小説タイトル
『恋のイルミネーション物語・第2部 ―きらめきの距離と、ほどけない想い――第1章』
ジャンル
青春恋愛小説/アイドル的ラブストーリー/季節物
(全年齢・やさしい恋)
主要登場人物(6名)
1. 星野 るな(ほしの るな)
-
年齢:18歳
-
性別:女性
-
立場:高校2年生、ひかりの親友(ひかりとは永久親友)
-
性格:性恋バナ担当で親友の背中を押す役。いちごとチョコがあれば幸せ。ズレた発言で周囲を和ませる。恋に対してはマイペースで、「急がない恋派」
- 役割:今回の主人公。一応気になる人はいるが、親友と甘いものがあれば満足。誰からも愛されるキャラだが、決してお節介ではなく、ほんの少し背中を押すタイプ
2.桐生 蒼(きりゅう あおい)
-
年齢:19歳
-
性別:男性
-
立場:美術大学1年生
-
性格:穏やかで観察眼が鋭い。感性が豊かで、言葉選びが独特
-
役割:るなの「一応気になる人」。るなの"ズレた発言"を面白がり、自然体で接してくれる。るなが唯一「ちょっとドキドキする」相手
3. 白雪 ひかり(しらゆき ひかり)
-
年齢:18歳
-
性別:女性
-
立場:高校3年生、るなの親友(るなの"永久親友枠")
-
性格:明るい・ちょっと照れ屋・感情表現が素直
-
役割:恋愛の経験者・るなの支え
4. 小日向 まな(こひなた まな)
-
年齢:17歳
-
性別:女性
-
立場:高校2年生で後輩
-
性格:元気で憧れ体質。るなを「るな先輩」と慕っている
- 役割:るなの恋心に最初に気づき、さりげなくサポートする役割。純粋な応援者
5.橘 ゆずは(たちばな ゆずは)
-
年齢:18歳
-
性別:女性
-
立場:高校3年生、るなのクラスメイトでひかりとるなとは友人
-
性格:しっかり者でちょっと毒舌。でも根は優しい
-
役割:るなの恋を外側から冷静にツッコミつつ、実は誰よりも応援している
6. 朝比奈 透(あさひな とおる)
-
年齢:19歳
-
性別:男性
-
立場:大学1年生
-
性格:優しい・落ち着いている・少し不器用
-
役割:白雪ひかりの恋人
舞台・設定
7. 街(イルミネーションのある商店街)
-
場所:
地方都市の高校とその周辺。商店街、カフェ、コンビニ、公園、そして冬から春にかけてのイルミネーションスポット
-
地方都市
-
毎年11月から3月まで
「ウィンターイルミネーション+月1回の冬花火」が行われる街 -
高校・駅前・商店街・川沿いの花火スポット
物語の世界観を特徴づける重要な設定:
-
「るな基準の記念日」という概念。るなは日常の小さな幸せを勝手に記念日化する
-
いちごとチョコという二つの「甘さ」が、恋心のメタファーとして機能
-
「恋は急がなくていい」という、るな独自の恋愛哲学
-
ひかりと透の関係が「ゆっくり育てた恋の成功例」として物語の背景に存在
恋のイルミネーション物語・第2部 ―きらめきの距離と、ほどけない想い―
曲紹介『恋のイルミネーションシリーズ』
冬の余韻を抱いたまま、静かに春へ足を踏み出す――
やわらかく、あたたかい春の物語です。
この初夏の物語、第2部 ―きらめきの距離と、ほどけない想い―「揺れる光、まだ名前のない距離」からオリジナル曲が出来ました。
オリジナル曲「まだ名前のない光」
タイトル:『まだ名前のない光』歌詞紹介
【歌詞】
【Intro】
夕暮れの駅前
まだ灯ってないイルミネーション
なのに どうしてかな
胸だけ 少し光ってる
【Verse 1】
放課後の風に 髪を揺らして
いつもの帰り道 歩いてた
笑いながらでも
心のどこかで
君のこと 探してしまう
“また冬 見れたらいいね”
何気ないその言葉
こんなに残るなんて
知らなかったよ
【Pre-Chorus】
恋ってまだ 言えないけど
たぶん 特別で
会いたい理由が
増えていくんだ
【Chorus】
まだ名前のない光
胸の奥で 揺れてる
イルミネーションより先に
気持ちが 灯り始めた
急がなくても いいよって
初夏の風が 笑うから
この想いを 大事に抱いて
今日を歩いていく
【Verse 2】
雑貨屋帰りの 夕焼け空
友だちの声が 少し遠い
“好きになる瞬間”なんて
もっと派手だと
思ってたのにな
白いコード 吊るされた
駅前の準備中の光
まだ始まってないのに
ちゃんと そこにあった
【Pre-Chorus】
気づかないまま
始まるものが
いちばん 本物なのかも
【Chorus】
まだ名前のない光
小さく胸で 瞬いた
花火みたいな恋じゃなくて
静かな あたたかさで
会えなくなる怖さより
また会いたいが 増えていく
その気持ちを 認めるたび
少しだけ 変わっていく
【Bridge】
ねえ
季節は 進んでいくのに
どうして心だけ
同じ場所で 立ち止まるんだろう
でも――
立ち止まったままじゃなくて
ちゃんと 見つめていたかった
この気持ちを
【Final Chorus】
まだ名前のない光
今夜そっと 灯ってる
冬でも春でもない
この季節の 真ん中で
“好き”って言葉に
急がなくても いいんだね
一緒に見たい未来が
もう 始まってるから
【Outro】
駅前の電飾が
一瞬だけ 光った
その小さな輝きに
少しだけ 似ていたんだ
……今のわたし
🌿第1章「揺れる光、まだ名前のない距離」
第1節「変わらない放課後」
初夏の風は、ちょっとだけ甘い。
校門を出た瞬間、ふわっと頬に触れて――
なんだか、チョコレートの箱を開けたときみたいな匂いがした。
「……あ、今日、絶対いい日だ」
思わずそう呟くと、隣を歩いていたひかりがくすっと笑う。
「るな、それ毎回言ってるよね」
「だってほんとなんだもん。いい匂いの日って、だいたい何かあるし」
「“何か”って?」
「うーん……」
私は少しだけ空を見上げて、考えるふりをする。
「……コンビニの新作スイーツ当たりとか?」
「それただの食いしん坊でしょ」
「否定はしない!」
即答すると、ひかりはまた笑った。
その笑い方が、前より少し柔らかくなっていることに気づく。
――ああ、そっか。
ひかり、恋してる顔だ。
「ねえひかり」
「なに?」
「最近さ、なんか“いいこと”あった?」
「え、なに急に」
「いいじゃんいいじゃん。教えてよ〜」
肩を軽くぶつけながら聞くと、ひかりはほんの少しだけ視線を逸らした。
「……まあ、ちょっとはね」
「ほらやっぱり〜!」
「もう、るな声大きいって」
「だって分かりやすいもん。顔に書いてあるよ、“幸せです”って」
「そんなことないし」
「あるある。しかもフォント付きで」
「フォントってなに」
「丸ゴシック。やさしい感じのやつ」
「細かいなあもう……」
そんなやり取りをしていると、後ろから元気な声が飛んできた。
「るな先輩ー!ひかり先輩ー!」
振り返ると、制服のスカートをひらひらさせながら、まなが走ってくる。
「おつかれさまですっ!」
「おつかれ、まな」
「今日も一緒に帰っていいですか?」
「もちろん〜。むしろ来ないと寂しい」
「えへへ、ありがとうございます!」
まなは本当に嬉しそうに笑う。
その無邪気さは、見ているだけでちょっと元気になる。
……いいなあ、こういうの。
「今日、部活どうだったの?」
「文化祭の準備が始まりました!展示やるんですけど、すっごく楽しみで!」
「へえ、もうそんな時期か」
「早いですよね〜。先輩たちが引退したと思ったら、すぐ次ですもん」
その言葉に、ほんの少しだけ空気が変わる。
“引退した先輩たち”
その中に――
「あ、そういえば」
まなが、ぱっと顔を上げる。
「この前、桐生先輩の話、部活で出ましたよ!」
――やっぱり来た。
心のどこかで、ちょっとだけ身構える。
「へえ、どんな?」
できるだけ普通の声で聞く。
「なんか、美大に進学するって聞きました!」
「うん、そうらしいね」
ひかりが自然に答える。
私はその横で、ふーん、と軽く相槌を打つ。
「すごいですよね〜。やっぱり才能ある人って違うなあって思いました」
「だね。蒼先輩、絵うまかったし」
「ですよね!あのスケッチ、めちゃくちゃ綺麗で……!」
まなは興奮気味に話し続ける。
私はそれを聞きながら、なんとなく空を見た。
青い空。少しだけ白い雲。
風はさっきより、少しだけ強くなっている。
「……るな先輩?」
「ん?」
「どうしました?」
「え、なにが?」
「なんか、ぼーっとしてました」
「あー、たぶんお腹すいてる」
「絶対それじゃないですよね」
「バレた?」
軽く笑ってごまかす。
別に、なんでもない。
ほんとに、なんでもない。
ただ――
“美大に進学する”
その言葉が、思ったよりもちゃんと胸に残っただけ。
「るな」
隣で、ひかりが小さく名前を呼ぶ。
「なに?」
「今日、帰りコンビニ寄る?」
「行く行く。新作チェックしなきゃ」
「やっぱりそれか」
「重要だからね、これは」
そう言って笑うと、ひかりも少し安心したように笑った。
……ほんと、いい子だなあ。
たぶん、気づいてる。
でも、何も言わない。
それがひかりの優しさだ。
駅前に近づくにつれて、人の数が増えていく。
商店街の入口には、まだ少しだけ残っているイルミネーションの名残。
完全に片付けられていない、白い電飾。
冬の名残みたいなそれが、風に揺れていた。
「これ、まだ残ってるんだね」
「ほんとだ。片付け忘れかな」
「なんかちょっと好きかも、こういうの」
私はそう言って、少しだけ立ち止まる。
電飾は光っていないのに、なぜか目に入る。
――冬の記憶みたいで。
「るな先輩?」
「んー?」
「どうかしました?」
「ううん、なんでもない」
ほんとに、なんでもない。
ただちょっとだけ――
思い出しただけ。
初夏の風は、ちょっとだけ甘い。
校門を出た瞬間、ふわっと頬に触れて――
なんだか、チョコレートの箱を開けたときみたいな匂いがした。
「……あ、今日、絶対いい日だ」
思わずそう呟くと、隣を歩いていたひかりがくすっと笑う。
「るな、それ毎回言ってるよね」
「だってほんとなんだもん。いい匂いの日って、だいたい何かあるし」
「“何か”って?」
「うーん……」
私は少しだけ空を見上げて、考えるふりをする。
「……コンビニの新作スイーツ当たりとか?」
「それただの食いしん坊でしょ」
「否定はしない!」
即答すると、ひかりはまた笑った。
その笑い方が、前より少し柔らかくなっていることに気づく。
――ああ、そっか。
ひかり、恋してる顔だ。
「ねえひかり」
「なに?」
「最近さ、なんか“いいこと”あった?」
「え、なに急に」
「いいじゃんいいじゃん。教えてよ〜」
肩を軽くぶつけながら聞くと、ひかりはほんの少しだけ視線を逸らした。
「……まあ、ちょっとはね」
「ほらやっぱり〜!」
「もう、るな声大きいって」
「だって分かりやすいもん。顔に書いてあるよ、“幸せです”って」
「そんなことないし」
「あるある。しかもフォント付きで」
「フォントってなに」
「丸ゴシック。やさしい感じのやつ」
「細かいなあもう……」
そんなやり取りをしていると、後ろから元気な声が飛んできた。
「るな先輩ー!ひかり先輩ー!」
振り返ると、制服のスカートをひらひらさせながら、まなが走ってくる。
「おつかれさまですっ!」
「おつかれ、まな」
「今日も一緒に帰っていいですか?」
「もちろん〜。むしろ来ないと寂しい」
「えへへ、ありがとうございます!」
まなは本当に嬉しそうに笑う。
その無邪気さは、見ているだけでちょっと元気になる。
……いいなあ、こういうの。
「今日、部活どうだったの?」
「文化祭の準備が始まりました!展示やるんですけど、すっごく楽しみで!」
「へえ、もうそんな時期か」
「早いですよね〜。先輩たちが引退したと思ったら、すぐ次ですもん」
その言葉に、ほんの少しだけ空気が変わる。
“引退した先輩たち”
その中に――
「あ、そういえば」
まなが、ぱっと顔を上げる。
「この前、桐生先輩の話、部活で出ましたよ!」
――やっぱり来た。
心のどこかで、ちょっとだけ身構える。
「へえ、どんな?」
できるだけ普通の声で聞く。
「なんか、美大に進学するって聞きました!」
「うん、そうらしいね」
ひかりが自然に答える。
私はその横で、ふーん、と軽く相槌を打つ。
「すごいですよね〜。やっぱり才能ある人って違うなあって思いました」
「だね。蒼先輩、絵うまかったし」
「ですよね!あのスケッチ、めちゃくちゃ綺麗で……!」
まなは興奮気味に話し続ける。
私はそれを聞きながら、なんとなく空を見た。
青い空。少しだけ白い雲。
風はさっきより、少しだけ強くなっている。
「……るな先輩?」
「ん?」
「どうしました?」
「え、なにが?」
「なんか、ぼーっとしてました」
「あー、たぶんお腹すいてる」
「絶対それじゃないですよね」
「バレた?」
軽く笑ってごまかす。
別に、なんでもない。
ほんとに、なんでもない。
ただ――
“あの人は、もうここにはいない”
そのことを、今さらみたいに実感しただけ。
「るな」
隣で、ひかりが小さく名前を呼ぶ。
「なに?」
「今日、帰りコンビニ寄る?」
「行く行く。新作チェックしなきゃ」
「やっぱりそれか」
「重要だからね、これは」
そう言って笑うと、ひかりも少し安心したように笑った。
……ほんと、いい子だなあ。
たぶん、気づいてる。
でも、何も言わない。
それがひかりの優しさだ。
駅前に近づくにつれて、人の数が増えていく。
商店街の入口には、まだ少しだけ残っているイルミネーションの名残。
完全に片付けられていない、白い電飾。
冬の名残みたいなそれが、風に揺れていた。
「これ、まだ残ってるんだね」
「ほんとだ。片付け忘れかな」
「なんかちょっと好きかも、こういうの」
私はそう言って、少しだけ立ち止まる。
電飾は光っていないのに、なぜか目に入る。
――冬の記憶みたいで。
「るな先輩?」
「んー?」
「どうかしました?」
「ううん、なんでもない」
ほんとに、なんでもない。
ただちょっとだけ――
思い出しただけ。
「るな先輩、ほんとに大丈夫ですか?」
まなが少し心配そうに顔を覗き込んでくる。
「え、なにが?」
「なんか今日、ぼーっとしてる時間長いです」
「そんなことないよ。たぶん気のせい」
「絶対気のせいじゃないです」
「即否定やめて?」
軽く笑って返すと、まなはむーっと頬を膨らませる。
「でも、ほんとですよ? なんかこう……」
「こう?」
「ふわーってしてます」
「それたぶんいつもじゃない?」
「……それは、そうかもしれませんけど」
「でしょ?」
肩をすくめると、ひかりが横でくすっと笑った。
「るな、ちょっとだけ分かりやすいかも」
「え、ひかりまで?」
「うん。ほんのちょっとだけね」
「“ほんのちょっと”って言いながら、だいたい全部バレてるやつじゃんそれ」
「どうだろうね」
ひかりはそう言って、少しだけ視線を前に向けた。
その横顔が、なんだか優しくて。
――ああ、やっぱりこの子、気づいてる。
でも、何も聞かない。
それがひかりの距離感だ。
「ねえ、るな先輩」
まなが急に声のトーンを落とす。
「ん?」
「桐生先輩のこと、好きだったんですか?」
「ぶっ!?」
思わず変な声が出た。
「ちょ、まな!?」
「え、違うんですか!?」
「違う違う違う!いきなり何言ってんの!?」
「だって今の流れ的にそれしか……」
「どういう思考回路してるの!?」
慌てて否定すると、まなはきょとんとした顔をする。
「えー……でも、なんかそれっぽかったです」
「どこが!?」
「なんかこう、名前出たときの空気が……」
「気のせい!」
「ほんとですか?」
「ほんとほんと」
食い気味に返す。
……ちょっとだけ、声が早かった気もするけど。
「まな」
ひかりがやんわりと口を挟む。
「そういうの、本人に聞くときはもう少しオブラートに包もうね」
「オブラート……?」
「うん。たとえば“最近どうですか?”とか」
「それ逆に分かりづらくないですか?」
「まあ、そうなんだけど」
「じゃあやっぱり直球でいいですよね!」
「いや、ほどほどにね?」
そんなやり取りに、思わず笑ってしまう。
「まなはそのままでいいよ」
「え、いいんですか?」
「うん。変に遠回しにされるより、分かりやすいし」
「やった!」
「ただし、心の準備はさせてね?」
「努力します!」
「努力なんだ」
また三人で笑う。
こういう時間が、なんだかすごく好きだと思う。
商店街の中に入ると、いつもの匂いがする。
パン屋の甘い香りと、揚げ物の香ばしさと、どこか懐かしい空気。
「コンビニ、あっちだよね」
「うん、駅の手前」
「今日こそ新作チョコ当てたい」
「るな、それ毎回言ってない?」
「だって夢あるじゃん」
「スイーツに夢見すぎ」
「人生に必要でしょ、夢は」
「その使い方はちょっと違う気がするなあ」
そんな会話をしながら歩いていると、
「……あ」
まなが小さく声を上げた。
「どうしたの?」
「あそこ……」
指差した先。
商店街の掲示板に、大きなポスターが貼られていた。
【今年も開催!
ウィンターイルミネーション+冬花火】
「え、もう?」
「まだ初夏なのに?」
「気が早くないですか?」
三人で顔を見合わせる。
でも、よく見ると小さく書いてある。
【開催予告・ボランティア募集】
「なるほど、準備か」
「毎年こんな早かったっけ?」
「どうだったかな……」
ひかりが少し考え込む。
私は、そのポスターをじっと見つめた。
まだ光っていないイルミネーション。
でも、確かにそこにある“予感”。
冬の気配。
あのときの景色。
あのときの――
「るな?」
「……ん?」
「またぼーっとしてる」
「あー、ごめん」
「ほんとに大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫大丈夫」
笑って返す。
今度は、ちゃんと自然に笑えた気がした。
「ねえ、るな」
ひかりが、少しだけ優しい声で言う。
「今年も、一緒に行こうね」
「……イルミネーション?」
「うん」
私は一瞬だけ、ポスターを見て、それからひかりを見る。
「うん、行こ」
「約束ね」
「約束」
そのとき、ふと思った。
今年の冬は――
去年と同じじゃないかもしれない。
でも、
同じ場所で、同じ光を見たいって思う気持ちは、
たぶん――
少しだけ、変わってきている。
風が吹いた。
まだ光っていない電飾が、かすかに揺れる。
まるで、何かを待っているみたいに。
第2節「少しだけ遠い人」
コンビニの自動ドアが開くと、ひんやりした空気が流れてきた。
「はぁ〜、生き返る〜」
「大げさ」
「いや、これ重要。夏前のコンビニは神」
「まだ初夏だけどね」
「気持ちはもう夏だから」
「早いなあ」
ひかりが笑いながらカゴを取る。
私は迷わずスイーツコーナーへ直行した。
「今日の新作は〜……」
「ほんとにぶれないよね、るな先輩」
「ここは戦場だからね」
「戦場?」
「当たりかハズレか、運命が決まる場所」
「コンビニで運命決めないでください」
まなが呆れたように笑う。
その横で、私は真剣に棚を見つめる。
「……あ、これ気になる」
「どれですか?」
「期間限定・いちごショコラ」
「るな先輩、それ絶対好きなやつです」
「でしょ?もう勝ち確じゃない?」
「まだ食べてないですよね?」
「でも名前が強い」
「名前で判断しないでください」
「ひかりは何にするの?」
「うーん……」
ひかりは少し考えてから、手に取った。
「これにしようかな」
「シンプルプリン?」
「うん。なんか今日はこれな気分」
「安定を選んだね」
「るなみたいに冒険できないから」
「人生は冒険だよ?」
「スイーツで語らないで」
レジを済ませて、三人で店の外に出る。
少しだけ傾き始めた陽射しが、道路をオレンジ色に染めていた。
「ここで食べちゃう?」
「いいですね!」
「じゃあ、あそこのベンチで」
いつもの場所。
駅前の小さなベンチ。
特別でもなんでもないけど、なんとなく落ち着く場所。
「いただきまーす」
「いただきます」
「いただきますっ!」
三人で同時にスプーンを入れる。
私は一口食べて、すぐに顔を上げた。
「……これ、当たり」
「やっぱり」
「ほらね!?名前は嘘つかない!」
「たまたまですよそれ」
「いやこれは実力」
「なんの実力なんですか」
「ひかりのは?」
「うん、美味しいよ」
「それ絶対“普通に美味しい”ってやつでしょ」
「うん、普通に美味しい」
「ほら〜」
「でも、こういうのが一番落ち着くんだよ」
「それも分かるけどね」
ひかりはスプーンを口に運びながら、少しだけ遠くを見る。
その視線の先に、駅のホームが見えた。
「……ねえ」
ひかりが、ぽつりと言う。
「ん?」
「最近さ、駅、ちょっと寂しくない?」
「え?」
「え、そうですか?」
まなはきょとんとしている。
私は少しだけ考えてから、答えた。
「……あー、なんか分かるかも」
「ほんと?」
「うん。なんていうか……人はいるのに、静かっていうか」
「それです、それ」
ひかりが小さく頷く。
「前はさ」
ひかりが続ける。
「もっとこう、賑やかだった気がするんだよね」
「前って?」
「……先輩たちがいた頃」
その一言で、空気が少しだけ変わる。
まなは「あ」と小さく声を漏らした。
「たしかに……」
「でしょ?」
「部活も、なんか雰囲気違いますもん」
「うん」
私はスプーンを持ったまま、少しだけ手を止めた。
駅の方を見る。
電車がちょうどホームに入ってくるところだった。
人が降りて、人が乗って、また動き出す。
いつもと同じ光景。
――なのに。
「……るな?」
「ん?」
「どうしたの?」
「いや、なんか……」
言いかけて、少しだけ迷う。
でも、結局そのまま口にした。
「ちょっと、分かるなって思って」
「でしょ?」
「うん」
前は、もっと――
あの人が、ここにいた。
別に、特別なことをしてたわけじゃない。
ただ、同じ時間に、同じ場所にいただけ。
それだけなのに。
「……なんかさ」
私はスプーンをくるくる回しながら言う。
「いなくなってから気づくことって、あるよね」
「うん」
ひかりが、静かに頷く。
「そのときは普通だったのに」
「うん」
「後から、“あれって結構大きかったんだな”って思うやつ」
「分かる」
ひかりの声は、すごく優しかった。
たぶん、同じことを思い出してる。
でも、それを無理に重ねない距離感。
「るな先輩……」
まなが少しだけ遠慮がちに言う。
「それって、桐生先輩のことですか?」
一瞬、風が止まった気がした。
「……それって、桐生先輩のことですか?」
まなの声は、思っていたよりずっと静かだった。
からかう感じじゃなくて、ただ純粋に気になった、みたいな声。
だから余計に、少しだけ答えに困る。
「えー……どうだろ」
私は曖昧に笑って、空になったカップを見下ろした。
「またそれです」
「便利なんだよ、“どうだろ”って」
「逃げ言葉です」
「バレた?」
「バレますよ〜」
まながむーっとした顔をする。
そのやり取りに、ひかりが小さく笑った。
「るなって、ほんと都合悪いと笑うよね」
「え、そんなことないよ?」
「あるある」
「ひかりまでひどい」
「でも、分かりやすいから安心する」
「なにそれ〜」
少しだけ空気が軽くなる。
……助けられてるなあ、って思う。
こういうとき。
「でもさ」
ひかりがプリンの蓋を畳みながら言う。
「卒業したあとって、急に実感くるよね」
「実感?」
「“あ、もう会わないんだ”って」
その言葉に、私は静かに瞬きをした。
卒業式の日。
校門の前。
春なのに少し寒くて、風が強かった。
先輩たちはみんな笑っていて、写真撮って、騒いでいて。
その中で蒼は、いつも通り静かに笑っていた。
『星野』
『はい?』
『いちごチョコ、ありがとな』
『え?』
『バレンタインの』
『……あー、あれ』
『美味かった』
『ならよかったです』
『あと』
『?』
『また冬、見れたらいいな』
たったそれだけ。
たったそれだけなのに。
「るな?」
ひかりの声で、意識が戻る。
「あ、ごめん」
「また遠く行ってた」
「今日の私、ぼーっとしすぎじゃない?」
「ちょっとだけね」
「ちょっとかなあ……」
「かなりです!」
「まなは正直だなあ」
私は苦笑しながら、ベンチの背にもたれた。
空は少しずつ夕方の色に変わっていく。
オレンジ色と、淡い青色が混ざる時間。
昔から好きな時間帯だ。
「でも意外でした」
まながぽつりと言う。
「何が?」
「るな先輩って、もっと平気そうだと思ってました」
「平気?」
「はい。なんかこう……」
まなは少し考えてから言葉を探す。
「恋とか、あんまり引きずらないタイプっていうか」
「え、私そんなイメージ?」
「だっていつも明るいじゃないですか」
「まあ、それは通常運転」
「それに“急がない恋派”って言ってたし」
「あー……言ったねえ」
そんなこともあったな、と笑う。
「でも」
まなは続ける。
「急がないのと、寂しくないのって、違うんですね」
その言葉に、私は少しだけ目を丸くした。
ひかりも、静かにまなを見る。
「……まなって、たまにすごいこと言うよね」
「えっ!?な、なんか変でした!?」
「ううん、逆」
ひかりが柔らかく笑う。
「すごくちゃんと見てるなって思って」
「え、えへへ……」
照れたようにまなが笑う。
私は少しだけ空を見上げた。
急がない。
それは本当だ。
別に、今すぐどうなりたいとか、そういうんじゃない。
付き合いたいとか。
毎日連絡したいとか。
そういうのとも、少し違う。
ただ。
ふとした瞬間に思い出す。
駅前の景色とか。
冬の匂いとか。
コンビニのホットチョコとか。
そんな小さいことで、思い出してしまう。
――あの人は、もうここにはいない。
それが、少しだけ寂しい。
たぶん、それだけ。
「るな」
ひかりが静かに言う。
「うん?」
「会いたいって思うの、悪いことじゃないよ」
その声は、すごく自然だった。
慰めるでもなく、背中を押すでもなく。
ただ、隣に置いてくれるみたいな言葉。
「……そっか」
「うん」
「じゃあちょっとだけ、会いたいのかも」
「“ちょっとだけ”なんだ」
「大事だからね、そこ」
「るならしいなあ」
まなが、ぱっと顔を上げる。
「じゃあ今度、みんなで美大行きます!?」
「えっ」
「楽しそうじゃないですか!」
「いやいやいや、遠足じゃないんだから」
「でも会えますよ!?」
「そんな軽い感じで会いに行く!?」
「ダメですか?」
「……ダメではないけど」
思わず言葉が弱くなる。
すると、ひかりが面白そうに笑った。
「るな、ちょっと揺れた」
「揺れてないし!?」
「揺れましたよね?」
「揺れてません〜!」
三人の笑い声が、夕方の駅前に溶けていく。
電車の音。
人の声。
初夏の風。
変わっていくものと、変わらないもの。
その真ん中で。
私はまだ、自分の気持ちにちゃんと名前をつけられないまま――
少しだけ遠い人を、思い出していた。
第3節「まなの気づき」
翌日の昼休み。
「るな先輩!」
教室のドアが勢いよく開いた。
同時に、数人のクラスメイトがびくっと肩を揺らす。
「あ、ご、ごめんなさいっ!」
慌てて頭を下げるまなに、教室の空気が少し和む。
「まな、元気だねえ」
私は笑いながら手を振った。
「えへへ……ちょっと急いじゃいました」
「どうしたの?」
「ひかり先輩います?」
「購買行ったよ」
「えっ、入れ違い!?」
「たぶんあと二分くらいで帰ってくる」
「二分……!」
まなは真剣な顔で考え込む。
「待つ?」
「待ちます!」
「即決」
私は机に頬杖をつきながら、まなを見る。
「なんかあったの?」
「実はですね……」
まなが少し声を潜める。
「今日、美術部の前通ったんですよ」
「うん」
「そしたら、桐生先輩の絵、まだ飾ってありました」
その瞬間。
昨日より少しだけ静かに、胸が揺れた。
「……へえ」
「すごかったです! なんかもう、“空気”って感じで!」
「空気?」
「えっと……絵なのに、風が吹いてる感じっていうか」
「それたぶん褒めてるんだよね?」
「めちゃくちゃ褒めてます!」
まなは両手をぶんぶん振る。
「でも、なんか不思議でした」
「不思議?」
「先輩もう卒業してるのに、まだいる感じして」
私は思わず小さく笑った。
「それ、ちょっと分かるかも」
「ですよね!?」
「うん」
蒼の絵って、そういうところがある。
派手じゃないのに、なぜか残る。
ちゃんと見てなくても、あとから思い出す。
冬のイルミネーションを描いたあの絵もそうだった。
白い光。
青い空気。
川沿いの夜。
見た瞬間より、帰ってからの方が綺麗に思い出す絵。
「るな先輩って」
まなが、じーっとこちらを見る。
「なにその顔」
「桐生先輩の話するとき、ちょっと優しい顔になりますよね」
「えっ」
「なんかこう……ふわって」
「ふわって何」
「ふわってです」
「説明が雑!」
すると、ちょうどそのタイミングで。
「ただいまー」
ひかりが購買袋を持って戻ってきた。
「あ、ひかり先輩!」
「まな来てたんだ」
「はい!」
「で、何話してたの?」
「るな先輩が桐生先輩の話するとき優しい顔になるって話です!」
「まな!?」
即座にツッコむ。
でも遅かった。
ひかりは一瞬だけ目を丸くして、それからふっと笑った。
「あー……分かるかも」
「ひかりまで!?」
「だって本当だし」
「えぇぇ……」
「そんな顔してる?」
恐る恐る聞くと、まなは大きく頷く。
「してます!」
「どんな?」
「なんか……冬のホットココア飲んでるみたいな顔」
「例え独特だなあ」
「でも分かるかも」
ひかりまで頷いた。
「るなってさ」
ひかりが席に座りながら言う。
「“好き”って感じより、“大事”って感じなんだよね」
その言葉に、私は少しだけ黙った。
大事。
恋、って言われるとまだ分からない。
でも。
いなくなって寂しいとか。
ふと思い出すとか。
また会えたらいいなって思うとか。
そういうのは確かにある。
「……大事、かあ」
小さく呟く。
「うん」
ひかりは優しく笑った。
「だから、るならしいなって思う」
「でもですね!」
まなが突然身を乗り出す。
「私はかなり恋だと思います!」
「なんでそんな断言するの!?」
「だって少女漫画っぽいです!」
「基準そこ!?」
「重要ですよ!?」
教室に笑い声が広がる。
窓の外では、初夏の風がカーテンを揺らしていた。
「……でも」
まなが少しだけ真面目な顔になる。
「ちょっと安心しました」
「安心?」
「るな先輩にも、ちゃんとそういう顔あるんだなって」
「どういう意味〜?」
「なんか、るな先輩っていつも余裕ありそうだから」
「余裕なんてないよ〜」
「ほんとですか?」
「新作スイーツ前では常に真剣勝負だし」
「それ余裕ない方向が違います!」
また笑い声が弾ける。
だけどそのあと。
ふと静かになった瞬間、私は窓の外を見た。
青空。
流れる雲。
少しだけ強くなってきた陽射し。
――また冬、見れたらいいな。
卒業の日の声が、ふいに胸をよぎる。
そのとき初めて。
私は少しだけ思った。
もし。
本当にまた会えたら。
私は、どんな顔をするんだろう。
午後の授業は、びっくりするくらい眠かった。
「るな、ノート」
「……はっ」
隣の席のひかりに小声で呼ばれて、私は慌てて顔を上げる。
黒板には、知らないうちに数式が増えていた。
「あぶな……」
「完全に飛んでたよ」
「ちょっとだけ意識が初夏の風に乗ってた」
「それ寝てたって言うんだよ」
「違うもん、漂ってただけだもん」
「どっちにしてもダメだと思うなあ」
私は慌ててノートを書き写す。
……危なかった。
あと数秒遅れてたら完全に先生と目が合ってた。
「るな先輩って」
前の席から、まながくるっと振り向く。
「今日ほんとにふわふわしてますよね」
「まな、それ今日何回目?」
「五回目です!」
「カウントしてたの!?」
「はい!」
「暇なの!?」
「授業中ですから!」
「授業受けて!?」
思わず吹き出しそうになる。
先生がこちらをちらっと見たので、三人同時に慌てて前を向いた。
しばらくして、教室にチョークの音だけが響く。
窓の外では、運動部の掛け声が小さく聞こえていた。
その音をぼんやり聞きながら、私はノートの端に小さく丸を描く。
意味のない丸。
考えごとしてる時、昔からよく描いてしまう癖だ。
「……るな」
ひかりが小さく言う。
「ん?」
「丸、増えてる」
「えっ」
慌ててノートを見る。
本当に増えてた。
「無意識って怖い……」
「考えごとしてる時のるな、分かりやすいよね」
「そんなに?」
「うん」
私は少しだけ苦笑した。
そんなつもりないのになあ。
普通にしてるつもりなのに。
でも。
確かに今日は、少しだけ変かもしれない。
昨日からずっと。
蒼のことを思い出す回数が多い。
――“また冬、見れたらいいな”
あの言葉。
別に特別な意味なんてなかったかもしれない。
蒼はたぶん、ああいうことを自然に言える人だから。
深い意味なんてなくて。
ただ、その場の空気みたいに口にしただけ。
……なのに。
「るな先輩」
まながまた振り返る。
「今、絶対桐生先輩のこと考えてましたよね」
「なんで分かるの!?」
「顔です!」
「顔万能説やめて!?」
「だってほんとに分かりやすいんですもん」
ひかりが小さく笑う。
「るなって、感情隠すの苦手だよね」
「えぇ〜……」
「本人は隠してるつもりなんだろうけど」
「隠してるよ!? 一応!」
「半透明くらいかな」
「ほぼ見えてるじゃん!」
思わず机に突っ伏す。
すると、まなが楽しそうに笑った。
「なんか安心しました」
「だから何が〜?」
「るな先輩でも、ちゃんと恋っぽくなるんだなって」
「まだ恋って決まってないし」
「でも気になってるんですよね?」
「……まあ」
「会いたいなって思うんですよね?」
「……まあ、ちょっとは」
「それもうかなりです!」
「判定が早い!」
そのとき。
キーンコーンカーンコーン――
授業終了のチャイムが鳴った。
「……助かった」
「逃げましたね?」
「タイミングに救われたの」
「むむむ……」
先生が教室を出ていくと、途端に空気がゆるむ。
あちこちで椅子を引く音や話し声が広がっていく。
「ねえ、るな」
ひかりが鞄を整理しながら言う。
「今日このあと暇?」
「んー? たぶん暇」
「じゃあ少し寄り道しない?」
「寄り道?」
「商店街の雑貨屋さん。夏小物増えたらしいよ」
「あ、行きたい!」
まなが勢いよく手を挙げる。
「るなも行くでしょ?」
「もちろん」
「即答だね」
「雑貨屋とスイーツは断れない主義」
「その主義、欲望に忠実すぎません?」
三人で笑いながら教室を出る。
廊下には夕方前の光が差し込んでいた。
「……あ」
階段を降りかけた時だった。
校内掲示板の前で、まなが足を止める。
「どうしたの?」
「これ……」
【美術大学合同展示会 特別参加作品募集】
そのポスターの端に、小さく名前が載っていた。
桐生 蒼
胸が、ほんの少しだけ鳴る。
「えっ、桐生先輩!?」
まなが目を輝かせる。
「すごい……もう名前出てるんだ」
ひかりが感心したように呟く。
私は、その名前をじっと見つめた。
白い紙の上の、黒い文字。
それだけなのに。
なんだか、急に遠く感じる。
ちゃんと前に進んでる人の名前だ。
「……るな?」
ひかりがそっと声をかける。
「ん?」
「大丈夫?」
「え?」
「なんか今、すごい静かだった」
私は少しだけ迷って、それから小さく笑った。
「……うん。大丈夫」
それは嘘じゃなかった。
でも同時に。
胸の奥が少しだけ、置いていかれたみたいに揺れていた。
第4節「言葉にしない気持ち」
雑貨屋を出る頃には、空がすっかり夕方色になっていた。
「見てくださいこれ!」
まなが、買ったばかりのキーホルダーをぶんぶん振る。
小さなガラス玉の中に、水色のラメが入っている。
「夏っぽくて可愛い〜」
「でしょ!? 一目惚れしました!」
「まならしいね」
ひかりが柔らかく笑う。
私はというと。
結局、何も買わなかった。
「るな先輩、珍しいですね」
「え?」
「いつもなら絶対なんか買ってるのに」
「あー……たしかに」
自分でも少し意外だった。
雑貨を見るのは好きなのに、今日はなぜか“これ!”ってならなかった。
「疲れてるんじゃない?」
ひかりが言う。
「んー……どうだろ」
「考えごとしすぎとか」
「それはあるかも」
「認めるんだ」
「今日はなんか無理。誤魔化しきれない」
そう言うと、まなが小さく笑った。
「るな先輩、今日は正直モードですね」
「たまにはね〜」
駅前まで来ると、人通りが少し増えていた。
学生、会社帰りの人、買い物袋を持った親子。
いつもの景色。
でも、夕方になると少しだけ世界が柔らかく見える。
「じゃあ、私はこっちなので!」
まなが元気よく手を振る。
「また明日です!」
「うん、またね」
「気をつけてね」
「はいっ!」
ぱたぱたと走っていく後ろ姿を見送りながら、私は小さく笑った。
「ほんと元気だなあ」
「見てると明るくなるよね」
「うん」
そのあと。
ひかりと二人きりになる。
さっきまで賑やかだった空気が、少しだけ静かになる。
でも、不思議と気まずくはない。
「……るな」
「ん?」
「今日さ」
「うん」
「結構、蒼先輩のこと考えてたでしょ」
私は少しだけ苦笑した。
「やっぱバレてた?」
「まあね」
「ひかりには隠せないなあ」
「長い付き合いだから」
駅前の信号が赤になる。
二人並んで立ち止まる。
夕暮れの風が、髪を揺らした。
「……ねえ、ひかり」
「なに?」
「恋って、どこから恋なんだろ」
ひかりが静かにこちらを見る。
私は前を向いたまま、続けた。
「会いたいな、とか」
「うん」
「思い出すな、とか」
「うん」
「そういうのって、みんな普通にあるのかなって」
信号の向こうで、電車が通り過ぎる音がする。
ガタン、ゴトン、と遠ざかっていく音。
「……るなはさ」
ひかりがゆっくり口を開く。
「“恋”って名前つけた瞬間、変わっちゃう気がしてるんじゃない?」
私は少しだけ目を瞬いた。
「変わる?」
「うん」
「……どう変わるの?」
「今まで通りじゃいられなくなる、みたいな」
その言葉が、胸の奥に静かに落ちる。
ああ。
たぶん私は、少しだけ怖いんだ。
“好き”って認めたら。
今までの気持ち全部が、急に意味を持ってしまいそうで。
「……そっか」
小さく呟く。
ひかりは無理に続きを言わなかった。
それがありがたかった。
信号が青になる。
私たちはまた並んで歩き出した。
「でもね」
ひかりが少し笑う。
「私は、るなのそういうところ好きだよ」
「え?」
「ちゃんと大事に考えるところ」
「……考えすぎってよく言われるけど」
「それでもいいんじゃない?」
風が吹く。
どこかの店から、焼き菓子の甘い匂いが流れてきた。
「透先輩の時もね」
ひかりが少し照れたように笑う。
「最初、“好き”って認めるの怖かった」
「ひかりでも?」
「うん。だって認めたら、傷つくかもしれないし」
「……あー」
「でも」
ひかりは空を見上げる。
「それでも、“一緒にいたい”って思ったから」
その言葉に、私は静かに息を飲んだ。
一緒にいたい。
その感覚は、なんとなく分かる。
今すぐじゃなくても。
特別なことがなくても。
ただ同じ景色を見たい、みたいな。
「……私さ」
「うん?」
「まだ、よく分かんない」
「うん」
「でも」
少しだけ迷ってから、私は笑った。
「また冬、来てほしいなって思ってる」
ひかりは、一瞬だけ目を丸くして。
それから、とても優しく笑った。
「それ、十分だと思う」
空はもう、夜に近づき始めていた。
駅前の街灯が、ひとつ、またひとつと灯っていく。
まだイルミネーションの季節じゃない。
でも。
小さな光は、もう静かに始まりかけていた。
駅前の広場では、数人のスタッフが何かを運んでいた。
白いコード。
銀色の支柱。
大きな段ボール。
「あれ、イルミネーションの準備かな」
ひかりが足を止める。
「え、もう?」
「たぶん、倉庫整理とかじゃない?」
「気が早いなあ」
私はそう言いながら、なんとなくその光景を見つめた。
冬は、まだ遠い。
でも。
街は少しずつ、ちゃんと覚えてる。
また今年も灯ることを。
また誰かが、同じ場所で笑うことを。
「……なんか不思議」
「なにが?」
「まだ夏も来てないのに、もう冬の準備してる」
私がそう言うと、ひかりは少し考えるように笑った。
「でも、恋もそんな感じかもね」
「え?」
「気づいた時には、もう始まってるっていうか」
その言葉に、私は少しだけ黙る。
好きって気持ちは、イルミネーションみたい。
急に全部が光るんじゃない。
ひとつずつ。
気づかないくらい小さく、灯っていく。
「……ひかりって、たまにすごいこと言うよね」
「そう?」
「なんか今、ちょっと刺さった」
「えへへ」
そのとき。
駅のホームから電車到着のアナウンスが流れた。
夕方特有のざわめきが、少しだけ大きくなる。
「そういえば」
ひかりが思い出したように言う。
「今度、透先輩と会うかも」
「えっ」
「兄弟でご飯行くらしくて、そのついでに」
「へえ〜……」
私は自然を装いながら返事をした。
でも、少しだけ胸が揺れる。
透先輩。
その名前を聞くと、どうしても連想する。
蒼のことを。
「るな?」
「ん?」
「今、“ついでに桐生先輩もいるかな”って考えたでしょ」
「なっ……!?」
「図星だ」
「いやいやいや!?」
「顔に書いてある」
「今日は顔が働きすぎなの!」
ひかりが楽しそうに笑う。
私は思わず頬を押さえた。
「そんな分かりやすいかなあ……」
「うん、かなり」
「ショック……」
「でも可愛いよ」
「それで許されると思わないで?」
「許して?」
「……ちょっとだけ」
二人で笑う。
その笑い声が、夕方の風に混ざっていく。
「でも実際」
ひかりが少しだけ真面目な声になる。
「蒼先輩、最近ほとんど帰ってきてないみたい」
「……そっか」
「課題忙しいんだって」
「美大って大変そうだもんね」
「うん」
私は視線を落とした。
少しだけ寂しい。
でも、それ以上に。
ちゃんと前に進んでるんだな、って思った。
あの人は、今。
新しい場所で、新しい景色を見てる。
きっと毎日、忙しくて。
たぶん、この街のことを思い出す時間なんて、そんなにない。
……それでも。
「るな?」
「え?」
「また静か」
「ごめんごめん」
「考えごと?」
「うん、ちょっと」
私は少し迷ってから、小さく笑った。
「なんかさ」
「うん」
「ちゃんと前に進んでる人見ると、すごいなって思う」
「蒼先輩?」
「……うん」
ひかりは静かに頷いた。
「でも、るなも進んでるよ」
「え、私?」
「うん」
「全然そんな感じしないけど」
「るなって、自分の変化に気づくの遅いだけだから」
その言葉に、私は少しだけ目を丸くする。
「変わってるよ、ちゃんと」
ひかりが柔らかく笑う。
「前より、“誰かを大事にする顔”してる」
胸の奥が、ほんの少し熱くなる。
私は誤魔化すみたいに空を見上げた。
夕焼けが、ゆっくり夜に溶けていく。
「……帰ったら、ホットココア飲もうかな」
「まだちょっと早くない?」
「気分的に」
「るならしいなあ」
そのとき。
駅前の準備中の電飾が、試験点灯なのか、一瞬だけ光った。
白い光。
ほんの数秒。
でも確かに、そこに灯った。
「あ……」
思わず声が漏れる。
まだ季節じゃない。
まだ始まってもいない。
なのに。
その光を見た瞬間。
私は少しだけ、会いたいと思ってしまった。
初夏の風が吹く。
揺れた電飾は、すぐにまた静かに消えた。
でも。
胸の奥に灯ったものは、
たぶん、もう簡単には消えなかった。
(第1章・完)
第2章 蛍色イルミネーション編

第2章は初夏の物語です
曲紹介『恋のイルミネーションシリーズ』
この物語から次の曲『蛍色イルミネーション』が生まれました。
現在、いつも利用している配信業者から別の配信業者に変更して
曲を登録しました。本来は6/5リリース予定でしたが6/15リリース致しました。曲タイトル『蛍色イルミネーション』
いつものSoundONが運営方針を変え人員削減及び曲承認を有名どころのみ優先へ。
(マイナーは排除に近い方針です。)
※Tunecoreに登録して曲をリリース。
曲タイトル『蛍色イルミネーション』歌詞紹介
【歌詞】
[Intro]
揺れる ひかりの中
君を探してた
夜風がそっと
髪を撫でていく…
[Verse 1]
川沿いを歩くたび
胸が少し苦しくなる
名前を呼ぶその声が
今日も優しすぎるから
はしゃぐ人波の奥
君の横顔を見てた
近づきたい でも少し
この距離が愛しくて
[Pre-Chorus 1]
きっと恋は
気づかないふりをして
心の中
静かに灯るイルミネーション
[Chorus 1]
蛍色イルミネーション
君に染まっていく夜
触れた指先 熱を残して
まだ言えない“好き”になる
見上げた空に瞬く光
ふたりだけを包むように
この初夏の風の中で
恋は静かに揺れていた
[Verse 2]
君の笑顔を見るたび
嬉しいのに切なくなる
誰より近くいたいのに
あと一歩が届かない
遠回りした帰り道
わざとゆっくり歩いた
終わらないで この時間
願うほど苦しくて
[Pre-Chorus 2]
もしも今日
素直になれたなら
景色さえも
違って見えるのかな
[Chorus 2]
蛍色イルミネーション
君を想ってる夜
胸の奥から溢れてくる
小さな恋を抱きしめた
夜空に滲む光の粒
涙みたいに綺麗で
君の隣にいるだけで
世界が優しく見えた
[Bridge]
伝えたら
壊れてしまいそうで
だけど本当は
君の特別になりたい…
[Final Chorus]
蛍色イルミネーション
君へ続いてく光
言葉にできない想い全部
この歌に乗せて届けるよ
季節が変わっていっても
きっと忘れないから
初夏の夜に恋をした
あの日の私を照らして
[Outro]
揺れる ひかりの中
君が笑ってた
夜風にそっと
恋が溶けていく…
第1節「蛍が見えるらしいよ」
六月の終わり。
雨上がりの空気は、少しだけ夜の匂いを早く連れてくる。
「るな先輩っ!」
放課後の廊下に響いた声に、私はゆっくり振り返った。
そこには、今日も元気いっぱいの小日向まなが立っていた。
「……近い近い」
「えへへ、すみませんっ。でも聞きました!? 今年、川沿いで蛍イベントやるらしいですよ!」
「蛍?」
聞き返すと、まなは「そうです!」と目を輝かせる。
「駅前の商店街と合同でやるみたいで! 初夏イルミネーションも試験点灯するんだって!」
「へぇ……」
私は窓の外へ視線を向けた。
雨粒を残したグラウンド。
曇りかけた夕空。
少し湿った風。
もう、夏が近い。
「絶対綺麗ですよねぇ……蛍とイルミネーションって、なんかエモくないですか!?」
「急に語彙がTikTokなんよ」
「だってほんとにエモそうなんですもん!」
まなは両手をぱたぱた振りながら興奮している。
その様子が少し可笑しくて、私は小さく笑った。
「るな先輩、蛍とか見たことあります?」
「んー……小さい頃に一回くらい?」
「えぇー! じゃあ行きましょうよ!」
「なんで即決なの」
「だって青春ですよ!? 初夏! 夜! 川! 光る虫!」
「最後だけ急に雑」
「でも絶対ロマンチックです!」
その言葉に、私は少しだけ視線を逸らした。
ロマンチック。
……そういうのは、ひかり担当だと思っていた。
私は別に、
恋に一直線なタイプじゃない。
甘いもの食べて、
友達と笑って、
それで十分楽しかった。
……少なくとも、
少し前までは。
「るな?」
不意に聞こえた声に振り返る。
「あ、ひかり」
教室の入り口に立っていたひかりが、ふわりと笑った。
「何の話してたの?」
「蛍です! 蛍イベント!」
「え、もうそんな季節なんだ」
「ですよねぇ!」
まなは再びテンションを上げる。
「しかも今年、試験点灯イルミもやるらしいですよ!」
「試験点灯?」
「冬のイルミネーションの準備みたいです!」
「あー……」
ひかりが納得したように頷く。
「去年より範囲広げるって聞いたかも」
「そうなんですか!?」
「透先輩のお兄さんが商店街の手伝いしてるから」
「あー、なるほど」
朝比奈兄弟、相変わらず地域密着型だなぁ。
なんて思いながら、
私は机に頬杖をついた。
「でも不思議だよね」
ひかりが窓の外を見ながら呟く。
「冬のイルミネーションって、“ちゃんと綺麗”って感じなのに、蛍ってもっと静かな感じする」
「わかります!」
まなが勢いよく頷く。
「なんか……見つけた人だけが知ってる光って感じ!」
「……それ、ちょっといいかも」
気づけば、そんな言葉が口から零れていた。
二人が同時にこちらを見る。
「るな先輩、珍しく詩人モードですね?」
「失礼だな」
「でもわかるかも」
ひかりが柔らかく笑う。
「蛍って、“見せる光”じゃなくて、“気づく光”って感じ」
「……あー」
その言葉が、
妙に胸に残った。
気づく光。
窓の外では、
雲の隙間から少しだけ夕陽が差し込んでいた。
オレンジ色に濡れた校舎。
その光を見ながら、
私は何となく思う。
最近、
気づいてしまうことが増えた。
誰かの声とか。
笑い方とか。
隣にいる時の空気とか。
前までは、
こんなの気にしてなかったのに。
「……るな先輩?」
「ん?」
「なんか今日、ぼーっとしてません?」
「してない」
「してますよ」
「してないって」
否定すると、
ひかりがくすっと笑った。
「でも最近、ちょっと変わったかもね」
「え」
「なんていうか……前より、“考える顔”するようになった」
「それ遠回しに老けたって言ってる?」
「言ってないよ!?」
慌てるひかりに、
まなが吹き出す。
「でも私も思います!」
「まなまで!?」
「なんか最近のるな先輩、“静かにドキドキしてる人”って感じです!」
「何そのジャンル」
「えー、あるじゃないですか。少女漫画とかで」
「ないよそんな分類」
そう言い返しながらも、
胸の奥が少しだけ落ち着かなかった。
静かにドキドキしてる。
……そんなふうに、
見えてるんだろうか。
その時だった。
「こんにちはー」
廊下側から聞こえた穏やかな声に、
私の肩がぴくりと揺れた。
「あ、桐生先輩!」
まなが真っ先に反応する。
教室の入り口に立っていたのは、
少し伸びた黒髪を揺らした桐生蒼先輩だった。
大学帰りなのか、
ラフなシャツ姿。
でも、
その空気感は相変わらずだった。
静かで、
やわらかくて、
少しだけずるい。
「……こんにちは」
少しだけ遅れて、
私はそう返した。
たったそれだけなのに、
自分の声が変にぎこちなく聞こえる。
「久しぶり、るな」
「……そんな久しぶりでもなくないですか?」
「そう?」
先輩は小さく笑う。
「るなって、“そんなことないです”って言う時、ちょっと早口になるよね」
「え」
「図星だ」
「違います」
「今のは完全に図星の人の否定だったよ?」
「やめてください分析」
まなの「わぁ青春だぁ……」という小声が聞こえた。
やめてほしい。
すごくやめてほしい。
「桐生先輩、大学どうですか!?」
ひかりが空気を助けるように話題を変える。
「んー、楽しいよ。課題多いけど」
「やっぱ美大って大変なんですねぇ」
「毎日描いてる感じ」
「うわぁ……絶対私無理です」
「まなちゃんは三日で飽きそう」
「否定できません!」
教室に笑いが広がる。
その空気の中で、
私はそっと先輩を見た。
前より少し大人っぽくなった気がする。
大学生だから当たり前なんだけど。
制服じゃない姿。
知らない場所の空気をまとった感じ。
なのに、
笑う時の目元だけは、
あの頃のままだった。
「そういえば」
先輩がふと思い出したように言う。
「駅前の川沿い、蛍イベントやるらしいね」
「今ちょうどその話してたんです!」
まなが勢いよく答える。
「しかもイルミネーション試験点灯も!」
「へぇ」
先輩は少し驚いたように窓の外を見た。
「冬前なのに珍しいな」
「地域活性化らしいです!」
「なんか最近、商店街頑張ってるよね」
「ですねぇ」
そんな会話を聞きながら、
私は机の端を指でなぞる。
別に、
特別なことなんてない。
先輩は普通に話してるだけ。
私は普通に聞いてるだけ。
……なのに。
「るな」
「っ、はい!?」
急に名前を呼ばれて、
思った以上に大きな声が出た。
一瞬、
教室が静かになる。
まなとひかりが、
同時ににやけた。
やめて。
本当にやめて。
「……そんな驚く?」
先輩が少し困ったように笑う。
「い、いや別に」
「びっくりしただけです!」
まなが元気よく補足する。
「るな先輩、今たぶん心拍数すごいです!」
「測ってないよね!?」
「でも顔赤いです!」
「湿度!」
「万能だな湿度」
ひかりまで笑い始めた。
もう帰りたい。
いや帰らないけど。
「それで」
先輩が小さく首を傾げる。
「蛍、見に行くの?」
「え」
「みんなで」
その言葉に、
まながぱっと目を輝かせた。
「行きたいです!!」
「私も気になるかも」
ひかりも頷く。
そして、
自然な流れみたいに、
三人の視線が私に集まった。
「……なんで最後私を見るの」
「るな先輩が中心人物だからです!」
「初めて聞いた」
「るなが行くなら私ももっと楽しいし」
「ひかりまで」
「で、どうする?」
先輩が柔らかく笑う。
その声は、
押しつける感じじゃない。
断ってもいいよ、
ってちゃんと逃げ道を残してくれる声。
……ずるい。
そういうところ。
「……まぁ」
私は窓の外を見る。
雨上がりの空。
濡れた街。
少しだけ早くなった夜。
その景色が、
なんとなく綺麗だった。
「蛍くらいなら」
そう答えると、
まなが飛び跳ねた。
「やったぁー!!」
「そんな喜ぶ?」
「青春イベント開催ですよ!?」
「イベント名みたいに言わないで」
「じゃあ決まりだね」
ひかりが嬉しそうに笑う。
先輩も、
静かに目を細めた。
「楽しみだな」
その一言だけで、
胸の奥が少し熱くなる。
……ほんと、
困る。
たぶん私は、
まだ認めたくないだけなんだ。
この気持ちに、
ちゃんと名前をつけるのが。
窓の外では、
夕暮れの街に少しずつ灯りが点き始めていた。
まだ冬じゃない。
まだイルミネーションの季節でもない。
それでも。
小さな光は、
気づかないうちに、
静かに灯り始めていた。
第2節「川辺の夜」
イベント当日。
昼間まで降っていた雨は夕方には止み、
街には少し湿った初夏の風が流れていた。
「……蒸す」
駅前広場へ向かいながら、
私はうちわ代わりにパンフレットをぱたぱた振る。
六月の夜って、
こんなに空気重かったっけ。
「でもこの感じ、夏前って感じしますよね!」
隣では、
まなが相変わらず元気だった。
「元気だねぇ……」
「るな先輩が省エネすぎるんです!」
「通常運転です」
「ちなみにひかり先輩は?」
「透先輩と後から合流だって」
「あっ、デートだ」
「言い方」
そんな会話をしているうちに、
駅前広場へ着く。
そこには既に、
たくさんの人が集まっていた。
「わぁ……」
まなが感嘆の声を漏らす。
商店街のアーチには、
まだ完全ではないイルミネーション。
ところどころだけ灯る淡い光。
試験点灯だからなのか、
冬みたいな派手さはない。
でもその分、
どこか優しかった。
白。
薄い水色。
少しだけ緑がかった光。
初夏の夜に、
静かに溶け込んでいる。
「……綺麗」
気づけば、
私は小さく呟いていた。
「ですよねぇ!」
まなが嬉しそうに笑う。
「なんか、“準備中の光”って感じしません?」
「……わかるかも」
完成されたイルミネーションじゃない。
まだ途中の光。
それが妙に、
今の自分と重なる気がした。
「るな」
後ろから聞こえた声に振り返る。
「あ」
桐生先輩だった。
黒いシャツに、
少しラフなジャケット。
夜の空気に自然に馴染んでいて、
なんだかずるい。
「こんばんは」
「……こんばんは」
「まなちゃんも」
「こんばんはです!」
まながぺこっと頭を下げる。
「人多いね」
「ですねぇ。思ったより」
「でも雨止んでよかった」
そう言って、
先輩は空を見上げた。
雲の切れ間から、
薄く月が見えている。
「蛍、見えるかな」
先輩のその言葉に、
胸が少しだけ揺れる。
どうしてだろう。
同じ景色を見ているだけなのに、
隣にいる人で、
空気って変わる。
「川沿い行ってみる?」
「はい!」
まなが元気よく返事をする。
そして私たちは、
駅前から川辺へ続く遊歩道を歩き始めた。
夜風が、
少しだけ涼しい。
屋台の灯り。
遠くで聞こえる笑い声。
橋の欄干に反射する光。
その全部が、
ゆっくり流れていく。
「なんかお祭りっぽいですね」
まなが楽しそうに辺りを見回す。
「夏祭りとはまた違うけど」
「初夏祭り?」
「ネーミング雑」
「でもなんかわかる」
先輩が笑う。
その横顔を見た瞬間、
また胸が変な音を立てた。
……ほんと、
最近おかしい。
「るな先輩」
「ん?」
「顔赤いです」
「湿度」
「また湿度!?」
「便利なんだよ湿度は」
先輩が吹き出す。
「それ、今年の流行語にする?」
「嫌です」
「じゃあ俺だけ使おうかな」
「やめてください」
「“今日暑いね”」
「うん」
「“湿度のせいで顔赤いわ”」
「絶対違う意味になるじゃないですか」
私がそう返すと、
先輩は声を上げて笑った。
その笑い方が、
思ったより近かった。
距離、
近い。
いや別に普通なんだけど。
普通なんだけど。
「……るな先輩」
まながにやにやしている。
「なに」
「青春ですねぇ」
「あとで川に落とすよ」
「怖い!」
そんなやり取りをしながら歩いていると、
少しずつ人の数が減っていった。
川の流れる音が近くなる。
草の匂い。
湿った土の匂い。
そして、
夜の静けさ。
商店街の光が遠ざかるにつれて、
世界が少しだけ暗くなる。
その時だった。
「……あ」
誰かが小さく声を漏らした。
川辺の草むらに。
ふわりと。
淡い光が浮かんだ。
「……あ」
誰かが小さく声を漏らした。
川辺の草むらに。
ふわりと。
淡い光が浮かんだ。
「……蛍」
まなが、
息を呑むように呟く。
暗闇の中を、
小さな光がゆっくり漂っている。
イルミネーションみたいな強い光じゃない。
花火みたいに一瞬でもない。
ただ静かに、
呼吸するみたいに明滅していた。
「綺麗……」
気づけば、
私は立ち止まっていた。
川の流れる音。
遠くの屋台のざわめき。
湿った夜風。
その全部の中で、
蛍の光だけが、
別の時間を流れているみたいだった。
「初夏って感じするね」
先輩が静かに言う。
「……はい」
その声まで、
なんだか優しく聞こえた。
少し離れた場所では、
子どもたちが「いた!」と小さくはしゃいでいる。
でもこの辺りは不思議と静かだった。
みんな、
大きな声を出さない。
壊れそうなものを見る時みたいに。
「るな先輩」
まなが小声で近づいてくる。
「なに」
「蛍って、“想いが通じる”とか言いません?」
「急に少女漫画みたいなこと言うじゃん」
「えっ、ロマンチックじゃないですか!?」
「まぁ……嫌いじゃないけど」
「じゃあお願いしましょう!」
「何を」
「恋愛成就!」
「しない」
「即答!?」
先輩が小さく笑う。
「るならしいな」
「どういう意味ですか」
「焦らない感じ」
「……別に」
私は視線を逸らす。
焦ってない。
……たぶん。
でも。
もし今、
“好きです”って言ったら。
この空気は変わるんだろうか。
この距離も。
この静けさも。
そんなことを考えてしまった瞬間。
ふわり、と。
一匹の蛍が、
こちらへ近づいてきた。
「わ」
思わず声が漏れる。
淡い緑色の光が、
ゆっくり私たちの間を漂う。
その光を追うように顔を上げた瞬間、
隣の先輩と目が合った。
「……」
「……」
一瞬、
言葉が消える。
近い。
思ったより近い。
夜のせいなのか、
蛍の光のせいなのか、
先輩の瞳がやけに柔らかく見えた。
「るな」
「っ、はい」
「顔赤い」
「湿度です」
即答した瞬間、
先輩が吹き出した。
「ほんと便利だな、その言葉」
「万能なんで」
「じゃあ俺も使おうかな」
「だからやめてください」
「“るな見てたら湿度上がった”」
「意味変わってる!!」
まなが後ろで肩を震わせている。
「だめ……るな先輩面白すぎる……」
「笑ってるじゃん!」
「だって青春なんですもん……!」
もうほんと、
この後輩自由すぎる。
でも。
笑ってるうちに、
さっきまでの変な緊張が少しだけほどけていく。
その時。
遠くの商店街側から、
ぱっと光が広がった。
「あ」
試験点灯の時間だった。
川沿いの木々に、
淡いイルミネーションが順番に灯っていく。
白。
水色。
蛍の光に溶け込むみたいな、
柔らかな色。
「……すご」
まなが感動したように呟く。
蛍とイルミネーション。
自然の光と人工の光。
本来なら違うものなのに、
今夜は不思議なくらい馴染んでいた。
まるで、
最初から一緒だったみたいに。
「綺麗だね」
先輩が、
静かにそう言った。
その横顔を見た瞬間。
胸の奥が、
また小さく灯る。
まだ名前なんてつけられない。
でも確かに、
ここにある。
初夏の夜風の中で。
蛍の光に揺れながら。
私の恋は、
静かに、
でも確かに灯り始めていた。
第3節「灯りすぎない光」
川辺から戻る頃には、
夜もすっかり深くなっていた。
商店街のイルミネーションは、
試験点灯とは思えないくらい綺麗で。
でも冬みたいな“眩しさ”じゃない。
やわらかくて、
静かで、
少し呼吸しているみたいな光だった。
「なんか不思議ですねぇ」
まなが空を見上げながら言う。
「イルミネーションなのに落ち着く感じ」
「たしかに」
ひかりも頷いた。
途中から合流したひかりと透先輩は、
少し後ろを並んで歩いている。
前より自然に隣にいる感じがして、
見てるこっちまで安心する。
「今年はホタルに合わせてるらしいよ」
透先輩が前を見ながら言った。
「え?」
「商店街の人が話してた。
“光を強くしすぎない”って」
「へぇ……」
私は周囲を見渡す。
たしかに、
冬のイルミネーションより暗い。
でもその分、
景色がちゃんと見える。
木の揺れも。
川の流れも。
空の色も。
蛍の光も。
「ホタルって、強い光苦手なんだって」
ひかりが続ける。
「だから白いLEDとか、
派手な色は減らしたらしいよ」
「なるほど……」
まなが感心したように頷いた。
「相手の光を消さないようにしてるんですね」
その言葉に、
私は少しだけ足を止めた。
相手の光を、
消さない。
その表現が、
胸に静かに残る。
「るな?」
「あ、ううん」
私は小さく笑ってごまかした。
「なんか……いいなって思っただけ」
「どこが?」
先輩が隣で聞く。
「えっと……」
うまく言葉にならない。
でも。
「頑張って目立とうとしてないのに、
ちゃんと綺麗っていうか」
そう言うと、
先輩は少しだけ驚いた顔をした。
それから、
静かに笑う。
「……るならしい感想」
「どういう意味ですか」
「優しい見方するなって」
「別に普通です」
「普通に言えるのがすごいんだよ」
その言い方がずるい。
褒められてるみたいで、
変に照れる。
「るな先輩」
まなが小声で近づいてくる。
「なに」
「今ちょっと恋愛漫画の空気でした」
「どこが!?」
「“優しい見方するなって”の辺りです」
「細かい!」
ひかりが吹き出す。
「まなちゃん、観察力すごいよね」
「恋愛センサーです!」
「便利そうで便利じゃなさそう」
「失礼!」
そんな会話をしているうちに、
商店街の中央広場へ着いた。
そこには、
小さな休憩スペースと、
期間限定のカフェブースができていた。
「わ、スイーツある!」
まなの目が輝く。
「ほんとだ」
「るな先輩、行きましょう!」
「急に元気」
「糖分は正義です!」
「名言みたいに言わないで」
メニューを見ると、
初夏限定らしい“蛍色ソーダ”という飲み物が目に入った。
淡いエメラルドグリーン。
小さなゼリーが光を反射している。
「かわいい……」
思わず呟くと、
先輩が横から覗き込んだ。
「るな、こういうの好きそう」
「……好きですけど」
「じゃあそれにする?」
「子ども扱いしてません?」
「してないよ」
先輩は笑う。
「似合うなって思っただけ」
またそういうこと言う。
ほんと、
ずるい。
「るな先輩また赤いです」
「湿度」
「今日は通用しません!」
「えっ」
「夜風で涼しいので!」
「論破された……」
みんなが笑う。
その笑い声に混ざりながら、
私はそっとイルミネーションを見上げた。
灯りすぎない光。
でも、
ちゃんと誰かを照らしてる。
それはまるで、
今の恋みたいだと思った。
「るな先輩、何にします?」
カフェブースの前で、
まながメニュー表を覗き込む。
「んー……」
私は並んだ写真を順番に見ていく。
蛍色ソーダ。
レモンミルク。
抹茶ラテ。
初夏限定パフェ。
……甘いもの多いな。
「るなは絶対甘いの選ぶと思った」
先輩がさらっと言う。
「なんで決めつけるんですか」
「顔」
「顔でスイーツ判定されることあります?」
「ある」
「初めて聞きました」
先輩は少し考えるように視線を泳がせてから、
小さく笑った。
「なんか、“幸せそうに食べる顔する人”って感じ」
「……」
一瞬、
言葉が止まる。
それ、
なんか反則じゃない?
「るな先輩フリーズした」
「今のは効きましたねぇ」
まなとひかりがにやにやしている。
「効いてない」
「目逸らしてますよ?」
「湿度」
「もう無理ありますって!」
透先輩まで笑い始めた。
「るなちゃん、その単語好きだね」
「便利なんです……」
「たぶん今年の流行語になるよ」
「嫌です」
みんなで笑いながら、
それぞれ飲み物を注文する。
私は結局、
蛍色ソーダにした。
受け取ったグラスは、
想像以上に綺麗だった。
淡いエメラルドグリーン。
透明なゼリー。
小さな炭酸の泡が、
イルミネーションの光を反射している。
「わぁ……」
思わず声が漏れる。
「写真撮る?」
先輩がスマホを取り出す。
「え」
「るな、こういうの好きでしょ」
「……好きですけど」
「じゃあ撮ろう」
自然すぎる。
本当に。
気づいたら、
隣にいる。
気づいたら、
私の“好き”を見つけてる。
それが嬉しくて、
ちょっと困る。
「るな先輩、笑ってください!」
まなが突然スマホを向けてきた。
「えっ、今!?」
「はい!」
「準備が!」
「大丈夫です可愛いです!」
「雑!」
カシャッ、と音が鳴る。
「見せて」
ひかりが覗き込む。
「あ、いい感じ!」
「ほんとですか?」
「るな先輩珍しく自然に笑ってます!」
「珍しくってなに」
「普段ちょっと省エネ顔なので」
「省エネ顔」
先輩が吹き出した。
「新しい単語増えた」
「るな先輩辞典できますね」
「絶対嫌」
そんなふうに笑い合っていると、
広場の照明が少しだけ落ちた。
「あれ?」
周囲がざわめく。
すると、
商店街の中央にある大きな木へ、
ゆっくり光が灯り始めた。
「……綺麗」
誰かが呟く。
枝に巻かれた灯りは、
白じゃない。
少し金色に近い、
柔らかな光。
強くない。
でも、
ちゃんとあたたかい。
「ホタルの光と喧嘩しないようにしてるんだろうね」
透先輩が静かに言う。
「派手じゃないのに綺麗……」
ひかりが見上げる。
「なんか、
落ち着きますね」
まなまで少し静かだった。
その時。
「るな」
隣で、
先輩が小さく名前を呼ぶ。
「……はい」
「こういう光、好き?」
私は少しだけ考えてから、
ゆっくり頷いた。
「好きです」
「どんなところが?」
「えっと……」
視線を木へ向ける。
優しい光。
灯りすぎない光。
ちゃんと景色を残す光。
「……無理してない感じ」
そう言うと、
先輩は静かに目を細めた。
「そっか」
それだけなのに。
その“そっか”が、
胸の奥にやさしく残る。
たぶん先輩は、
すぐ答えを決めつけない。
ちゃんと、
相手の言葉を待ってくれる。
だから一緒にいると、
焦らなくていい気がする。
その時。
夜風がふわりと吹き抜けた。
木々の灯りが揺れる。
遠くでは、
また蛍が静かに光っていた。
人工の光と、
自然の光。
どちらかが強くなりすぎないように、
ちゃんと寄り添っている。
その景色が、
少しだけ今の私たちに似ている気がした。
第4節「帰り道の温度」
イベントが終わる頃には、
時計の針はもう九時近くを指していた。
「楽しかったぁ……」
まなが両手を伸ばして空を仰ぐ。
「満足?」
「大満足です!
蛍見れて!
イルミネーション見れて!
スイーツ食べれて!
青春できました!」
「最後ざっくりしてる」
ひかりが笑う。
「でもたしかに、
今日ちょっと特別感あったよね」
「ですねぇ」
商店街の灯りは、
少しずつ消え始めていた。
イベントの終わり。
人の流れも、
ゆっくり駅の方へ戻っていく。
さっきまで賑やかだった場所が、
少しずつ静かになっていく感じ。
なんとなく、
胸がきゅっとする。
「まなちゃん、帰り大丈夫?」
透先輩が聞く。
「はい! 電車まだあります!」
「送ろうか?」
「えっ、大丈夫です!」
「気をつけてね」
「はい!」
まなはぺこっと頭を下げると、
急に私へ顔を寄せてきた。
「るな先輩」
「なに」
「今日、めちゃくちゃ青春でしたね」
「またそれ」
「あと顔赤かったです」
「湿度」
「最後まで押し通す気だ!」
ひかりが吹き出す。
「もう今年の流行語でいいんじゃない?」
「嫌だってば」
「でもちょっと可愛い」
「透先輩まで!?」
笑い声が重なる。
その空気が心地よくて、
少しだけ帰りたくなくなる。
「じゃあ私たち先戻るね」
ひかりが透先輩の方を見る。
「るな、気をつけて帰りなよ?」
「子どもじゃないんだけど」
「でも危なっかしい時あるから」
「それは否定できないです」
まなが頷く。
「なんで!?」
「じゃあまた学校で」
「うん、またね」
ひかりたちは駅の方へ歩いていく。
手を振る後ろ姿が、
イルミネーションの残り灯に溶けていった。
そして気づく。
「……」
「……」
残ったの、
私と先輩だけじゃん。
急に静かになる。
さっきまで普通に話してたのに、
二人きりになった瞬間、
変に意識してしまう。
「るな」
「っ、はい」
「びっくりしすぎ」
「急だったので……」
先輩が小さく笑う。
「駅まで送るよ」
「え、でも」
「夜道だし」
「……ありがとうございます」
断る理由もなくて、
私は小さく頷いた。
駅までの道は、
さっきまでよりずっと静かだった。
屋台の灯りも減って、
川の音が少し近く聞こえる。
夜風が涼しい。
でも、
隣を歩いてるだけで、
胸のあたりは妙に熱かった。
「今日楽しかった?」
先輩が前を向いたまま聞く。
「……楽しかったです」
「よかった」
「先輩は?」
「うん。思った以上に」
その言い方が、
なんだか嬉しい。
「ホタル、綺麗でしたね」
「ね」
「イルミネーションも」
「冬とは全然違った」
「……はい」
少し間が空く。
でも不思議と、
気まずくはなかった。
沈黙がちゃんと静かで、
落ち着く。
「るなってさ」
「はい?」
「冬より初夏似合うかも」
「え」
急すぎる。
「な、なんですかそれ」
「なんとなく」
「雑!」
「でも今日見てて思った」
先輩は少し考えるように夜空を見る。
「冬のイルミネーションって、
“見てください”って感じの光だけど」
「……うん」
「今日の光は、
景色に溶け込んでたから」
「……」
「るなっぽいなって」
胸が、
どくん、と鳴る。
また。
またそういうこと言う。
たぶん先輩は、
深い意味なく言ってる。
でも。
その言葉を、
こっちは簡単に流せない。
「……先輩って」
「ん?」
「時々すごい自然に恥ずかしいこと言いますよね」
「そう?」
「自覚ないのが一番困ります」
先輩は少しだけ困ったように笑った。
「ごめん」
「謝られるともっと困ります」
「難しいな」
「……ほんとに」
でも。
嫌じゃない。
むしろ、
嬉しい。
そんな自分が、
少しだけ悔しい。
その時。
ふわり、と。
川辺の暗がりに、
また小さな蛍の光が浮かんだ。
「あ……」
私は思わず立ち止まる。
先輩も足を止めた。
淡い光。
静かな夜。
もうイベントは終わったのに、
蛍だけは、
まだそこにいた。
「……帰りたくなくなるね」
先輩が小さく呟く。
その声が、
夜風に溶ける。
私は返事ができなかった。
だって今、
同じことを思ってしまったから。
蛍の光は、
暗い川辺をゆっくり漂っていた。
強くない。
小さい。
なのに、
どうしてこんなに目を奪われるんだろう。
「……すごい」
思わず呟く。
先輩は私の隣で、
静かにその光を見ていた。
「イベントの灯り消えたあとだと、
余計綺麗に見えるね」
「はい……」
川の水音。
遠くを走る電車の音。
初夏の夜風。
全部が静かで。
今ここだけ、
時間が少しゆっくり流れてる気がした。
「るな」
「……はい」
「寒くない?」
「え?」
不意に聞かれて、
少し遅れて反応する。
「だ、大丈夫です」
「ならよかった」
そう言って先輩は、
また蛍へ視線を戻した。
その横顔を見ていると、
胸の奥が妙に落ち着かない。
たぶん。
今までの“好き”とは、
少し違う。
チョコを選ぶ時みたいな、
わくわくだけじゃなくて。
いちごスイーツ見つけた時みたいな、
嬉しさだけでもなくて。
もっと静かで。
でも、
ちゃんと熱がある。
「……先輩」
「ん?」
「今日、
誘ってくれてありがとうございました」
「こちらこそ」
「え?」
「るなが来てくれてよかった」
その返事が自然すぎて、
一瞬呼吸を忘れる。
「……そういうこと、
さらっと言いますよね」
「また?」
「またです」
先輩が少し笑う。
「でも本当にそう思ったから」
「……」
だめだ。
今日ずっと、
心臓が忙しい。
「るなってさ」
「はい」
「楽しそうに景色見るよね」
「景色?」
「うん。
イルミネーションも、
ホタルも、
屋台の灯りも」
先輩は少しだけ目を細める。
「“綺麗”って顔に出る」
「そ、そんなにですか?」
「うん」
「恥ずかしい……」
「なんで?」
「なんか子どもっぽいので」
「そんなことないよ」
即答だった。
「ちゃんと好きなもの見て、
ちゃんと嬉しそうにできるのって、
すごくいいと思う」
夜風が吹く。
蛍の光が、
ふわりと揺れた。
胸の奥まで、
その光が入り込んでくるみたいだった。
「……先輩」
「ん?」
「美大って、
楽しいですか?」
先輩は少し驚いた顔をした。
「急だね」
「……なんとなく聞きたくなって」
「楽しいよ」
少し考えてから、
先輩は続けた。
「大変だけど、
好きなものを好きって言える場所だから」
「……いいなぁ」
「るなも向いてそう」
「えっ」
「感性あるし」
「ないです!」
「あるよ」
「ないですって!」
私が慌てると、
先輩はくすっと笑った。
「じゃあ、
“綺麗をちゃんと見つけられる才能”かな」
「……」
その言葉に、
また胸が苦しくなる。
優しい。
ずるい。
そんなふうに言われたら、
もっと好きになってしまう。
その時。
駅前へ続く道の向こうで、
終電前のアナウンスが微かに聞こえた。
「あ」
「そろそろ行かないとだね」
「……ですね」
少しだけ残念そうに聞こえた自分の声に、
自分で驚く。
でも。
帰りたくないって思ってたの、
たぶん私だけじゃなかった。
駅前へ向かって歩き出す。
並ぶ足音。
時々重なる影。
会話が途切れても、
不思議と怖くない。
そして改札前。
「じゃあ、
また学校で」
先輩が言う。
「……はい」
本当は、
もう少し話していたい。
でもそんなこと、
まだ言えない。
「るな」
「はい?」
「今日の蛍、
たぶん忘れないと思う」
私は少しだけ目を見開いた。
先輩は静かに笑う。
「……いい夜だったから」
その瞬間。
胸の奥で、
小さな光がまたひとつ灯った気がした。
まだ名前のない、
やわらかい光。
でもきっと、
これはもう。
ただの“憧れ”じゃなかった。
恋のイルミネーション第2部 外伝『Firefly Dance 〜蛍のイルミネーション〜』
曲紹介『恋のイルミネーションシリーズ』
外伝からオリジナル曲が出来上がりました。
タイトル『Firefly Dance 〜蛍のイルミネーション〜』
Firefly Dance 〜蛍のイルミネーション〜歌詞紹介
[Intro]
夜の川沿い
雨あがりの空
蛍がひとつ
ふわり飛び出す
[Verse 1]
水面に映る
街の灯りピカピカ
跳ねるリズムに
心も跳ねるよ
[Pre-Chorus]
夜風に揺れて
君の笑顔が光る
蛍の光を
イルミネーションに変えて
[Chorus]
Firefly Dance
ピカピカ飛び回れ
雨あがりの夜に
恋も一緒に跳ねるよ
光る君と
夢の中まで駆け抜けて
Firefly Dance
幻想のリズムで
[Verse 2]
川面に落ちる
月明かりの軌跡
小さな手のひら
蛍をすくいあげた
[Pre-Chorus]
君と並んで
歩くこの川辺
光る瞬間を
忘れられないよ
[Chorus]
Firefly Dance
ピカピカ飛び回れ
雨あがりの夜に
恋も一緒に跳ねるよ
光る君と
夢の中まで駆け抜けて
Firefly Dance
幻想のリズムで
[Bridge]
ほら、ふたりだけの
夜空のステージ
蛍が導く
光の道しるべ
[Final Chorus]
Firefly Dance
ピカピカ飛び回れ
雨あがりの夜に
恋も一緒に跳ねるよ
光る君と
夢の中まで駆け抜けて
Firefly Dance
幻想のリズムで
[Outro]
夜の川
蛍の光だけが
まだ揺れてる
外伝『Firefly Dance ~蛍の夜のフェスティバル~』
第1節 光のステージ
七月最初の日曜日。
川沿いの遊歩道では、毎年恒例の「蛍フェスティバル」が開催されていた。
夕暮れ前から屋台が並び、商店街の人たちが忙しそうに準備をしている。
「わぁぁぁっ!」
私――星野るなは、思わず歓声を上げた。
「見て見て! いちご飴!」
「るな先輩、まずそこなんですね」
まなが苦笑する。
「だっていちごだよ?」
「知ってます」
「いちごは世界を救うんだよ?」
「たぶん救わないです」
「えぇ……」
即答だった。
ひどい。
後輩の反抗期だろうか。
そんなことを考えていると――
「るならしいな」
後ろから聞き慣れた声がした。
振り向く。
そこには。
少し伸びた髪。
柔らかな笑顔。
白いシャツ。
そして。
私が少しだけドキドキしてしまう人。
「蒼先輩!」
「久しぶり」
「久しぶりです!」
「元気そうだな」
「はい!」
元気すぎるくらいです。
心の中でそう付け足した。
だって。
大学に進学してから会うのは二度目なのだ。
前回の蛍イベント以来。
だから少し緊張している。
少しだけ。
本当に少しだけ。
たぶん。
「るな先輩、顔赤いです」
「まなちゃん?」
「暑いんですか?」
「暑いです!」
「今、嘘つきましたね?」
「うっ」
鋭い。
最近の高校一年生は鋭すぎる。
ひかりが隣で笑っていた。
「るな、わかりやすいもん」
「ひかりまでぇ!」
「だって本当だし」
「親友が敵になった!」
「敵じゃないよ」
くすくす笑う。
昔からそうだ。
ひかりは私が困ると楽しそうに笑う。
でも。
その笑顔を見ると怒れなくなる。
不思議だ。
やがて日が沈み始める。
商店街の人たちが次々と照明を点灯した。
シャンパンゴールド。
電球色。
暖かな光。
「綺麗……」
思わず声が漏れる。
派手ではない。
でも。
どこか優しい。
川辺の緑にもよく馴染んでいた。
「今年は蛍に合わせて色を変えたらしい」
蒼先輩が言った。
「そうなんですか?」
「青い光だと蛍が目立たないから」
「へぇぇぇ!」
「自然の光を主役にしたんだって」
その言葉に。
私は空を見上げた。
まだ蛍は飛んでいない。
でも。
夜は確実に近づいている。
イルミネーションも。
蛍も。
同じ光なのに。
少しだけ違う。
そんなことを考えながら。
私は隣に立つ蒼先輩を見た。
すると。
ちょうど目が合う。
「どうした?」
「えっ!?」
「何か見てた?」
「い、いえ!」
「そう?」
「そうです!」
慌てて視線を逸らした。
心臓がうるさい。
とても。
うるさい。
夜が始まる前なのに。
私の胸の中では。
もう十分すぎるほど。
光が踊り始めていた。
第2節「雨あがりの光」
雨が止んだあとの商店街は、不思議なくらい静かだった。
昼間の暑さを忘れたみたいに、
夜風がやさしく吹き抜けていく。
私は傘をくるくる回しながら歩いていた。
「うーん……」
空を見上げる。
雲の切れ間から月が顔を出していた。
少しだけ青い夜。
少しだけ湿った空気。
そして──
商店街の端から見える川沿い。
「蛍かぁ……」
なんだか急に行きたくなった。
理由はわからない。
だけど胸の奥が少しだけ騒いでいた。
翌日。
放課後。
「るな先輩ー!」
教室のドアが勢いよく開いた。
「わっ」
まなが飛び込んでくる。
「聞きました!?」
「何を?」
「蛍です!」
「うん、蛍だね」
「なんでそんな冷静なんですか!」
「いや、蛍だから?」
「違います!」
まなが机を叩く。
「今年の蛍イベント、すごいんですよ!」
「そうなの?」
「イルミネーションやるんです!」
「へ?」
私は思わず聞き返した。
「蛍とイルミネーション?」
「はい!」
まなは満面の笑み。
「商店街の人たちが考えたらしいです!」
「へぇ〜」
「シャンパンゴールド中心!」
「おぉ」
「蛍の光を邪魔しないように!」
「なるほど」
「めちゃくちゃ幻想的らしいです!」
その時だった。
「確かに面白い発想ね」
聞き慣れた声。
振り向くとひかりだった。
「ひかりー」
「こんにちは」
「こんにちは!」
まなが元気よく頭を下げる。
ひかりは笑った。
「蛍の光って結構弱いからね」
「そうそう!」
まながうなずく。
「だから明るすぎるイルミネーションはダメなんですって」
「自然の光を主役にする感じか」
私は言った。
ひかりが微笑む。
「それ、いい言葉」
「ん?」
「自然の光を主役にする」
「なんとなく」
「るならしい」
「どういう意味?」
「わからない」
「わからないの!?」
三人で笑う。
するとまなが急に顔を近づけた。
「そういえば」
「ん?」
「るな先輩」
「なに?」
「行くんですよね?」
「どこに?」
「蛍イベント」
「え?」
「行きますよね?」
「いや別に決めてないけど」
「行きましょう!」
「強制!?」
「強制です!」
「なんで!?」
「だって!」
まながニヤニヤした。
嫌な予感がする。
とてもする。
「今年は大学生も来るらしいですよ?」
「へぇ」
「美大の人とか」
「へぇ」
「例えば桐生先輩とか」
「へぇ」
「……」
「……」
「るな先輩」
「なに?」
「反応薄くないです?」
「そう?」
「そうです!」
ひかりが吹き出した。
「ふふっ」
「ひかりまで」
「だって」
肩を震わせている。
「るな、今わかりやすかった」
「何が?」
「わかりやすかった」
「だから何が!?」
まながうんうんとうなずく。
「恋ですね」
「違います」
即答。
「早い!」
「違うもん」
「でも気になるんですよね?」
「それは……」
少し言葉に詰まる。
まなとひかりが顔を見合わせた。
「おぉ」
「おぉ〜」
「なにその反応!」
「今の沈黙です」
まなが言う。
「十分です」
「十分じゃない!」
ひかりが優しく笑った。
「まあ、るなのペースでいいんじゃない?」
「うん」
「急がなくていいし」
「うん」
「でも会いたいなら会えばいい」
その言葉に。
少しだけ胸が揺れた。
会いたい。
その言葉は妙に真っ直ぐだった。
恋かどうかはわからない。
好きかどうかもまだわからない。
だけど。
もし。
蛍の光の中で。
もう一度会えたら。
「……行こうかな」
私が小さく呟く。
すると。
「よし!」
まながガッツポーズ。
「決定です!」
「まだ決定してない!」
「決定しました!」
「だから!」
教室いっぱいに笑い声が広がった。
窓の外では。
初夏の風がやさしく吹いている。
そしてその風は。
まだ誰にも気づかれない小さな光を。
少しずつ運び始めていた――。
第3節「蛍と再会の夜」
雨が降った翌日の夕方。
空は雲が少しずつ流れ、夕焼けの向こうから青空が顔をのぞかせていた。
私は窓を開け、大きく息を吸い込む。
「いい匂い……。」
濡れた土。
若葉。
川から吹いてくる少し冷たい風。
初夏だけが持つ、どこか懐かしい香りだった。
スマートフォンが小さく震える。
ひかり
『今日、予定どおり行けそう!』
その文字を見た瞬間、自然と笑顔になる。
『やった!』
すぐに返信を送る。
すると今度は、
まな
『虫よけ忘れないでね(笑)』
『あっ!』
思わず声が出た。
「危ない危ない……。」
玄関へ向かい、虫よけスプレーをバッグへ入れる。
「よし。」
今日は絶対忘れない。
約束の駅前。
夕方六時。
「るなー!」
元気いっぱいの声が聞こえた。
「ひかり!」
手を振ると、向こうも大きく振り返してくれる。
「待った?」
「五分くらい。」
「じゃあ待ってるじゃん。」
「るなが遅刻じゃないからセーフ。」
「その判定優しい。」
二人で笑っていると、
「ごめんごめん!」
少し息を切らせながら、まなが走ってきた。
「間に合った?」
「ギリギリ!」
「セーフ!」
三人がそろう。
それだけで、今日の楽しさがもう始まっていた。
「そういえば。」
歩き始めたひかりが言う。
「去年も、このくらいの時期だったよね。」
「蛍を見に来たの。」
「うん。」
私は頷く。
「あの日も雨上がりだった。」
「そうそう!」
まなが思い出したように笑う。
「るなが滑りそうになって。」
「わぁー!」
「思い出さなくていいのに!」
「あれ面白かったよね。」
「面白くない!」
私は少し頬を膨らませる。
「ちゃんと転ばなかったもん。」
「でも、ひかりにつかまってた。」
「……。」
「……。」
二人が顔を見合わせる。
そして。
「ぷっ。」
「あははは!」
笑い声が夕暮れの道に響いた。
「もう!」
私は照れ笑いしながら二人を追いかける。
「今日は絶対転ばない!」
「宣言した!」
「記録しておこう!」
「やめて〜!」
また笑い声。
こんな何気ない時間が、私には何よりも大切だった。
川沿いへ向かう遊歩道。
空は少しずつ藍色へ変わり始める。
街灯にはまだ灯りがともっていない。
その代わり、木々の間から聞こえるカエルの声が、夜の訪れを知らせていた。
「静かだね。」
ひかりが小さくつぶやく。
「うん。」
「この時間好き。」
私も同じ気持ちだった。
昼でも夜でもない、この一瞬。
世界がゆっくり呼吸しているような時間。
そして、その静けさの向こうには——
今夜だけの、小さな光の舞台が待っている。
三人は期待を胸に、川辺の遊歩道をゆっくり歩き始めた。
川辺へ続く細い遊歩道を歩いていく。
昼間の賑わいはすっかり消え、聞こえるのは水の流れる音と、草むらで鳴く虫たちの声だけ。
「なんだか……。」
まなが小さく息をついた。
「去年と同じ景色なのに、少し違って見えるね。」
「うん。」
ひかりも頷く。
「私たちも一年分、大きくなったからかな。」
私はゆっくり周りを見渡した。
背の高い木々。
静かに流れる川。
雨上がりの土の香り。
去年と変わらない景色。
でも、去年より少しだけ落ち着いて、この景色を見つめている自分がいた。
「まだ飛んでないかな。」
私は川の上へ視線を向ける。
空はすっかり群青色。
街灯も少なく、辺りはやさしい暗さに包まれている。
「もう少し暗くなってからかも。」
ひかりが時計を見る。
「あと十分くらいかな。」
「待つ時間も楽しいね。」
まながベンチに腰掛けた。
私たちも並んで座る。
三人とも自然と声が小さくなる。
蛍の世界におじゃまするような気持ちだった。
さらさら……
川風が頬を撫でる。
葉っぱが小さく揺れ、水面には月明かりが細く伸びている。
「静かだね。」
「うん。」
「この静けさ、好き。」
私は目を閉じた。
耳を澄ますと、水の音がゆっくり心へ染み込んでくる。
不思議だった。
何もしない時間なのに、心が少しずつ満たされていく。
その時だった。
「あっ……。」
まなが小さく声を漏らす。
「るな。」
「ひかり。」
二人が同じ方向を見ている。
私はゆっくり視線を向けた。
川の上を――
ふわり。
小さな緑色の光が浮かんだ。
「……いた。」
思わず息をのむ。
一匹だけ。
ゆっくり。
本当にゆっくりと。
夜の空気を泳ぐように飛んでいる。
「今年も……。」
私は自然と笑顔になった。
「会えたね。」
ひかりが優しく微笑む。
「おかえり。」
まなが小さく手を振る。
もちろん蛍には届かない。
それでも、その仕草がとても温かく感じた。
一匹だった光は、
二匹。
三匹。
五匹。
少しずつ増えていく。
「あぁ……。」
私は思わず立ち上がった。
「きれい……。」
草むらから次々と舞い上がる蛍たち。
まるで夜空へ帰っていく星のようだった。
川面にも光が映り、
ゆらゆらと揺れる。
上にも光。
下にも光。
世界中が小さなイルミネーションに包まれていた。
「まるで……。」
ひかりが呟く。
「自然が作るイルミネーションだね。」
「うん。」
私は大きく頷いた。
「電気じゃ作れない光。」
「だから特別なんだね。」
まなが静かに続ける。
誰も写真を撮らない。
誰も大きな声を出さない。
ただ、その瞬間を目に焼き付ける。
それだけで十分だった。
すると、一匹の蛍が三人のすぐ近くまで飛んできた。
ふわっ……
ふわっ……
「近い……。」
私はそっと両手を胸の前で重ねる。
「こんにちは。」
思わず小さく話しかける。
蛍は答えるように、ふんわりと光を強くした。
「かわいい。」
ひかりが微笑む。
「歓迎してくれてるみたい。」
まなも優しく笑った。
蛍は三人の間をゆっくり舞うと、また仲間たちの光の中へ帰っていった。
その光を見送りながら、私は胸の奥でそっと思う。
(また会えた。)
(今年も、この景色を三人で見られた。)
それだけで十分幸せだった。
そして、その無数の淡い光は、これから始まる夏の思い出を優しく照らしてくれているようだった。✨🪲
第4節「光が奏でるダンス」
蛍たちの光は、時間が経つにつれて少しずつ数を増やしていった。
ふわり。
ゆらり。
まるで夜風そのものが光になったように、川辺を優雅に舞っている。
私はその様子に見とれながら、小さく息をついた。
「……すごい。」
「去年より多くない?」
ひかりが目を細める。
「そうかも。」
まなも静かに頷いた。
「雨がいっぱい降ったからかな。」
「蛍も喜んでるのかもね。」
私は笑顔になる。
「今日は最高の日だったんだ。」
川の流れは相変わらず穏やかだった。
さらさら……
さらさら……
その音に合わせるように、蛍たちが左右へ揺れる。
「踊ってるみたい。」
思わず口にすると、
「ほんとだ。」
ひかりが笑う。
「音楽が聞こえてそう。」
「何の曲だろう。」
まなが首をかしげる。
私は少し考えてから微笑んだ。
「きっと自然のオーケストラ。」
「水の音。」
「風の音。」
「葉っぱの音。」
「それに蛍。」
「全部が演奏してる。」
三人は静かに頷いた。
少し歩くと、小さな木橋が見えてきた。
橋の上から見下ろす川面には、無数の小さな光が映っている。
上にも光。
下にも光。
まるで星空を逆さまにしたようだった。
「きれい……。」
まなが思わず立ち止まる。
「ずっと見ていられる。」
「うん。」
私は橋の手すりにそっと手を置いた。
その時だった。
橋の向こう側で、小さな灯りがともる。
「見て。」
ひかりが指さした。
遊歩道沿いに設置された小さなイルミネーション。
シャンパンゴールドの優しい光だった。
「今年も飾ってあるんだ。」
「去年もあったね。」
私は懐かしく笑う。
でも、その光は決して派手ではない。
明るすぎることもない。
蛍の光を消してしまわないように、
一本一本が静かに夜道を照らしている。
「この色……。」
まなが優しく見つめる。
「蛍を邪魔してない。」
「うん。」
ひかりも頷く。
「ちゃんと引き立ててる。」
私はイルミネーションと蛍を交互に見つめた。
「主役は蛍なんだね。」
「イルミネーションは応援してる感じ。」
「うん。」
「まるで舞台照明みたい。」
その言葉に、三人とも自然と笑顔になる。
派手に輝くのではなく、
そっと寄り添う光。
だからこそ、蛍の小さな命の輝きが、より美しく見える。
その瞬間。
ふわっ……
一匹の蛍がイルミネーションの近くまで飛んできた。
シャンパンゴールドの灯り。
淡い黄緑色の蛍。
二つの光は競い合うことなく、
お互いを引き立て合うように静かに揺れていた。
「……きれい。」
私は胸の前で両手を重ねる。
「自然の光と、人が作った光。」
「仲良しなんだね。」
ひかりがそう言うと、
まなも微笑んだ。
「どっちも誰かを笑顔にするための光。」
私はその言葉に、小さく頷く。
(そうか。)
(光って、強く輝くだけじゃない。)
(誰かを優しく照らすことも、光なんだ。)
その想いは、心の奥で小さなメロディーになって響き始めていた。
まるで蛍たちが、夜風に合わせて踊るように──。
第3節「光が奏でるダンス」②
しばらくの間、三人は言葉を交わさなかった。
話さなくてもよかった。
目の前に広がる景色だけで、心は十分満たされていたから。
ふわり……
また一匹。
ゆらり……
もう一匹。
蛍たちは思い思いの速さで夜を舞う。
誰かに合わせるわけでもなく、
競い合うわけでもなく、
それぞれの光を、それぞれの時間で輝かせていた。
「自由だね。」
私はぽつりとつぶやく。
「うん。」
ひかりが微笑む。
「誰が一番とかじゃない。」
「みんな違う。」
まなも続ける。
「だからきれいなんだね。」
私は静かに頷いた。
少し風が強く吹いた。
木の葉が揺れる。
すると、蛍たちも風に乗るように一斉に舞い上がった。
「わぁ……!」
思わず声が漏れる。
小さな光が幾重にも重なり、
まるで夜空いっぱいに散りばめられた星たちが、
踊り始めたようだった。
「すごい……。」
ひかりも目を丸くする。
「本当にダンスしてるみたい。」
「うん。」
私は笑顔になる。
「風と一緒に踊ってる。」
さらさら……
川のせせらぎ。
さわさわ……
木々のささやき。
そして、
ふわり……
ふわり……
蛍たちの光。
そのすべてが重なり合い、
一つのステージが出来上がっていた。
私は目を閉じる。
(もし、この景色に音楽をつけるなら……。)
頭の中に、小さなリズムが流れ始める。
軽やかなドラム。
弾むようなベース。
夜風みたいにやさしいシンセサイザー。
そして──
どこかレゲエのように身体が自然と揺れるリズム。
「るな?」
ひかりが笑う。
「さっきから身体揺れてるよ?」
「え?」
私は自分を見て思わず笑ってしまう。
「ほんとだ。」
「もう踊ってる。」
まなもくすっと笑う。
「蛍につられちゃった?」
「かもしれない。」
私は照れ笑いを浮かべた。
「なんかね。」
「この景色見てたら。」
「音楽が聞こえてきそうなの。」
「どんな曲?」
ひかりが興味津々で尋ねる。
私は少し考えてから、胸に手を当てる。
「優しくて。」
「楽しくて。」
「みんなが笑顔になれる曲。」
「夜なのに明るい。」
「でも派手じゃなくて。」
「蛍みたいに。」
「ふわっと心が軽くなる感じ。」
「るならしいね。」
まなが微笑む。
「絶対かわいい曲になりそう。」
私は少し照れながら笑った。
「まだ題名もないけどね。」
その時。
一匹の蛍が、るなの目の前を横切る。
ふわっ……
くるり。
ふわっ……
まるで「一緒に踊ろうよ」と誘ってくれているみたいだった。
私は思わず、その光を目で追いかける。
(ダンス……。)
(踊る……。)
(蛍が踊る……。)
その瞬間。
頭の中で、一つの言葉が小さく光った。
「Firefly Dance……。」
思わず口にしてみる。
「え?」
ひかりが聞き返す。
「今、なんて?」
私は少し照れながら笑った。
「Firefly Dance。」
「蛍が踊ってるみたいだから。」
ひかりとまなは顔を見合わせる。
そして同時に笑顔になった。
「いい名前!」
「すごく、るならしい!」
「ほんと?」
「うん!」
「絶対忘れないうちにメモしなきゃ!」
私は慌ててスマートフォンを取り出す。
タイトル欄に、そっと入力する。
『Firefly Dance ~蛍のイルミネーション~』
画面にその文字が並んだ瞬間、不思議と胸が温かくなった。
「これだ。」
私は小さく微笑む。
「今日の景色を、歌にしよう。」
夜風がそっと吹き抜ける。
蛍たちは、まるで祝福するように優しく光りながら舞い続けていた。
第5節① 光は、心を映す -光が重なる夜-
夏祭りの広場は、昼間とはまるで違う世界になっていた。
提灯が並び、屋台から甘い匂いが流れてくる。
焼きとうもろこし。
りんご飴。
かき氷。
遠くでは金魚すくいの歓声。
そして——
川沿いへ続く遊歩道には、今年も優しいシャンパンゴールドのイルミネーションが灯っていた。
派手ではない。
でも、その光はまるで夜風そのものが光になったように静かだった。
「……きれい。」
るなが思わず立ち止まる。
その横で、ひかりも笑う。
「去年より優しい色だね。」
「うん。」
まなが頷く。
「蛍の邪魔をしないようにしたってニュースで見たよ。」
るなは改めて光を見つめた。
確かに白く眩しいLEDではない。
少し黄色がかった柔らかな灯り。
木々の葉を照らしても自然に溶け込んでいる。
「これなら……」
るなが小さく呟く。
「蛍も安心して飛べそう。」
その言葉に三人は顔を見合わせて笑った。
「るならしい。」
ひかりが肩を寄せる。
「え?」
「景色じゃなくて、蛍の気持ち考えてる。」
「えへへ……。」
照れ笑いがこぼれる。
その時だった。
「おーい!」
聞き覚えのある声。
三人が振り向く。
「こんばんは。」
そこには浴衣姿の桐生先輩が立っていた。
「こんばんは!」
「先輩!」
「来てたんですね!」
三人が一斉に駆け寄る。
桐生先輩は笑いながら少し照れたように頭を掻いた。
「大学の課題終わらせてから来た。」
「間に合って良かった。」
「浴衣似合ってます!」
まなが言う。
「ありがとう。」
「みんなも。」
桐生先輩が少しだけ照れながら言った。
「すごく似合ってる。」
「えへへ。」
るなは思わず袖を見つめる。
今年新しく買った水色の浴衣。
帯には小さないちご柄。
髪にはお気に入りのいちごヘアピン。
(よかった……。)
少しだけ嬉しくなる。
「るな。」
「はい?」
「そのヘアピン。」
「え?」
「去年も付けてたよね?」
「覚えてたんですか!?」
るなの目が丸くなる。
「もちろん。」
桐生先輩は笑った。
「あれ、るなのトレードマークみたいだから。」
「……。」
るなの胸がふわっと温かくなる。
(覚えてくれてた。)
(そんな小さなことまで。)
思わず笑顔になってしまう。
ひかりが横からニヤニヤしている。
「よかったねぇ。」
「ひ、ひかり!」
「顔赤い。」
「赤くない!」
「赤いよ。」
まなまで笑い始める。
「もう〜!」
るなが両手で頬を押さえる。
桐生先輩も困ったように笑っていた。
「はいはい。」
「そろそろ蛍の時間じゃない?」
その一言で空気が少し変わる。
四人は自然と川の方へ歩き始めた。
祭りの賑わいが少しずつ遠ざかる。
代わりに聞こえてくるのは、
川のせせらぎ。
虫の声。
風に揺れる木々。
そして――
静かな夜。
シャンパンゴールドのイルミネーションが木々の間を優しく照らしている。
誰も大きな声を出さない。
まるでこの場所だけ時間がゆっくり流れているようだった。
その時。
ふわり。
ひとつ。
緑色の小さな光が浮かぶ。
「あっ……。」
るなが息を止めた。
続いてもう一匹。
また一匹。
やがて無数の小さな光が川辺を舞い始める。
「……すごい。」
まなが思わず呟く。
「今年も飛んでる。」
ひかりの声も小さい。
誰も大きな声を出さない。
蛍たちの世界を壊したくないから。
静かな夜。
優しいイルミネーション。
そして蛍。
人工の光と自然の光。
どちらも競い合うことなく、
まるで昔から約束していたかのように、
一つの景色になっていた。
るなはそっと胸に手を当てる。
(……きれい。)
(こんな夜が……。)
(ずっと続けばいいのにな。)
夜風が四人の間を静かに吹き抜けた。
第5節② 光は、心を映す -Firefly Dance-
川辺には、静かな時間が流れていた。
誰も言葉を発さない。
耳に届くのは、
さらさらと流れる水の音。
木々を揺らす風。
そして――
無数の蛍が描く、小さな光の軌跡。
「……。」
るなは息をすることさえ忘れそうになる。
一匹、また一匹。
ふわり。
ゆらり。
規則正しいようで、どこか自由。
まるで夜そのものが踊っているようだった。
「……踊ってるみたい。」
思わず漏れた言葉に、
桐生先輩が静かに微笑む。
「うん。」
「ダンスしてるみたいだね。」
その一言だけで十分だった。
るなはもう一度空を見上げる。
蛍。
イルミネーション。
月明かり。
三つの光が重なり合い、
夜を優しく包んでいる。
「自然の光と……。」
るなが小さく呟く。
「人が作った光なのに……。」
「ケンカしてない。」
ひかりが頷く。
「むしろ、お互いを引き立ててる。」
まなが続ける。
「片方だけじゃ、この景色にはならないんだね。」
桐生先輩が静かに言う。
「たぶん、人も同じなんだと思う。」
「え?」
「誰か一人だけじゃ完成しない。」
「支え合って。」
「認め合って。」
「初めて、一つの景色になる。」
その言葉が、
るなの胸へ静かに届いた。
(……そうか。)
(恋も。)
(友情も。)
(きっと同じなんだ。)
風が吹く。
その瞬間だった。
ふわり。
一匹の蛍が、
るなのすぐ目の前まで飛んできた。
「わぁ……。」
小さな光。
逃げることもなく、
ゆっくりと宙を漂っている。
るなは思わず手を差し伸べた。
もちろん捕まえたりはしない。
ただ、
その光を近くで見たかっただけ。
蛍は、
るなの指先を一周するように飛ぶと、
また静かに夜空へ戻っていった。
「ふふっ。」
自然と笑顔になる。
「るな。」
桐生先輩が優しく声をかけた。
「はい?」
「今、すごくいい顔してた。」
「えっ?」
「ほんと?」
ひかりも笑う。
「さっきまで緊張してたのにね。」
「そんなに?」
「うん。」
まなが頷く。
「今は自然に笑ってる。」
るなは照れくさそうに笑う。
「……たぶん。」
「この景色のおかげ。」
桐生先輩は川を見つめながら言った。
「景色って、不思議だよね。」
「見るだけじゃなくて。」
「人の心まで映す。」
その言葉に、
るなは静かに頷いた。
(今日の私は。)
(ちゃんと笑えてる。)
(ちゃんと幸せって思えてる。)
それだけで十分だった。
遠くから祭り囃子が聞こえる。
屋台の灯り。
笑い声。
提灯。
賑やかな夏祭り。
その一方で、
この川辺には、
蛍だけが知っている静かな時間が流れている。
まるで二つの世界が、
一本の川でつながっているようだった。
「ねえ。」
ひかりが笑う。
「写真撮ろっか。」
「賛成!」
まながスマートフォンを取り出す。
「蛍写るかな?」
「難しいかも。」
「でも撮ろう!」
四人は並んで笑う。
「はい。」
「いくよー。」
「せーの!」
「夏ー!」
カシャ。
撮れた写真には、
人物は少し暗く映っていた。
でも。
背景には、
シャンパンゴールドのイルミネーション。
その奥には、
ぼんやりと光る蛍が数匹。
「すごい……。」
るなが写真を見つめる。
「ちゃんと写ってる。」
「今年の宝物だね。」
ひかりが言う。
「うん。」
るなは大切そうにスマートフォンを胸へ抱く。
(この夜を。)
(きっと忘れない。)
(また来年も。)
(みんなで、この景色を見られますように。)
その願いを乗せるように、
一匹の蛍が夜空高く舞い上がる。
その光を追うように、
優しいイルミネーションも静かに揺れた。
自然の光。
人が灯した光。
そして、
胸の中で少しずつ育ち始めた、
まだ名前のつかない小さな想い。
それらすべてが溶け合ったこの夜は、
るなの心の中で、
いつまでも色あせることのない
「Firefly Dance」
として、
静かに輝き続けるのだった。