オリジナル小説 ミステリー・ホラー

赤い糸電話 ―七番目の同級生―第三章

備考:赤い糸電話シリーズ案

 案①『赤い糸電話 ―午前零時の留守番電話―』

舞台:現代のマンション/都市伝説

主人公は、事故物件を調査する28歳の女性ライター。

深夜0時、取り壊し予定のマンションの一室で、赤い糸でつながれた二つの紙コップを発見する。耳を当てると、まだ起きていない失踪事件について、誰かが話している。

調べるほど、過去の住人たちが残した証言が食い違い、ある住人は「その部屋には最初から誰も住んでいなかった」と主張する。

謎の中心: 誰が電話をかけているのか。なぜ未来の事件を知っているのか。

恐怖:音・記録・証言の矛盾。第1部とは違う、都市型の心理ホラー。

 

案②『赤い糸電話 ―終電の向こう側―』

舞台:廃線寸前のローカル線/駅の怪談

主人公は、地方鉄道の廃線記録を撮影する26歳の男性カメラマン。

最終列車が通過した後、無人駅の待合室で赤い糸電話が鳴る。紙コップの向こうから聞こえるのは、何十年も前にその駅で起きた事故の目撃証言だった。

ところが、証言の内容は毎晩少しずつ変化する。最後には、主人公自身の名前が呼ばれる。

謎の中心: 鉄道事故は本当に事故だったのか。証言者はなぜ真実を語れないのか。

恐怖:夜の駅、消えた乗客、時刻表に存在しない列車。映像的な演出に向く物語。

 

案③『赤い糸電話 ―七番目の同級生―』・・・第2部に採用

舞台:廃校になった小学校/記憶と失踪の謎

主人公は、母校の取り壊しを記録する29歳の女性教師。

古い教室の机から、赤い糸電話と一冊の出席簿が見つかる。そこには六人の児童の名前しかない。ところが、糸電話の向こうからは、毎晩必ず七人目の児童が返事をする。

卒業アルバムにも、集合写真にも、七人目の姿はない。それなのに、元同級生たちは全員、その子と遊んだ記憶を持っていた。

謎の中心: 七人目は誰なのか。なぜ全員の記憶から、その子の存在だけが消されているのか。

恐怖:記憶の食い違い、消えた名前、隠された過去。ミステリーを強く打ち出せる案。

 

赤い糸電話 ―七番目の同級生―

シリーズ第2部|心理ホラー × 本格ミステリー × 人間ドラマ

1. 作品の基本設定

項目 企画内容
仮タイトル 『赤い糸電話 ―七番目の同級生―』
ジャンル 心理ホラー・本格ミステリー・人間ドラマ
舞台 山あいの地方都市にある、閉校予定の小学校
時代 現代
主人公 29歳の女性・学校資料の整理を請け負う記録調査員
主要人物 6〜8人
事件の核 存在しないはずの「七人目の児童」
物語のテーマ 記憶と記録、罪と沈黙、誰かの存在を認めること

第1部の「間戸」や高瀬美咲たちの物語を知らなくても、まったく問題なく読める構成にします。

共通するのは、赤い糸電話が、人の記憶や言葉に関わる不可解な現象を引き起こすという部分だけ。第2部では第1部の登場人物を出さず、独立した事件として完結させます。

2. 主人公と主要登場人物

① 水瀬 紗季(みなせ さき)

29歳・主人公

学校や自治体の古い資料を整理・保存する記録調査員。冷静で観察力があり、怪談を信じていない。証言よりも記録、記憶よりも物証を重視する。

閉校予定の小学校から古い資料の整理を依頼され、奇妙な出席簿と赤い糸電話を発見する。

人物の秘密: 幼少期にこの町を離れており、学校にまつわる記憶の一部が曖昧。本人は七人目の児童を知らないと思っているが、ある歌だけは理由もなく口ずさめる。

② 黒田 佳代(くろだ かよ)

63歳・元担任教師

問題のクラスを受け持っていた元教師。七人目の話を聞くと、必要以上に強く否定する。

「そんな子はいませんでした」と断言する一方、古い教室の場所や机の配置について、記録と一致しない説明をする。

③ 三上 亮(みかみ りょう)

31歳・元児童

かつて問題のクラスにいた男性。現在は地元で働いている。

「七人目なんて知らない」と話すが、酒に酔うと「ごめん、あの日は……」と繰り返す。事件の重要な目撃者であり、罪悪感から記憶を避けている。

④ 小野寺 真琴(おのでら まこと)

30歳・地方紙記者

閉校の記事を書くために学校を訪れる。卒業アルバムに不自然な修正跡があることを知っている。

紗季の協力者だが、最初は記事になる真相を優先し、情報をすべて共有しない。

⑤ 佐伯 修造(さえき しゅうぞう)

72歳・元用務員

校舎の構造と、閉鎖された旧校舎のことを知る人物。記録にない通路や、壁の中に残された物品の存在をほのめかす。

事件の真相をすべて知っているように見えるが、彼自身も一つだけ説明できない音を聞いている。

⑥ 白石 奈津子(しらいし なつこ)

54歳・現校長

閉校作業を急ぎ、古い資料の調査を打ち切ろうとする。学校の評判を守ることが最優先に見える。

ただし、単純な悪人ではない。過去の大人たちが残した嘘を引き継ぎ、真実を公表することで新たな傷を生むことも恐れている。

⑦ 七瀬 小夜(ななせ さよ)

事件の中心にいる「七人目」

20年前、問題のクラスにいたとされる少女。出席簿にも卒業アルバムにも名前がない。

紗季が赤い糸電話を耳に当てると、少女は必ずこう尋ねる。

「ねえ、わたしの席……まだある?」

彼女は本当に亡くなった少女なのか。それとも、誰かが作り上げた記憶なのか。

3. 事件の全体像と真相

ここが第2部の最重要部分です。謎を深くするために、超常現象と人間が隠した真実を二層に分ける構成にします。

表向きの事件

閉校準備中の旧・月影小学校で、紗季は古い出席簿を発見する。

ある学級の机は六人分しか記録されていない。ところが、机の裏には七人分の名前が鉛筆で刻まれている。

そのうち六人は確認できる名前だが、七つ目だけが削り取られている。

さらに、卒業アルバムの集合写真には、六人の子どもの間に、誰か一人分の不自然な空白がある。写真の端には、赤い糸が写り込んでいた。

そして夜、閉鎖された教室から電話の音がする。

人間の手で隠された真相

20年前、六年生のクラスには、本当に七瀬小夜という少女がいた。

小夜は家庭の事情から周囲との関わりが少なく、同級生たちと赤い糸電話で遊ぶようになった。しかし、ある雨の日、放課後の旧校舎で事故が起きる。

小夜は、立ち入り禁止になっていた旧校舎の奥で重傷を負い、その後亡くなった。

事故には、老朽化した設備を放置した学校側の責任と、子どもたちが危険な場所へ入った経緯が関係していた。

当時の学校関係者は、責任問題や学校の存続への影響を恐れ、記録の一部を改変した。小夜の存在を知る大人たちは、児童たちにも「そんな子はいなかった」と言い続けた。

ただし、全員が同じ理由で沈黙したわけではない。

  • 担任は、自分が危険を防げなかったことを隠したかった。

  • 児童の一人は、事故の直前に小夜を一人で行かせたことを悔やんでいた。

  • 用務員は、事故の危険を以前から知っていたが、修理を強く求めなかったことを後悔していた。

  • 学校側は、記録を訂正すれば責任を問われることを恐れた。

それぞれの小さな嘘が積み重なり、少女は記録の上から消されていった。

では、赤い糸電話の怪異とは?

ここが、本格ミステリーと心理ホラーをつなぐ部分です。

赤い糸電話は、かつて小夜と六人の児童が遊んでいた手作りの道具でした。事故のあと、誰かが片方の紙コップを旧校舎に残したまま、もう片方を隠しました。

現在、紗季がその紙コップを耳に当てると、過去の会話としか思えない声が聞こえます。ところが、録音しても声が残る場合と、雑音しか残らない場合がある。

声の中には、当時の人間なら知っているはずの情報だけでなく、誰も説明できない言葉も混ざっています。

人間の嘘は証拠によって暴ける。しかし、紙コップの向こうから聞こえる声が本当に小夜なのかは、最後まで断定しきれない。

この余韻を残すことで、読者に「すべては人間の仕業だった」とも「すべては怪異だった」とも言い切れない恐怖を届けます。

4. 謎を解くための手がかり

本格ミステリーとして成立させるため、終盤で突然真相を説明するのではなく、序盤からフェアな手がかりを配置します。

手がかり 初めて見たとき 真相判明後の意味
机の裏の七つ目の名前 子どものいたずら 小夜が実在した物証
集合写真の不自然な空白 写真の劣化 人為的な修正の痕跡
元担任の記憶違い 高齢による曖昧さ 隠したい出来事への反応
旧校舎の鍵の記録 管理上の不備 事故当日の出入りを示す証拠
六人の元児童が覚える同じ歌 共通の思い出 小夜と共有した記憶の残存
七人目の席だけに残る赤い糸 怪異の兆候 小夜の存在と最後の会話を結ぶ象徴
紙コップの声と証言の食い違い 超常現象の不気味さ 人間の記憶と記録の不確かさ

大切なのは、読者が真相を知ったあとに、序盤の場面を読み返したくなることです。手がかりはすべて、物語の中で意味を持つようにします。

5. 章構成案

第1部と同じく、各章5節構成を基本にします。全6章・全30節とし、各節は3,000字以上を目標に、謎・人物・恐怖・感情のいずれかを必ず進展させます。

第1章「七人目の席」

目的:怪異の発見と最初の謎

  1. 閉校前の記録整理

  2. 六人しかいない出席簿

  3. 机の裏の七つ目の名前

  4. 夜の教室から聞こえる声

  5. 「わたしの席、まだある?」

章末の引き: 紗季が翌朝教室へ行くと、昨日までなかった七つ目の机が置かれている。

第2章「存在しない同級生」

目的:証言の矛盾と調査の拡大

  1. 元児童・三上亮

  2. 消された集合写真

  3. 元担任の拒絶

  4. 六人が口ずさむ同じ歌

  5. 出席簿にない名前

章末の引き: 六人の元児童全員が、小夜と遊んだ記憶を持ちながら、その顔だけを思い出せない。

第3章「赤い糸の証言」

目的:本格ミステリーの推理を深める

  1. 紙コップの録音

  2. 旧校舎の鍵

  3. 用務員が隠した記録

  4. 事故当日の雨

  5. 七人目が残した言葉

章末の引き: 紗季は、事故当日の校舎にいた人物の証言が、時刻の点で成立しないことに気づく。

第4章「雨の日の空白」

目的:事件の再構成と主人公の揺らぎ

  1. 閉ざされた旧校舎

  2. 誰も語らなかった事故

  3. 六人の記憶が戻る

  4. 元担任の告白

  5. 事故のあとに消えた記録

章末の引き: 小夜の死を隠したのは一人ではなく、複数の大人の沈黙だったと判明する。

第5章「七瀬小夜」

目的:真相の解明と怪異の核心

  1. 本当の名前

  2. 七人目の証言

  3. 事故を招いた嘘

  4. 最後の糸電話

  5. 「わたしを、いたことにして」

章末の引き: 紗季は小夜の存在を示す記録を復元する。しかし、紙コップから聞こえた最後の言葉だけは、誰も知らないはずの内容だった。

最終章「七人目の卒業」

目的:事件の決着と感情の余韻

  1. 公表される記録

  2. 六人が語る記憶

  3. 誰もいない教室

  4. 最後の紙コップ

  5. 赤い糸電話

最終場面: 閉校式のあと、紗季は空になった教室に一度だけ戻る。七つ目の席はもうない。それでも、紙コップの向こうから小さな声が聞こえる。「……みんな、卒業できた?」

6. 第2部の結末

第2部では、事件の真相を明らかにしたうえで、感情面の決着もつけます。

紗季は、隠されていた資料と関係者の証言を整理し、小夜が実在したことを公的な記録に残します。

元担任や元児童たちは、長年避けてきた事実を語り始めます。全員が同じように許されるわけではありません。責任を取るべき人は責任を負い、失われた命は戻らない。それでも、少女の存在を否定し続ける必要はなくなります。

最後に、紗季は赤い糸電話を旧校舎に残すか、記録資料として保管するかを選びます。

彼女が紙コップを耳に当てると、小夜の声が聞こえます。

「わたし、ここにいたんだよね?」

紗季は答えます。

「うん。ちゃんと、ここにいたよ」

その瞬間、糸電話は静かになります。

ところが、数か月後。別の町の古い学校から、紗季宛てに資料が届きます。

箱の中には、赤い糸でつながれた二つの紙コップ。

そして、差出人の名前がない手紙が一枚。

『今度は、わたしの話を聞いて』

――ここで第2部は完結。第3部につながる余韻を残します。

7. 執筆時に守りたいルール

このシリーズを長く続けるなら、次の5点を共通ルールにすると強いです。

  1. 主人公は毎回変える。 年齢、職業、性格、抱える問題も変え、異なる視点から怪異を描く。

  2. 赤い糸電話は便利な謎解き装置にしない。 いつ、誰の声が聞こえるかは限定し、都合よく真相を教えてくれないようにする。

  3. 人間の謎と超常の謎を分ける。 犯人や記録改ざんは証拠で解き、怪異の正体には解釈の余地を残す。

  4. 恐怖の奥に人間の感情を置く。 罪悪感、孤独、後悔、見捨てられる恐怖などを事件と結びつける。

  5. 各部で物語を完結させる。 続編を読まなくても満足できる結末にし、共通アイテムだけでシリーズをつなぐ。

最終

この第2部は、タイトルを『赤い糸電話 ―七番目の同級生―』とし、「存在した人間が、記録から消される恐怖」を中心に据えるのが最も効果的だと思います。

第1部が「忘れられた少女を救う物語」なら、第2部は「忘れたことにされた少女の存在を証明する物語」です。

ただし、執筆に入る前に一つだけ大切な点があります。現状の企画では「小夜の死を大人たちが隠した」という部分を真相として置いていますが、実際の長編では、記録改ざんの方法や事故当日の行動を具体的に組み立て、矛盾がないようにする必要があります。

 

 

 『赤い糸電話 ―七番目の同級生―』第3章「赤い糸の証言」

第1節 紙コップの録音

――わたしだよ。

自分と同じ声が、背後から答えた。

水瀬紗季は、振り返れなかった。

校長室の机には、開いたままの出席簿が置かれている。七つ目の欄には、自分の名前が浮かび上がっていた。

水瀬紗季。

その文字の下には、さらに小さな文字が続いていた。

――八番目は、だれ?

背後から聞こえた声は、紗季自身の声と寸分違わなかった。

息の混じり方も、語尾の癖も、言葉を発する直前のわずかな間も。

自分が自分に返事をした。

そうとしか思えない声だった。

「……誰なの」

紗季は、ようやく振り返った。

そこには、誰もいなかった。

校長室の扉は閉じている。窓も閉じている。机の下にも、書棚の陰にも、人が隠れられる場所はない。

ただ、机の端に白い紙コップが置かれていた。

赤い糸が結ばれた紙コップ。

紗季が最初にこの学校で見つけたものと、よく似ていた。

側面には、見覚えのある文字が書かれている。

――さきちゃん。

紗季は、近づかなかった。

声をかけることも、耳を当てることもしなかった。

今、自分が聞いたものが何だったのか。それを確かめるには、恐怖に任せて行動するべきではない。

紗季はスマートフォンを取り出し、まず出席簿のページを撮影した。

画面には、自分の名前が写っている。

次に、紙コップを撮影した。

赤い糸の結び目。側面の文字。紙の折れ目。底の汚れ。

目に見えるものを、ひとつずつ記録していく。

それから、校長室を出て、職員室にいた白石奈津子を呼んだ。

*

「録音、ですか?」

事情を聞いた奈津子は、紗季の顔と机の上の紙コップを交互に見た。

「はい。これまで、紙コップから声が聞こえることは何度もありました。でも、聞こえたという証言だけでは、ほかの人に説明することができません」

「実際に声が録音できるのでしょうか」

「分かりません。だから、試してみたいんです」

紗季は、紙コップに触れないまま答えた。

「ただし、最初から怪異の声だと決めつけるつもりはありません。何かの音が偶然、人の声に聞こえている可能性もあります。録音できたとしても、それだけで声の正体が分かるわけではありませんから」

奈津子は不安そうに紙コップを見た。

「……私も立ち会ったほうがいいですか?」

「できればお願いします。私ひとりのときだけ起きた現象なのか、ほかの人がいるときにも起きるのか。それも確認したいんです」

「分かりました」

奈津子は頷いた。

紗季は、職員室から小型の録音機を借りた。閉校準備で会議の記録に使っていたもので、音声ファイルを保存し、再生できる機種だった。

録音機の時計表示を確認し、スマートフォンの時刻とも照合する。

録音機の時刻は、スマートフォンより二分ほど遅れていた。

「機器の時計がずれていますね」

「そうなんですか?」

「はい。あとで時刻を比較するときに混乱しないよう、最初に記録しておきます」

紗季は手帳に、機器ごとの時刻と差を記した。

2004年5月27日の出来事を調べるうえで、時刻は重要な手掛かりになる。

誰が、どこにいて、いつ何をしたのか。

証言を照合するには、時計が示す時間と、実際に起きた出来事の順番を区別しなければならない。

今回の録音でも、同じことを意識する必要があった。

紗季は録音機を机に置き、奈津子にも位置を確認してもらった。

「これから、紙コップに向かって話しかけます。声が聞こえたら、私と先生、それぞれが何を聞いたのかを別々に記録します。録音を聞くのも、そのあとです」

「分かりました」

「それから、聞こえなかった場合も、そのまま記録します」

奈津子は小さく頷いた。

紗季は録音ボタンを押した。

「録音を開始します。月影小学校、校長室。立会人、白石奈津子。録音者、水瀬紗季」

時刻を告げ、録音機が動いていることを確認する。

それから、紙コップに向き直った。

「もしもし」

何も起こらなかった。

「聞こえていますか?」

沈黙。

窓の外で、風が木の葉を揺らした。

奈津子が息を呑む音が、録音機に入った。

紗季は質問を変えた。

「あなたの名前を教えてください」

紙コップは動かなかった。

赤い糸も、床の上に静かに伸びているだけだった。

さらに三十秒待った。

声は聞こえない。

紗季は録音を止めた。

「……何も起きませんでしたね」

「ええ」

奈津子は、ほっとしたような、それでいて落胆したような顔をした。

「でも、これでひとつ確認できました」

「何がですか?」

「少なくとも、今の条件では、声は聞こえなかったということです」

紗季は録音機を再生した。

自分の声。

奈津子の息遣い。

外の風の音。

それ以外に、明らかな異常はなかった。

「録音には、声は入っていません」

「ということは、あの声は……」

「まだ分かりません。録音できない声だった可能性もありますし、先ほどまでの現象が起きなかっただけかもしれません。あるいは、私たちが声だと思ったものに、別の原因があるのかもしれません」

紗季は、録音機の停止ボタンを押した。

「一度で結論は出せません」

そのときだった。

机の下から、かすかな音がした。

紙を引きずるような音。

紗季と奈津子は、同時に足元を見た。

赤い糸が、ゆっくりと動いていた。

糸の先は、机の脚に結びついている。

その結び目が、誰かに引かれているかのように、少しずつ締まっていった。

紙コップが床を滑った。

紗季は、すぐに録音機を確認した。

録音は停止したままだった。

声が聞こえる前に、録音を再開しなければ。

そう考え、ボタンに手を伸ばした瞬間。

「……もしもし?」

紙コップの内側から、幼い声が聞こえた。

紗季の手が止まった。

「聞こえる?」

今度は、はっきりと聞こえた。

奈津子が椅子から立ち上がった。

「水瀬さん……今の、聞こえましたよね?」

「はい」

紗季は録音機を見つめた。

録音は止まっている。

今の声は、記録されていない。

「誰なの?」

紗季が尋ねた。

紙コップの内側で、何かが小さく擦れた。

「……わたし」

「あなたの名前は?」

「わからない」

声は、ためらうように答えた。

「小夜さんですか?」

沈黙。

「水野あきさんですか?」

長い沈黙のあと、声が答えた。

「……その名前、だれの?」

紗季は、息を止めた。

昨日、電話越しに聞いたのと同じ問いだった。

紙コップの声は、紗季が名前を知っていることを、不思議に思っているようだった。

「あなたは、小夜さんと遊んだことがありますか?」

「うん」

「あなたが小夜さんなんですか?」

「ちがうよ」

「では、あきさん?」

声は答えなかった。

代わりに、紙コップが床を滑った。

赤い糸がぴんと張る。

「……さよちゃんは?」

幼い声が尋ねた。

「さよちゃんは、どこ?」

奈津子が口元を押さえた。

紗季は、紙コップを見つめたまま、録音機のボタンを押した。

今度こそ、声を残す。

そう思った。

しかし、録音機は動かなかった。

電源は入っている。

画面も点灯している。

それなのに、録音ボタンを押しても、録音開始の表示に切り替わらなかった。

紗季は何度か操作を試した。

反応がない。

その間も、声は続いていた。

「みんな、わたしとあそんだのに」

幼い声が、ぽつりと言った。

「どうして、わたしの顔をおぼえてないの?」

紗季は、紙コップに近づいた。

「あなたは、六人と遊んだ子なの?」

「うん」

「六年一組にいたの?」

「……わからない」

「2004年5月27日、何があったの?」

声が途切れた。

校長室の空気が、急に冷たくなったように感じた。

しばらくして、紙コップの内側から、かすかな声が聞こえた。

「雨が……」

「雨?」

「雨が、ふってた」

紗季は、思わず奈津子を見た。

2004年5月27日。

その日の天候は、まだ調べていない。

雨が降っていたというのは、確かな事実なのか。

それとも、声が作り出した記憶なのか。

紗季は、すぐに質問を続けた。

「何時頃ですか?」

「……わからない」

「どこにいたんですか?」

「……おへや」

「旧校舎の部屋ですか?」

声は答えなかった。

代わりに、紙コップの底から、かすかな音が聞こえた。

こつ。

こつ。

まるで、誰かが内側から紙を叩いているようだった。

「せんせい、あけて」

声が言った。

「せんせい、ここ、くらいよ」

紗季の胸が強く締めつけられた。

黒田佳代が語った、あの日の記憶。

六人が教室を出たあと、ひとりの子どもが戻ってきたという証言。

そして、子どもが残した「席をあけておいてね」という言葉。

それらが、頭の中でつながりかけた。

「誰に、開けてほしいの?」

紗季は尋ねた。

紙コップの向こうで、幼い声が震えた。

「……せんせい」

「黒田先生?」

「……せんせい」

「先生は、あなたを助けに来たの?」

沈黙。

それから、声が小さく答えた。

「こなかった」

奈津子が、かすかに息を呑んだ。

「先生は、来なかったの?」

「……うん」

「どうして?」

「……わからない」

その答えを最後に、声は消えた。

紙コップは動かなくなった。

赤い糸も、床の上で静かに横たわっている。

紗季は、しばらく何も言えなかった。

今の声は、録音できていない。

聞いたのは紗季と奈津子の二人だけだ。

しかも、声が語った内容が事実だという保証はない。

黒田が助けに来なかった。

それが本当なら、なぜ来なかったのか。

そもそも、誰が助けを求めていたのか。

声の主は、自分の名前さえ分からないと言っていた。

小夜でも、あきでもないという意味なのか。

それとも、名前を思い出せないだけなのか。

紗季は、録音機を持ち上げた。

画面には、録音待機中の表示が出ている。

「先生。今の声、聞こえましたよね?」

「……はい。はっきり聞こえました」

「内容も、覚えていますか?」

「ええ。雨が降っていたこと。暗い部屋にいたこと。先生に助けを求めたこと……」

奈津子は、そこで言葉を切った。

「でも、あれが本当に2004年の出来事なのかは、分かりません」

「そうですね」

紗季は頷いた。

「声が教えてくれたからといって、それを事実として扱うことはできません。記録や証言と照合する必要があります」

彼女は、手帳に聞こえた言葉を記した。

雨が降っていた。

暗い部屋。

先生、あけて。

こなかった。

それから、録音機の状態も記録した。

声が聞こえていた間、録音ボタンを操作しても開始できなかったこと。

声が止んだあと、録音機は正常に動作したこと。

機器の故障なのか、操作上の問題なのか、それとも別の現象なのかは不明。

結論を急がず、確認できた事実だけを残した。

*

昼過ぎ、紗季は録音機を職員室の机に置き、再び紙コップの録音を試みた。

今度は、紙コップを机の中央に置き、録音機との距離を一定にした。

奈津子には、少し離れた椅子に座ってもらう。

録音機の時刻表示とスマートフォンの時刻を照合し、録音開始時刻を手帳に記した。

「録音を開始します。月影小学校、職員室。立会人、白石奈津子。録音者、水瀬紗季」

紗季は、紙コップに向かって話しかけた。

「もしもし」

返事はない。

「あなたの名前を教えてください」

沈黙。

「七瀬小夜さんですか?」

何も起きない。

「水野あきさんですか?」

やはり、返事はなかった。

五分間待ったが、声は聞こえなかった。

紗季は録音を停止し、ファイルを保存した。

その後、録音機を操作して、再生した。

自分の声と、奈津子が椅子を動かす音。

窓の外の風。

紙コップに向かって話しかけた声。

それらが、録音した順番どおりに再生された。

異常な音声はなかった。

「やはり、録音できないのでしょうか」

奈津子が言った。

「今のところ、声が聞こえたときの音声データはありません」

紗季は答えた。

「でも、まだ断定できません。録音機の問題かもしれませんし、声が聞こえる条件が違うのかもしれません」

「条件……」

「紙コップの位置や、時間帯、立会人の有無。ひとつずつ変えて試す必要があります」

紗季は、録音機を机の上に置き直した。

そのとき、奈津子が不意に尋ねた。

「水瀬さん。もし、録音できたら、どうするつもりですか?」

「音声を保存して、内容を確認します」

「それだけですか?」

紗季は少し考えた。

「録音できたとしても、声の主が誰なのかは、すぐには分かりません。声が小夜さんやあきさんのものだと証明できるわけでもありません」

「……そうですね」

「ただ、声の中に、実際の出来事と照合できる情報があれば、調査の手掛かりにはなります」

奈津子は、紙コップを見つめた。

「私、怖いんです」

小さな声だった。

「もし、あの子たちが本当にいたのなら。もし、誰かがその存在を消したのなら……私たちは、何を残してきたのでしょう」

紗季は、すぐには答えなかった。

校長が抱えている不安は、紗季自身が感じているものと、少しも違わなかった。

記録に残らなかった人間。

顔を思い出せない子ども。

名前だけが何度も現れ、何度も消える出席簿。

それらは、ただの怪談では片づけられない。

「だからこそ、調べるんです」

紗季は静かに言った。

「誰が何をしたのか。何が記録され、何が記録されなかったのか。分からないことを、分からないままにしないために」

奈津子は、小さく頷いた。

そのとき、録音機の画面が消えた。

電源が切れたのかと思い、紗季はボタンを押した。

画面はすぐに点灯した。

しかし、保存したはずの音声ファイルの一覧に、見覚えのないファイルがひとつ増えていた。

ファイル名は、数字だけだった。

0527。

紗季は、指先を止めた。

その名前は、何度も見てきた。

最初に受け取った謎の音声ファイル。

出席の返事と、「八番!」という声が入っていたファイル。

そして、紗季の声によく似た返事が録音されていたファイル。

それと、同じ名前だった。

「先生、これ……」

奈津子が画面を覗き込んだ。

「さっき、このファイルはありましたか?」

「いいえ。録音した音声を保存したあと、一覧を確認しました。そのときはありませんでした」

紗季は、ファイルの詳細を開いた。

作成日時は、現在の時刻に近い。

だが、録音時間は表示されていなかった。

ファイルを再生する。

最初は、無音だった。

数秒後、かすかな雑音が聞こえた。

そして、子どもの声がした。

『ひとつ、ふたつ、席をあけて』

紗季は、奈津子と顔を見合わせた。

声は続いた。

『みっつ、よっつ、手をつないで』

さらに、別の声が重なる。

『いつつ、むっつ、帰り道』

紗季は、息を止めた。

黒田が口ずさんだ歌。

六人の元児童が覚えていた、同じ旋律。

その歌が、録音されていた。

しかも、今度は紙コップの前で誰も歌っていない。

録音機の画面には、音声の波形が表示されていた。

声が聞こえた部分で、波形が大きくなっている。

これは、単に紗季たちの耳に聞こえただけではない。

音声データとして、何かが記録されている。

紗季は、もう一度再生した。

歌の最後に、六人分の声が重なった。

そして、少し遅れて、七人目の声が聞こえた。

『……ななつめの子は』

そこで、音声が途切れた。

続きはなかった。

紗季は、再生を止めた。

「先生。今の声、聞き取れましたか?」

「はい。七つ目の子は、と……」

「その先は、何と言っていたと思いますか?」

奈津子は首を振った。

「分かりません」

紗季は、ファイルを保存し、複製を作成した。

元のファイルはそのまま残す。

加工したり、雑音を除去したりする場合は、複製したほうで行う。

記録を扱ううえで、原本を変えてはいけない。

今回の音声が何であれ、その原則は変わらなかった。

紗季は、録音機をパソコンに接続し、音声ファイルを保存した。

ファイル名は、作成日時と機器名を組み合わせ、内容を勝手に断定しない形にした。

そのうえで、再生した音声を確認する。

歌は、全部で十数秒だった。

音声の前半には、微かな雑音が続いている。

歌が始まる直前には、紙を擦るような音があった。

そして、最後の声のあと、わずかに別の音が残っていた。

紗季は音量を上げて再生した。

かすかな、息の音。

その奥から、誰かが囁いている。

『……あきちゃんじゃない』

紗季は、再生を止めた。

もう一度、同じ部分を聞く。

『……あきちゃんじゃない』

今度は、はっきりと聞こえた。

奈津子が口元を押さえた。

「水瀬さん……」

「はい」

「これは、小夜さんの声なのでしょうか」

紗季は、すぐには答えなかった。

音声から声の主を特定することはできない。

子どもの声だという印象はある。

しかし、録音された声が本当に子どものものなのか、加工されたものなのか、別の音がそう聞こえているのか。それも、まだ分からない。

「分かりません」

紗季は、正直に答えた。

「ただ、今の音声は、確かにこのファイルに残っています。誰かがそう言ったのか、そう聞こえる音が記録されたのか。それを、これから確認する必要があります」

紗季は、音声ファイルの詳細をもう一度確認した。

作成日時。

ファイルサイズ。

録音時間。

そして、ファイル名。

0527。

なぜ、この数字なのか。

2004年5月27日。

事故当日とされる日付。

あるいは、別の意味があるのか。

まだ、確かなことは言えない。

そのとき、録音機のスピーカーから、かすかな音がした。

再生ボタンには触れていない。

画面には、ファイル一覧が表示されている。

それなのに、音が聞こえた。

「……せんせい」

子どもの声だった。

紗季は録音機を見つめた。

「せんせい、きいて」

声は、静かに続けた。

「わたしのなまえを、よんで」

奈津子が、椅子から立ち上がった。

紗季は、録音機の電源を切った。

音は止まった。

室内には、二人の息遣いだけが残った。

紗季は、しばらく録音機を見つめていた。

今度の声は、録音された音声なのか。

機器の異常なのか。

それとも、別の何かなのか。

確かめる術は、まだなかった。

ただ、ひとつだけ分かったことがある。

紙コップの声は、単に恐怖を与えるだけではない。

誰かに名前を呼んでほしいと訴えている。

しかし、その名前が本当に七瀬小夜なのか、水野あきなのか、あるいは別の誰かなのかは、まだ分からない。

紗季は手帳を開いた。

今日の調査結果を整理する。

録音機で通常の録音を行った際、声は記録されなかった。

その後、録音機に「0527」という音声ファイルが現れた。

ファイルには、六人の声による歌と、七人目と思われる声が記録されていた。

最後に、「あきちゃんじゃない」という言葉が聞き取れた。

ただし、ファイルの生成経路と、声の正体は不明。

これらを、事実と推測に分けて記録した。

そして、最後に一文を書き加えた。

――音声の内容を、事実として扱わないこと。

その瞬間、机の上の紙コップが、かすかに揺れた。

赤い糸が、ゆっくりと机の端から垂れ下がる。

紙コップの内側から、幼い声が聞こえた。

「……みつけてくれた?」

紗季は、紙コップを見つめた。

「何を?」

声は、少しだけ笑った。

「わたしの、ほんとうのなまえ」

その言葉を最後に、紙コップは沈黙した。

紗季は、出席簿の写真を開いた。

七瀬小夜。

水野あき。

そして、消えたはずの自分の名前。

七人目は、誰なのか。

そもそも、六人の記憶に残っている子どもは、本当に小夜なのか。

紗季は、音声ファイルをもう一度再生した。

六人の声が歌う。

ひとつ、ふたつ。

みっつ、よっつ。

いつつ、むっつ。

そして、七人目の声が、最後に小さく囁いた。

『……あきちゃんじゃない』

紗季は再生を止めた。

この言葉が何を意味するのか。

その答えは、まだ見つからない。

だが、ひとつだけ、確かめなければならないことがあった。

2004年5月27日。

あの日、本当に雨は降っていたのか。

そして、あの小さな部屋の鍵を、最後に持っていたのは誰だったのか。

紗季は、手帳の次のページを開いた。

そこに、次に調べるべき項目を書き込んだ。

――旧校舎の鍵。

赤い糸は、机の端から床へ垂れ下がったまま、動かなかった。

けれど、その先は、まるで何かを指し示すように、校舎の東側へ向かって伸びていた。

 

 

 

 

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