が少しだけ軽くなった。

次に会える保証はない。

でも、もし会えたら。

今度は、ちゃんと名前を聞こう。

そして、あの絵のことも、もっと聞いてみよう。

そう思った。

それから、るなは枕を抱え直した。

「……あの絵、もう一回見たいな」

その願いは、思っていたよりもずっと強く、心の中に残っていた。

*

翌朝。

るなは、いつもより少し早く目を覚ました。

カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいる。

窓の外には、いつもの街並み。

通りを歩く人。

遠くに見える建物。

朝日に照らされた屋根。

何も変わらない、いつもの風景だった。

「……あれ?」

るなは、ベッドから起き上がり、窓のそばへ歩いていった。

そして、しばらく外を眺めた。

いつも見ている景色なのに、なんとなく、昨日とは違う目で見ている気がした。

建物の窓に反射する光。

道を歩く人の影。

朝日を受けて、少しだけ明るく見える街路樹。

それらを見ているうちに、ふと、あの絵が頭に浮かんだ。

光そのものだけでなく、その光が照らしているものまで描かれていた絵。

「……そっか」

るなは、小さくつぶやいた。

「光って、光だけじゃないんだ」

少年は話していた。

明るいところを白く残すだけでは、光らしく見えないこともある。

周りの暗さや、光が当たっているものの色も大事なのだと。

その言葉を思い出す。

確かに、光は、それだけで存在しているわけではない。

何かを照らすから、そこに光があるとわかる。

街を照らす。

人を照らす。

木々を照らす。

そして、照らされたものは、光を受けて少しずつ違う表情を見せる。

そう考えると、あの絵が、また少し違って見える気がした。

「……あの人、すごいなぁ」

るなは、思わず笑みをこぼした。

ただ絵を描くのが上手なだけではない。

きっと、普段から、いろいろなものを見ているのだろう。

人の表情も。

景色の変化も。

光の色も。

誰かが気づかずに通り過ぎてしまうようなものまで、ちゃんと見つけているのかもしれない。

るなは、もう一度、窓の外を見た。

通りの向こうで、小さな子どもが母親と手をつないで歩いていた。

朝日に照らされた二人の影が、歩調に合わせて揺れている。

母親が何かを話すと、子どもが顔を上げて笑った。

その表情は、ほんの一瞬だった。

けれど、るなは、なぜだかその光景から目を離せなかった。

「……あ」

小さく声が漏れた。

もしかしたら。

あの少年なら、今の光景も、絵に描くのだろうか。

朝の光の中で笑う子ども。

手をつなぐ母親。

何気ない街の一場面。

そんなものも、あの人の目には、特別な景色として映るのだろうか。

「……見てみたいな」

そう思った瞬間、るなは自分の頬を両手で押さえた。

「って、私、どれだけ気になってるの!?」

ひとりでツッコミを入れる。

けれど、口元には笑みが浮かんでいた。

気になっている。

それは、間違いなかった。

ただし、何が気になるのかは、まだはっきりしない。

絵がきれいだったから。

描いている姿が印象的だったから。

自分の知らないものの見方を、教えてもらったから。

きっと、その全部だ。

るなは、そう考えることにした。

そして、朝の支度を始めるために、窓から離れた。

今日も学校がある。

授業があって、友達がいて、いつもどおりの一日が始まる。

昨日の出会いは、ほんの短い出来事だった。

でも、その短い時間は、るなの心に小さな変化を残していた。

世界は、昨日までと同じように見える。

それなのに、少しだけ違って見える。

そのことが、るなには不思議だった。

*

学校へ向かう道。

るなは、いつものように元気よく歩いていた。

朝の空気は少し冷たく、頬に触れる風が心地よい。

道沿いの木々は、朝日を受けて淡い色に輝いていた。

「るなー! おはよう!」

後ろから声がして、るなは振り返った。

ひかりが、小走りで近づいてくる。

「おはよう、ひかり!」

「今日は早いね」

「うん! なんか、目が覚めちゃって!」

「そうなんだ。よく眠れた?」

「うん! ……たぶん!」

「たぶん?」

ひかりが首を傾げる。

るなは、しまった、という顔をした。

昨日は、あの絵のことを考えているうちに、寝るのが少し遅くなってしまったのだ。

「えっと……ちょっとだけ、考えごとしてたから」

「考えごと?」

「うん」

るなは、少し迷ってから、素直に答えた。

「あの絵のこと」

ひかりは、すぐに思い出したようだった。

「ああ! お祭りで見たっていう、イルミネーションの絵?」

「そう、それ!」

「そんなに気に入ったんだね」

「うん……」

るなは、少しだけ声を落とした。

「なんていうのかな。すごくきれいだったんだけど、それだけじゃなくて……」

「それだけじゃなくて?」

「うまく言えないんだけど、見ていると、なんだか温かい気持ちになったの」

ひかりは、黙って耳を傾けていた。

「光がきれいなのはもちろんなんだけど、その光に照らされている街とか、人の表情とか……。そういうところまで描かれていて」

るなは、昨日見た絵を思い浮かべながら、言葉を探した。

「花火って、空に上がった瞬間が一番きれいだと思ってたの。でも、あの絵を見たら、花火を見ている人たちも、すごく大切な景色なんだなって思ったんだ」

ひかりは、少し驚いたように目を見開いた。

それから、ふわりと笑った。

「……すてきだね」

「うん!」

るなは、うれしそうにうなずいた。

「そうなの! すてきだったの!」

思い出すだけで、胸が弾む。

あの絵を、もう一度見たい。

そして、できることなら、描いた人に聞いてみたい。

どんなことを考えて、あの景色を描いたのか。

何を見て、何を感じて、あんなふうに光を描いたのか。

「……ねえ、ひかり」

「なあに?」

「もし、またあの人に会えたら、絵のことをいろいろ聞いてみてもいいと思う?」

ひかりは、きょとんとした。

それから、すぐに笑顔になった。

「もちろんだよ!」

「ほんと?」

「うん。るながそんなに興味を持ったんだもん。きっと、聞いてみたら楽しいと思うよ」

「……そっか!」

るなの表情が、ぱっと明るくなった。

ひかりの言葉は、いつも優しい。

無理に何かを決めつけることもなく、るなの気持ちをそのまま受け止めてくれる。

だから、るなはひかりと話していると、自分の気持ちを素直に言葉にできるのだった。

「ありがとう、ひかり!」

「ふふっ。どういたしまして」

二人は並んで歩き始めた。

そのとき、ひかりが、ふと思い出したように尋ねた。

「そういえば、るな。その人の名前は聞いたの?」

「…………」

るなの足が止まった。

ひかりも立ち止まる。

「るな?」

「……聞いてない」

「えっ?」

「名前……聞いてない……」

るなは、がっくりと肩を落とした。

ひかりは一瞬きょとんとしたあと、困ったように笑った。

「そっか……。それは、ちょっと残念だったね」

「ううう……。私、何やってるんだろ……」

「でも、また会えるかもしれないよ?」

「……うん」

るなは顔を上げた。

そうだ。

まだ、終わったわけではない。

昨日の出会いは、偶然だった。

次に会えるかどうかなんて、わからない。

それでも、また会えたらいいと思っている。

それなら、今度は名前を聞けばいい。

絵のことも聞けばいい。

昨日はできなかったことを、今度は少しずつ、やってみればいいのだ。

「……よし!」

るなは、小さく拳を握った。

「次に会えたら、絶対に名前を聞く!」

「うん!」

「それから、絵のことも聞く!」

「うんうん」

「あと、どうしてあんなに光をきれいに描けるのかも聞く!」

「ふふっ。聞きたいことがいっぱいだね」

「だって、気になるんだもん!」

るなは、胸を張って答えた。

その声には、いつもの明るさが戻っていた。

ひかりは、そんな親友の姿を見て、優しく微笑んだ。

「また会えるといいね、るな」

「……うん!」

るなも笑った。

その笑顔の奥には、昨日よりも少しだけ強い願いが宿っていた。

*

放課後。

るなは、教室の窓際に立っていた。

授業が終わり、教室には帰り支度をする生徒たちの声が響いている。

窓の外には、夕方の光が広がっていた。

空は淡い橙色に染まり、校舎の壁にも、柔らかな色が映っている。

るなは、その景色を眺めていた。

特別なものではない。

毎日のように見ている、いつもの放課後の景色だ。

けれど、昨日の絵を見てから、光の見え方が少し変わった気がしていた。

夕日が当たる窓枠。

廊下を歩く生徒の影。

友達と笑い合う声。

誰かが鞄を持ち上げる仕草。

そういう何気ないものまで、少しだけ気になってしまう。

「……あの人なら、どんなふうに描くのかな」

また、口にしていた。

夕日の中で笑う友達。

放課後の教室。

窓から差し込む光。

そんな景色を、あの少年なら、どんなふうに描くのだろう。

るなは、そっと目を細めた。

もし、自分が絵を描くとしたら。

夕日の色を、どう表現するだろう。

光っているところを、明るい色で塗ればいいのだろうか。

影の部分は、暗くすればいいのだろうか。

でも、それだけでは、あの絵のようにはならない気がした。

あの絵には、光の明るさだけでは説明できない何かがあった。

人々の表情。

その場に流れる空気。

花火を見上げる人たちの、楽しそうな顔。

誰かと一緒に過ごす時間の、温かな雰囲気。

そういうものまで、絵の中に描かれているように感じた。

「……光を描くって、難しいんだなぁ」

るなは、ぽつりとつぶやいた。

もちろん、絵を描いたことがないわけではない。

授業で風景画を描いたこともあるし、ノートの隅に落書きをしたことだってある。

けれど、あの少年の絵を見てから、初めて気づいたことがあった。

景色を描くことと、景色の中にあるものを伝えることは、きっと違う。

見たものをそのまま描くだけではなく。

その景色を見たときに、自分が何を感じたのか。

そこにいる人たちが、どんな時間を過ごしているのか。

そういうことまで、絵に込められるのかもしれない。

「……すごいなぁ」

るなは、もう一度つぶやいた。

今度は、昨日よりも少しだけ、深い感動を込めて。

そして、その瞬間。

「るなー! 帰ろう!」

教室の入り口から、ゆずはの声がした。

「あっ、はーい!」

るなは、慌てて鞄を手に取った。

「ごめん、ゆずは! 今行く!」

「何してたの?」

「ちょっと、景色を見てた!」

「景色?」

「うん!」

るなは、窓の外を振り返った。

「夕日がきれいだなって思って!」

ゆずはは、少しだけ不思議そうな顔をした。

「……るなが、そんなことを言うなんて珍しいわね」

「えっ!? 私だって、きれいな景色くらい見るよ!」

「いや、見るのは食べ物の景色が多いでしょ」

「食べ物の景色って何!?」

「おいしそうな屋台とか、ケーキ屋さんのショーケースとか」

「それはそれで大切な景色です!」

「はいはい」

ゆずはは笑いながら、るなの鞄を指さした。

「ほら、帰るわよ。お腹も空いたし」

「……お腹?」

るなの目が、ぴかりと輝いた。

「何か食べて帰るの!?」

「その反応、早すぎ!」

ゆずはのツッコミが、教室に響く。

るなは、けらけらと笑った。

いつもの自分。

いつもの友達。

いつもの放課後。

それらは、昨日と何も変わっていない。

けれど、るなの中には、昨日まではなかった小さな疑問が残っていた。

光は、どうしてあんなにきれいに見えるのだろう。

人の心を動かす絵は、どうやって生まれるのだろう。

そして、あの少年は、どんな気持ちで、あの景色を描いていたのだろう。

その答えを知りたいと思った。

もっと、知りたくなった。

*

帰り道。

るなは、ゆずはと並んで歩いていた。

夕日の色は、少しずつ薄くなっている。

街の明かりが、ひとつ、またひとつと灯り始めていた。

遠くの建物の窓に、夕焼けの名残が映っている。

道路沿いの街灯が、夕暮れの中で淡く光っていた。

るなは、ふと足を止めた。

「……あ」

「今度は何?」

ゆずはが振り返る。

「見て、ゆずは!」

「え?」

「街灯!」

るなは、道の向こうにある街灯を指さした。

「夕日がなくなってきたら、街灯の光が目立ってきた!」

ゆずはは、指さされた先を見た。

「……そうね」

「さっきまでは、夕日が明るかったから、あんまり気づかなかったけど……。暗くなってくると、街灯って、こんなに明るいんだね」

ゆずはは、しばらくるなの横顔を見つめていた。

「……ねえ、るな」

「なあに?」

「やっぱり、この前の絵のことを考えてるでしょ?」

「えっ!?」

るなは、目を丸くした。

「な、なんでわかったの!?」

「だって、さっきから光の話ばっかりしてるじゃない」

「……あっ」

るなは、口を開けたまま固まった。

言われてみれば、そのとおりだった。

朝からずっと、光のことを考えている。

夕日の光。

街灯の光。

イルミネーションの光。

花火の光。

そして、あの少年の描いた光。

「……ううう」

るなは、恥ずかしそうに頬を押さえた。

「そんなにわかりやすかった?」

「すっごくね」

「うわあ……!」

ゆずはは、くすっと笑った。

「でも、いいんじゃない?」

「え?」

「それだけ心に残るものを見つけたってことでしょ」

るなは、少し驚いたようにゆずはを見た。

ゆずはは、普段なら、こういう話を長々とすることはない。

るなの食いしん坊ぶりをからかったり、勢いのある発言にツッコミを入れたりすることのほうが多い。

でも、今は違った。

「絵でも、音楽でも、何でもそうだけど。自分がいいなって思えるものに出会えるのって、悪いことじゃないと思うわよ」

「……ゆずは」

「まあ、食べ物以外で、るながそんなに夢中になるのは珍しいけどね」

「最後にそれ言う!?」

るなは、思わず吹き出した。

ゆずはも笑う。

その笑い声を聞きながら、るなは思った。

自分が心を動かされたことを、誰かに話せるのはうれしい。

ひかりも、ゆずはも、ちゃんと聞いてくれる。

そして、二人とも、もう一度会えたらいいねと言ってくれた。

そのことが、少しだけ心強かった。

「……うん」

るなは、街灯を見つめながらうなずいた。

「また会えたらいいな」

その言葉は、昨日よりも自然に口から出てきた。

あの少年に、もう一度会いたい。

そして、あの絵をもう一度見たい。

今度は、もっとゆっくり。

光のことを聞いてみたい。

絵を描くとき、何を考えているのか。

どうして、あんなふうに人の表情まで描けるのか。

どうしたら、見慣れた景色を、あんなにも特別なものにできるのか。

聞きたいことは、まだまだたくさんあった。

それから、できるなら。

あの人が描いた、ほかの絵も見てみたい。

花火だけではなく。

イルミネーションだけではなく。

朝の街も、夕暮れの景色も。

何気ない日常の風景も。

あの人の目には、どんなふうに映っているのだろう。

そんなことを考えると、るなの胸は、ふわりと弾んだ。

まだ、名前も知らない。

どこにいるのかもわからない。

次に会えるかどうかさえ、わからない。

それでも。

昨日の出会いは、るなにとって、ただの偶然では終わらなくなり始めていた。

あの一枚の絵が、るなの中に、小さな問いを残したからだ。

――あの人は、どうしてあんなふうに光を描けるんだろう?

その問いに答えてくれる人は、今はまだ、どこにもいない。

けれど、るなは思った。

いつか、また会えたら。

そのときは、きっと聞いてみよう。

そして、あの絵を見たときに感じた気持ちを、もう一度、自分の言葉で伝えよう。

「……きれいだったです、って」

小さくつぶやいて、るなは笑った。

夕暮れの街に、街灯の光がひとつ、またひとつと増えていく。

その光は、誰かに気づかれるためだけに輝いているわけではない。

帰り道を照らし、歩く人の足元を照らし、夜の街に小さな安心を与えている。

それでも、誰かがふと顔を上げたとき。

その光が、いつもより少しだけきれいに見えることがある。

誰かの描いた絵がきっかけで。

誰かの言葉がきっかけで。

自分の知らなかった見方を知ったことで。

同じ景色が、少し違って見えることがある。

るなは、まだ知らなかった。

自分がこれから、どれほどたくさんの光を見つけることになるのか。

夏の夜空に咲く花火。

秋の街を彩る紅葉。

冬の街にあふれるイルミネーション。

そして、隣にいるだけで、心が温かくなる人の笑顔。

それらの光が、いつかひとつの物語になって、自分の中に積み重なっていくことを。

今はただ、あの絵をもう一度見たい。

描いた人のことを、もっと知りたい。

その気持ちだけが、胸の奥で小さく輝いていた。

恋だと気づくには、まだ早い。

好きだと口にするには、まだ何も知らない。

けれど、心が動いたことだけは、確かだった。

それは、夜空に咲く大きな花火とは違う。

ほんの一瞬で、世界中の人の目を引くような光ではない。

ただ、夕暮れの街灯のように。

気づいたときには、そこにそっと灯っている光。

その小さな光を、るなはまだ、うまく説明できなかった。

でも、きっと。

いつか、その意味がわかる日が来る。

あの絵を描いていた少年と、もう一度出会う日が来る。

そのとき、るなは初めて知るのかもしれない。

自分が見つけた光が、どこへ続いているのかを。

そして、その光が、どれほど長い時間をかけて、自分の未来を照らしていくのかを。

夕暮れの街を歩きながら、るなはもう一度、空を見上げた。

空には、まだ少しだけ、夕焼けの色が残っていた。

「……また、会えますように」

その願いは、誰にも聞こえないほど小さな声だった。

けれど、るなの心には、はっきりと響いていた。

光を描く人。

まだ名前も知らない、その人のことを。

るなは、もう少しだけ、知りたいと思っていた。

 第5節「もう一度、見たい絵」

あの絵を、もう一度見たい。

星野るなは、ここ数日、何度も同じことを考えていた。

朝、学校へ向かう途中。

授業中、先生の話を聞いているとき。

放課後、ひかりやゆずはとおしゃべりしているとき。

そして、おいしいものを食べているときでさえ。

ふとした瞬間に、あの一枚の絵が頭に浮かんでくるのだ。

夜空に広がる花火。

街を彩るイルミネーション。

その光を受けて、楽しそうに笑う人々。

ただ明るいだけではない、温かな光。

見ているだけで、そこにいる人たちの笑い声まで聞こえてくるような、不思議な絵だった。

「……あの人、今頃どうしてるのかな」

ある日の放課後。

るなは自室の机に頬杖をつきながら、ぽつりとつぶやいた。

もちろん、答えてくれる人はいない。

そもそも、あの少年の名前さえ知らないのだ。

知っているのは、絵を描いていたこと。

光を描くのが好きらしいこと。

そして、自分がぶつかってしまったとき、怒らずに優しく接してくれたこと。

たったそれだけ。

それなのに、あの夜の出来事は、るなの心にしっかりと残っていた。

「うーん……」

るなは机に突っ伏した。

「名前、聞いておけばよかったなぁ……」

今さら後悔しても遅い。

あのときは、ひかりたちのところへ戻らなくてはという気持ちが先に立っていた。

それに、絵を見せてもらえただけでも十分うれしかったのだ。

まさか、何日もたってから、こんなに気になるとは思わなかった。

「でも、もう一度会えたら……」

るなは、顔を上げた。

「今度こそ、名前を聞く!」

小さく拳を握る。

それから、少し考えた。

「……あと、絵のことも聞く!」

さらに考える。

「それから……」

お腹が、ぐう、と鳴った。

「……おやつ!」

るなは、はっとした。

「違う違う! 今はおやつじゃないでしょ!」

自分で自分にツッコミを入れる。

けれど、次の瞬間には、机の上に置いてあったお菓子の袋に手を伸ばしていた。

「……まあ、考えごとをするにも、糖分は必要だよね!」

誰に向けたものでもない言い訳をしながら、るなはお菓子をひとつ口に入れた。

甘い。

おいしい。

幸せ。

……けれど、やっぱり。

あの絵を、もう一度見たい。

その気持ちは、お菓子を食べても消えなかった。

*

それから数日後の土曜日。

るなは、母親に頼まれた買い物をするため、商店街へ出かけていた。

空はよく晴れていて、秋の終わりを思わせる風が吹いている。

商店街には、買い物をする人々の姿があった。

八百屋の店先には、旬の野菜が並んでいる。

パン屋からは、焼きたてのパンの香りが漂ってくる。

和菓子屋のショーケースには、季節限定の栗のお菓子。

そして、通りの角には、昔ながらの小さな飴屋さん。

るなは、その前を通りかかった瞬間、ぴたりと足を止めた。

「……あっ!」

店先に並んでいたのは、色とりどりの飴だった。

透明な袋に入った小さな飴。

棒についた大きな飴。

そして、赤い果実を思わせる、いちご味の飴。

「いちご……」

るなの目が、きらりと輝いた。

あの日、夢中で食べていたいちご飴。

その味を思い出しただけで、頬が緩んでしまう。

「いちご飴、おいしかったなぁ……」

しばらく店先を眺めていたるなだったが、ふと我に返った。

「……あっ! お母さんのお買い物!」

危ない、危ない。

また食べ物に気を取られるところだった。

るなは気を引き締め、頼まれていた買い物を済ませることにした。

商店街の奥にある文具店でノートを買い、八百屋で頼まれた野菜を受け取る。

それから、帰り道にもう一度、飴屋さんの前を通った。

今度は、少しだけ立ち止まった。

「……ひとつくらい、いいよね?」

自分に尋ねる。

もちろん、誰も答えない。

「うん。お手伝いもしたし!」

るなは、ひとりで納得した。

店先の飴を眺めていると、店のおばあさんが笑顔で声をかけてくれた。

「お嬢ちゃん、何かお探しかい?」

「えっと……いちご味の飴ってありますか?」

「あるよ。こっちの袋がいちご味。こっちは、いちごミルクだね」

「いちごミルク……!」

るなは、真剣な顔で二つを見比べた。

甘酸っぱいいちご。

まろやかないちごミルク。

どちらも魅力的だ。

どちらかひとつにするなんて、なんという難問だろう。

「うーん……」

「迷っちゃうねえ」

「はい……。どっちもおいしそうで……」

おばあさんは、楽しそうに笑った。

「じゃあ、両方にするかい?」

「……えっ!」

るなの顔が輝いた。

その提案は、あまりにも魅力的だった。

しかし、すぐに財布の中身を思い出す。

今日はお母さんから頼まれた買い物をするために来たのだ。

お小遣いを使いすぎるわけにはいかない。

「……今日は、いちご味にします!」

るなは、名残惜しそうにいちごミルクの袋を見つめてから、いちご味の飴をひと袋買った。

「はい、ありがとうね」

「ありがとうございます!」

飴の袋を受け取り、るなはにっこりと笑った。

透明な袋の中には、赤やピンクの飴がいくつも入っている。

見ているだけで、うれしくなる。

そして、その瞬間。

るなの頭に、あの夜の記憶がよみがえった。

いちご飴を見つめて歩いていたこと。

前を見ていなくて、少年にぶつかってしまったこと。

散らばった紙を拾ったこと。

その中にあった、一枚の絵。

「……あ」

るなは、飴の袋を見つめた。

「そうだ……」

あのとき、自分がぶつかったせいで、彼のスケッチが散らばってしまった。

彼は怒らなかった。

それどころか、自分のことまで心配してくれた。

あんなにきれいな絵を描く人なのに。

大切なスケッチを散らかされてしまったのに。

優しくしてくれた。

「……今度会えたら、お礼を言わなくちゃ」

るなは、小さくうなずいた。

そして、もうひとつ思いついた。

「そうだ! お詫びに、いちご飴を……!」

言いかけて、はたと止まる。

いや、待って。

あの人が、いちご飴を好きかどうかはわからない。

そもそも、初対面の相手に飴を勧めるのは、ちょっと変ではないだろうか。

「……うーん」

るなは、袋を見つめながら悩んだ。

「でも、おいしいよ?」

誰に向かって説得しているのだろう。

自分でもわからなかった。

「……まあ、もし会えたら、聞いてみよう!」

そう決めて、るなは歩き出した。

まさか、その「もし会えたら」が、思っていたよりも早く訪れるとは知らずに。

*

商店街の中ほどに、小さな画材店があった。

昔からある店で、入口の横には、色鉛筆やスケッチブックの見本が飾られている。

ガラス越しに見える棚には、絵の具や筆、さまざまな大きさの紙が並んでいた。

るなは、店の前を通りかかったとき、ふと足を止めた。

「……画材屋さんだ」

絵の具や筆を買う人が、どんな気持ちでこの店に来るのか。

絵を描く人にとって、ここはどんな場所なのだろう。

そんなことを考えながら、何気なく店先を眺めていた。

そのときだった。

店の扉が開いた。

カラン、と小さなベルが鳴る。

中から出てきたのは、スケッチブックを片手に持った少年だった。

落ち着いた雰囲気。

少し長めの前髪。

スケッチブックを抱えるように持つ仕草。

そして、紙袋からのぞいている、数本の鉛筆。

るなは、その姿を見た瞬間、息を止めた。

「……えっ?」

少年が、顔を上げた。

視線が合った。

ほんの一瞬、時間が止まったように感じた。

あの夜。

花火の光の下で。

散らばった紙を拾いながら、初めて絵を見せてもらった少年。

間違いない。

「……あっ!」

るなの口から、思わず声がこぼれた。

少年も、少し驚いたように目を見開いた。

「……あれ?」

彼は、るなの顔を見て、それから手元の飴の袋へ視線を移した。

「この前のお祭りの……」

「はいっ!」

るなは、勢いよくうなずいた。

「そうです! あのときの、いちご飴の……じゃなくて!」

言いながら、顔が熱くなる。

「えっと、あのとき、ぶつかっちゃった人です!」

少年は、くすっと笑った。

「うん。覚えてるよ」

「……覚えていてくれたんですか?」

「もちろん。スケッチブックを拾うのを手伝ってくれた子でしょ?」

その言葉を聞いて、るなはぱっと笑顔になった。

「はい! そうです!」

うれしかった。

自分のことを覚えていてくれた。

ただそれだけのことなのに、胸の奥がふわりと温かくなった。

でも、るなはまだ気づいていなかった。

そのうれしさが、単に自分を覚えていてくれたことへの喜びなのか。

もう一度会いたいと思っていた人に、偶然会えたからなのか。

自分でも、まだわからなかった。

「……あの!」

るなは、背筋を伸ばした。

「この前は、本当にすみませんでした!」

ぺこりと頭を下げる。

「私、いちご飴に夢中になっていて……前を見ていなくて……」

「うん、そうだったね」

「ううっ……。やっぱり、覚えてますよね……」

るなは、恥ずかしそうに頬を押さえた。

「でも、怪我がなくてよかったよ」

「はい! 私も、あなたが大丈夫でよかったです!」

そう言ってから、るなは慌てて口元を押さえた。

まただ。

自分はまだ、彼の名前を知らない。

なのに、話をしていると、つい夢中になってしまう。

そこで、るなは手元の袋を思い出した。

「あっ! そうだ!」

勢いよく顔を上げる。

「これ、よかったらどうぞ!」

差し出したのは、買ったばかりのいちご味の飴だった。

少年は、袋を見つめた。

「……飴?」

「はい! いちご味です!」

「うん。それは見ればわかるけど……」

「この前、私がいちご飴に夢中になってぶつかっちゃったので! そのお詫びです!」

るなは、真剣な顔で説明した。

「……お詫びに、いちご飴?」

少年が、少し不思議そうに尋ねる。

「はい!」

るなは、迷いなくうなずいた。

「……あれ?」

そこで、ようやく何かに気づいたように首を傾げる。

「いちご飴じゃなくて、いちご味の飴でした……」

「そこなんだ?」

少年が、思わず笑った。

るなも、つられて笑ってしまった。

「あははっ! すみません! なんだか、いちごのことばっかりになっちゃいました!」

「ふふっ。うん、そうみたいだね」

少年の笑顔を見て、るなはほっとした。

あの夜と同じ、柔らかい笑い方だった。

自分のちょっとした失敗を、笑って受け止めてくれる。

それが、なんだかうれしかった。

「……でも、本当にいいの?」

少年が、飴の袋を見つめながら尋ねた。

「はい! もちろんです!」

「君のおやつじゃないの?」

「……えっ」

るなの笑顔が、ぴたりと止まった。

少年は、袋を見ている。

るなも、袋を見ている。

そして、二人の間に、ほんの少しの沈黙が流れた。

「……おやつです」

るなは、正直に答えた。

「やっぱり」

少年が笑った。

「ううう……」

るなは、飴の袋をぎゅっと握りしめた。

実は、少しだけ楽しみにしていたのだ。

帰り道に、ひとつ食べようと思っていた。

いちご味の飴を口に入れて、甘酸っぱさを楽しみながら帰る。

それは、今日の小さな楽しみだった。

けれど。

自分がぶつかってしまった相手に、もう一度会えた。

しかも、こうして話ができている。

そのことのほうが、今は大切な気がした。

「……いいんです!」

るなは、少しだけ名残惜しそうにしながらも、袋を差し出した。

「お詫びですから!」

「ありがとう。じゃあ、一つだけもらおうかな」

「……えっ?」

「全部もらったら、君のおやつがなくなっちゃうでしょ?」

少年は、そう言って袋から飴を一つ取り出した。

「これで十分だよ」

そして、残りの袋をるなへ返した。

るなは、目をぱちぱちさせた。

「……やさしい」

「え?」

「あっ! いえ! 何でもないです!」

慌てて首を振る。

けれど、胸の奥は、さっきよりも温かくなっていた。

自分のことを気遣ってくれた。

ただ飴を受け取るだけではなく、自分の分まで考えてくれた。

そんな小さなことが、るなにはうれしかった。

「……あの」

少年が、飴を手にしたまま尋ねた。

「君は、いちごが好きなの?」

「大好きです!」

返事は、またしても即答だった。

「いちご大福も、いちごパフェも、いちごのショートケーキも、いちごタルトも! あっ、もちろん、いちご飴も大好きです!」

るなは、指を折りながら数え始めた。

「それから、いちごミルクも! いちごアイスも! いちごのクレープも!」

「……すごいね」

少年は、少し圧倒されたように笑った。

「まだまだありますよ!」

「まだあるんだ……」

「あります!」

るなは、胸を張った。

少年は、とうとう声を立てて笑った。

その笑い声を聞いて、るなも笑った。

気がつけば、さっきまで感じていた緊張は、すっかり薄れていた。

初めて会ったときも、話しにくい人だとは思わなかった。

けれど、今日は、もう少し自然に話せている気がする。

それがうれしかった。

*

少し笑い合ったあと、るなは、ふと少年の手元に目を向けた。

スケッチブック。

紙袋からのぞく鉛筆。

そして、指先には、ほんの少し鉛筆の粉のようなものがついている。

るなの胸が、どきりとした。

そうだ。

聞きたいことがあったのだ。

「あの……!」

「うん?」

「今も、絵を描いているんですか?」

少年は、自分の手元を見た。

「うん。今日は画材を買いに来たんだ」

「画材……!」

るなの目が輝いた。

「じゃあ、やっぱり、絵を描くのが好きなんですね!」

「そうだね。描くのは好きだよ」

「……いいなぁ」

思わず、本音がこぼれた。

「いいな?」

「はい。好きなことがあって、それを一生懸命やっているのって、すてきだなって思います」

少年は、少しだけ驚いたように、るなを見つめた。

るなは、恥ずかしくなって笑った。

「あっ、もちろん、私も好きなことはいっぱいありますよ!」

「例えば?」

「食べること!」

「……うん」

「おいしいものを探すこと!」

「なるほど」

「あと、友達と遊ぶこと! おしゃべりすること! 楽しいことをいっぱいすること!」

るなは、元気よく答えた。

「……でも、絵は、そんなに詳しくないんです」

少しだけ声を落とす。

「だから、この前の絵を見たとき、びっくりしました」

少年は、黙って耳を傾けていた。

「あんなふうに、光を描けるんだって。花火だけじゃなくて、その光に照らされている街とか、人の表情まで……。絵なのに、そこにいる人たちの笑い声が聞こえてきそうで」

話しているうちに、るなの心には、あの夜の絵がよみがえってきた。

あの一枚。

紙の上に広がっていた、温かな景色。

「……私、もう一度、あの絵を見たいんです」

気がつくと、そう口にしていた。

少年は、少し目を見開いた。

「この前のスケッチ?」

「はい!」

るなは、うなずいた。

「もちろん、無理にとは言いません! ただ……本当に、きれいだったから」

言葉を探しながら、ゆっくりと続ける。

「同じ景色を見ていたはずなのに、私が見ていたものとは、少し違っていたんです。光がきれいなだけじゃなくて、その光の中にいる人たちまで、なんだか大切に描かれている気がして……」

るなは、自分でも不思議だった。

どうして、こんなに一生懸命に説明しているのだろう。

ただ、絵がきれいだった。

それだけでもよかったはずなのに。

でも、それだけでは伝えきれない気がした。

自分があの絵を見て、何を感じたのか。

どんなところに心を動かされたのか。

ちゃんと伝えたかった。

「……あの絵を描いた人が、どんなことを考えていたのか、知りたいんです」

少年は、しばらく黙っていた。

商店街の向こうから、自転車のベルが聞こえてくる。

店先では、誰かが店員と話していた。

いつもどおりの商店街。

その中で、二人は少しだけ静かに向き合っていた。

やがて、少年は、手にしていたスケッチブックを見下ろした。

「……そんなふうに見てもらえたなら、描いたかいがあったな」

「え……?」

「僕は、きれいな景色を見つけると、つい描きたくなるんだ。忘れたくないと思うこともあるし、あとで見返したときに、そのときの気持ちまで思い出せたらいいなと思うこともある」

るなは、じっと彼を見つめた。

「そのときの……気持ち?」

「うん」

少年は、穏やかにうなずいた。

「景色だけじゃなくて、そこにいた人たちのことも。楽しそうにしている人や、誰かと一緒に笑っている人。そういうものを見ていると、光がいつもと違って見えることがあるんだ」

るなは、息をのんだ。

やっぱり。

この人は、光だけを見ているわけではないのだ。

光に照らされるもの。

そこにいる人たち。

その人たちが過ごしている時間。

そういうものを、ちゃんと見つめている。

「……だから、あんなに温かい絵になるんですね」

るながつぶやくと、少年は少し照れたように笑った。

「そう見えたなら、うれしいよ」

その笑顔を見て、るなはまた思った。

この人のことを、もっと知りたい。

絵のことも。

光のことも。

そして、絵を描いているときの、この人の気持ちも。

けれど、まだ何も知らない。

名前すら知らないのだ。

「あっ……!」

るなは、突然、顔を上げた。

「そういえば、私、まだ名前を聞いていませんでした!」

少年が、少し驚いた顔をした。

「……そうだね」

「ご、ごめんなさい! こんなにお話ししているのに!」

「いや、僕も聞いていなかったから」

彼は、穏やかに笑った。

「僕は、桐生蒼。桐生が名字で、蒼が名前」

「桐生……蒼……」

るなは、その名前をゆっくりと繰り返した。

きりゅう、あおい。

音にしてみると、すっと心に入ってくる名前だった。

「……素敵な名前ですね!」

「ありがとう」

「私は、星野るなです!」

「星野さん、だね」

「はい! ……あっ、でも、るなでいいです!」

言ってから、るなは少し慌てた。

「えっと、友達には、みんな、るなって呼ばれているので……!」

「そっか。じゃあ、るなさんって呼ぼうかな」

「……はい!」

その呼び方を聞いたとき、るなは、なぜだか少しだけうれしかった。

自分の名前を、彼が口にした。

たったそれだけのことなのに。

不思議な気持ちだった。

蒼は、ふと店の時計に目を向けた。

「あ、そろそろ行かないと」

「あっ……!」

るなは、はっとした。

自分も、買い物の途中だったのだ。

それに、長く話し込んでしまった。

「ごめんなさい! 私、つい……!」

「ううん。僕も話せてよかったよ」

蒼は、スケッチブックを持ち直した。

「また、どこかで会えたらいいね」

その言葉に、るなの胸が小さく弾んだ。

また、会えたら。

この前の夜にも、似たような言葉を交わした。

そして、本当にもう一度、会うことができた。

だからだろうか。

今度は、前よりも少しだけ、その言葉を信じてみたくなった。

「……はい!」

るなは、笑顔でうなずいた。

「私も、また会いたいです!」

言ってから、はっとした。

「あっ! いえ、その……絵を、もう一度見たいので!」

慌てて言い直す。

蒼は、一瞬きょとんとしたあと、楽しそうに笑った。

「うん。絵も、また見てもらえたらうれしいよ」

「……はい!」

るなは、今度こそ、まっすぐにうなずいた。

そして、二人は別々の方向へ歩き出した。

*

商店街を歩きながら、るなは何度も振り返りそうになった。

けれど、今日は振り返らなかった。

もう一度会えた。

名前もわかった。

少しだけ、絵のことも聞けた。

それだけで、十分うれしかったからだ。

「……桐生蒼先輩、かぁ」

るなは、小さくつぶやいた。

まだ、彼が自分より年上だとは、はっきりわかっていなかった。

ただ、落ち着いた雰囲気の人だと思った。

絵を描くことが好きで、光をよく見ていて、優しくて。

そして、少しだけ、面白い人。

いちご飴のお詫びにいちご味の飴を渡したら、全部もらうのではなく、一つだけ受け取ってくれた。

そのことを思い出すと、るなは思わず笑ってしまった。

「……私、お詫びに飴を渡すって、変だったかな?」

少し考える。

「……でも、受け取ってくれたし!」

それでいいことにした。

それから、るなは手元の袋を見つめた。

中には、まだいちご味の飴が残っている。

その一つを、蒼が受け取ってくれた。

同じ袋の中に入っていた飴。

ただ、それだけのことだ。

特別な意味なんて、何もない。

それなのに、るなは、そのことを思い出すたびに、少しだけ笑顔になってしまう。

「……変なの」

自分でも、そう思った。

でも、嫌な気持ちではなかった。

むしろ、温かくて、少しだけくすぐったいような気持ちだった。

るなは、もう一度、画材店のあった方向を見た。

もう蒼の姿は見えない。

きっと、どこかへ向かったのだろう。

スケッチブックを持って。

また、新しい景色を見つけて、絵を描くのかもしれない。

そう考えると、るなは少しだけわくわくした。

この街のどこかで、蒼は今日も光を見つけているのだろうか。

夕日に照らされた建物。

風に揺れる木々。

誰かの笑顔。

何気ない日常の中にある、小さな光。

そんなものを見つけて、スケッチブックに描き残しているのだろうか。

「……また、見たいな」

るなは、そっとつぶやいた。

あの夜の絵を。

そして、できるなら、別の景色を描いた絵も。

蒼がどんなものを見て、何を感じているのか。

もっと知りたい。

もっと、話してみたい。

その気持ちは、少しずつ大きくなっていた。

でも、るなはまだ、その気持ちに名前をつけようとは思わなかった。

ただ、絵が好きだった。

あの絵が、忘れられなかった。

描いた人のことを、もっと知りたくなった。

それだけだと思っていた。

そして、その日の帰り道。

るなは、商店街の街灯が灯り始めるのを見ながら、ふと足を止めた。

夕暮れの光が、建物の窓に淡く反射している。

その下を、買い物袋を持った人たちが歩いていく。

子どもが笑い、母親がその手を引く。

自転車が通り過ぎ、店先から明るい声が聞こえる。

いつもの街。

いつもの景色。

でも、今のるなには、少しだけ違って見えた。

光に照らされている街。

その街を歩く人々。

その一つひとつが、誰かの絵になるのかもしれない。

誰かにとっては、何でもない景色でも。

誰かにとっては、忘れたくない大切な景色になるのかもしれない。

「……蒼先輩は、こんな景色も描くのかな」

るなは、自然にそう口にしていた。

そして、少しだけ笑った。

「……また、絵を見せてもらえたらいいな」

その願いは、今度はもう少しはっきりしていた。

ただ偶然、会えたらいいというだけではない。

もう一度、蒼の描いた絵を見たい。

彼が見つめている世界を、もう少し知りたい。

そして、できることなら、その世界を、彼の言葉で聞いてみたい。

るなは、まだ知らなかった。

この小さな願いが、やがて自分にとって、かけがえのないものになっていくことを。

このときはまだ、蒼は、偶然出会った絵の上手な少年だった。

名前を知ったばかりで、少し言葉を交わしただけの人。

次にいつ会えるのかもわからない。

それでも、るなの心には、確かなものが残っていた。

あの夜に見た、一枚の絵。

そして、その絵を描いた人の、優しい笑顔。

花火のように一瞬で消えてしまう光ではない。

街灯のように、いつも同じ場所で灯っている光とも違う。

気づかないうちに、心の奥に残っている光。

その光は、まだ小さかった。

恋と呼ぶには、まだ早すぎた。

けれど、いつか振り返ったとき。

るなはきっと思い出すだろう。

あの夜、いちご飴に夢中になって、前を見ずに歩いていたこと。

散らばった紙の中に、あの絵を見つけたこと。

そして、商店街の小さな画材店の前で、もう一度、蒼に出会えたこと。

あの日々の始まりは、特別な約束でも、劇的な告白でもなかった。

ただ、絵がきれいだった。

もう一度見たいと思った。

それだけだった。

でも、そんな小さな気持ちが、いつか大きな物語につながることもある。

るなは、まだそのことを知らない。

だから今は、ただ、願うだけ。

「……また、会えますように」

夕暮れの商店街に、小さな声が溶けていく。

るなは、いちご味の飴の袋を大切そうに持ち直し、帰り道を歩き始めた。

その頬には、いつもより少しだけ、柔らかな笑みが浮かんでいた。

そして、心の片隅には、あの絵が残っていた。

光を描く人。

桐生蒼。

まだ「先輩」と呼ぶには、少し遠い存在。

けれど、その距離は、ほんの少しだけ縮まっていた。

次に会えたら、どんな話をしよう。

どんな絵を見せてもらえるだろう。

今度は、ちゃんと前を見て歩こう。

……でも、もしまた、絵に夢中になってしまったら?

「……いやいや! 今度はぶつからないから!」

るなは、自分に言い聞かせるように宣言した。

その直後。

飴の袋が、かさりと音を立てた。

るなは袋を見つめ、にっこりと笑った。

「……帰ったら、ひとつ食べようっと!」

やっぱり、いちごは大切だ。

そして、あの絵も。

まだ自分でも気づかない、小さな心の変化を抱えながら。

るなは、いつもの帰り道を歩いていった。

その先に、どんな光が待っているのかも知らずに。

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