小説タイトル『恋のイルミネーション物語/第4部・『恋のイルミネーション☆冬色メモリーズ』
🌿 全体テーマ
「あの日、誰かの恋を応援していた少女は、知らないうちに自分自身の恋の物語を始めていた。」
秋編では、るなと先輩の恋が、花火のようなドキドキから、隣にいるだけで安心できる温かな想いへと深まりました。
冬編では、その恋の始まりを振り返りながら、二人がこれから迎える未来へと進んでいきます。
夏の恋は、花火のように弾けた。秋の恋は、イルミネーションのように静かに灯った。その光は、冬へ続いていく。
第4部・『恋のイルミネーション☆冬色メモリーズ』章構成
第1章「あの日から続く冬の光」❄️
時期:11月末〜12月初旬
第1節「秋の終わり、冬の予感」
秋の紅葉が終わり、街に冬のイルミネーションが灯り始める。
るなは、秋に先輩と交わした「冬に会おう」という約束を思い出す。
第2節「冬のイルミネーション、再び」
先輩と待ち合わせ。久しぶりに見る冬の光に、るなは夏の花火や秋の紅葉、二人で過ごした時間を思い返す。
第3節「ひかりが覚えていたこと」
ひかり、ゆずは、まなとの会話から、第1部のひかりと朝比奈透先輩の恋が話題になる。
るなが二人の恋を応援していた頃の思い出がよみがえる。
第4節「誰かの恋を応援していた日」
ひかりが「あの頃、るなにもいっぱい助けてもらったよね」と語る。
るなは、自分が誰かの恋を応援する側だったことを懐かしく思い出す。
第5節「あの日のいちご飴」
帰宅後、るなは昔の出来事を思い出す。
ひかりのためにその場を離れ、いちご飴を買いに行った夜。
そこから、物語は過去へと移る。
第2章「いちご飴と、最初の出会い」🍓
回想:第1部の頃
第1節「ひかり、作戦です!」
イルミネーションと花火が輝く夜。るなは、ひかりと透先輩の様子を見て、二人きりになる時間を作ろうとする。
「あっ! あっちにいちご飴売ってます!」
自分も食べたい気持ちは隠せない、るならしい作戦🤣
第2節「いちご飴に夢中♡」
無事にいちご飴を手に入れたるな。花火よりもイルミネーションよりも、目の前のいちご飴に夢中になってしまう。
第3節「ドンッ! すみません!」
よそ見をしながら歩いていたるなは、スケッチブックを持った少年――桐生蒼先輩にぶつかってしまう。
「あっ、すみません!」
散らばった紙を拾うるな。その中の一枚に、目が留まる。
第4節「光を描く人」
蒼先輩が描いていたのは、イルミネーションと花火の風景。単に光を描くのではなく、光に照らされた街や人々の表情まで描かれていた。
「……きれい」
るなは、その絵に心を惹かれる。
第5節「もう一度、見たい絵」
少し言葉を交わした二人。るなはお詫びにいちご飴を勧めるなど、ちょっとした笑いも生まれる。
別れたあと、るなはもう一度あの絵を見たいと思う。しかし、この時点ではまだ、それが恋の始まりだとは気づいていない。
第3章「絵の中に見つけた光」🎨
時期:12月
第1節「また会えたらいいな」
現在に戻る。るなは、あの日の出会いを思い出しながら、先輩との思い出をたどる。
最初は少し他人行儀だった二人が、いつの間にか自然に一緒にいられる関係になっていた。
第2節「先輩のスケッチブック」
先輩と冬の街を歩く中で、昔のスケッチブックの話になる。
先輩も、いちご飴を食べながら絵にぶつかってきたるなのことを覚えていた。
「……そこ、覚えてたんですか!?」
「忘れるわけないだろ」
るな、真っ赤になる🤣🍓
第3節「同じ景色、違う気持ち」
二人でイルミネーションを眺める。
昔は絵に惹かれたるなも、今は先輩と一緒にこの景色を見られることに幸せを感じる。
第4節「先輩が見ている世界」
先輩がスケッチブックを開く。
るなは、先輩が光だけでなく、その場にいる人の気持ちまで大切に描いていることに改めて気づく。
第5節「私も、この景色の一部」
先輩が、イルミネーションを眺めるるなの姿を描く。
るなは、自分もまた先輩の見ている世界の一部になっているのだと感じる。
第4章「冬色に深まる恋」💕❄️
第1節「寒いね、先輩」
冷たい風が吹く夜。二人は温かい飲み物を買い、ゆっくり街を歩く。
何気ない会話にも、以前とは違う安心感がある。
第2節「思い出の写真」
るなはスマートフォンの写真を見返す。
夏の花火、秋いちご、お月見、焼きいも、ハロウィン、モンブラン、紅葉。
季節の一つひとつに先輩や友達との思い出が詰まっている。
第3節「変わったこと、変わらないこと」
先輩と出会った頃の自分を思い出す。
緊張していたこと、絵に心を動かされたこと、そして今、隣で自然に笑えること。
恋の形は変わっても、好きな気持ちは変わらない。
第4節「これからも、一緒に」
るなは、先輩とこれからも季節を重ねていきたいと伝える。
先輩もまた、これからの景色を一緒に見ていこうと答える。
第5節「冬色のイルミネーション」
二人の前に広がる冬の光。
るなは、夏の花火から始まった恋が、秋を越えて今も続いていることを感じる。
第5章「次の季節へ、恋の光」✨
第1節「クリスマスの約束」
クリスマスが近づく。るなと先輩は、冬の街で過ごす時間を楽しみにする。
大きなイベントだけでなく、何気ない時間も大切にしたいと思うようになる。
第2節「友達と見る冬の光」
ひかり、ゆずは、まなとも冬のイルミネーションを楽しむ。
恋人との時間だけでなく、友達と笑い合う時間も、るなにとってかけがえのない光だと改めて感じる。
第3節「先輩の描いた、私」
先輩が描いた、イルミネーションの中にいるるなの絵。
るなは少し恥ずかしがりながらも、絵の中の自分が幸せそうに笑っていることに気づく。
第4節「また来年も」
二人は来年も一緒に冬のイルミネーションを見ようと約束する。
るなは、来年だけでなく、その先の季節も一緒に迎えたいと願う。
第5節「冬色メモリーズ」
物語の締めくくり。るなは、これまでの季節を思い返す。
夏の花火のように弾けた恋。秋の紅葉のように深まった恋。
そして冬のイルミネーションのように、静かに輝き続ける恋。
あの日、いちご飴を買いに行かなかったら。
あの日、先輩の絵に出会わなかったら。
今の私は、ここにいなかったのかもしれない。
「……先輩に出会えて、よかった」
「何か言った?」
「……秘密です♡」
冬の光は、次の季節へと続いていく。
ジャンル
青春恋愛小説/アイドル的ラブストーリー/季節物
(全年齢・やさしい恋)
主要登場人物(6名)
1. 星野 るな(ほしの るな)
-
年齢:18歳
-
性別:女性
-
立場:高校2年生、ひかりの親友(ひかりとは永久親友)
-
性格:性恋バナ担当で親友の背中を押す役。いちごとチョコがあれば幸せ。ズレた発言で周囲を和ませる。恋に対してはマイペースで、「急がない恋派」
- 役割:今回の主人公。一応気になる人はいるが、親友と甘いものがあれば満足。誰からも愛されるキャラだが、決してお節介ではなく、ほんの少し背中を押すタイプ
2.桐生 蒼(きりゅう あおい)
-
年齢:19歳
-
性別:男性
-
立場:美術大学1年生
-
性格:穏やかで観察眼が鋭い。感性が豊かで、言葉選びが独特
-
役割:るなの「一応気になる人」。るなの"ズレた発言"を面白がり、自然体で接してくれる。るなが唯一「ちょっとドキドキする」相手
3. 白雪 ひかり(しらゆき ひかり)
-
年齢:18歳
-
性別:女性
-
立場:高校3年生、るなの親友(るなの"永久親友枠")
-
性格:明るい・ちょっと照れ屋・感情表現が素直
-
役割:恋愛の経験者・るなの支え
4. 小日向 まな(こひなた まな)
-
年齢:17歳
-
性別:女性
-
立場:高校2年生で後輩
-
性格:元気で憧れ体質。るなを「るな先輩」と慕っている
- 役割:るなの恋心に最初に気づき、さりげなくサポートする役割。純粋な応援者
5.橘 ゆずは(たちばな ゆずは)
-
年齢:18歳
-
性別:女性
-
立場:高校3年生、るなのクラスメイトでひかりとるなとは友人
-
性格:しっかり者でちょっと毒舌。でも根は優しい
-
役割:るなの恋を外側から冷静にツッコミつつ、実は誰よりも応援している
6. 朝比奈 透(あさひな とおる)
-
年齢:19歳
-
性別:男性
-
立場:大学1年生
-
性格:優しい・落ち着いている・少し不器用
-
役割:白雪ひかりの恋人
舞台・設定
街(イルミネーションのある商店街)
-
場所:
地方都市の高校とその周辺。商店街、カフェ、コンビニ、公園、そして冬から春にかけてのイルミネーションスポット
-
地方都市
-
毎年11月から3月まで
「ウィンターイルミネーション+月1回の冬花火」が行われる街 -
高校・駅前・商店街・川沿いの花火スポット
物語の世界観を特徴づける重要な設定:
-
「るな基準の記念日」という概念。るなは日常の小さな幸せを勝手に記念日化する
-
いちごとチョコという二つの「甘さ」が、恋心のメタファーとして機能
-
「恋は急がなくていい」という、るな独自の恋愛哲学
-
ひかりと透の関係が「ゆっくり育てた恋の成功例」として物語の背景に存在
第4部・『恋のイルミネーション☆冬色メモリーズ』第4章「冬色に深まる恋」💕❄️
第1節「寒いね、先輩」
冬の夜は、思っていたよりも冷たかった。
昼間は穏やかだった空気も、日が暮れるにつれて少しずつ冷え込み、街路樹の枝を揺らす風には、冬らしい鋭さが混じり始めていた。
駅前の時計は、午後六時を少し過ぎたところ。
仕事帰りの人たちが足早に通り過ぎ、商店街の店先には、クリスマスを知らせる飾りが並んでいる。
ガラス窓の向こうには、赤や緑のリボンを結んだプレゼント。
ショーウィンドウには、雪の結晶を模した飾り。
通りの向こうでは、イルミネーションが金色の光を放っていた。
その光の下を、星野るなと桐生蒼が並んで歩いていた。
「……さむっ!」
るなは、コートの襟元を少しだけ引き寄せた。
「急に寒くなりましたねぇ……」
「さっきより風が強くなったね」
蒼は、空を見上げた。
街路樹の枝が、風に揺れている。
吐く息が、ほんのり白くなっていた。
「天気予報では、夜から気温が下がるって言っていたよ」
「えっ、そうだったんですか!?」
「うん」
「……私、そこまでちゃんと見ていませんでした」
るなは、少しだけ気まずそうに笑った。
「イルミネーションの写真を見ていたら、いつの間にか出かける時間になっていて……」
「なるほど」
「だって、今日のイルミネーション、すごくきれいだったんですよ! ほら、これです!」
るなは、スマートフォンを取り出して画面を見せた。
そこには、光のトンネルと、大きなクリスマスツリーの写真が表示されていた。
青白い光が地面に広がり、ツリーの先端には、星のような飾りが輝いている。
「これを見ていたら、早く先輩と見に行きたくなっちゃって……」
「そうだったんだ」
蒼は、画面をのぞき込んだ。
「確かに、きれいだね」
「ですよね!」
るなは、うれしそうにうなずいた。
「実際に見たら、写真よりもっときれいなんだろうなぁって思っていたんです。だから、楽しみで楽しみで……!」
「それで、寒さのことは後回しになった?」
「……はい」
「ふふっ」
蒼が笑う。
るなは、少し頬を膨らませた。
「先輩、笑わないでくださいよぉ……」
「ごめん。でも、るならしいなと思って」
「るならしい……?」
「うん。楽しみなことがあると、ほかのことが見えなくなるところ」
「……うっ」
るなは、思わず言葉に詰まった。
いちご飴に夢中になって、初めて会った蒼にぶつかってしまった夜。
絵に夢中になって、周りが見えなくなってしまったこと。
そして今日も、イルミネーションを楽しみにしすぎて、寒さ対策が少し足りなかった。
思い当たることが、いくつもあった。
「……先輩、私のこと、よく見ていますね?」
「一緒にいる時間が増えたからね」
蒼は、何気ない調子で答えた。
けれど、るなにとっては、その言葉がうれしかった。
一緒にいる時間が増えた。
つまり、先輩は、これまでの時間をちゃんと覚えてくれている。
自分の癖も、好きなものも、うっかりしてしまうところも。
特別な出来事だけではなく、そんな何気ないところまで。
「……えへへ」
「どうしたの?」
「いえ。なんでもありません」
るなは、少しだけ蒼のほうへ近づいた。
「ただ、うれしいなぁって」
「何が?」
「先輩が、私のことを知ってくれているのが」
蒼は、少し驚いたようにるなを見た。
それから、優しく笑った。
「これからも、もっと知っていきたいよ」
「……っ!」
るなは、思わず足を止めそうになった。
「せ、先輩……!」
「うん?」
「そういう言葉、普通に言うんですね……!」
「普通に言ったつもりだけど」
「……心臓に悪いです」
るなは、胸元に手を当てた。
蒼は、そんな彼女を見て、くすりと笑った。
「じゃあ、少し控えたほうがいい?」
「……い、いえ!」
るなは、慌てて首を振った。
「控えなくていいです!」
「そう?」
「はい!」
そして、小さな声で付け加えた。
「……うれしいので」
蒼は、何も言わずに微笑んだ。
その笑顔を見て、るなも笑った。
冬の風は冷たかった。
けれど、ふたりの間に流れる空気は、どこか温かかった。
***
しばらく歩くと、通りの角に小さな飲み物の店が見えてきた。
店先には、温かい飲み物のメニューが並んでいる。
ココア。
カフェラテ。
ホットミルク。
紅茶。
そして、冬季限定のホットチョコレート。
るなは、その看板を見た瞬間、ぴたりと足を止めた。
「……あっ!」
蒼も、彼女の視線を追った。
「温かい飲み物、買っていこうか?」
「……いいんですか?」
「もちろん。寒いしね」
「わぁ……! ありがとうございます!」
るなは、ぱっと笑顔になった。
「私、ココアが飲みたいです!」
「ココアね。僕はカフェラテにしようかな」
「先輩、カフェラテなんですね!」
「うん。るなはココアが好き?」
「はい! 甘くて温かくて、飲むとほっとするんです」
るなは、うれしそうに店先のメニューを眺めた。
「特に寒い日は、ココアが飲みたくなっちゃいます。あっ、でも、ホットチョコレートも気になりますね……」
「どっちにする?」
「……ううう、迷います!」
蒼は、笑いながら言った。
「じゃあ、今日はココアにして、次に来たときはホットチョコレートにしたら?」
「……!」
るなの顔が、ぱっと明るくなった。
「次に来たとき……!」
「うん」
「……先輩、また一緒に来てくれるんですか?」
蒼は、不思議そうに首をかしげた。
「もちろん。そのつもりだけど?」
るなは、しばらく彼を見つめた。
そして、ゆっくりと笑った。
「……えへへ。じゃあ、次はホットチョコレートにします!」
「うん。約束ね」
「はいっ!」
店員に注文を伝え、ふたりは温かい飲み物を受け取った。
るなのカップからは、甘いココアの香りが立ち上っている。
両手で包み込むと、冷えていた指先にじんわりと熱が伝わった。
「……あったかい」
るなは、ほっと息をついた。
「生き返りますねぇ……」
「そんなに?」
「そんなにです!」
蒼は、カフェラテのカップを片手に笑った。
「それはよかった」
るなは、ココアをひと口飲んだ。
甘くて、温かくて、ほっとする味。
冷たい風にさらされていた頬まで、少しずつ温まっていくようだった。
「……おいしい!」
「よかったね」
「はい! 先輩も飲んでみますか?」
るなは、カップを少し持ち上げた。
「ココア、甘くておいしいですよ!」
「じゃあ、ひと口だけもらおうかな」
「どうぞ!」
蒼は、るなが差し出したカップを受け取り、ひと口飲んだ。
「……うん。おいしいね」
「でしょう?」
るなは、満足そうにうなずいた。
「甘さがちょうどいいんです。甘すぎないけど、ちゃんとココアの味がして……」
「詳しいね」
「ココアですから!」
「ココアだから?」
「はい!」
るなは、真剣な顔でうなずいた。
「飲み物にも、それぞれの魅力がありますから!」
蒼は、とうとう笑ってしまった。
「るなは、本当に食べ物や飲み物の話になると熱心だね」
「……だめですか?」
「ううん。そういうところも好きだよ」
「…………っ!」
るなは、カップを両手で包み込んだまま固まった。
蒼は、何気なくカフェラテを飲んでいる。
まるで、今の言葉が特別なことではないかのように。
けれど、るなにとっては、まったく普通ではなかった。
「……先輩」
「ん?」
「今の、もう一回言ってください」
「どれ?」
「……その……」
るなは、視線を落とした。
「私の、そういうところも好きって……」
蒼は、少しだけ目を見開いた。
そして、すぐに優しく笑った。
「るなの、そういうところも好きだよ」
「…………」
るなは、何も言えなくなった。
頬が熱い。
心臓が、どきどきしている。
でも、不思議と、逃げ出したいとは思わなかった。
以前なら、こんな言葉を聞いたら、恥ずかしさのあまり、どうしていいかわからなくなっていたかもしれない。
けれど今は、照れながらも、その言葉をうれしいと思える。
自分が好きなものを好きだと言ってくれる。
自分らしいところを、そのまま受け止めてくれる。
そんな先輩の気持ちが、少しずつ、自分の中に染み込んでいくようだった。
「……ありがとうございます」
るなは、ようやくそう答えた。
「私も、先輩のそういうところ、好きです」
「そういうところ?」
「はい。私が好きなものの話をしても、ちゃんと聞いてくれるところです」
蒼は、柔らかく笑った。
「るなの話を聞くの、楽しいから」
「……本当ですか?」
「本当」
「……えへへ」
るなは、うれしそうに笑った。
それから、ココアをもうひと口飲んだ。
甘い。
温かい。
そして、隣には、大好きな人がいる。
ただそれだけのことが、どうしようもなく幸せだった。
***
飲み物を手に、ふたりは再び歩き始めた。
通りの向こうには、商店街のイルミネーションが続いている。
街路樹の枝には、小さな金色の光が巻きつけられ、店先の窓には、クリスマスリースが飾られていた。
歩道には、買い物帰りの人たち。
家族連れ。
友達同士。
そして、手をつないで歩く恋人たち。
るなは、周囲を眺めながら、ココアを少しずつ飲んでいた。
「……先輩」
「うん?」
「こうして歩いていると、なんだか不思議です」
「何が?」
「イルミネーションを見に来たのに、こうして温かい飲み物を買って、普通に歩いているだけでも楽しいんです」
蒼は、少しだけ考えてから答えた。
「それは、僕も同じだよ」
「……本当ですか?」
「うん。もちろん、イルミネーションを見るのも楽しみだったけど、るなと一緒に歩いている時間も、楽しみにしていたから」
るなは、思わず足元を見た。
「……そ、そうなんですね」
「うん」
「……私もです」
小さな声だった。
蒼は、彼女のほうを向いた。
「るなも?」
「はい」
るなは、少しだけ笑った。
「イルミネーションも楽しみでしたけど……先輩と一緒に、何を話そうかなって考えるのも、楽しみだったんです」
「何を話そうか、考えていたの?」
「はい! 今日は冬のお菓子のお話をしようかなとか、クリスマスの予定を聞こうかなとか……」
そこで、るなは少しだけ苦笑した。
「でも、実際に会うと、考えていたことを忘れちゃうんですよね」
「どうして?」
「……先輩と話していると、楽しくなっちゃうからです」
蒼は、穏やかに笑った。
「それなら、無理に考えてこなくてもいいんじゃないかな」
「……え?」
「話したいことがあれば話せばいいし、何も思いつかなかったら、景色を見ていてもいい。僕は、るなと一緒にいること自体が楽しいから」
るなは、思わず立ち止まった。
「……先輩」
蒼も、足を止める。
「どうしたの?」
「……私、今、すごく幸せです」
蒼は、少し驚いたように目を見開いた。
るなは、恥ずかしそうに笑った。
「だって……。何か面白いことを話さなくてもいいんですよね。ずっと笑っていなくてもいいし、特別なことをしなくてもいい」
「うん」
「ただ、一緒に歩いているだけでも、楽しいって……」
るなは、胸の前でカップを持ち直した。
「そう言ってもらえるのが、すごくうれしいです」
蒼は、静かにうなずいた。
「僕も、るなにそう思ってもらえるのがうれしいよ」
るなは、顔を上げた。
蒼の目は、いつもと同じように優しかった。
そこには、何かを無理に求めるような様子はなかった。
もっと楽しませてほしいとか。
もっと特別なことをしてほしいとか。
そういう気持ちは感じられなかった。
ただ、一緒にいたい。
一緒に歩きたい。
一緒に景色を見て、話をして、笑い合いたい。
そんな気持ちが、そこにあった。
るなは、ゆっくりと笑った。
「……じゃあ、今日はいっぱい、のんびりしましょうね」
「うん。そうしよう」
ふたりは、再び歩き始めた。
今度は、急がなかった。
ショーウィンドウをのぞき込んだり、イルミネーションを見上げたり。
気になるお店があれば、少しだけ立ち止まった。
歩く速度も、話す声も、ゆっくりだった。
ふたりの間には、焦る必要のない時間が流れていた。
***
商店街の途中に、小さな雑貨店があった。
店先には、冬らしい飾りが並んでいる。
雪だるまの置物。
小さな星のオーナメント。
手のひらサイズのクリスマスツリー。
その中に、赤いリボンを結んだ小さなガラスのオーナメントがあった。
るなは、それを見て足を止めた。
「……かわいい」
蒼も、店先をのぞき込んだ。
「本当だね」
「この雪の結晶、きれいですね。光に当たると、キラキラして……」
るなは、ガラスのオーナメントをじっと見つめた。
「家に飾ったら、毎日、冬の気分になれそうです」
「るなの部屋にも、クリスマスの飾りはあるの?」
「ありますよ!」
るなは、うれしそうに答えた。
「小さなツリーと、星の飾りと……あっ、去年買った雪だるまもあります!」
「結構あるんだね」
「はい! 季節の飾りって、見ているだけで楽しくなりませんか?」
「なるね」
「ですよね!」
るなは、満足そうにうなずいた。
そして、少しだけ迷ってから、店先のオーナメントを指さした。
「……これ、かわいいなぁ」
蒼は、るなの横顔を見た。
「欲しいの?」
「……ちょっとだけ」
「じゃあ、見ていこうか」
「いいんですか?」
「もちろん」
るなは、ぱっと笑顔になった。
店の中に入ると、温かな照明がふたりを包んだ。
小さな店内には、クリスマスの音楽が流れている。
棚には、さまざまなオーナメントや雑貨が並び、奥の壁には、手作りのリースが飾られていた。
るなは、ひとつひとつの商品を見ながら、楽しそうに歩いた。
「わぁ……! この小さな星もかわいいです!」
「本当だね」
「こっちは雪だるま! マフラーがついています!」
「るなの部屋の雪だるまと似ているね」
「そうなんです! あっ、でも、うちの子は帽子をかぶっているんですよ!」
「うちの子?」
蒼が笑う。
るなは、はっとした。
「……あっ、雪だるまです!」
「わかってるよ」
「……もう、先輩!」
ふたりは、笑い合った。
やがて、るなは、先ほどのガラスのオーナメントの前に戻ってきた。
光を受けて、透明な結晶がきらめいている。
「……やっぱり、これが好きです」
蒼は、オーナメントを見つめた。
「きれいだね」
「はい。なんだか、今日のイルミネーションを思い出せそうです」
その言葉を聞いて、蒼は少しだけ微笑んだ。
「じゃあ、今日の思い出に、ひとつ買って帰ろうか」
「……えっ?」
るなは、目を丸くした。
「い、いいんですか?」
「うん。るなが気に入ったものだから」
「……でも、先輩に買ってもらうのは……」
るなは、少しだけ迷った。
欲しい。
とてもかわいい。
けれど、こうして一緒に出かけているだけでも、十分にうれしい。
何かを買ってもらわなくても、今日の思い出は大切なものだ。
そう思っていると、蒼が穏やかに言った。
「これは、僕からのプレゼントというより、今日の思い出を一緒に持ち帰るもの、かな」
「……一緒に?」
「うん。今日、ふたりで見た景色を思い出せるものがあったら、いいなと思って」
るなは、オーナメントを見つめた。
それから、蒼を見上げた。
「……じゃあ、大切にします」
「うん」
「毎年、飾りますね」
蒼は、少し驚いたあと、うれしそうに笑った。
「毎年?」
「はい! 今年だけじゃなくて、来年も、その次の年も!」
るなは、胸を張った。
「飾るたびに、今日のことを思い出せますから!」
その言葉に、蒼は静かにうなずいた。
「……それは、うれしいな」
るなは、オーナメントをそっと手に取った。
小さなガラスの結晶。
それは、ただの飾りかもしれない。
けれど、今日という日を思い出すための、小さな目印になる。
温かいココア。
冷たい風。
隣を歩く先輩。
何気ない会話。
そして、ふたりで見たイルミネーション。
そんな何気ない時間を、未来の自分が思い出せるように。
るなは、オーナメントを大切に抱えるように持った。
「……先輩」
「うん?」
「今日のこと、忘れたくないです」
蒼は、優しく笑った。
「僕もだよ」
***
店を出ると、風が少しだけ強くなっていた。
るなは、コートの襟元を引き寄せた。
「……やっぱり寒いですねぇ」
「うん。さっきより冷えてきたね」
「ココアを飲んでおいてよかったです」
るなは、空になったカップを見つめた。
「もう少し飲みたかったですけど……」
「また買おうか?」
「……えっ?」
「温かい飲み物。もう一杯くらいなら、いいんじゃない?」
るなは、ぱっと顔を上げた。
「いいんですか!?」
「もちろん」
「……先輩、優しすぎます!」
蒼は、笑った。
「寒いって言っていたからね」
「……じゃあ、今度はホットチョコレートにします!」
「さっき、次に来たときって話していたけど?」
「……あっ!」
るなは、思わず声を上げた。
「そうでした! 次はホットチョコレートって約束でした!」
「うん」
「……でも、今日も飲みたいです」
蒼は、とうとう笑ってしまった。
「じゃあ、今日も飲もうか」
「わぁ……!」
るなは、うれしそうに笑った。
「ありがとうございます!」
ふたりは、再び飲み物の店へ向かった。
今度は、るなはホットチョコレートを、蒼は先ほどと同じカフェラテを注文した。
温かいカップを手に、店を出る。
るなは、ホットチョコレートをひと口飲んだ。
濃厚な甘さが、口の中に広がった。
「……おいしい!」
「気に入った?」
「はい! ココアとはまた違いますね。こっちは、チョコレートの味が濃くて……」
るなは、真剣な顔でカップを見つめた。
「……冬って、いいですね」
蒼は、笑いながら尋ねた。
「どうして?」
「温かい飲み物がおいしいからです!」
「なるほど」
「それに……」
るなは、少しだけ蒼のほうを見た。
「寒いと、こうして一緒に温かいものを飲むのも、楽しいですから」
蒼は、優しくうなずいた。
「そうだね」
るなは、ホットチョコレートをもうひと口飲んだ。
甘い。
温かい。
そして、隣には大好きな人がいる。
今日のデートには、派手な出来事はなかった。
大きなサプライズがあったわけでもない。
特別な場所へ行ったわけでもない。
ただ、街を歩き、温かい飲み物を買い、雑貨店をのぞき、何気ない話をした。
それだけだった。
けれど、るなにとっては、その「それだけ」が、とても大切なものになっていた。
好きなものを話せること。
寒いときに、寒いねと言えること。
歩く速度を合わせてくれること。
次に一緒に来る約束を、自然に交わせること。
そんな小さなことが、ひとつひとつ、幸せにつながっている。
以前のるなは、先輩と一緒にいると、胸がどきどきしてばかりだった。
何か特別なことをしなければ。
楽しい時間にしなければ。
先輩に、もっと好きになってもらわなければ。
そんなふうに考えてしまうこともあった。
でも、今は少し違う。
先輩と一緒にいられるだけで、うれしい。
同じ景色を見て、同じ飲み物を飲んで、何気ない会話を交わす。
それだけで、心が満たされる。
もちろん、今だって、先輩の言葉ひとつで胸が高鳴る。
手を握られれば、頬が熱くなる。
「好きだよ」と言われれば、何度だってうれしくなる。
けれど、そのどきどきの奥には、静かな安心感が育っていた。
この人となら、何でもない日も、きっと大切な思い出になる。
そんな気持ちが、少しずつ、自分の中に根を張っているようだった。
***
駅前の広場に戻る頃には、空はすっかり暗くなっていた。
イルミネーションの光が、街全体を優しく照らしている。
るなは、ホットチョコレートを飲み終え、空になったカップを手に持っていた。
「……ああ、幸せでした」
「ホットチョコレートが?」
「はい!」
るなは、満面の笑みでうなずいた。
「……だけじゃないですけど」
蒼は、彼女を見た。
「だけじゃない?」
るなは、少しだけ頬を赤くした。
「……今日、一日がです」
蒼は、ゆっくりと笑った。
「そっか」
「はい。先輩と一緒にいられて、いろんなお話ができて……。きれいなものも見られて、おいしいものも飲めて」
るなは、指を折りながら数えた。
「それに、かわいいオーナメントも買えました!」
「たくさんあるね」
「はい!」
るなは、うれしそうに笑った。
「今日の思い出、いっぱいです!」
蒼は、少しだけ考えてから言った。
「じゃあ、また、こういう日を作ろうか」
るなは、顔を上げた。
「……え?」
「特別なイベントがなくても、こうして街を歩いたり、温かいものを飲んだり。何でもない日を、一緒に過ごそう」
るなは、しばらく蒼を見つめていた。
そして、ゆっくりと笑った。
「……はい」
その返事には、たくさんの気持ちが込められていた。
うれしい。
楽しみ。
これからも、一緒にいたい。
先輩と過ごす日々が、これからも続いてほしい。
「……約束ですよ?」
るなが言った。
蒼は、うなずいた。
「約束」
「……来週も?」
「うん」
「その次も?」
「うん」
「……来年も?」
蒼は、少しだけ目を見開いた。
るなは、急に恥ずかしくなった。
「……あっ、いえ! 今すぐ全部決めるというわけではなくて! その……!」
蒼は、優しく笑った。
「来年も、一緒にいよう」
「…………っ!」
るなは、言葉を失った。
蒼は、まっすぐに彼女を見つめていた。
「来年の冬も、その先の冬も。こうして一緒に、いろんな景色を見られたらいいね」
るなの目が、少しだけ潤んだ。
「……先輩」
「うん?」
「……私、今、すごくうれしいです」
蒼は、そっと手を差し出した。
るなは、その手を見つめた。
そして、ゆっくりと、自分の手を重ねた。
指先が触れる。
手のひらが重なる。
冷たい冬の夜なのに、そこだけが温かかった。
「……私も、来年も、その先も……」
るなは、蒼の手をぎゅっと握った。
「先輩と一緒にいたいです」
蒼は、優しく握り返した。
「うん。一緒にいよう」
るなは、笑った。
照れくさくて、胸がいっぱいで、今にも泣いてしまいそうなくらい、うれしかった。
けれど、涙の代わりに、笑顔がこぼれた。
「……えへへ」
「どうしたの?」
「いえ。幸せだなぁって」
蒼は、そっと微笑んだ。
「僕もだよ」
ふたりは、手をつないだまま、ゆっくりと歩き出した。
帰り道のイルミネーションが、ふたりの影を優しく照らしている。
冬の風は、相変わらず冷たかった。
でも、もう、るなは寒さだけを感じてはいなかった。
隣にいる先輩の手。
交わした約束。
今日の何気ない会話。
小さなオーナメントに込めた思い出。
そのすべてが、心の中を温めてくれていた。
「……先輩」
「ん?」
「また、温かい飲み物を飲みに行きましょうね」
「うん。今度は何を飲む?」
「えっと……。ミルクティーもいいですし、抹茶ラテも気になりますし……」
るなは、真剣に考え始めた。
「……あっ、冬限定のいちごホットミルクとか、ないんでしょうか?」
蒼は、笑った。
「るななら、見つけそうだね」
「探します!」
「じゃあ、今度は一緒に探そうか」
「はいっ!」
るなは、うれしそうにうなずいた。
そして、隣にいる蒼を見上げた。
「……先輩と一緒なら、何を飲んでもおいしい気がします」
蒼は、少しだけ照れたように笑った。
「それは、うれしいな」
「……えへへ」
るなは、もう一度、手を握り直した。
ふたりは、冬の街を歩いていく。
特別なことがなくても。
何気ない一日でも。
隣にいる人が大切なら、その時間は、かけがえのない思い出になる。
冷たい風の吹く夜。
温かい飲み物を片手に、ふたりはゆっくりと歩いた。
そして、これからも。
来週も。
来月も。
次の季節も。
その先の季節も。
何気ない日々の中で、ふたりだけの小さな光を、ひとつずつ増やしていくのだろう。
冬のイルミネーションが、遠くで輝いていた。
その光は、ただ夜を照らすだけではない。
ふたりが過ごした時間を照らし、これから先の約束を照らしている。
るなは、心の中でそっとつぶやいた。
――寒いね、先輩。
――でも、先輩と一緒なら、冬も大好きです。
その気持ちを胸に、るなは、蒼の隣で笑った。
冬の夜は、静かに深まっていく。
ふたりの恋もまた、静かに、温かく、深まっていった。
第2節「思い出の写真」
冬のイルミネーションが街を彩り始めた、十二月のある週末。
駅前の大きなクリスマスツリーには、金色や白色の光が幾重にも飾りつけられ、足元には小さな星のオブジェが並んでいた。冷たい風が吹くたび、街路樹に巻きつけられたイルミネーションが、まるで夜空から降りてきた星たちのように瞬いている。
星野るなは、部屋のベッドに腰を下ろし、スマートフォンを両手で持っていた。
画面に映っているのは、写真アプリに保存された、今年の思い出たち。
夏の花火。
秋いちごのパフェ。
お月見の夜。
焼きいもを片手に歩いた帰り道。
ハロウィンのオレンジ色の灯り。
女の子四人で楽しんだモンブラン女子会。
そして、夕焼けに染まった紅葉の並木道。
季節を追いかけるようにスクロールしていくと、そこには、ほんの数か月前の自分が何度も現れた。
笑っている自分。
驚いている自分。
食べ物を前に、いつも以上に真剣な顔をしている自分。
友達と肩を寄せ合っている自分。
そして、隣にいる大好きな人を、こっそり見つめている自分。
「……わあ」
るなは、思わず小さく声を漏らした。
「いっぱい、思い出があるなあ……」
写真を一枚ずつ眺めているだけなのに、そのときの風の匂いや、聞こえていた声まで、心の中によみがえってくる。
夏には夏の光があった。
秋には秋の光があった。
そして今、冬には冬の光がある。
同じ一年の中で、季節は少しずつ移り変わっていく。
でも、るなの胸の中に残った思い出は、季節が変わっても消えたりしなかった。
「……先輩にも、見せたいな」
画面に映った一枚の写真を見つめながら、るなはそっと微笑んだ。
そこには、夏の夜空に広がる花火が写っていた。
大輪の花が夜空いっぱいに咲き、その下には、ほんの少しだけ自分の浴衣の袖が写り込んでいる。
そして写真の端には、隣に立っていた先輩の手が、わずかに写っていた。
あの日のことを思い出すと、胸の奥がくすぐったくなる。
るなは写真を拡大した。
「このときは……まだ、こんなに自然に手をつなげるようになるなんて、思ってなかったなあ」
思わず頬が熱くなる。
今では、先輩の隣を歩くことも、手を握ってもらうことも、以前よりずっと自然になった。
もちろん、今でも胸はどきどきする。
先輩が不意に優しい言葉をくれたら、何度だって顔が赤くなる。
名前を呼ばれただけで、心の中では小さな花火が上がる。
それでも、以前のように、隣にいるだけで緊張して何も話せなくなることは少なくなった。
今は、うれしいことも、恥ずかしいことも、何気ない出来事も、少しずつ先輩と共有できるようになっている。
「……私、変わったのかな?」
るなは、写真の中で花火を見上げている自分に問いかけた。
すると、すぐに首を横に振る。
「ううん。変わったっていうより……先輩と一緒に、いろんな時間を過ごしてきたんだよね」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥がふんわりと温かくなった。
写真は、ただ景色を残すものではない。
そのときの気持ちまで、一緒に閉じ込めてくれるものなのかもしれない。
るなは、スマートフォンを持ち直した。
「よしっ。今度、先輩に見せよう!」
小さく拳を握る。
「夏から秋まで、思い出振り返り大会です!」
……ただし。
「おいしいものの写真が多すぎる問題については、どうしよう……?」
画面には、花火の次に、つやつやとした赤い秋いちごの写真が並んでいた。
「……まあ、そこは仕方ないよね!」
るなは、堂々と宣言した。
「だって、おいしいものも大切な思い出ですからっ!」
誰に聞かせるでもない言い訳をして、彼女はひとり、くすくすと笑った。
*
翌日の午後。
るなは駅前の待ち合わせ場所で、スマートフォンをぎゅっと握りしめていた。
今日の目的は、先輩との冬のお散歩。
そして、昨日思いついた「思い出振り返り大会」を実行することだった。
……とはいえ、先輩に会う直前になると、やっぱり少し緊張してしまう。
「夏の写真から見せる? それとも秋いちごから? いや、最初は紅葉かな? でも、やっぱり花火からのほうが季節の流れとしては……」
ぶつぶつと順番を考えていると、背後から聞き慣れた声がした。
「るな?」
「ひゃっ!」
肩がぴょん、と跳ねた。
振り向くと、そこには桐生蒼先輩が立っていた。
落ち着いた色のコートに、首元には柔らかなマフラー。冬の空気に少し頬を赤くしながら、先輩は穏やかに笑っている。
「ご、ごめんなさい! ちょっと考えごとを……!」
「そんなに驚かなくても。何を考えてたの?」
「えっと……今日の作戦です!」
「作戦?」
「はいっ!」
るなは元気よくうなずいた。
そして、すぐに「あっ」と口を押さえる。
「……作戦というか、計画というか、企画というか……」
「どれでもいいよ。面白そうだね」
「本当ですか?」
「うん。るなが楽しそうだから」
その一言に、るなの頬がほんのり赤くなった。
「……先輩、そういうことをさらっと言うの、ずるいです」
「そう?」
「そうです!」
るなはぷいっと顔をそらした。
けれど、口元は隠しきれないほど緩んでいた。
先輩はそんな彼女を見て、楽しそうに笑った。
「それで、今日の作戦って?」
「ふふふ……実はですね」
るなは、スマートフォンを両手で掲げた。
「今日は、今年の思い出を一緒に振り返ろうと思いまして!」
「思い出?」
「はい! 夏の花火から、秋の紅葉まで! いろんな写真を撮ったので、先輩にも見てもらいたいんです!」
「それは楽しみだな」
先輩が自然にそう答えてくれたので、るなの表情がぱっと明るくなった。
「本当ですか? じゃあ、まずは……」
彼女は写真アプリを開いた。
「夏の花火です!」
*
駅前の広場を抜け、二人は並んで歩き始めた。
冬の風は冷たかったが、日差しはまだ柔らかい。
街路樹の枝には、夜のイルミネーションのための小さなライトが取りつけられている。昼間はまだ目立たないその光も、夜になれば街の景色を変えてくれるのだろう。
るなはスマートフォンの画面を先輩に向けた。
「これです! 夏祭りの花火!」
「懐かしいね」
先輩は画面をのぞき込み、目を細めた。
「このとき、すごくきれいだったな」
「はい! 大きな花火が、ぱーんって開いて!」
るなは両手を広げた。
「夜空いっぱいに、ばーん! って!」
「うん。るなの説明も、花火くらい大きいね」
「えっ? あっ……!」
るなは慌てて両手を下ろした。
「だ、だって、本当に大きかったんですもん!」
「わかってるよ」
先輩は笑いながら、写真をもう一度見つめた。
「でも、花火を見ているときのるなも、すごく楽しそうだった」
「……見てたんですか?」
「見てたよ」
「花火じゃなくて?」
「花火も見てた」
「も、も?」
るなの声が少し裏返った。
先輩は、何でもないことのように続ける。
「きれいなものを見つけたとき、るなはすぐに顔に出るから。目が輝いて、うれしそうに笑うんだ」
「…………」
「そういう表情を見るのも、好きなんだよ」
「……っ!」
るなは、スマートフォンを胸元に引き寄せた。
寒さとは別の理由で、頬が熱い。
「せ、先輩……!」
「ん?」
「……その写真、もう一回見ます!」
「どうぞ」
「じっくり見ます!」
「うん」
「……先輩の顔は、じっくり見ません!」
「それは残念だな」
「えええっ!?」
思わず顔を上げると、先輩はいたずらっぽく笑っていた。
「冗談だよ」
「も、もう……!」
るなは頬を膨らませた。
でも、その表情もすぐに笑顔へと変わっていく。
花火の写真を見ているだけなのに、あの日とは違ううれしさが、胸の中に広がっていた。
あの頃は、先輩の言葉ひとつで、うれしくなったり不安になったりしていた。
今も、もちろんうれしい。
けれど、こうして笑い合えることが、何よりも幸せだった。
「……このときの写真、実はもう一枚あるんです」
「もう一枚?」
「はい!」
るなは別の写真を表示した。
今度の写真には、夜空いっぱいに咲く花火と、その光に照らされた二人の姿が写っていた。
「……花火で思い出しました」
「何を?」
「昨年の冬に、ひかりと透先輩と一緒にイルミネーションを見に行ったときのことです」
「ああ、ひかりさんと透くんの?」
「はい! 実は、そのときの花火の写真もあるんです」
るなは、懐かしそうに画面を見つめた。
「これ、ひかりと透先輩の二人きりの時間を作ってあげようと思って、私がいちご飴を買いに行ったときの写真なんですよ」
「……いちご飴?」
「はい!」
るなは、元気よくうなずいた。
「二人がいい雰囲気だったので、私はちょっと離れたほうがいいかなって。それで、いちご飴を買いに行ったんです!」
「なるほど。それで、いちご飴を買いに行ったんだね」
「そうなんです! ……そしたらですね」
るなは、そこで言葉を止めた。
スマートフォンの画面を見つめる表情が、ほんの少しだけ変わる。
「……そのとき、私、先輩と出会ったんです」
「……僕と?」
「はい」
るなは、隣にいる蒼を見上げた。
「いちご飴を買いに行かなかったら、先輩と出会っていなかったかもしれないんですよね」
蒼は、写真を見つめてから、穏やかに微笑んだ。
「そうだね。あの日、るながいちご飴を買いに行ったから、僕たちは出会えたんだ」
「……えへへ」
るなは、少し照れくさそうに笑った。
「だから、いちご飴には感謝しているんです!」
「いちご飴に?」
「もちろんです! 私たちの出会いのきっかけですから!」
「ははっ。それは、いちご飴にお礼を言わないとね」
「はい! 今度、いちご飴を食べるときは、いつも以上に感謝して食べます!」
「いつも以上に?」
「……あっ! もちろん、いつも感謝して食べていますよ?」
「そうなんだ?」
「そうですっ!」
二人は顔を見合わせて笑った。
けれど、るなはすぐに、もう一度写真へと目を落とした。
画面の中で輝く花火。
その光の向こうに、今の自分へとつながる、忘れられない出会いがあった。
「……先輩」
「うん?」
「私、あの日に戻れたとしても、やっぱりいちご飴を買いに行くと思います」
「どうして?」
るなは、少しだけ頬を赤くしながら答えた。
「……だって、先輩に出会えたから」
蒼は、そっと彼女の手を握った。
「……僕も、るなに出会えてよかったよ」
「……先輩」
冬のイルミネーションが、二人のそばで優しく輝いていた。
そして、るなの心には、昨年のあの日の光が、今も変わらず残っていた。
*
「次は……秋いちごです!」
花火の写真をひと通り見終えたるなは、待っていましたとばかりに次の写真を開いた。
画面いっぱいに、真っ赤な秋いちごが並ぶ。
つやつやとした果実。
白いクリーム。
きらきらとしたソース。
そして、二人で食べた大きなパフェ。
「……おいしそうだね」
「ですよねっ!?」
るなは、勢いよく先輩を振り向いた。
「見てください、このいちご! つや! 色! 形! そして、このクリームとの相性!」
「うん。よく撮れてるね」
「写真の技術も上がったと思いませんか?」
「思うよ。前より、ずっときれいに撮れてる」
「えへへ……!」
褒められたるなは、うれしそうに頬を緩めた。
「でも、実は……」
「実は?」
「写真を撮る前に、食べそうになっちゃったんです」
「それは想像できるな」
「ええっ!? どうしてですか!?」
「だって、るなだから」
「私だからって、どういう意味ですかぁ!」
「おいしいものを前にすると、るなは待ちきれなくなるだろ?」
「うっ……」
否定できない。
るなは口元に手を当てた。
「……たしかに、いちごが私を呼んでいたんです」
「いちごが?」
「はい。『るなちゃん、早く食べて♡』って……」
「なるほど」
「『写真はあとでもいいよ♡』って……」
「いちご、ずいぶん甘い声なんだね」
「そうなんです! しかも、すっごく誘惑上手なんです!」
るなは真剣な顔で説明した。
蒼は、とうとうこらえきれずに笑い出した。
「ははっ……!」
「せ、先輩! 笑いすぎです!」
「ごめん、ごめん。でも、るなの話を聞いてると、本当にいちごがしゃべっているみたいで」
「……だって、おいしいものは、心に語りかけてくるんです!」
「そうか」
「そうです!」
るなは堂々とうなずいた。
けれど、すぐに声を落とした。
「……でも、先輩と一緒に食べたから、もっとおいしかったんですよ」
蒼の笑顔が、少しだけ柔らかくなった。
「僕もそう思うよ」
「本当ですか?」
「うん。同じものを食べて、おいしいねって言い合えるのは、いい時間だと思う」
「……はい」
るなは画面を見つめた。
写真の中のパフェは、もう食べ終わってしまっている。
あの日の味を、まったく同じように再現することはできないかもしれない。
でも、写真を見れば、あのときの笑顔を思い出せる。
先輩が自分の分のいちごを少し分けてくれたこと。
るなが「一口だけですよ?」と言いながら、結局うれしそうに受け取ったこと。
そして、二人で顔を見合わせて笑ったこと。
「……また食べたいですね」
「秋いちご?」
「はい! もちろん、秋いちごもですけど……」
るなは、少しだけ先輩に近づいた。
「先輩と一緒に食べたいです」
「うん。また行こう」
あまりにも自然な返事だった。
それがうれしくて、るなは小さく笑った。
「約束ですよ?」
「約束」
「来年も?」
「来年も」
「その次も?」
「その次も、機会があれば一緒に行こう」
「……えへへ。じゃあ、来年の秋いちごも予約です!」
「予約できるのかな?」
「私の心の予約表には、もう記入しました!」
「それなら、忘れないようにしないとね」
「はいっ!」
るなはスマートフォンを操作し、秋いちごの写真をお気に入りに登録した。
今年の思い出。
来年につながる約束。
写真の中のいちごは、季節を越えても鮮やかな赤色をしていた。
*
「次は、お月見です!」
るなが表示したのは、秋の夜空に浮かぶ月の写真だった。
薄い雲の向こうに、丸い月が浮かんでいる。
その下には、やわらかな光を放つ街灯。
そして、月を見上げる二人の影が、道の上に長く伸びていた。
「この日は、空がきれいでしたね」
「うん。雲が少し流れていて、月の光が見えたり隠れたりしていた」
「そうそう! あのとき、先輩が『雲が動くたびに、違う絵になるね』って言ってくれたんです」
「そんなことを言ったかな?」
「言いました!」
るなは、きっぱりと答えた。
「私はちゃんと覚えています!」
蒼は写真を見つめた。
「るなは、細かいことをよく覚えているね」
「……好きな人と一緒にいたときのことですから」
言ってから、るなはぴたりと固まった。
しまった。
今、自分は何を言ったのだろう。
顔が、じわじわと熱くなっていく。
「……あ、あのっ! つまり! その! 思い出っていうのは、大切なものですから!」
「うん」
「だから、ちゃんと覚えているんです!」
「うん。うれしいよ」
蒼は、まっすぐに彼女を見た。
「僕との時間を、そんなふうに大切にしてくれて」
「……先輩」
るなは、それ以上うまく言葉を続けられなかった。
月の写真に目を戻す。
お月見の夜は、花火大会のように賑やかではなかった。
大きな音も、たくさんの人の歓声もなかった。
ただ、月があって。
夜風があって。
隣に先輩がいた。
それだけだった。
けれど、今思い返すと、その静けさがとても心地よかった。
何か特別なことをしなくてもいい。
面白い話をずっと続けなくてもいい。
同じ月を見上げながら、同じ時間を過ごせる。
それだけで、胸が満たされていた。
「……この写真、好きなんです」
るなは静かに言った。
「景色も好きですけど……二人の影が写っているところが、特に」
「影?」
「はい。私たち、同じ方向を向いているでしょう?」
画面の中では、二つの影が、月明かりの下で並んでいた。
「このとき、私は先輩の横にいるのがうれしかったんです。だから、写真を見ても、そのときの気持ちが思い出せるんですよ」
「……そうなんだ」
「はい」
るなは、少し照れくさそうに笑った。
「月を見ていたはずなのに、先輩のことも、いっぱい見ていたんだと思います」
「僕も、るなのことを見ていたよ」
「……えっ?」
「月を見上げているるなの横顔が、きれいだったから」
「…………っ!」
るなの動きが止まった。
そして、ゆっくりとスマートフォンを胸元に抱きしめる。
「……先輩」
「うん?」
「……今日、心臓に悪いです」
「寒いから?」
「違いますっ!」
思わず大きな声が出て、近くを歩いていた人がちらりと二人を見た。
るなは、あわてて声を小さくした。
「……もう。先輩は、いつもそうなんですから」
「そう?」
「そうです……」
蒼は、困ったように笑った。
「ごめん。思ったことを言っただけなんだけど」
「……その、思ったことが……うれしいんです」
るなは、ほんの少しだけ、彼の袖に指先を触れさせた。
「だから……もっと言ってほしいなって思うことも、あります」
蒼は彼女を見つめ、そっと微笑んだ。
「わかった。じゃあ、これからも、ちゃんと言葉にするよ」
「……はい」
その返事は、とても小さかった。
けれど、るなにとっては、冬のイルミネーションにも負けないくらい、明るい約束だった。
*
「続いて、焼きいもです!」
静かな月の写真から一転。
るなが画面に表示したのは、ほかほかと湯気が立ちのぼる焼きいもの写真だった。
写真の中央には、半分に割った焼きいも。
黄金色の中身が、夕方の光を受けて、まるで小さな太陽のように輝いている。
「……おいしそうだね」
「ですよねっ!」
るなの声が、また一段と弾んだ。
「見てください、この黄金色! このほくほく感! この、割った瞬間に広がる甘い香りを思い出してください!」
「写真から香りまで思い出せるんだね」
「もちろんです!」
「さすがだなあ」
「えへへ……」
るなは胸を張った。
そして、ふと、少し申し訳なさそうな顔をした。
「……実は、この日は先輩と一緒に焼きいもを食べたんですけど」
「うん」
「私、食べることに夢中になりすぎて、写真を撮るのを忘れそうになったんです」
「やっぱり」
「やっぱりって何ですかぁ!」
「いや、想像できたから」
「むむむ……!」
るなは唇を尖らせた。
「でも、ちゃんと撮りましたよ! ほら!」
写真を切り替える。
次の一枚には、焼きいもを持つるなの手と、隣に立つ蒼の手が写っていた。
顔は写っていない。
けれど、二人の手には、同じような紙袋が握られている。
「これ、私のお気に入りなんです」
「顔が写っていないのに?」
「はい!」
るなは、うなずいた。
「だって、二人で同じものを持って、同じ方向に歩いているでしょう?」
写真の中の二人は、並んで歩いていた。
その先には、夕焼け色に染まる道が続いている。
「焼きいもを食べて、熱いねって笑って。おいしいねって言って。それから、ゆっくり帰ったんです」
るなは、写真を見つめた。
「特別な場所に行ったわけじゃないし、すごく珍しいことをしたわけでもないんです。でも……すごく幸せだったなって」
「僕も覚えているよ」
蒼は、柔らかい声で言った。
「るなが、焼きいもをひと口食べて、すごく満足そうな顔をしていたこと」
「……あっ!」
るなは、はっと顔を上げた。
「もしかして、私……すごい顔をしていました?」
「すごく幸せそうな顔だった」
「……うう」
「僕は、あの顔が好きだよ」
「……っ!」
るなは、両手で頬を押さえた。
「先輩! 焼きいもの話をしているのに、どうして私が照れる展開になるんですか!」
「どうしてだろうね」
「絶対、わざとですよね!?」
「どうかな」
「もうっ!」
怒っているように見せながらも、るなは笑っていた。
蒼も、そんな彼女を見て笑った。
焼きいもは、いつか食べ終わってしまう。
夕焼けも、やがて夜に変わる。
でも、その日の二人の笑顔は、こうして写真の中に残っている。
そして、写真を見返すたびに、もう一度、心の中であの日を歩くことができる。
「……また、焼きいもを食べに行きましょうね」
るなが言った。
「もちろん」
「今度は、もっと大きいのを食べたいです!」
「一人で?」
「……先輩と半分こです!」
「それなら、ちょうどいいね」
「はいっ!」
るなは、焼きいもの写真をお気に入りに追加した。
画面の中の黄金色が、冬の日差しに照らされて、やさしく輝いていた。
*
「そして……ハロウィン!」
るなが次に見せたのは、オレンジ色のかぼちゃの飾りと、紫色のライトが並ぶ写真だった。
小さなカボチャのランタン。
お菓子が並ぶショーケース。
街角に飾られた黒猫のオブジェ。
そして、少しだけ仮装を楽しんだ、るなの笑顔。
「この日は、いつもより街がにぎやかだったね」
蒼が言った。
「はい! どこを見ても、カボチャやおばけがいっぱいで!」
るなは、楽しそうに写真をめくった。
「それに、ハロウィン限定のお菓子もたくさんあったんですよ!」
「やっぱり、お菓子なんだね」
「もちろんです!」
るなは、迷いなく答えた。
「ハロウィンは、おばけとカボチャとお菓子の祭典ですから!」
「なるほど」
「しかも、限定スイーツは、この時期しか食べられないんです!」
「それは大事だね」
「はいっ! 先輩、よくわかっていらっしゃいます!」
るなは満足そうにうなずいた。
そのあと、ふと、画面の中の一枚に目を止めた。
そこには、オレンジ色のライトに照らされた道を歩く二人の後ろ姿が写っていた。
手をつないでいるわけではない。
けれど、二人の距離は近く、肩が触れそうなくらい並んでいる。
「……この写真も、好きです」
「これも?」
「はい」
るなは画面を少し拡大した。
「ハロウィンって、街全体がいつもと違う雰囲気になるでしょう? ちょっと不思議で、ちょっとわくわくして……」
「うん」
「その中を先輩と歩いていたら、なんだか、私たちだけの小さな物語の中にいるみたいだったんです」
蒼は、彼女の言葉を聞きながら、写真に視線を落とした。
「るなは、何気ない景色を物語にするのが上手だね」
「そうでしょうか?」
「うん。るなと一緒にいると、同じ街でも、前とは少し違って見えることがある」
「……先輩も?」
「そうだよ」
蒼は、ゆっくりとうなずいた。
「たとえば、あのとき歩いた道。今度ひとりで通ったら、きっとるなのことを思い出すと思う」
るなは、目を丸くした。
「……私のことを?」
「うん。オレンジ色のライトを見たら、ハロウィンの日のるなを思い出すだろうね」
「……っ」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
自分だけが、思い出を大切にしているのではない。
先輩の心の中にも、自分と過ごした時間が残っている。
それが、何よりもうれしかった。
「……じゃあ、来年のハロウィンも、一緒に歩きたいです」
「うん。来年も歩こう」
「カボチャの飾りを見て!」
「うん」
「限定のお菓子も見て!」
「もちろん」
「それから……」
るなは、少しだけ声を小さくした。
「……また、二人で写真を撮りたいです」
蒼は、微笑んだ。
「いいね。今度は、後ろ姿だけじゃなくて、二人の顔も一緒に写そうか」
「……はいっ!」
るなの顔が、ぱっと明るくなった。
来年のハロウィン。
そのとき、二人はどんな服を着て、どんな街を歩いているのだろう。
どんなお菓子を見つけて、どんな話をしているのだろう。
まだ何も決まっていない。
でも、楽しみな未来がある。
そう思えることが、るなにはうれしかった。
*
「次は……モンブラン女子会です!」
るなは、待ってましたと言わんばかりに写真を表示した。
画面には、四つのモンブランが並んでいた。
栗のクリームがくるくると絞られたもの。
粉砂糖が雪のようにかかったもの。
チョコレートが添えられたもの。
そして、栗が丸ごと一粒、てっぺんに飾られたもの。
「……おいしそうだね」
「ですよねっ!」
るなは、先ほどから何度目かわからないほど元気にうなずいた。
「これは、ひかりとゆずはとまなと、四人で行った女子会なんです!」
「女子会か。楽しそうだね」
「はい! すっごく楽しかったです!」
るなの表情が、ふわりと明るくなった。
「ひかりは、見た目もきれいなモンブランを選んでいて。ゆずはは、味の組み合わせを真剣に考えていて。まなは……」
「まなさんは?」
「まなは、私がどれを食べるか、すっごく気にしていました!」
「どうして?」
「私が『全部食べたい』って言ったからです!」
「ははっ」
蒼は、思わず笑った。
「るななら、言いそうだね」
「だって、どれもおいしそうだったんですもん!」
るなは、スマートフォンを見ながら、当時のやりとりを思い出した。
*
『るな先輩、四つ全部食べるつもりですか!?』
まなが驚いた顔で言った。
『えっ? だって、四種類あるよ?』
『ありますけど! 四人で来てるんですよ!?』
『うん! だから、四人で一個ずつ……』
『るな先輩、今、全部ひとりで食べるつもりだったでしょう!?』
『……ばれた?』
『ばれますよ!』
ゆずはが、ため息をついた。
『まったく、るなは食べ物のことになると、本当にわかりやすいんだから』
ひかりは、そんな二人を見ながら、くすくすと笑っていた。
『でも、少しずつ分け合えば、いろんな味を楽しめるよね』
『そうそう! ひかり、天才!』
『るな先輩、分け合う前提なら、私も賛成です』
『じゃあ、モンブラン交換会、開催です!』
『勝手に名前をつけないで!』
ゆずはの鋭いツッコミが飛び、四人の笑い声が店内に広がった。
*
「……ふふっ」
るなは、思い出し笑いをした。
「本当に、楽しかったんです」
「うん。写真からも伝わってくるよ」
蒼は、四人の笑顔が並ぶ写真を見つめた。
「みんな、いい顔をしてる」
「はい!」
るなは、うれしそうに答えた。
「ひかりも、ゆずはも、まなも、私にとって大切な友達なんです。恋のことを相談したり、くだらないことで笑ったり、おいしいものを一緒に食べたり……」
「いい友達だね」
「はい。本当に!」
るなは写真の中の三人を見つめた。
ひかりとは、長い時間を一緒に過ごしてきた。
恋に悩んでいたひかりの背中を押したこともある。
ゆずはとは、遠慮なく言い合えるからこそ、気持ちを隠さずにいられる。
まなは、いつもまっすぐで、るなを慕ってくれる後輩だ。
四人で集まれば、話題は尽きない。
恋の話をしていたはずなのに、いつの間にかスイーツの話になっていることもある。
真面目な相談をしていたはずなのに、誰かの一言で全員が笑い出すこともある。
そんな時間が、るなは大好きだった。
「……先輩」
「うん?」
「私、先輩と過ごす時間が大好きです」
「うん」
「でも、友達と過ごす時間も、大好きなんです」
るなは、少しだけ照れくさそうに笑った。
「先輩といると、胸がどきどきしたり、安心したり、うれしくなったりします。でも、ひかりたちといると、思いきり笑えるんです」
「うん。どちらも、るなにとって大切な時間なんだね」
「……はい!」
蒼は、静かにうなずいた。
「大切な人がいる場所が増えていくのは、いいことだと思うよ」
「……大切な人がいる場所」
るなは、その言葉を心の中で繰り返した。
先輩と歩く街。
友達と笑い合うカフェ。
ひかりの恋を応援した、あの日の花火会場。
どこにも、自分の大切な人たちがいる。
そして、その場所ごとに、違う思い出がある。
「……私、幸せですね」
るながつぶやくと、蒼は彼女を見た。
「うん。僕も、るなと出会えて幸せだよ」
「……先輩」
るなは、スマートフォンをぎゅっと握った。
今すぐ抱きつきたいくらいうれしかった。
けれど、街の真ん中なので、さすがに少し恥ずかしい。
だから、代わりに。
そっと、先輩の手に自分の手を重ねた。
蒼は何も言わず、その手を優しく握り返してくれた。
*
「……そして、最後は紅葉です」
少ししてから、るなは最後の写真を開いた。
画面には、赤や橙、黄金色に染まった並木道が広がっていた。
木々の間から差し込む夕日。
風に舞う落ち葉。
並んで歩く二人の影。
そして、足元に広がる、色とりどりの葉の絨毯。
「……きれいだね」
蒼が、静かに言った。
「はい」
るなも、同じように答えた。
この写真は、何度も見返している。
見返すたびに、あの日の空気がよみがえってくる。
夏の花火のような、胸が弾けるほどの高揚感とは少し違う。
秋いちごのような、甘くてかわいらしいときめきとも少し違う。
紅葉の季節に感じたのは、もっと静かな気持ちだった。
隣にいることが、うれしい。
同じ景色を見られることが、うれしい。
何も話さずに歩いていても、気まずくない。
先輩が笑えば、自分も笑いたくなる。
先輩が立ち止まれば、自分も一緒に立ち止まりたくなる。
そんな、自然な気持ち。
「……この頃から、少しずつ変わった気がするんです」
るなは、写真を見つめながら言った。
「何が?」
「先輩と一緒にいるときの、私の気持ちです」
蒼は、彼女の言葉を待った。
「前は、先輩に会えるだけで、すごくうれしくて。話せただけで、帰り道に何度も思い出して……」
「うん」
「でも、秋になってからは……もちろん、今でもうれしいんですけど」
るなは、ゆっくりと言葉を選んだ。
「先輩と一緒にいると、ほっとするようになったんです」
「ほっとする?」
「はい」
彼女は、少しだけ笑った。
「隣にいるだけで安心するんです。何か特別なことをしなくても、一緒に歩いているだけで楽しいし。話したいことがあるときは、いっぱい話せるし。何も話さない時間も、好きになりました」
蒼は、まっすぐにるなを見つめた。
「……僕も、同じだよ」
「えっ?」
「るなといると、自然にいろんな話ができる。何か面白いことがあったら、るなに話したいと思うし、きれいな景色を見たら、一緒に見たいと思う」
彼は、写真の中の紅葉を見つめた。
「それに、何も話さずに歩いている時間も、僕は好きだよ」
「……先輩」
「だから、これからも、そういう時間を大切にしたい」
るなの目が、ゆっくりと潤んだ。
泣きたいわけではない。
ただ、胸の中にある気持ちが、あまりにも温かかった。
「……私もです」
彼女は、先輩の手をぎゅっと握った。
「これからも、一緒にいろんな景色を見たいです」
「うん」
「春の桜も、夏の花火も、秋の紅葉も……それから、冬のイルミネーションも」
「うん。全部、一緒に見よう」
「……約束ですよ?」
「約束」
蒼は、るなの手を握り返した。
その手は、冬の空気の中でも温かかった。
るなは、紅葉の写真をもう一度見つめた。
画面の中の景色は、もう過ぎ去った秋のもの。
けれど、二人の間にある気持ちは、過ぎ去ってはいなかった。
季節が変わっても、写真が古くなっても。
あの日の自分が抱いていた気持ちは、今の自分へと続いている。
そして、今の自分が抱いている気持ちも、これから先の未来へと続いていくのだろう。
*
やがて、二人は駅前の広場に戻ってきた。
夕方の空は、少しずつ青から紫へと変わり始めている。
街路樹に飾られたイルミネーションが、一つ、また一つと点灯していった。
るなはスマートフォンを操作し、今日見返した写真を順番に並べた。
夏の花火。
秋いちご。
お月見。
焼きいも。
ハロウィン。
モンブラン女子会。
紅葉。
それぞれの写真には、違う景色が写っている。
違う季節が写っている。
違う表情が写っている。
けれど、どの写真にも、同じものがあった。
大切な人たちと過ごした時間。
笑ったこと。
照れたこと。
うれしかったこと。
そして、また会いたいと思ったこと。
「……先輩」
「うん?」
「今日、写真を見返してみて、わかったことがあるんです」
「何かな?」
るなは、スマートフォンを胸の前に持ったまま、先輩を見上げた。
「思い出って、写真を撮ったときだけのものじゃないんですね」
「……うん」
「写真を見ると、そのときの気持ちがよみがえってくるんです。花火の音も、いちごの甘さも、月を見たときの静けさも、焼きいもの温かさも……」
るなは、一つひとつを思い出すように、ゆっくりと言葉を続けた。
「友達と笑った時間も、先輩と歩いた時間も。全部、私の中に残っているんだなって」
蒼は、穏やかにうなずいた。
「写真に残っている景色だけじゃなくて、るなの心にも残っているんだね」
「……はい」
るなは微笑んだ。
「それに、写真を見ると、また新しい気持ちになることもあるんです」
「新しい気持ち?」
「はい。撮ったときは、ただ楽しかっただけだったのに、今見ると……あのとき、先輩と一緒にいられてよかったなって、もっと思うんです」
蒼の表情が、優しくほどけた。
「それは、僕もうれしいな」
「……先輩も、今日の写真を覚えていてくれますか?」
「もちろん」
「花火も?」
「うん」
「秋いちごも?」
「もちろん」
「焼きいもも?」
「忘れないよ」
「……モンブラン女子会は?」
「それは、るなと友達のみんなの大切な思い出だね」
「はい!」
るなは、にっこり笑った。
「じゃあ、先輩には、これからもいっぱい写真を見せます!」
「楽しみにしてるよ」
「でも……」
るなは、少しだけいたずらっぽい顔をした。
「写真が増えすぎて、スマートフォンの容量がいっぱいになったら、どうしましょう?」
「整理するしかないかな」
「ええっ!? 思い出を整理するんですか!?」
「写真の話だよ」
「写真も思い出です!」
「そうだね」
「だから、消せません!」
るなは、きっぱりと言い切った。
蒼は、また楽しそうに笑った。
「じゃあ、これからも写真を撮って、少しずつ残していこう」
「……はい!」
るなは、うれしそうにうなずいた。
「これからの写真も、いっぱい増やしたいです」
「うん」
「春も、夏も、秋も、冬も」
「うん」
「来年も、その次の年も……」
るなは、そこで少しだけ言葉を止めた。
ほんの少しの勇気を胸に、先輩の手を握り直す。
「……これから先も、先輩と一緒に思い出を作っていきたいです」
蒼は、彼女の手を優しく握り返した。
「僕もだよ、るな」
その声は、穏やかで、まっすぐだった。
「これからも、一緒にいろんな景色を見よう。きれいな景色も、おいしいものも、何でもない帰り道も」
「……はい」
「そして、また写真を見返して、今日みたいに笑おう」
るなは、目を細めた。
「……約束ですね」
「約束」
二人は、しばらくそのまま、手をつないで立っていた。
やがて、広場のイルミネーションが一斉に輝き始めた。
白い光。
金色の光。
淡い青色の光。
それぞれの光が、冬の街をやさしく照らしている。
るなはスマートフォンを持ち上げ、先輩と並んだまま、イルミネーションの写真を一枚撮った。
カシャッ。
「……撮れました!」
「見せて」
「はい!」
画面には、きらきらと輝く光と、その前に並ぶ二人の姿が写っていた。
少しだけ緊張したるなの笑顔。
穏やかに微笑む蒼。
そして、二人の間でつながれた手。
「……これも、大切な写真になりますね」
るなが言った。
「うん。今日の思い出だね」
「来年、また見返したら……今日のことも思い出すんでしょうね」
「そうだね」
蒼は、画面の中の二人を見つめた。
「そのとき、今日よりもっと、たくさんの思い出が増えていたらいいな」
「……はい!」
るなは、満面の笑みでうなずいた。
夏の花火から始まった、二人の思い出。
秋いちごの甘さ。
月明かりの静けさ。
焼きいもの温もり。
ハロウィンのわくわくする光。
友達と過ごしたモンブラン女子会。
紅葉の並木道で感じた、穏やかな幸せ。
それらは、どれも違う季節の出来事だった。
けれど、一つひとつがつながって、今のるなを作っている。
そして、今この瞬間もまた、未来の自分へと続く新しい思い出になっていく。
るなは、スマートフォンをそっと胸元に抱いた。
「……先輩」
「うん?」
「私、今日の写真も、ずっと大切にします」
「うん」
「それから……今日のことも、ずっと覚えていたいです」
蒼は、彼女の手を握ったまま、優しく微笑んだ。
「僕も、覚えているよ」
るなは、先輩の肩にそっと寄り添った。
冬の風が、二人の髪を静かに揺らす。
目の前では、イルミネーションが星のように瞬いていた。
その光を見つめながら、るなは思った。
写真の中の自分は、いつだって、その瞬間を生きている。
夏の自分は、花火に胸を躍らせていた。
秋の自分は、少しずつ深まる恋に幸せを感じていた。
そして、今の自分は。
大好きな人の隣で、これから先の季節を楽しみにしている。
過ぎ去った季節は、戻ってこない。
でも、思い出は消えない。
大切な人と過ごした時間は、心の中に残り続ける。
写真を見返せば、いつでもその光に触れられる。
そして、隣にいる先輩の手を握れば、今この瞬間の温かさも感じられる。
「……えへへ」
るなが、小さく笑った。
「どうしたの?」
「……秘密です」
「また秘密?」
「はい。今日の思い出に、ひとつ秘密を追加しました♡」
「そっか」
蒼は、追及することなく笑った。
「じゃあ、いつか教えてね」
「……はい。いつか、きっと」
るなは、先輩の手をぎゅっと握った。
心の中にある秘密は、ひとつだけではない。
先輩に出会えてよかったこと。
先輩を好きになってよかったこと。
そして、これからも、ずっと隣にいたいと思っていること。
そのすべてを、いつか言葉にできるだろうか。
今はまだ、少しだけ恥ずかしい。
けれど、きっと。
季節が巡るたびに。
二人で思い出を重ねるたびに。
今よりもっと、素直に伝えられるようになる。
そう信じていた。
るなは、もう一度だけ、スマートフォンの画面を見た。
今日撮ったばかりの写真。
冬の光の中で、二人が並んで笑っている。
その写真に、彼女は心の中でタイトルをつけた。
――『これからも、あなたと』
「……先輩」
「うん?」
「来年の冬も、こうして一緒に写真を撮りましょうね」
「うん。来年も、その先も」
蒼は、るなの手を優しく握り返した。
「一緒に思い出を増やしていこう」
「……はいっ!」
二人は、きらめく街の中を、ゆっくりと歩き出した。
スマートフォンの中には、過ぎ去った季節の光。
目の前には、今この瞬間の光。
そして、その先には、まだ見ぬ未来の光が待っている。
夏の花火も。
秋の紅葉も。
冬のイルミネーションも。
すべての季節が、二人の物語をつないでいく。
写真の中で笑う自分たちに、いつかまた会えるように。
今日の幸せを、明日の幸せにつなげられるように。
るなは、大好きな先輩の隣で、冬の光に向かって微笑んだ。
思い出は、過ぎ去った時間を閉じ込めるもの。
けれど、二人の思い出は、未来へ進むための光にもなる。
そして、星野るなのスマートフォンには、また一枚、新しい写真が増えた。
それは、冬の始まりに撮った、小さな一枚。
けれど、きっと何年先になっても、見るたびに胸が温かくなる。
大好きな人と、これからも一緒に歩いていく。
その願いが、確かな形になった一枚だった。
*
帰り道。
駅へ向かう途中、るなはふと思い出したように顔を上げた。
「……あっ、先輩!」
「どうしたの?」
「今日、写真を見返していたら、ひとつだけ気づいたことがあるんです!」
「何かな?」
蒼は、優しく彼女を見つめた。
るなは、少しだけ照れながら、けれどはっきりと答えた。
「……どの写真にも、先輩と過ごした時間があるんです」
「うん」
「それで、写真を見ていると、また先輩に会いたくなるんです」
蒼は、ほんの少し目を見開いた。
そして、うれしそうに微笑んだ。
「じゃあ、写真を見て会いたくなったら、また会おう」
「……えっ?」
「次の思い出を作りに行こうよ」
るなは、しばらくぽかんとした。
それから、花が咲くように笑った。
「……はいっ!」
次の思い出は、どんなものになるのだろう。
クリスマスのイルミネーションかもしれない。
温かいココアを飲む、何気ない午後かもしれない。
雪が降る日に、二人で窓の外を眺める時間かもしれない。
あるいは、また二人で、いちごのおいしいお店を探すことかもしれない。
どれでもいい。
大切なのは、何をするかだけではない。
誰と、その時間を過ごすか。
そして、その時間を、二人で大切にできるかどうか。
「……先輩、次は何をしましょう?」
「るなは、何がしたい?」
「えっと……」
るなは、真剣に考え始めた。
「まずは、クリスマスのイルミネーションを見て……それから、温かい飲み物を飲んで……おいしいケーキも食べて……」
「うん」
「それから、写真を撮って……」
「うん」
「……あっ! クリスマス限定のいちごケーキがあったら、絶対に食べたいです!」
「やっぱり、そこに戻るんだね」
「当然ですっ!」
るなは、胸を張った。
「恋も、イルミネーションも、いちごケーキも! 全部、大切ですから!」
「そうだね」
蒼は笑いながら、彼女の手を握り直した。
「じゃあ、次はその全部を楽しもう」
「……はい!」
るなは、うれしそうにうなずいた。
冬の空に、最初の星がひとつ、輝き始めていた。
その星を見上げながら、るなは思った。
これからも、たくさんの写真を撮ろう。
たくさんの景色を見よう。
たくさん笑って、たくさん話して。
ときどき、食べ物のことで先輩を困らせてしまうかもしれないけれど。
それでも、隣にいてくれるなら。
きっと、どんな季節も好きになれる。
そして、何年先かに今日の写真を見返したとき。
自分はきっと、こう思うのだろう。
――この日も、先輩と一緒にいられて幸せだったな、と。
冬のイルミネーションが、二人の歩く道を照らしていた。
その光は、まだ始まったばかりの冬の夜に、静かに、そして確かに輝き続けていた。
思い出の写真は、過ぎた日々を振り返るためだけのものじゃない。
大切な人と、これからも歩いていきたい。
その気持ちを、何度でも思い出させてくれるものだから。
星野るなは、大好きな先輩の隣で、今日という一日を心に刻んだ。
そして二人は、まだ見ぬ次の季節へと、ゆっくり歩き続けた。
――冬色のイルミネーションが、二人の未来を優しく照らしていた。
第3節「変わったこと、変わらないこと」
十二月の夜。
窓の外では、冷たい風に乗って、細かな雪がちらちらと舞い始めていた。
街路樹に飾られたイルミネーションは、夜の闇の中で静かに輝いている。
青白い光。あたたかな金色の光。雪の結晶を思わせる白い光。
それぞれの光が重なり合い、街全体をひとつの大きな物語のように彩っていた。
「……きれい」
星野るなは、窓辺に立って、遠くに見える街の明かりを眺めていた。
つい先ほどまで、先輩と一緒に過去の写真を見返していた。
夏の花火。秋のいちごスイーツ。お月見。焼きいも。ハロウィン。モンブラン女子会。そして、色づいたもみじ。
写真を一枚ずつ見ながら、二人で笑って、思い出して、また笑って。
気がつけば、ずいぶん長い時間が経っていた。
そして最後に、るなの手元に残ったのは、一枚の写真だった。
昨年の冬。
ひかりと透先輩の恋を応援していた、あの日の写真。
夜空に広がる花火と、街を彩るイルミネーション。
写真の中には、今のるなにとって、特別な意味を持つ光景が写っていた。
あの日、るなはひかりと透先輩の二人きりの時間を作ろうとして、いちご飴を買いに行った。
そして、その帰り道。
スケッチブックを抱えた一人の男の子と、ぶつかってしまった。
散らばる紙。
慌てて謝る自分。
その中に見つけた、一枚の絵。
光だけではなく、そこにいる人の気持ちまで描かれているような、不思議な絵だった。
あの瞬間、るなは思ったのだ。
――もっと、この人の絵を見てみたい。
――この人が見ている世界を、もっと知りたい。
それが、すべての始まりだった。
「……懐かしいな」
るなは写真の端を指先でそっとなぞった。
あの日の自分は、まさか今の自分が、あの男の子の隣をこんなにも自然に歩くようになるなんて、想像もしていなかっただろう。
ましてや。
「……先輩」
小さく名前を呼んでみる。
部屋の中には、るなの声だけが静かに響いた。
「今の私を見たら、あの頃の私、びっくりするだろうなあ……」
あの頃は、目が合うだけで緊張していた。
話しかける言葉を何度も頭の中で練習して、いざ本人を目の前にすると、用意していた言葉が全部飛んでしまった。
絵を見せてもらえるだけで嬉しかった。
名前を覚えてもらえただけで、帰り道まで頬が緩んでしまった。
次に会える約束ができたら、それだけで一日中幸せだった。
それなのに、今はどうだろう。
先輩の隣で、今日あったことを話して。
寒いときには「寒いですね」と笑って。
おいしいものを見つけたら「先輩、これ食べてみませんか?」と、ためらいなく差し出して。
ときには、何でもないことでからかわれて、頬を膨らませて。
そんな自分を思い浮かべて、るなはくすりと笑った。
「……変わったなあ、私」
そうつぶやいたときだった。
スマートフォンが、テーブルの上で小さく震えた。
画面に表示された名前を見て、るなの顔がぱっと明るくなる。
『今日は楽しかったね。写真、また一緒に見よう』
先輩からのメッセージだった。
るなは、すぐに返信を打ち始めた。
『はい! 私もすごく楽しかったです!』
そこまで打って、少し考える。
それから、もう一文を付け加えた。
『先輩、今日はありがとうございました。昔のことを思い出していたら、なんだか不思議な気持ちになりました』
送信。
すぐに既読がついた。
そして、少ししてから返事が届いた。
『不思議な気持ち?』
るなは画面を見つめた。
何と説明すればいいのだろう。
あの頃の自分と、今の自分。
変わったことも、変わらないことも、たくさんある。
でも、そのどれもが、今の自分につながっている。
るなは少しだけ頬を緩めて、文字を打った。
『今度会ったときに、お話ししますね』
送信すると、すぐに返事が返ってきた。
『わかった。楽しみにしてる』
その短い言葉が、なぜだか胸にあたたかく染み込んだ。
「……楽しみにしてる、かあ」
るなはスマートフォンを胸元に抱き寄せた。
以前なら、こんな短いメッセージをもらっただけで、嬉しさのあまり部屋の中を歩き回っていたかもしれない。
いや。
今だって、十分に嬉しい。
けれど、あの頃とは少し違う。
胸がどきどきして、どうしようもなくなるような嬉しさだけではない。
次に会ったら、どんな話をしよう。
今日の続きを話そう。
また一緒に笑おう。
そんな、ごく自然な未来が心に浮かぶ。
それが、今のるなにとって、とても幸せなことだった。
「……次に会ったら、ちゃんとお話ししよう」
そう決めると、るなは写真を大切にアルバムへ戻した。
けれど、その夜。
ベッドに入って目を閉じても、なかなか眠れなかった。
頭の中に浮かんでくるのは、昨年の冬の光景。
そして、あのときの自分だった。
*
一年前――初めて出会った頃
「……どうしよう」
当時のるなは、街のイルミネーションを見上げながら、小さくつぶやいていた。
きらきらと輝く光が、夜の街を華やかに彩っている。
大きなツリーには無数の電飾が飾られ、歩道沿いの木々にも、星を散りばめたような光が灯っていた。
少し離れた広場では、音楽に合わせて色が変わるイルミネーションの演出が行われている。
周囲には、楽しそうに笑う人たち。
手をつないで歩く恋人たち。
写真を撮り合う友達同士。
家族でツリーを見上げる人たち。
誰もが、それぞれの時間を楽しんでいた。
その中で、るなだけは、なぜか落ち着かなかった。
「ひかりと透先輩、ちゃんと二人でお話しできてるかな……」
少し前。
るなは、親友の白雪ひかりと、その想い人である朝比奈透先輩を二人きりにするため、ある作戦を実行していた。
ひかりが透先輩に伝えたいことがあると知っていたからだ。
二人がせっかく一緒にイルミネーションを見に来たのだから、少しくらい、恋人同士のような時間を過ごしてほしい。
そう思ったるなは、笑顔で二人に告げたのだった。
『私、ちょっといちご飴を買ってきますね! ゆっくりしていてください!』
もちろん、本当にいちご飴が食べたかったのも事実だった。
しかし、それだけではない。
ひかりの恋を応援したい。
その気持ちは、当時のるなにとって何より大切なものだった。
『るな、本当に一人で大丈夫?』
ひかりは少し心配そうに尋ねた。
『大丈夫です! いちご飴を買うという重大任務がありますから!』
『重大任務って……』
『はい! 恋の応援と、いちご飴の確保! 二つの任務を同時に遂行します!』
『ふふっ。もう、るなったら』
ひかりが笑う。
透先輩も、困ったように微笑んでいた。
『あまり遠くへ行かないようにね』
『はい! すぐ戻ります!』
そう言って、るなは二人から離れた。
けれど、歩き始めてすぐに、ふと振り返ってしまった。
二人は、並んでイルミネーションを見上げていた。
ひかりが何かを話し、透先輩が優しく耳を傾けている。
その光景を見た瞬間、るなは嬉しくなった。
「……よかった」
ひかりが好きな人と一緒にいられること。
ひかりが幸せそうに笑っていること。
それが、るなにとっても嬉しかった。
「よーし! ひかりの恋がうまくいきますように!」
小さく拳を握る。
「そして、いちご飴も無事に手に入りますように!」
最後の一言は、もちろん本気だった。
るなは、いちご飴の屋台を探して歩き出した。
そのときのるなは、まだ知らなかった。
この先、自分自身の恋が、思いもよらない形で始まることを。
*
絵に心を動かされた日
「いちご飴、いちご飴……あっ、あった!」
屋台を見つけた瞬間、るなの目が輝いた。
透明な飴に包まれた、真っ赤ないちご。
イルミネーションの光を受けて、表面がつやつやと輝いている。
まるで、小さな宝石のようだった。
「わあ……おいしそう!」
るなは迷わず一本を購入した。
店員から受け取ると、嬉しそうに眺める。
「ふふっ。これで任務の第一段階は完了です!」
誰に報告しているのかは、自分でもよくわからない。
けれど、嬉しいものは嬉しいのだ。
るなは大事そうにいちご飴を持ち、イルミネーションの続く道を歩き始めた。
ぱくっ。
「……んんっ! おいしい!」
飴の甘さと、いちごの甘酸っぱさ。
口の中に広がる味に、思わず頬が緩む。
「やっぱり、いちご飴って最高……」
幸せだった。
そのせいで、少しだけ周囲への注意がおろそかになっていた。
「この角を曲がったら、ひかりたちのところに戻ろうかな……。でも、もうちょっとだけイルミネーションを見てから……」
歩きながら、そんなことを考えていた。
そして。
「あっ……!」
曲がり角の向こうから来た人影に、気づくのが遅れた。
ドンッ!
「わっ!」
「……っ!」
肩がぶつかった。
るなの手から、いちご飴が危うく落ちそうになる。
相手が抱えていた紙の束も、ふわりと宙に舞った。
「あっ、す、すみません!」
るなは慌てて頭を下げた。
「私、前を見てなくて……! 大丈夫ですか?」
「うん。僕は大丈夫だけど……」
相手の男の子は、散らばった紙を見下ろした。
「こっちを拾うのを手伝ってもらえるかな?」
「あっ、もちろんです! 本当にすみません!」
るなは、いちご飴を落とさないよう気をつけながら、慌ててしゃがみ込んだ。
紙を一枚、また一枚と拾い上げていく。
そのうちの一枚に目が留まった。
「……あ」
それは、絵だった。
街のイルミネーションが描かれていた。
木々に飾られた光。
広場に集まる人々。
夜空に広がる光の粒。
けれど、るなの目を引いたのは、光そのものだけではなかった。
絵の中には、イルミネーションを見上げる親子がいた。
手をつないで笑う二人がいた。
少し離れた場所で、誰かを待っているような人もいた。
光の形だけではなく、その場所にいる人たちの気持ちまで伝わってくるようだった。
同じイルミネーションを見ているはずなのに。
その絵の中には、るながまだ知らない世界が広がっていた。
「……きれい」
思わず、声が漏れた。
「え?」
男の子が顔を上げた。
るなは、手に持っていた絵を見つめたまま、しばらく動けなかった。
「この絵……」
「それ、僕が描いたんだ」
「えっ……!」
るなは驚いて顔を上げた。
「あなたが……描いたんですか?」
「うん。まだ途中だけどね」
男の子は、少し照れたように笑った。
その笑顔を見て、るなはなぜだか胸がどきりとした。
けれど、それ以上に心を動かされたのは、彼の描いた絵だった。
「すごいです……」
「そんなに?」
「はい!」
るなは思わず、勢いよくうなずいた。
「イルミネーションがきれいなのはもちろんですけど……。そこにいる人たちまで、なんだか本当に生きているみたいで」
男の子は、少し驚いたように目を見開いた。
「……人のほうも見てくれたんだ」
「え?」
「この絵、光ばかり見られることが多いんだ。でも、僕はそこにいる人たちも描きたかったから」
彼は、るなの手元の絵に目を落とした。
「同じ景色を見ていても、みんな感じていることは違うでしょう?」
「……はい」
「嬉しい人もいれば、懐かしい気持ちになる人もいる。誰かと一緒にいたい人もいれば、一人で静かに眺めたい人もいる。そういう気持ちも、絵の中に残せたらいいなと思って」
その言葉を聞いたとき、るなは不思議な気持ちになった。
この男の子は、光だけを見ているわけではない。
その場所にいる人たちのことを見ている。
目に映る景色の奥にある、誰かの心を想像している。
そして、それを絵に描こうとしている。
「……すてきです」
気がつけば、るなはそう言っていた。
「私、こんなふうに絵を見たこと、なかったです」
「そう?」
「はい。イルミネーションって、きれいだなあって思うだけだったので。でも、この絵を見たら……同じ場所にいても、人それぞれ違う気持ちがあるんだなって」
言葉にしながら、るな自身も驚いていた。
たった一枚の絵なのに。
たった数分の出会いなのに。
こんなにも、心が動かされるなんて。
男の子は、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「そう感じてもらえたなら、描いてよかった」
その笑顔を見た瞬間、るなはまた、胸の奥がくすぐったくなるのを感じた。
何だろう。
この気持ちは。
絵がすてきだったから?
自分の知らない世界を見せてもらったから?
それとも、絵を描いた本人が、思っていたよりも優しい目をしていたから?
るなには、まだわからなかった。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
「……あの!」
「うん?」
「また、その絵を見せてもらってもいいですか?」
口にしてから、るなははっとした。
初めて会ったばかりなのに。
名前も知らないのに。
いきなり、そんなお願いをしてしまった。
「……あっ! ご、ごめんなさい! 急に変なことを……!」
慌てて言い直そうとしたけれど、男の子は怒るどころか、穏やかに笑っていた。
「いいよ。完成したら、また見せるよ」
「……本当ですか?」
「うん」
その返事が、るなにはとても嬉しかった。
「ありがとうございます!」
るなは笑顔になった。
けれど、その直後。
自分がまだ、相手の名前さえ知らないことに気づいた。
「あっ、そうだ! 私、まだお名前を聞いていませんでした!」
「僕は桐生蒼。桐生が名字で、蒼が名前」
「桐生……蒼くん」
名前を口にすると、少しだけ緊張した。
「私は星野るなです!」
「星野さん、か」
「はい!」
蒼は、拾い集めた絵をきれいにそろえた。
るなも最後の一枚を手渡す。
「本当にすみませんでした。大切な絵なのに……」
「大丈夫。破れたりしていないから」
「よかった……」
るなは、ほっと胸をなで下ろした。
それから、手に持ったいちご飴を見た。
そういえば、さっきからずっと片手に持ったままだった。
「あっ……」
蒼が、るなの視線の先を見た。
「いちご飴?」
「はい!」
なぜか、るなは元気よく返事をしてしまった。
「ひかりたちのところに戻る前に買ってきたんです。おいしくて、つい夢中になっちゃって……それで、前を見ていなくて……」
説明しているうちに、自分の失敗を改めて思い出してしまう。
るなの頬が、じわじわと赤くなった。
「……本当に、ごめんなさい」
「いや、もう大丈夫だって」
蒼は笑いをこらえるように、口元を緩めた。
「そんなに謝らなくても」
「でも……!」
「じゃあ、次に会ったときは、前を見て歩くこと」
「……はい」
「それで、この前の続きの絵を見せるよ」
「……!」
るなは、ぱっと顔を上げた。
「本当ですか?」
「約束」
その言葉が、どれほど嬉しかったか。
あの頃のるなには、うまく説明できなかった。
ただ、次に会えるかもしれない。
また、この人の絵を見られるかもしれない。
そう思っただけで、帰り道のイルミネーションが、さっきよりもずっときれいに見えた。
*
あの頃の私と、今の私
「……あのときは、本当に緊張してたなあ」
現在。
るなはベッドの中で、布団を頬まで引き上げながら、小さく笑った。
名前を聞くだけでも、声をかけるだけでも、あんなに勇気が必要だった。
絵を見せてもらう約束ができたときは、嬉しすぎて、何度もその言葉を思い出した。
次に会える日が決まっているわけでもない。
どこで会うのかも、いつ会うのかもわからない。
それなのに、あのときのるなは、また会えることを信じていた。
いや。
正確には、また会いたいと思っていたのだ。
もう一度、あの絵を見たい。
もう一度、あの人の話を聞きたい。
あの人が、どんな景色を見ているのか知りたい。
その気持ちが、少しずつ大きくなっていった。
「……ふふっ」
るなは、枕元のスマートフォンを手に取った。
先輩とのメッセージ画面を開く。
最後のやり取りは、先ほどの短い会話。
『今度会ったときに、お話ししますね』
『わかった。楽しみにしてる』
その文字を見つめて、るなは思った。
今なら、あの頃の自分に教えてあげられる。
大丈夫だよ、と。
あの日、勇気を出して話しかけてよかった。
あの絵に心を動かされてよかった。
また会いたいと思ってよかった。
あのとき感じた小さな気持ちは、いつかこんなにも大切なものになるのだから。
「……でも」
るなは、少しだけ考えた。
あの頃の自分と今の自分。
本当に、変わったことばかりなのだろうか。
確かに、変わったことはたくさんある。
初めて会った頃は、蒼が自分より年上だと知ったとき、呼び方ひとつにも迷っていた。
その後、彼が先輩だと知り、いつしか「蒼先輩」と呼ぶようになった。
そして、今では自然に「先輩」と呼んでいる。
会話の仕方も変わった。
最初は、何を話せばいいのかわからなかった。
絵のことを聞きたいのに、緊張して言葉が出てこない。
何か話さなくちゃと思うほど、頭の中が真っ白になる。
それが今では、話題が尽きることのほうが珍しい。
今日のお昼に何を食べたか。
帰り道に見つけたかわいいお店。
新しく見つけたスイーツ。
ひかりたちと話したこと。
絵を見て感じたこと。
これから一緒に行きたい場所。
何でもないことまで、話したくなる。
そして、先輩も、そんなるなの話を楽しそうに聞いてくれる。
「……あ」
るなは、ふと気づいた。
自分は、先輩に何かを話すとき、以前ほど「ちゃんと話さなくちゃ」と考えなくなっている。
言葉につまってもいい。
話が途中でそれてもいい。
思いついたことを、そのまま口にしてもいい。
先輩は、そんな自分を笑わない。
時々、からかうことはあるけれど。
「……それは、ちょっとずるいです」
るなは、思わず布団の中でつぶやいた。
だって。
自分の好きなところも、少し恥ずかしいところも、先輩は知っている。
食べ物を見ると、つい夢中になってしまうこと。
嬉しいと、すぐ顔に出てしまうこと。
心配になると、何度も確認してしまうこと。
そして。
先輩のことが大好きだという気持ちも。
「……もう、全部知られちゃってるんだもん」
頬が熱くなる。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、嬉しい。
自分のことを知ってもらえること。
先輩のことを知っていけること。
少しずつ、お互いのことがわかっていくこと。
それが、今のるなにとって、大切な幸せになっていた。
*
変わったのは、恋の形
翌日。
午後の空は、薄い雲に覆われていた。
街には冬の気配が濃く漂い、吐く息が白くなる。
るなは、待ち合わせ場所へ向かいながら、マフラーを巻き直した。
今日は、先輩と会う約束の日だった。
昨日、メッセージで話したことを、ちゃんと伝えようと思っていた。
けれど。
「……何から話そう」
駅前の時計を見上げる。
約束の時間まで、あと五分。
「最初に、昔の話をして……。それから、今はこんなに自然に話せるようになったって……」
頭の中で、話す順番を考えてみる。
しかし、考えれば考えるほど、どんどん説明が難しくなっていく。
「……あれ?」
るなは首をかしげた。
昨日は、あんなにいろいろと思い出せたのに。
いざ本人に話そうとすると、うまくまとまらない。
「うう……。やっぱり、先輩を目の前にすると、ちょっと緊張するかも……」
小さくつぶやいた、そのとき。
「るな」
聞き慣れた声がした。
振り向くと、先輩がこちらへ歩いてくるところだった。
冬のコートに身を包み、首元には落ち着いた色のマフラー。
その姿を見た瞬間、るなの胸が、ぽんっと跳ねた。
「……先輩!」
「待たせた?」
「いえ! 私も今、着いたところです!」
本当だった。
いや、正確には五分ほど早く着いていたけれど。
それは待ち合わせではよくあることだ。
「寒かった?」
「ちょっとだけ。でも、大丈夫です!」
先輩は、るなの顔を見て微笑んだ。
「そっか。じゃあ、歩こうか」
「はい!」
二人は並んで歩き始めた。
街路樹には、冬のイルミネーションが灯り始めていた。
昼間の光は夜ほど鮮やかではないけれど、飾りつけられた小さな電球が、冬の街に華やかさを添えている。
「……あっ、先輩。あのお店、前に見たところですよね?」
るなが指さしたのは、通り沿いの小さな雑貨店だった。
「そうだね。雪の結晶のオーナメントを見たところ」
「はい! あれ、すごくかわいかったです」
「家に飾ってる?」
「もちろんです! ちゃんと、毎年使えるところにしまってあります!」
るなは胸を張った。
「今年だけじゃなくて、来年も、その次も飾りますから!」
「うん。楽しみだね」
先輩が自然にそう返した。
その言葉に、るなは少しだけ目を細めた。
来年も。
その次も。
先輩は、未来の話をするとき、当たり前のように自分をそこに含めてくれる。
それが嬉しくて。
少し照れくさくて。
そして、以前よりもずっと安心できることだった。
「……先輩」
「ん?」
「昨日、昔のことを思い出していたんです」
「うん。メッセージで言ってたね」
「はい。初めて先輩に会ったときのこととか……。絵を見せてもらったときのこととか」
先輩は、少し懐かしそうに笑った。
「最初に会ったとき、るなはすごく驚いてたね」
「えっ! そ、そうでしたか?」
「うん。絵を見たあと、何度も『すごいです』って言ってた」
「……あああっ!」
るなは、両手で頬を覆った。
「そんなに言ってましたっけ!?」
「言ってたよ」
「うう……! 忘れてください……!」
「どうして?」
「だって、恥ずかしいじゃないですか!」
先輩は、楽しそうに笑った。
「でも、嬉しかったよ」
「……え?」
「自分が描いた絵を、そんなふうに見てもらえたのは」
るなは、そっと顔を上げた。
先輩は前を向いたまま、穏やかな声で続けた。
「あの日、るなが絵を見て、そこにいる人のことまで感じ取ってくれたのが、嬉しかった。描きたかったことが、ちゃんと伝わった気がしたんだ」
「……先輩」
「だから、また見せたいと思ったんだよ」
その言葉に、るなの胸がきゅっとなった。
あの日。
自分は、絵を見て心を動かされた。
けれど、もしかしたら。
自分が絵に心を動かされたことも、先輩にとって大切な思い出になっていたのかもしれない。
「……そうだったんですね」
「うん」
「私、あの日はただ、絵がすごくきれいで……。もっと見たいって思っただけだったんです」
「それで十分だよ」
先輩が微笑んだ。
「最初から、何か特別な理由があったわけじゃなくてもいいと思う」
るなは、静かにうなずいた。
そうだ。
あのときの気持ちは、まだ恋だとは言い切れなかった。
絵に惹かれた。
人柄に惹かれた。
もっと知りたいと思った。
その気持ちが、いつから恋になったのか。
今でも、正確にはわからない。
ただ、気づいたときには、先輩に会えることが嬉しくなっていた。
先輩からメッセージが届くと、何度も読み返した。
次に会う約束ができると、その日が待ち遠しくなった。
そして、いつしか。
先輩と一緒に見たい景色が、増えていった。
夏の花火。
秋の紅葉。
冬のイルミネーション。
その景色を見たとき、自分は何を感じるのだろう。
先輩は、どんな表情をするのだろう。
一緒に笑えるだろうか。
同じものを見て、違う感想を話し合えるだろうか。
そんなことを考えるようになっていた。
「……先輩と出会った頃の私は、先輩の絵をもっと見たいって思っていました」
るなは、少しずつ言葉を選びながら話した。
「先輩がどんなものを描くのか、どんな景色を見ているのか、知りたかったんです」
「うん」
「それから、先輩とお話しできるのが嬉しくなって……。また会えると嬉しくて……」
「うん」
「気づいたら、先輩のことを考えている時間が増えていて……」
そこまで言って、るなは足を止めた。
頬が熱い。
自分で話し始めたことなのに、だんだん恥ずかしくなってきた。
「……あの、先輩」
「うん?」
「これ、ちょっと恥ずかしいですね……」
先輩は、るなの顔を見て笑った。
「そう?」
「そうです!」
「僕は、聞けて嬉しいけど」
「……っ!」
その一言で、るなの心臓が大きく跳ねた。
ああ、もう。
やっぱり、ずるい。
昔は、先輩が笑いかけてくれるだけで、どうしていいかわからなかった。
今は、こんなふうに言葉を交わせる。
自分の気持ちを、少しずつ伝えられる。
先輩の気持ちも、言葉にして聞かせてもらえる。
その変化が、たまらなく嬉しかった。
「……私、変わったんでしょうか」
るなは、ぽつりと尋ねた。
「何が?」
「先輩と出会った頃と、今の私です」
先輩は、少し考えるように目を細めた。
「変わったところは、たくさんあると思うよ」
「……やっぱり?」
「うん。最初は、僕と話すとき、すごく緊張していたから」
「うう……」
「でも、今はずいぶん自然に話してくれるようになった」
「……はい」
「それに、笑う顔も増えた気がする」
るなは、目を瞬かせた。
「笑う顔……ですか?」
「うん。最初に会ったときも、笑ってくれたけど。今は、もっといろんな表情を見せてくれるから」
先輩は、るなを見つめた。
「嬉しいときも、困ったときも、ちょっと怒っているときも。食べ物を見つけて目を輝かせているときも」
「……最後のは、必要ですか!?」
思わず声が裏返った。
先輩は、とうとう声を出して笑った。
「大事なところだから」
「もう! 先輩!」
るなは頬を膨らませた。
けれど、その顔も、すぐに笑顔に変わった。
「……でも」
「うん?」
「先輩が、そうやって私のことを見ていてくれるのは、嬉しいです」
先輩の笑顔が、少しだけ優しくなった。
「見ていたいからね」
「……っ」
「るなのこと、もっと知りたいと思ってるよ」
その言葉は、冬の空気の中で、静かに響いた。
るなは、何も言えなくなった。
胸がいっぱいだった。
嬉しい。
恥ずかしい。
大好き。
いろいろな気持ちが重なって、言葉にならない。
けれど、もう、黙っていてもいいと思えた。
以前の自分なら、何か返さなければと焦っていたかもしれない。
でも、今は違う。
先輩が自分の返事を急かさないことを知っている。
自分が言葉を探している間も、優しく待っていてくれることを知っている。
だから、るなは少しだけ笑って、正直な気持ちを口にした。
「……私も、先輩のこと、もっと知りたいです」
「うん」
「絵のことも。好きな景色のことも。これから描きたいもののことも」
「うん」
「それから……先輩が、どんなときに嬉しいと思うのかとか。どんなことを考えているのかとか……」
るなは、そっと先輩の顔を見た。
「もっと、知りたいです」
先輩は、ゆっくりとうなずいた。
「じゃあ、これからも話そう」
「……はい!」
その瞬間、るなは思った。
変わったのは、恋の形なのかもしれない。
出会ったばかりの頃は、ただ憧れていた。
絵に心を動かされて、もう一度会いたいと思った。
その気持ちは、いつしか、先輩自身を知りたいという気持ちになった。
そして今は。
先輩の隣にいたい。
一緒に笑いたい。
何でもない日を、一緒に過ごしたい。
嬉しいことがあったら、真っ先に伝えたい。
悲しいことがあったら、そばにいてほしい。
未来の景色を、これからも一緒に見ていきたい。
そんな気持ちに変わっていた。
けれど。
そのすべての始まりには、あの日の小さな気持ちがあった。
――もっと、この人の絵を見てみたい。
――もっと、この人を知りたい。
そして、今も。
その気持ちは、変わっていない。
*
変わらない、好き
二人は、イルミネーションが続く並木道へと歩いていった。
日が暮れ始め、街の光が少しずつ鮮やかになっていく。
頭上の枝には、金色の光がいくつも灯っていた。
歩道の端には、雪の結晶をかたどった飾り。
その向こうには、青白い光で彩られた小さなトンネルが見える。
「わあ……!」
るなは思わず立ち止まった。
「先輩、見てください! 今年のイルミネーション、ここもすごくきれいです!」
「本当だね」
「去年もきれいだと思ったんですけど、今年はまた違って見えます」
「どうしてだと思う?」
先輩に尋ねられ、るなは少し考えた。
「……うーん」
去年の冬。
この街で、初めて先輩と出会った。
あの頃の自分は、イルミネーションを見ながら、ひかりの恋がうまくいくことを願っていた。
自分の恋が始まるなんて、思ってもいなかった。
そして、今。
同じように輝く光を見ている。
けれど、隣にいる人が違う。
いや、正確には。
隣にいる人は同じだ。
ただ、その人との関係が、あの頃とは大きく変わった。
「……去年は、先輩と出会ったばかりだったから」
るなは、ゆっくりと答えた。
「この景色がきれいだなって思っても、先輩が今、何を感じているのか、わからなかったんです」
「うん」
「でも、今は……」
るなは、隣に立つ先輩を見上げた。
「先輩が、こういう光を見るのが好きなことも。どんなところに心を動かされるのかも、少しずつわかってきました」
「そうだね」
「だから、同じ景色を見ても、前よりもっと楽しいのかもしれません」
先輩は、しばらくイルミネーションを見つめていた。
それから、るなに視線を戻した。
「僕も、そう思うよ」
「……本当ですか?」
「うん。去年は、この景色をどう描こうか考えていた。でも、今は……」
先輩は、少しだけ照れたように笑った。
「るなが、どんな顔でこの景色を見ているのかも気になるから」
「……えっ?」
「きれいだと思っているのかな、とか。何か思い出しているのかな、とか」
るなの頬が、ゆっくりと赤くなった。
「そ、そんなに見てるんですか……?」
「見てるよ」
「……っ!」
「だって、一緒に来ているんだから」
その言い方が、あまりにも自然だった。
まるで、当たり前のことを話すように。
るなは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
あの頃は、先輩の視線が自分に向くだけで、どうしていいかわからなかった。
絵を見ている先輩の横顔を、こっそり眺めていた。
話しかけたいのに、何度もためらった。
目が合うと、慌てて視線をそらした。
けれど、今は。
先輩の目を見て、笑える。
自分から話しかけられる。
嬉しいときは、嬉しいと言える。
好きだという気持ちも、少しずつ言葉にできるようになった。
それは、るなにとって、とても大きな変化だった。
「……先輩」
「うん?」
「私、今、すごく幸せです」
口にした瞬間、少しだけ恥ずかしくなった。
けれど、もう取り消したくはなかった。
先輩は、驚いたように目を瞬かせたあと、柔らかく微笑んだ。
「……僕もだよ」
その一言で、るなの胸がいっぱいになった。
冬の風が、二人の間をすり抜けていく。
少し寒い。
けれど、隣にいる先輩の存在が、何よりも温かかった。
「……あの、先輩」
るなは、少しだけ勇気を出した。
「手、つないでもいいですか?」
言った直後、心臓が大きく跳ねた。
今さら、こんなことを尋ねるのはおかしいだろうか。
何度も一緒に歩いているのに。
何度も手をつないでいるのに。
それでも、好きな人に触れたいと思う気持ちは、いつだって少しだけ特別だった。
先輩は、すぐに答えた。
「もちろん」
そう言って、そっと手を差し出してくれた。
るなは、その手を握った。
指先が触れ、手のひらが重なる。
冷えていた指先が、少しずつ温かくなっていく。
るなは、つないだ手を見つめた。
あの頃は、こんな未来を想像していなかった。
自分が先輩の隣を歩いていること。
自然に話して、笑い合っていること。
そして、こんなふうに手をつないで、同じ景色を眺めていること。
何もかもが、夢のようだった。
「……変わりましたね」
るなは、小さくつぶやいた。
「何が?」
「私たち、です」
先輩は、つないだ手に少しだけ力を込めた。
「そうだね」
「最初は、こんなふうになるなんて思っていませんでした」
「僕も」
「絵を見せてもらえるだけで嬉しかったんです。もう一度会えたらいいなって、そればかり考えていて……」
るなは、思い出すように目を細めた。
「先輩に会えると、何を話そうかって、何度も考えていました」
「うん」
「でも、今は……」
言葉が、自然に続いた。
「何を話そうって、考えなくてもいいんです」
先輩が、こちらを見る。
るなは、少し照れながら笑った。
「先輩と一緒にいると、話したいことが次から次へと出てくるんです。何でもないことまで、聞いてほしくなっちゃって」
「うん」
「だから、今日も……明日も……これからも、いろんなお話をしたいです」
先輩は、優しくうなずいた。
「僕も、るなの話を聞きたいよ」
「……はい」
「何でもない話も、嬉しかった話も。たまには、困った話も」
「困った話……?」
るなは、少しだけ眉を寄せた。
「それって、いちご飴を食べながら歩いて、また誰かにぶつかるとかですか?」
「それは、できれば気をつけてほしいかな」
「ううっ……! まだ覚えているんですか!」
「忘れられないよ」
先輩は笑った。
「僕にとっても、大事な出会いだったから」
るなは、ぴたりと動きを止めた。
「……大事な、出会い?」
「うん」
先輩は、まっすぐにるなを見た。
「るなと出会えてよかったと思ってる」
その言葉を聞いた瞬間、るなは何も言えなくなった。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
あの頃の自分は、ただ、もう一度絵を見たいと思っていた。
この人のことを、もっと知りたいと思っていた。
その気持ちが、こんなにも大切な言葉につながるなんて。
「……先輩」
やっと呼んだ声が、少し震えていた。
「私も……」
言葉を探す。
でも、今はもう、無理に飾らなくてもいい気がした。
「私も、先輩に出会えてよかったです」
先輩は、何も言わずに微笑んだ。
るなも笑った。
二人の手は、つながれたままだった。
*
あの日の私に伝えたいこと
並木道の先には、大きなイルミネーションツリーがあった。
無数の光が、枝の先まで輝いている。
ツリーの下には、小さなベンチ。
その近くでは、子どもたちが楽しそうに写真を撮っていた。
「先輩、あそこで写真を撮りませんか?」
るなが尋ねると、先輩はうなずいた。
「いいね。撮ろうか」
二人はツリーの前に並んだ。
先輩がスマートフォンを構え、るなは隣で笑顔を作った。
「……はい、撮るよ」
ぱしゃり。
画面に、二人の姿が映った。
ツリーの光を背に、並んで笑う二人。
るなは、写真をのぞき込んだ。
「わあ……! いい感じです!」
「本当だね」
「これ、あとで送ってくださいね!」
「もちろん」
るなは、もう一度写真を見た。
そして、ふと思った。
この写真も、いつか懐かしく思い出す日が来るのだろう。
来年の冬。
その次の冬。
もっと先の未来。
そのとき、自分はこの写真を見て、何を思うのだろう。
今日の寒さ。
イルミネーションの美しさ。
先輩と手をつないだ温かさ。
そして、今、この瞬間の気持ち。
きっと、いろいろなことを思い出すはずだ。
「……先輩」
「うん?」
「この写真も、いつか懐かしくなるんでしょうね」
先輩は、スマートフォンの画面を見つめた。
「そうかもしれないね」
「そのときも、今日のことを覚えていたいです」
「うん」
「先輩と一緒に写真を見返して、今日も楽しかったねって……。また笑いたいです」
先輩は、るなの手を握り直した。
「じゃあ、これからも写真を撮ろう」
「……はい!」
「いろんな景色を見て、いろんなことをして。そのたびに、思い出を増やしていこう」
るなは、満面の笑みでうなずいた。
「はい! いっぱい増やしましょう!」
「いっぱい?」
「はい! 夏の花火も、秋の紅葉も、冬のイルミネーションも! おいしいものを食べたときも、かわいいお店を見つけたときも!」
「最後の二つは、るならしいね」
「大事ですから!」
るなは胸を張った。
「思い出には、おいしいものも必要なんです!」
「そうだね」
「来年は、いちご飴も絶対に食べます!」
「うん。でも、食べながら歩くときは前を見てね」
「……もう! 先輩!」
二人の笑い声が、冬の街に溶けていった。
るなは、先輩の隣で笑いながら、心の中でそっと思った。
――あの日の私へ。
――あなたが、あの絵に心を動かされたこと。
――勇気を出して、もう一度見たいと伝えたこと。
――また会いたいと思ったこと。
――その全部が、今の私につながっているよ。
あの日の私は、まだ知らなかった。
好きな人と一緒に歩くことが、こんなにも楽しいなんて。
何でもない話をして、笑い合うことが、こんなにも幸せなんて。
そして。
好きな人の隣にいることが、こんなにも自然になる日が来るなんて。
でも、あの日の私が抱いた気持ちは、今もここにある。
絵に心を動かされた気持ち。
もっと知りたいと思った気持ち。
また会いたいと思った気持ち。
そのすべてが、少しずつ形を変えながら、今も自分の中で輝いている。
「……先輩」
るなは、つないだ手を、ぎゅっと握った。
「ん?」
「大好きです」
声に出した瞬間、胸がどきんと鳴った。
何度伝えても、少しだけ緊張する。
けれど、もう、逃げたくはなかった。
先輩は、驚いたように目を瞬かせ、それから優しく笑った。
「……ありがとう」
彼は、るなの手を握り返した。
「僕も、るなのことが大好きだよ」
その言葉が、るなの胸いっぱいに広がった。
ああ。
やっぱり、好きだ。
あの日、絵に心を動かされたときから。
また会いたいと思ったときから。
一緒に笑う時間が増えていったときから。
そして、今、この瞬間も。
自分の中にある気持ちは、変わらない。
変わったのは、好きという気持ちの伝え方。
変わったのは、二人で過ごす時間の重なり方。
変わったのは、隣にいることへの緊張が、安心へと変わっていったこと。
けれど。
好きという気持ちは、ずっと同じ場所にある。
初めて出会ったあの日から、少しずつ育ってきた、たった一つの気持ち。
るなは、先輩の手を握ったまま、笑顔で見上げた。
「……先輩」
「うん?」
「これからも、いっぱい一緒に笑いましょうね」
「もちろん」
「いろんな景色を見て、いろんな絵を見せてもらって……。私も、先輩が見ている世界を、もっと知りたいです」
「じゃあ、これからも一緒に見ていこう」
「……はい!」
冬のイルミネーションが、二人の頭上で輝いていた。
夏の花火のように、一瞬で夜空を染める光ではない。
秋の紅葉のように、季節とともに色を変える光でもない。
冬の街に灯る光は、静かに、長く、そこにあり続ける。
その光の下で、二人は並んで歩いていく。
出会ったばかりの頃とは違う歩幅で。
出会ったばかりの頃とは違う気持ちで。
それでも、あの日と同じ想いを胸に抱いて。
――もっと、この人を知りたい。
――もっと、一緒にいたい。
――これからも、ずっと。
るなは、隣を歩く先輩を見上げた。
先輩も、こちらを見て微笑んだ。
その笑顔を見て、るなも笑った。
もう、緊張して何も話せなくなることはない。
隣にいることを、不思議に思うこともない。
ただ、嬉しい。
ただ、幸せ。
そして、何より。
「……先輩、大好きです」
今度は、心の中でそっとつぶやいた。
口に出さなくても、つないだ手から伝わるような気がした。
先輩の手が、もう一度、優しく握り返してくれたから。
冬の光は、今日も街を照らしている。
二人の思い出を。
二人の今を。
そして、これから一緒に歩いていく未来を。
恋の形は変わっても、好きな気持ちは変わらない。
あの日、絵の中に見つけた光は。
今、るなの隣で、優しく笑っていた。
そして、その光はきっと。
来年の冬も、その先の冬も。
二人の歩く道を、そっと照らし続けてくれる。