オリジナル小説 恋愛

恋のイルミネーション物語/第4部・❄️『恋のイルミネーション☆冬色メモリーズ』3章❄️

小説タイトル『恋のイルミネーション物語/第4部・『恋のイルミネーション☆冬色メモリーズ』

 


🌿 全体テーマ

「あの日、誰かの恋を応援していた少女は、知らないうちに自分自身の恋の物語を始めていた。」

秋編では、るなと先輩の恋が、花火のようなドキドキから、隣にいるだけで安心できる温かな想いへと深まりました。

冬編では、その恋の始まりを振り返りながら、二人がこれから迎える未来へと進んでいきます。
夏の恋は、花火のように弾けた。秋の恋は、イルミネーションのように静かに灯った。その光は、冬へ続いていく。

第4部・『恋のイルミネーション☆冬色メモリーズ』章構成

第1章「あの日から続く冬の光」❄️

時期:11月末〜12月初旬

第1節「秋の終わり、冬の予感」

秋の紅葉が終わり、街に冬のイルミネーションが灯り始める。
るなは、秋に先輩と交わした「冬に会おう」という約束を思い出す。

第2節「冬のイルミネーション、再び」

先輩と待ち合わせ。久しぶりに見る冬の光に、るなは夏の花火や秋の紅葉、二人で過ごした時間を思い返す。

第3節「ひかりが覚えていたこと」

ひかり、ゆずは、まなとの会話から、第1部のひかりと朝比奈透先輩の恋が話題になる。
るなが二人の恋を応援していた頃の思い出がよみがえる。

第4節「誰かの恋を応援していた日」

ひかりが「あの頃、るなにもいっぱい助けてもらったよね」と語る。
るなは、自分が誰かの恋を応援する側だったことを懐かしく思い出す。

第5節「あの日のいちご飴」

帰宅後、るなは昔の出来事を思い出す。
ひかりのためにその場を離れ、いちご飴を買いに行った夜。
そこから、物語は過去へと移る。

第2章「いちご飴と、最初の出会い」🍓

回想:第1部の頃

第1節「ひかり、作戦です!」

イルミネーションと花火が輝く夜。るなは、ひかりと透先輩の様子を見て、二人きりになる時間を作ろうとする。

「あっ! あっちにいちご飴売ってます!」

自分も食べたい気持ちは隠せない、るならしい作戦🤣

第2節「いちご飴に夢中♡」

無事にいちご飴を手に入れたるな。花火よりもイルミネーションよりも、目の前のいちご飴に夢中になってしまう。

第3節「ドンッ! すみません!」

よそ見をしながら歩いていたるなは、スケッチブックを持った少年――桐生蒼先輩にぶつかってしまう。

「あっ、すみません!」

散らばった紙を拾うるな。その中の一枚に、目が留まる。

第4節「光を描く人」

蒼先輩が描いていたのは、イルミネーションと花火の風景。単に光を描くのではなく、光に照らされた街や人々の表情まで描かれていた。

「……きれい」

るなは、その絵に心を惹かれる。

第5節「もう一度、見たい絵」

少し言葉を交わした二人。るなはお詫びにいちご飴を勧めるなど、ちょっとした笑いも生まれる。

別れたあと、るなはもう一度あの絵を見たいと思う。しかし、この時点ではまだ、それが恋の始まりだとは気づいていない。

第3章「絵の中に見つけた光」🎨

時期:12月

第1節「また会えたらいいな」

現在に戻る。るなは、あの日の出会いを思い出しながら、先輩との思い出をたどる。
最初は少し他人行儀だった二人が、いつの間にか自然に一緒にいられる関係になっていた。

第2節「先輩のスケッチブック」

先輩と冬の街を歩く中で、昔のスケッチブックの話になる。
先輩も、いちご飴を食べながら絵にぶつかってきたるなのことを覚えていた。

「……そこ、覚えてたんですか!?」

「忘れるわけないだろ」

るな、真っ赤になる🤣🍓

第3節「同じ景色、違う気持ち」

二人でイルミネーションを眺める。
昔は絵に惹かれたるなも、今は先輩と一緒にこの景色を見られることに幸せを感じる。

第4節「先輩が見ている世界」

先輩がスケッチブックを開く。
るなは、先輩が光だけでなく、その場にいる人の気持ちまで大切に描いていることに改めて気づく。

第5節「私も、この景色の一部」

先輩が、イルミネーションを眺めるるなの姿を描く。
るなは、自分もまた先輩の見ている世界の一部になっているのだと感じる。

第4章「冬色に深まる恋」💕❄️

第1節「寒いね、先輩」

冷たい風が吹く夜。二人は温かい飲み物を買い、ゆっくり街を歩く。
何気ない会話にも、以前とは違う安心感がある。

第2節「思い出の写真」

るなはスマートフォンの写真を見返す。
夏の花火、秋いちご、お月見、焼きいも、ハロウィン、モンブラン、紅葉。
季節の一つひとつに先輩や友達との思い出が詰まっている。

第3節「変わったこと、変わらないこと」

先輩と出会った頃の自分を思い出す。
緊張していたこと、絵に心を動かされたこと、そして今、隣で自然に笑えること。
恋の形は変わっても、好きな気持ちは変わらない。

第4節「これからも、一緒に」

るなは、先輩とこれからも季節を重ねていきたいと伝える。
先輩もまた、これからの景色を一緒に見ていこうと答える。

第5節「冬色のイルミネーション」

二人の前に広がる冬の光。
るなは、夏の花火から始まった恋が、秋を越えて今も続いていることを感じる。

第5章「次の季節へ、恋の光」✨

第1節「クリスマスの約束」

クリスマスが近づく。るなと先輩は、冬の街で過ごす時間を楽しみにする。
大きなイベントだけでなく、何気ない時間も大切にしたいと思うようになる。

第2節「友達と見る冬の光」

ひかり、ゆずは、まなとも冬のイルミネーションを楽しむ。
恋人との時間だけでなく、友達と笑い合う時間も、るなにとってかけがえのない光だと改めて感じる。

第3節「先輩の描いた、私」

先輩が描いた、イルミネーションの中にいるるなの絵。
るなは少し恥ずかしがりながらも、絵の中の自分が幸せそうに笑っていることに気づく。

第4節「また来年も」

二人は来年も一緒に冬のイルミネーションを見ようと約束する。
るなは、来年だけでなく、その先の季節も一緒に迎えたいと願う。

第5節「冬色メモリーズ」

物語の締めくくり。るなは、これまでの季節を思い返す。

夏の花火のように弾けた恋。秋の紅葉のように深まった恋。
そして冬のイルミネーションのように、静かに輝き続ける恋。
あの日、いちご飴を買いに行かなかったら。

あの日、先輩の絵に出会わなかったら。

今の私は、ここにいなかったのかもしれない。

「……先輩に出会えて、よかった」

「何か言った?」

「……秘密です♡」

冬の光は、次の季節へと続いていく。

 

 

ジャンル

青春恋愛小説/アイドル的ラブストーリー/季節物
(全年齢・やさしい恋)

主要登場人物(6名)


1. 星野 るな(ほしの るな)

  • 年齢:18歳

  • 性別:女性

  • 立場:高校2年生、ひかりの親友(ひかりとは永久親友)

  • 性格:性恋バナ担当で親友の背中を押す役。いちごとチョコがあれば幸せ。ズレた発言で周囲を和ませる。恋に対してはマイペースで、「急がない恋派」

  • 役割:今回の主人公。一応気になる人はいるが、親友と甘いものがあれば満足。誰からも愛されるキャラだが、決してお節介ではなく、ほんの少し背中を押すタイプ

2.桐生 蒼(きりゅう あおい)

  • 年齢:19歳

  • 性別:男性

  • 立場:美術大学1年生

  • 性格:穏やかで観察眼が鋭い。感性が豊かで、言葉選びが独特

  • 役割:るなの「一応気になる人」。るなの"ズレた発言"を面白がり、自然体で接してくれる。るなが唯一「ちょっとドキドキする」相手


3. 白雪 ひかり(しらゆき ひかり)

  • 年齢:18歳

  • 性別:女性

  • 立場:高校3年生、るなの親友(るなの"永久親友枠")

  • 性格:明るい・ちょっと照れ屋・感情表現が素直

  • 役割:恋愛の経験者・るなの支え


4. 小日向 まな(こひなた まな)

  • 年齢:17歳

  • 性別:女性

  • 立場:高校2年生で後輩

  • 性格:元気で憧れ体質。るなを「るな先輩」と慕っている

  • 役割:るなの恋心に最初に気づき、さりげなくサポートする役割。純粋な応援者

5.橘 ゆずは(たちばな ゆずは)

  • 年齢:18歳

  • 性別:女性

  • 立場:高校3年生、るなのクラスメイトでひかりとるなとは友人

  • 性格:しっかり者でちょっと毒舌。でも根は優しい

  • 役割:るなの恋を外側から冷静にツッコミつつ、実は誰よりも応援している


6. 朝比奈 透(あさひな とおる)

  • 年齢:19歳

  • 性別:男性

  • 立場:大学1年生

  • 性格:優しい・落ち着いている・少し不器用

  • 役割:白雪ひかりの恋人


舞台・設定

街(イルミネーションのある商店街)

  • 場所:
    地方都市の高校とその周辺。商店街、カフェ、コンビニ、公園、そして冬から春にかけてのイルミネーションスポット

  • 地方都市

  • 毎年11月から3月まで
    「ウィンターイルミネーション+月1回の冬花火」が行われる街

  • 高校・駅前・商店街・川沿いの花火スポット


物語の世界観を特徴づける重要な設定:

  • 「るな基準の記念日」という概念。るなは日常の小さな幸せを勝手に記念日化する

  • いちごとチョコという二つの「甘さ」が、恋心のメタファーとして機能

  • 「恋は急がなくていい」という、るな独自の恋愛哲学

  • ひかりと透の関係が「ゆっくり育てた恋の成功例」として物語の背景に存在

 

 

 第4部・『恋のイルミネーション☆冬色メモリーズ』第3章「絵の中に見つけた光」🎨

第1節「また会えたらいいな」

十二月の街は、いつの間にか冬の色に染まっていた。

駅前の街路樹には、金色や白色のイルミネーションが巻きつけられ、夕暮れが訪れると同時に、ひとつ、またひとつと光が灯り始める。

ショーウィンドウにはクリスマスケーキの写真が並び、赤いリボンを飾ったプレゼントや、雪の結晶を模したオーナメントが、通りを歩く人々の目を楽しませていた。

冷たい風が吹くたび、コートの襟を押さえる人や、マフラーに顔をうずめる人がいる。

けれど、街を彩る光を見上げる人たちの表情は、どこか明るかった。

「……わぁ」

星野るなは、思わず足を止めた。

目の前に広がるのは、駅前広場の冬のイルミネーション。

大きなツリーを中心に、青白い光が地面を流れるように広がり、木々には星のようなライトが瞬いている。

広場の向こうには、暖色の光に包まれたカフェがあった。窓越しに見える店内では、楽しそうに話す人たちが温かい飲み物を手にしている。

どこを見ても、光、光、光。

夏の夜に見上げた花火とは違う。

秋の帰り道、木々を染めていた夕焼けや、もみじの赤とも違う。

冬の光は、冷たい空気の中で、誰かの帰りを待つように静かに灯っていた。

「……今年も、この季節が来たんだなぁ」

るなは、白い息を吐きながら微笑んだ。

そして、隣に立つ人をそっと見上げる。

「先輩」

「ん?」

「冬ですね」

「そうだね」

「……ものすごく、冬です」

「うん。ものすごく冬だね」

「ですよね!」

なぜか胸を張るるなに、桐生蒼は小さく笑った。

「るなは、冬になるといつもそういうことを言うね」

「えっ、そうですか?」

「うん。夏には『夏ですね!』って言うし、秋には『秋ですね!』って言っていた気がする」

「そ、それは……!」

るなは一瞬、言葉に詰まった。

「季節を感じる心が豊かなんです!」

「なるほど」

「はい!」

「じゃあ、春になったら『春ですね!』って言うんだ?」

「もちろんです!」

「楽しみにしているよ」

「そこは普通に流してくださいよぉ!」

るなは頬を膨らませた。

蒼は声を立てずに笑っている。

その横顔を見て、るなもつられて笑った。

こんなふうに、何でもないことで笑い合える。

それが、今の二人だった。

けれど、ふとした瞬間に、るなは思うことがある。

――最初から、こんなふうだったわけじゃないんだよね。

今では隣に立つことも、名前を呼ぶことも、自然にできる。

話したいことがあれば話すし、言葉が途切れても、無理に何かを探す必要はない。

先輩が景色を眺めているなら、るなも隣で景色を眺める。

先輩がスケッチブックを取り出したなら、るなはその横顔を見ながら、どんな絵を描くのだろうと考える。

そして、お腹が空いたら――。

「……先輩」

「今度は何?」

「帰りに、何か食べませんか?」

「やっぱりね」

「やっぱりって何ですか!」

「さっきから、あそこのクレープ屋さんを三回見ていたから」

「さ、三回も!?」

「四回だったかな」

「数えないでくださいっ!」

蒼は楽しそうに笑った。

「いいよ。イルミネーションを見たあとに、何か食べようか」

「本当ですか!?」

「うん。ただし、歩きながら食べるときは気をつけてね。前みたいに夢中になって、誰かにぶつからないように」

「うっ……!」

るなは、ぴたりと固まった。

そして、ゆっくりと蒼を見上げる。

「……先輩、まだ覚えているんですか?」

「忘れるわけないよ」

「うぅ……あれは、いちご飴があまりにもおいしそうだったから……」

「うん」

「それに、あのときは、まさか先輩にぶつかるなんて思っていなくて……」

「うん」

「……先輩、絶対に面白がってますよね?」

「少しだけ」

「少しだけって顔じゃありません!」

るなが抗議すると、蒼はまた笑った。

その笑顔を見て、るなの胸の奥が、ぽっと温かくなる。

あの日のことを、先輩も覚えている。

ただの失敗談として笑っているだけなのかもしれない。

それでも、るなにとっては、忘れられない出会いだった。

あの日、いちご飴を買いに行かなかったら。

あの日、先輩のスケッチブックを見なかったら。

今、自分はこの人の隣に立っていただろうか。

そう考えると、不思議な気持ちになる。

「……るな?」

「えっ?」

「どうしたの? 急に静かになったけど」

「あ、いえ!」

るなは慌てて首を振った。

「ちょっと、昔のことを思い出していました」

「昔って、そんなに前じゃないと思うけど」

「私にとっては、すごく大切な昔です」

そう言うと、蒼は少しだけ目を細めた。

「……そっか」

それ以上、彼は何も聞かなかった。

その優しさが、るなにはうれしかった。

言葉にしなくても、急かさずに待ってくれる。

今の二人には、そんな時間も自然に流れていた。

*

初めて蒼に出会った夜のことを、るなは今でもはっきり覚えている。

あれは、今よりもずっと前。

街がイルミネーションに彩られ、夜空には花火が上がっていた日だった。

るなは、親友のひかりの恋を応援するために、あれこれと作戦を考えていた。

ひかりと透先輩が二人で話せるように、少し離れた場所へ行こうとしたこと。

その途中で、いちご飴の屋台を見つけたこと。

そして、いちご飴に夢中になってしまったこと。

……最後のひとつは、今思い返しても、少し恥ずかしい。

けれど、あのときのるなは、目の前の恋を応援することに一生懸命だった。

自分自身が、誰かを好きになるなんて。

ましてや、あのとき出会った人と、こうして冬のイルミネーションを見上げる日が来るなんて。

想像すらしていなかった。

最初に心を引き寄せられたのは、蒼の顔立ちではなかった。

スケッチブックに描かれた、光の景色だった。

花火の光を映した建物。

イルミネーションを見上げる人々。

光に照らされた横顔や、誰かと笑い合う人の姿。

ただきれいなものを、そのまま描いているのではない。

その景色の中にいる人たちの気持ちまで、絵の中にそっと閉じ込めているように見えた。

どうして、こんなふうに描けるんだろう。

この人には、私と違う景色が見えているのかな。

この人が見ている世界を、もっと知りたい。

それが、最初の気持ちだった。

もう一度、あの絵を見てみたい。

どんなものを見て、何を感じて、どんな思いで鉛筆を動かしているのか。

そんな小さな興味が、やがて、蒼という人自身への興味に変わっていった。

何を考えているのだろう。

どんなものが好きなのだろう。

絵を描いていないときは、どんなふうに笑うのだろう。

話してみたい。

もう少し、知りたい。

また会えたらいいな。

あのときのるなは、まだ知らなかった。

その小さな願いが、何度も会いたいという気持ちに変わっていくことを。

そして、いつかその人の隣が、自分にとって特別な場所になることを。

*

「るな」

「はい?」

蒼に呼ばれて、るなは現在の景色へと意識を戻した。

「そろそろ、あっちのツリーの近くまで行こうか。少し離れたところから見ると、全体がきれいに見えると思う」

「あっ、はい!」

るなはうなずき、蒼の隣を歩き始めた。

二人の足元では、地面に映った光がゆらゆらと揺れている。

風が吹き、るなの髪が頬にかかった。

「あ、寒っ……!」

思わず肩をすくめると、蒼が気づいて歩く速度を少し緩めた。

「大丈夫?」

「大丈夫です! ちょっとだけ寒いですけど」

「ちょっとだけ?」

「……けっこう寒いです」

「正直でよろしい」

「だって、先輩に嘘をついても仕方ないですから」

何気なく口にした言葉だった。

けれど、言ってから、るなは少しだけ照れくさくなった。

以前の自分なら、こんなことを言うのにも、もう少し勇気が必要だった気がする。

初めて会ったころは、蒼の前に立つだけで緊張していた。

絵を見せてもらうときも、話しかけるときも、何を言えばいいのか考えすぎてしまった。

少しでも変なことを言ったら、どう思われるだろう。

子どもっぽいと思われないかな。

いちごの話ばかりしていたら、呆れられるかな。

そんなことを、いちいち気にしていた。

でも、蒼はるなの話を笑わなかった。

いちご飴の話をすれば、楽しそうに聞いてくれた。

絵について質問すれば、ひとつひとつ丁寧に答えてくれた。

わからないことをわからないと言っても、恥ずかしがる必要はなかった。

むしろ、るなが何かを見つけて目を輝かせると、蒼はその表情を見て、うれしそうに笑うことがあった。

そうした小さな時間が積み重なっていった。

初めて二人で話した日。

もう一度、絵を見せてもらった日。

絵の中の光について、たくさん質問した日。

蒼が美術大学へ進むと知り、少し遠い存在になるような気がして、寂しくなった日。

それでも、会える時間を大切にしようと思った日。

夏祭りで一緒に花火を見上げた日。

秋の帰り道、何も話さずに隣を歩いた日。

ひとつひとつは、特別な事件ではなかったかもしれない。

でも、るなにとっては、どれも大切な思い出だった。

気がつけば、蒼の隣にいることが、少しずつ当たり前になっていた。

最初は「また会えたらいいな」と願っていた。

次に会えたときは、もう少し話したいと思った。

話せるようになると、今度は、もっと一緒にいたいと思うようになった。

そして今は――。

「先輩、あっちのツリー、星がいっぱいついています!」

「本当だね」

「一番上の星、すごく大きいです!」

「るなは、ああいう星が好き?」

「好きです! キラキラしていて、遠くからでも見つけられるから!」

「じゃあ、るなに似合うね」

「……えっ?」

蒼は、ツリーを見上げたまま続けた。

「るなも、遠くから見つけやすいから」

「それ、どういう意味ですか!?」

「明るいし、よく笑うし、何かおいしいものを見つけると、すぐに目が輝くから」

「最後のは余計です!」

「そうかな」

「そうです!」

抗議しながらも、るなは笑っていた。

そして、胸の奥がまた、じんわりと温かくなった。

こんなふうにからかわれることも、今では嫌ではない。

むしろ、蒼が自分のことをよく見てくれているのだと感じられて、うれしくなる。

昔は、先輩の見ている世界を知りたいと思っていた。

その気持ちは、今も変わらない。

でも今は、それだけではなかった。

先輩が何を見ているのか。

何を美しいと思うのか。

どんな瞬間に笑うのか。

何を大切にしているのか。

そして、先輩の目に、自分はどんなふうに映っているのか。

知りたいことが、少しずつ増えていた。

*

ツリーの前まで来ると、蒼は足を止めた。

「ここから見ると、全体がよく見えるね」

「本当ですね……!」

るなは目の前の光景に見入った。

大きなツリーを中心に、無数の光が広がっている。

白い光は雪のようにきらめき、金色の光は星屑のように瞬いていた。

遠くのビルの窓にも明かりが灯り、街全体がひとつの大きな絵のように見える。

「先輩」

「うん?」

「こういう景色を見ていると、先輩ならどんなふうに描くのかなって、考えちゃいます」

蒼は、少し驚いたようにるなを見た。

「そう?」

「はい。最初に会ったときも、そうだったんです。先輩の絵を見て、同じ景色なのに、私が見ていたものと違うって思って」

「違う、か」

「私には、イルミネーションがきれいだなって、それくらいしか見えていなかったんです。でも、先輩の絵には、光だけじゃなくて、その光を見ている人たちも描かれていて……」

るなは、スケッチブックの中にあった景色を思い出した。

「絵の中の人たちも、楽しそうだったり、少し寂しそうだったりして。景色を見ているだけなのに、その人たちが何を考えているのかなって、気になったんです」

蒼は、しばらく黙って聞いていた。

「……あのとき、そんなふうに見てくれていたんだね」

「はい」

「うれしいな」

その言葉に、るなは少し目を見開いた。

「うれしい、ですか?」

「うん。絵を描いていると、どうしても自分が描きたいものに夢中になるから。見てくれた人が何を感じたのか、直接聞ける機会は、思っているより少ないんだ」

蒼は、ツリーの光を見上げた。

「同じ景色を見ても、感じることは人によって違う。だから、誰かが自分の絵を見て、何かを感じてくれたなら、それだけで描いてよかったと思えることがある」

「……先輩」

「るなが、あの絵を覚えていてくれたことも、うれしいよ」

るなは、言葉を失った。

ずっと、自分が先輩の世界を知りたいと思っていた。

でも、もしかしたら。

先輩もまた、自分の絵を見た人が何を感じるのか、知りたいと思っていたのかもしれない。

絵を描く人と、それを見る人。

最初は、ただそれだけの関係だった。

けれど、絵を通して話し、何度も会い、少しずつお互いのことを知っていった。

そうして今、二人は同じ場所に立ち、同じ冬の光を見上げている。

「……私、先輩の絵が好きです」

るなは、静かに言った。

「もちろん、今もですけど。初めて見たときから、ずっと」

蒼は、るなを見つめた。

「ありがとう」

「これからも、たくさん見せてくださいね」

「うん。るなが見たいと思ってくれるなら、いくらでも」

「やったぁ……!」

るなは、思わず両手を握った。

「じゃあ、次は冬のイルミネーションの絵ですね! 今日の景色を描いたら、絶対にきれいだと思います!」

「そうだね。今日の景色も、描いてみたいな」

「本当ですか!?」

「うん。ただ、まだ何を描くかは決めていないけど」

「えーっ! 今すぐ決めましょうよ!」

「今すぐ?」

「はい! まずはツリー! それから、光の道! あとは、カフェと……あっ、あそこのベンチもいいですね! それから……」

「るな」

「はい?」

「全部描くことになりそうだね」

「……あっ」

るなは、口を押さえた。

蒼は、くすっと笑った。

「でも、ありがとう。そうやって一緒に考えてくれるのは、楽しいよ」

「……えへへ」

るなは照れくさそうに笑った。

最初は、絵について質問するだけでも緊張していた。

今は、先輩の絵に描いてほしい景色を、こんなふうに一緒に考えている。

変わったことは、たくさんある。

けれど、変わらないこともある。

先輩の絵を見たいと思う気持ち。

先輩の見ている世界を知りたいと思う気持ち。

そして、先輩と一緒にいると、いつもより景色がきれいに見えること。

それは、出会ったころから、ずっと続いている気がした。

*

少し歩いた先に、温かい飲み物を売る屋台が見えた。

るなは、その看板を見つけた瞬間、ぴたりと足を止めた。

「……先輩」

「うん?」

「ココアがあります」

「あるね」

「ホットココアです」

「そうだね」

「……飲みたいです」

「だと思った」

「どうしてわかるんですか!?」

「顔に書いてあるから」

「書いてありません!」

「じゃあ、目に書いてあるのかな」

「目にも書いてませんよぉ!」

そう言いながらも、るなはもう屋台のほうを向いていた。

「買いに行こうか」

「いいんですか!?」

「もちろん」

「やったぁ! 先輩、大好きです!」

言ってから、るなは自分の言葉に気づいた。

「…………」

「…………」

蒼も、少しだけ目を丸くしていた。

冬の空気が、急に冷たく感じられた。

いや、違う。

顔が熱い。

絶対に熱い。

「ち、違います! 今のは、ココアを買ってくれる先輩が大好きという意味で……!」

「うん」

「その、いつも優しくしてくれるところとか! 私の食べたいものをわかってくれるところとか!」

「うん」

「だから、えっと……!」

「わかっているよ」

蒼は、優しく笑った。

「ありがとう、るな」

その声があまりにも自然だったので、るなはますます困ってしまった。

「……先輩、ずるいです」

「何が?」

「そういうところです!」

「そういうところ?」

「もうっ! ココア買いに行きます!」

るなは、逃げるように屋台へ向かった。

その後ろ姿を見ながら、蒼は小さく笑っていた。

二人分のココアを受け取ると、るなはカップを両手で包み込んだ。

「はぁ……温かい……」

「冷えていたからね」

「手も温かくなります。ココアって、冬の味方ですね」

「うん」

「それに、甘いです!」

「それが一番大事?」

「もちろんです!」

るなは、得意げに答えた。

ひと口飲むと、甘い香りと温かさが、冷えた体に広がった。

そのおいしさに、るなはほっと息をつく。

「……幸せです」

「よかった」

「先輩とイルミネーションを見て、ココアを飲んで……」

るなは、ゆっくりと顔を上げた。

「こういう時間、好きです」

蒼は、カップを持ったまま、るなを見つめた。

「俺も好きだよ」

たったそれだけの言葉だった。

けれど、るなには十分だった。

初めて会ったころは、また会えるかどうかもわからなかった。

次に会えたとき、話しかけてもいいのか、迷った。

もっと絵を見たいと伝えるだけで、胸がどきどきした。

それが今では、隣でココアを飲みながら、好きな時間について話している。

特別なことをしなくてもいい。

大きな花火が上がらなくてもいい。

何かすごい出来事が起きなくてもいい。

ただ一緒に歩いて、同じ光を見て、温かい飲み物を飲む。

そんな時間が、こんなにも大切になった。

るなは、カップの中のココアを見つめた。

表面に映る小さな光が、ふわりと揺れている。

あの日、スケッチブックの中に見つけた光。

あの光が気になって、もう一度見たいと思った。

もう一度会いたいと思った。

その気持ちが、今の自分につながっている。

「……先輩」

「ん?」

「また、来年も一緒に見ましょうね」

蒼は、少しだけ驚いたあと、穏やかに微笑んだ。

「うん。来年も、その次の年も」

「……約束ですよ?」

「約束」

るなは、うれしそうに笑った。

その笑顔を見ながら、蒼は思った。

初めて出会った夜、いちご飴を持って慌てていた女の子が、こんなふうに隣で笑っている。

あのときは、まさか一緒に冬の光を見る日が来るとは思っていなかった。

絵を見てくれたこと。

もう一度見たいと言ってくれたこと。

何気ない話を楽しそうに聞いてくれたこと。

そのひとつひとつが、いつの間にか、かけがえのない時間になっていた。

「るな」

「はい?」

「今日は、来てくれてありがとう」

「えっ?」

「一緒に見られて、よかった」

るなは、しばらく蒼を見つめた。

それから、ゆっくりと微笑んだ。

「……私もです」

胸の奥に、温かい光が灯った。

冬のイルミネーションは、街を照らしている。

けれど、るなにとって、その光はただの景色ではなかった。

初めて絵に心を引き寄せられた夜。

もう一度会いたいと願った日。

少しずつ言葉を交わし、少しずつ心を近づけてきた時間。

そのすべてが、今の自分の中で、ひとつの光になっていた。

――また会えたらいいな。

あの日、そう願った。

そして今、その願いは、当たり前のように隣にある。

るなは、蒼の横顔を見た。

この人が見ている世界を、もっと知りたい。

その気持ちは、今も変わらない。

でも、今はもうひとつ、願いがある。

これから先も、この人と一緒に、いろいろな景色を見ていきたい。

夏の花火も。

秋の夕焼けも。

冬のイルミネーションも。

そして、まだ知らない季節の光も。

「……先輩」

「うん?」

「次は、どんな景色を見に行きましょうか?」

蒼は、少し考えるように空を見上げた。

「そうだね。るなが行きたいところなら、どこでも」

「本当ですか?」

「うん」

るなは、にっこりと笑った。

「じゃあ、まずは……おいしいものがあるところ!」

「やっぱり、そこからなんだね」

「大事ですから!」

二人の笑い声が、冬の夜に溶けていった。

光の向こうに、まだ見ぬ景色が待っている。

そして、その景色を一緒に見たいと思える人が、隣にいる。

それだけで、るなには十分だった。

あの日、絵の中に見つけた光は、今も消えていない。

むしろ、出会ったころよりも、ずっと近くで、ずっと温かく輝いている。

るなは、もう一度イルミネーションを見上げた。

「……また会えたらいいな、って思っていたのに」

小さな声でつぶやく。

「今は、また明日も会いたいって思っちゃうんだなぁ……」

「何か言った?」

「な、何でもありません!」

「そう?」

「はい!」

るなは、少し赤くなった頬をココアのカップで隠した。

蒼は不思議そうに首を傾げていたけれど、追及はしなかった。

それがまた、うれしかった。

街を彩る光は、冬の夜を優しく照らしている。

そして、二人の思い出もまた、新しい光をひとつ増やした。

第3章「絵の中に見つけた光」。

その光は、初めて出会ったあの日から、今も二人の間で静かに輝き続けている。

 

 第2節「先輩のスケッチブック」

駅前広場を離れた二人は、イルミネーションが続く並木道をゆっくりと歩いていた。

頭上では、街路樹に巻きつけられた金色のライトが、風に揺れる枝を優しく照らしている。

歩道の端には、小さな雪の結晶をかたどったオブジェが並び、少し先には、赤いリボンを巻いたクリスマスツリーが見えた。

十二月の街は、どこを歩いても、誰かの特別な日を待っているようだった。

「きれいですねぇ……」

星野るなは、うっとりと頭上を見上げた。

「夏の花火も好きですけど、冬のイルミネーションもいいですよね」

「うん」

隣を歩く桐生蒼が、静かにうなずいた。

「夏は、一瞬で景色が変わっていく感じがする。冬は、同じ光をゆっくり眺められるのがいいね」

「なるほど……!」

るなは、感心したように目を輝かせた。

「さすが先輩! 光の見方が芸術家です!」

「芸術家って」

「だって、私だったら『わぁ、きれい!』で終わっちゃいますもん」

「それも、ひとつの見方だと思うよ」

「そうですか?」

「うん。きれいだと思った気持ちを、そのまま大切にするのもいいことだから」

蒼はそう言って、並木道の向こうを見た。

「ただ、絵を描くときは、どうしてきれいだと思ったのか、もう少し考えることがあるんだ」

「どうして、きれいだと思ったのか……」

「光の色なのか、周りの景色との組み合わせなのか。それとも、その場所にいる人たちの表情なのか。いろいろ考えているうちに、最初は気づかなかったものが見えてくることもある」

るなは、黙って聞いていた。

出会ったばかりの頃にも、こんな話を聞いた気がする。

あのときは、目の前の人がどんなことを考えて絵を描いているのか知りたくて、ひとつ質問をすると、次の質問が浮かんできた。

今も、それは変わらない。

ただ、以前よりも少しだけ、自然に尋ねられるようになった。

「先輩は、今もスケッチブックを持ち歩いているんですか?」

「持っているよ」

「えっ、本当ですか?」

「うん。今日は小さいのだけどね」

「見たいです!」

言った瞬間、るなは自分の声が少し大きくなったことに気づいた。

「あっ……すみません。つい」

「いいよ。そんなに見たい?」

「見たいです!」

今度は、はっきりと答えた。

「先輩の絵、久しぶりにじっくり見たいです。今日のイルミネーションを描いているのかもしれないし、それ以外の景色かもしれないし……。どんな絵が入っているのかなって」

「じゃあ、少し休める場所を探そうか」

「はい!」

るなは、うれしそうにうなずいた。

蒼がスケッチブックを持っている。

それだけで、胸の奥が少し弾んだ。

初めて出会った夜、彼が手にしていたスケッチブック。

あの中に描かれていた景色が、るなの心を引き寄せた。

今では、その絵を描いた人が、すぐ隣を歩いている。

そう考えると、何度経験しても不思議な気持ちになった。

*

並木道を少し進むと、イルミネーションを見渡せる小さな広場があった。

広場の端にはベンチがあり、その周りにも、淡い金色のライトが飾られている。

「ここなら、ゆっくり見られそうだね」

「はい! あっ、あそこのベンチ、空いています!」

二人はベンチに腰を下ろした。

蒼は肩に掛けていたバッグを膝に置き、中から一冊のスケッチブックを取り出した。

表紙は落ち着いた紺色。

角の部分は少し擦れていて、何度も開いたことがわかる。

背表紙の近くには、小さな鉛筆の跡が残っていた。

「わぁ……!」

るなは、思わず身を乗り出した。

「これが、先輩のスケッチブック……!」

「うん。そんなに珍しいものでもないけど」

「珍しいですよ!」

「そう?」

「そうです! 先輩の頭の中にある景色が、ここにいっぱい詰まっているんですから!」

蒼は、少し驚いたようにるなを見た。

そして、穏やかに笑った。

「……そういう言い方をされると、ちょっと照れるね」

「えっ?」

「自分では、ただ描きたいものを描いているだけだから」

「でも、私にとっては特別なんです」

るなは、そう言ってから、少し恥ずかしくなった。

けれど、今さら取り消す気にはなれなかった。

本当にそう思っているからだ。

蒼は、そんなるなを見つめたあと、スケッチブックを開いた。

「じゃあ、今日は何枚か見てもらおうかな」

「お願いします!」

最初のページには、街角のカフェが描かれていた。

窓の向こうには、テーブルを囲んで笑う人たち。

店の外には、傘を差して歩く人の姿。

細い線で描かれた街並みには、光の強弱まで感じられた。

「わぁ……このカフェ、実際にあるお店ですか?」

「うん。大学の近くにあるんだ。雨の日に見かけて、描いてみたくなってね」

「雨の日なんですね」

るなは、絵をじっと見つめた。

窓ガラスには、雨粒がいくつも描かれている。

その向こうにいる人たちは、楽しそうに会話をしていた。

「外は雨なのに、中は温かそう……」

「そう見える?」

「はい。窓のところが、すごく明るいからかな。それに、みんな笑っているし……。外にいる人は少し急いでいる感じがするのに、カフェの中は時間がゆっくり流れているみたいです」

蒼は、うれしそうに目を細めた。

「よく見ているね」

「本当ですか?」

「うん。俺が描きたかった雰囲気に近いと思う」

「やったぁ……!」

るなは、両手を小さく握った。

自分の感じたことが、絵を描いた本人の考えと重なった。

そのことが、何よりもうれしかった。

次のページには、大学のキャンパスにある大きな木が描かれていた。

葉が落ちた枝の向こうに、校舎の窓が見える。

木の根元では、学生らしい二人が並んで座っていた。

「これは、秋の絵ですか?」

「そう。少し前に描いたものだよ」

「この二人、何を話しているんでしょうね?」

「どうだろう。そこまでは、俺にもわからないよ」

「えっ、先輩が描いたのに?」

「うん。見かけたときの様子は覚えているけど、何を話していたかまでは聞いていないからね」

蒼は、絵を見つめた。

「でも、二人とも楽しそうだった。だから、その雰囲気を残しておきたかったんだ」

るなは、もう一度絵を見た。

描かれている二人は、特別なポーズを取っているわけではない。

ただ、隣り合って座っているだけ。

けれど、二人の間には、言葉にしなくても伝わるものがあるように見えた。

「……いいなぁ」

るなは、ぽつりとつぶやいた。

「何が?」

「こういう時間です。何か特別なことをしなくても、隣にいるだけで楽しそうで」

言ってから、るなは蒼をちらりと見た。

今、自分も彼の隣に座っている。

同じスケッチブックを覗き込み、同じ絵を見て、同じ時間を過ごしている。

それが、少しだけくすぐったかった。

「……私たちも、こんな感じですかね?」

るなは、思い切って尋ねてみた。

蒼は絵から顔を上げた。

「俺たち?」

「は、はい! その……特別なことをしなくても、一緒にいるだけで楽しい、みたいな……」

最後のほうは、声が小さくなった。

蒼は、少し考えるように視線を動かした。

「そうだね」

「……!」

「俺は、るなとこうして話している時間が好きだよ」

あまりにも自然な答えだった。

まるで、今日の天気について話すような口調だった。

だからこそ、るなは反応に困った。

「……あ、あの」

「うん?」

「……そういうことを、普通に言わないでください」

「どうして?」

「どうしてって……!」

るなは、頬を押さえた。

「心の準備が必要なんです!」

蒼は、一瞬きょとんとしたあと、笑った。

「そっか。じゃあ、次からは先に知らせるね」

「先に知らせるって、何ですか!?」

「今から、るなと一緒にいる時間が好きだと言います、って」

「それはそれで困りますぅ!」

るなの声が、広場に響いた。

近くを通りかかった親子が、楽しそうな二人をちらりと見て微笑んだ。

るなは、ますます赤くなった顔を、マフラーに埋めた。

蒼は、そんな彼女を見て、優しく笑っていた。

*

「そういえば……」

何枚かの絵を見たあと、るなはふと思い出したように口を開いた。

「先輩のスケッチブックって、昔からこんな感じだったんですか?」

「昔から?」

「はい。私が初めて会ったときも、先輩、スケッチブックを持っていましたよね」

「ああ……」

蒼の指が、ページの端で止まった。

「そうだったね」

その声が、ほんの少しだけ懐かしそうに聞こえた。

るなは、胸がどきりとするのを感じた。

自分だけが、あの日のことを大切に覚えているのだと思っていた。

あの夜の景色。

花火の音。

手に持っていたいちご飴。

そして、光を描いていた少年。

今の自分につながる、忘れられない出会い。

でも、先輩も覚えているのだろうか。

あのときの自分のことを。

「……先輩」

「うん?」

「初めて会ったときのこと、覚えていますか?」

尋ねた瞬間、るなは自分の心臓が、急に大きく音を立てたように感じた。

蒼は、スケッチブックを閉じることなく、少しだけ視線を上げた。

「もちろん、覚えているよ」

「……えっ?」

「覚えている」

蒼は、もう一度言った。

るなは、目をぱちぱちさせた。

「ほ、本当に?」

「うん」

「ど、どのくらい……?」

「どのくらいって?」

「その……私が、最初に先輩に会ったときのことです。あの、イルミネーションと花火があった日……」

「うん。覚えているよ」

蒼は、静かにうなずいた。

それから、少しだけ口元を緩めた。

「いちご飴を持って、すごい勢いでやって来た女の子だったね」

「…………えっ?」

るなの動きが止まった。

蒼は、何でもないことのように続けた。

「こっちに向かって歩いてきたと思ったら、手に持っていたいちご飴を気にして、足元にもあまり注意を払っていなくて。それで、俺のところに――」

「わあああああっ!」

るなは、両手で顔を覆った。

「待ってください! 待ってください、先輩っ!」

「うん?」

「そこ、覚えてたんですか!?」

蒼は、少し不思議そうに首を傾げた。

「忘れるわけないだろ」

「~~~~っ!!」

るなの顔が、一気に真っ赤になった。

耳まで熱い。

頬も熱い。

たぶん、マフラーの中まで熱い。

冬の冷たい空気など、どこかへ吹き飛んでしまった。

「せ、先輩……! そこは、忘れていてもいいところです……!」

「どうして?」

「どうしてって……! だって、私、すごく恥ずかしかったんですよ!?」

「そうだったね」

「しかも、いちご飴に夢中で……!」

「うん」

「絵を見せていただいたあとも、いろいろ質問して……!」

「うん」

「もう、私の第一印象が、いちご飴しかないじゃないですかぁ!」

蒼は、とうとう声を立てて笑った。

「いや、そんなことはないよ」

「本当ですか?」

「うん」

るなは、恐る恐る顔を上げた。

蒼は、少し考えるようにしてから言った。

「いちご飴に夢中だったことも覚えているけど、それだけじゃないよ」

「……ほ、本当に?」

「うん。あのとき、るなは俺の絵をじっと見ていたから」

るなは、言葉を失った。

蒼は、閉じかけていたスケッチブックを、もう一度開いた。

「最初は、ぶつかったことを謝ってくれたよね。それから、散らばった紙を拾うのを手伝ってくれて……」

「……はい」

「そのあと、絵を見て、すごく驚いていた」

蒼は、懐かしそうに笑った。

「花火がきれいとか、光がきれいとか、それだけじゃなくて。絵の中に描いていた人たちのことまで、いろいろ聞いてくれた」

るなは、静かに蒼を見つめていた。

「どうして、この人は笑っているんですか、とか。どうして、この人は少し寂しそうなんですか、とか」

「……そんなことまで、聞いていましたっけ?」

「聞いていたよ」

「うわぁ……!」

るなは、今度は別の意味で顔を覆った。

「私、質問ばっかりしていたんですね……!」

「そうだね」

「うぅ……!」

「でも、嫌じゃなかったよ」

その言葉に、るなの指がぴたりと止まった。

蒼は、まっすぐに彼女を見ていた。

「むしろ、うれしかった」

「……うれしかった?」

「うん。俺が描いたものを、そんなふうに見てくれる人がいるんだって思ったから」

るなは、ゆっくりと手を下ろした。

先輩は、あの日の自分を覚えていた。

いちご飴に夢中になって、勢いよくぶつかってしまったことだけではない。

自分が、どんなふうに絵を見ていたのか。

何に興味を持ち、何を知りたがっていたのか。

そんなことまで、覚えていてくれた。

胸の奥が、きゅっと締めつけられるようだった。

「……私、あの日の先輩の絵が、ずっと忘れられなかったんです」

るなは、ゆっくりと話し始めた。

「きれいだなって思っただけじゃなくて……どうして、こんなふうに描けるんだろうって。先輩には、私とは違うものが見えているのかなって」

「うん」

「それで、もう一度見たいと思ったんです。絵を描いているところも、もっと知りたいと思って……」

るなは、スケッチブックに目を落とした。

「最初は、本当に絵のことばかり考えていました」

「そうだったんだね」

「はい。でも、何度か会っているうちに、絵以外のことも気になってきて……。先輩は、どんなものが好きなのかなとか、どんなことを考えているのかなとか」

少しずつ、声が小さくなっていく。

「……いつの間にか、先輩に会えることが、楽しみになっていました」

言い終えた瞬間、るなは自分の心臓がまた速くなったのを感じた。

こんなことを、今さら言うなんて。

けれど、目の前の蒼には、ちゃんと伝えたかった。

あの日の出会いが、自分にとってどんな意味を持っていたのか。

蒼は、しばらく何も言わなかった。

ただ、るなの言葉を大切に受け取るように、静かに聞いていた。

そして、穏やかに微笑んだ。

「……ありがとう、るな」

「……はい」

「俺も、あの日のことは大切な思い出だよ」

るなは、顔を上げた。

「……先輩も?」

「うん」

蒼は、スケッチブックの表紙を指でなぞった。

「実は、あの夜に描いた絵、まだ持っているんだ」

「…………え?」

るなの目が、大きく見開かれた。

「ま、待ってください」

「うん?」

「あの日の絵って……あの、イルミネーションと花火の絵ですか?」

「そうだよ」

「まだ、あるんですか!?」

「うん。大学に入ってからも、時々見返すことがある」

「…………」

るなは、完全に固まった。

自分が忘れられないと思っていた絵を、先輩も大切に持っていてくれた。

しかも、時々見返しているという。

そんなこと、想像したこともなかった。

「……見たいです」

気づけば、そう口にしていた。

「その絵、もう一度、見たいです……!」

蒼は、優しくうなずいた。

「もちろん。今度、持ってくるよ」

「本当ですか……?」

「約束する」

るなは、うれしさで胸がいっぱいになった。

もう一度、あの絵を見たい。

あの日、自分の心を引き寄せた光を。

あの日、自分が知りたいと思った世界を。

そして、あの絵を描いた人と、今こうして向き合っていることを、もう一度確かめたい。

そう思った。

*

「……ところで、るな」

「は、はい?」

少し落ち着いたところで、蒼が口を開いた。

「ひとつ、聞いてもいい?」

「な、何でしょう……?」

るなは、なぜか背筋を伸ばした。

先ほどから、思い出したくない記憶が次々と掘り起こされている。

これ以上、何が出てくるというのだろう。

「最初に会ったとき、いちご飴を持っていたよね」

「…………はい」

「そのあと、もう一度会ったときも、いちごのお菓子を持ってきてくれた」

「…………はい」

「それで、今もいちごの話をすると、すごくうれしそうな顔をする」

「…………はい」

蒼は、少しだけ首を傾げた。

「もしかして、いちごが好きなの?」

「大好きですっ!!」

即答だった。

あまりにも勢いよく答えたため、蒼は一瞬、目を丸くした。

そして、笑った。

「やっぱり」

「やっぱりって何ですか!? いちごは最高なんですよ! 甘くて、ちょっと甘酸っぱくて、見た目もかわいくて、ケーキにもパフェにも合うし、飴にしても大福にしてもおいしいし……!」

るなのスイッチが入った。

「それに、冬はいちごのスイーツが増える季節ですからね! いちごフェアとか、いちごパフェとか、いちごタルトとか……あっ、いちごのミルフィーユもいいですよね! サクサクのパイとクリームといちごが……!」

「るな」

「はい!」

「楽しそうだね」

「はいっ!」

るなは、満面の笑みでうなずいた。

蒼は、目を細めて彼女を見ていた。

「……そういうところも、あの日と変わらないね」

「…………え?」

るなの笑顔が、ぴたりと止まった。

「い、今……何と?」

「いちごの話をしているときの顔が、あの日と同じだなって」

「…………」

るなの頬が、再び赤く染まっていく。

「せ、先輩……」

「うん?」

「……私のこと、そんなに覚えているんですか?」

思わず、口にしていた。

蒼は、少しだけ不思議そうな顔をした。

「うん。覚えているよ」

「……いちご飴に夢中だったことも?」

「覚えている」

「ぶつかって、慌てて謝ったことも?」

「覚えている」

「絵を見て、質問ばっかりしたことも?」

「覚えているよ」

「……いちごのお菓子を持ってきたことも?」

「もちろん」

「…………っ!」

るなは、両手で顔を覆った。

「もう、だめですぅ……!」

「どうしたの?」

「恥ずかしすぎます……! 私、先輩の記憶の中で、いちごばっかり食べている女の子になっているんじゃ……!」

「そんなことはないよ」

「本当ですかぁ……?」

「うん」

蒼は、少しだけ間を置いてから言った。

「いちごが好きなことも、よく笑うことも、絵を見て目を輝かせていたことも。全部、るなのことだからね」

「…………」

るなは、顔を覆ったまま動かなくなった。

冬のイルミネーションが、二人の周りで静かに瞬いている。

けれど、今のるなには、目の前の光よりも、蒼の言葉のほうがずっと眩しかった。

「……先輩」

「うん?」

「……そういうことを、そんなに優しい顔で言わないでください」

「どうして?」

「だから、心の準備が……!」

「また必要?」

「必要ですっ!」

蒼は、くすくすと笑った。

るなは、マフラーを鼻のあたりまで引き上げた。

顔が熱い。

絶対に、今までで一番赤い。

きっと、イルミネーションの赤いライトよりも赤い。

いや、もしかしたら、クリスマスツリーのてっぺんにある星よりも目立っているかもしれない。

……それは、さすがに違う。

でも、それくらい恥ずかしかった。

あの日の自分を覚えていてくれたこと。

あの日の絵を大切にしてくれていたこと。

そして、いちご飴に夢中だった自分のことを、今も笑顔で話してくれること。

そのひとつひとつが、るなの心を温かくしてくれた。

*

しばらくして、るなはようやく顔を上げた。

「……先輩」

「うん?」

「私、あの日のことを思い出すと、今でもちょっと恥ずかしいんです」

「うん」

「でも……」

るなは、スケッチブックに目を落とした。

「先輩が覚えていてくれたことは、うれしいです」

蒼は、静かにうなずいた。

「そう言ってもらえるなら、よかった」

「だって、私にとっては、大切な出会いだったから」

るなは、そっと笑った。

「先輩にとっても、少しでも大切な思い出だったなら……うれしいなって」

「少しでも、じゃないよ」

蒼の声は、穏やかだった。

るなは、ゆっくりと顔を上げた。

「……え?」

「俺にとっても、大切な思い出だよ」

蒼は、はっきりと繰り返した。

「あの夜、るなが絵を見てくれたこと。もう一度見たいと言ってくれたこと。そのあと、また会えたこと」

彼は、スケッチブックを大切そうに閉じた。

「ひとつひとつ、ちゃんと覚えている」

るなの目が、少しだけ潤んだ。

泣きたいわけではない。

ただ、うれしかった。

自分だけが、あの日を特別な思い出にしていたわけではなかった。

先輩の中にも、あの日の光が残っている。

そう思えたことが、何よりもうれしかった。

「……先輩」

「うん?」

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

蒼は、微笑んだ。

その笑顔を見て、るなも笑った。

そして、少しだけ勇気を出して、彼の袖をちょん、とつまんだ。

「……あの」

「うん?」

「今度、その絵を見せてもらうとき……」

「うん」

「また、いっぱい質問してもいいですか?」

蒼は、迷うことなく答えた。

「もちろん」

「本当に?」

「うん。るなの質問なら、いくらでも」

「……えへへ」

るなは、うれしそうに笑った。

出会ったばかりの頃は、質問をするだけでも緊張した。

今でも、先輩の言葉に照れたり、思いがけない返事に慌てたりすることはある。

でも、知りたいと思う気持ちは、あのときから変わらない。

これからも、先輩の絵を見たい。

先輩の話を聞きたい。

先輩が見ている世界を、もっと知りたい。

そして、いつか。

自分が見ている世界も、先輩に伝えられたらいい。

きれいだと思ったもの。

うれしかったこと。

少し寂しかったこと。

おいしいものを食べたときの幸せも。

……最後のひとつは、きっと何よりも熱心に語れる。

るなは、そんなことを考えて、ひとりで小さく笑った。

「何か、面白いことでも思いついた?」

蒼が尋ねた。

「いえ!」

「そう?」

「はい!」

るなは、にっこりとうなずいた。

「……ただ、次に先輩の絵を見せてもらうときは、いちご飴を持っていこうかなって!」

「また持ってくるの?」

「はい! 今度は、ぶつからないように気をつけます!」

「それは、ぜひお願いしたいな」

「もうっ! 先輩、まだ言うんですかぁ!」

二人の笑い声が、冬の広場に広がった。

蒼の手には、使い込まれたスケッチブックがある。

その中には、いくつもの景色が描かれている。

雨の日のカフェ。

秋の木々。

冬のイルミネーション。

そして、まだ誰にも見せていない、あの日の絵。

その絵には、花火とイルミネーションだけでなく、ひとりの女の子との出会いも、静かに刻まれていた。

いちご飴を手に、慌てて謝る女の子。

絵を覗き込み、目を輝かせる女の子。

光の向こうにあるものを、もっと知りたいと言ってくれた女の子。

蒼は、その出会いを忘れていなかった。

そして、るなもまた、あの日の絵を忘れていなかった。

あのとき、二人が見ていたものは、少し違っていたのかもしれない。

るなは、絵の中に描かれた光を見ていた。

蒼は、目の前の景色をどう描こうかと考えていた。

けれど、同じ時間を過ごし、言葉を交わし、少しずつお互いを知っていくうちに、二人の見ている世界は、ゆっくりと重なっていった。

今、二人は同じスケッチブックを覗き込んでいる。

同じ絵を見て、同じ場所で笑っている。

そして、これから先も、きっと新しい景色を一緒に見ていくのだろう。

るなは、蒼の隣で、もう一度スケッチブックの表紙を見つめた。

「……先輩」

「うん?」

「そのスケッチブック、ずっと大切にしてくださいね」

「もちろん」

「……私も、あの日のこと、ずっと大切にします」

蒼は、優しく微笑んだ。

「うん。一緒に大切にしていこう」

その言葉に、るなは静かにうなずいた。

冬の光が、二人を包み込んでいる。

あの日、絵の中に見つけた光。

その光は、スケッチブックの中だけにあったわけではなかった。

出会った日の記憶にも。

何気ない会話の中にも。

隣で笑い合う、今この瞬間にも。

ずっと、輝き続けていたのだ。

そして、るなは思う。

――あの日、先輩の絵に出会えてよかった。

――あの日、先輩に出会えてよかった。

……でも。

ひとつだけ、どうしても気になることがある。

「……先輩」

「うん?」

「ちなみに、あの日の私って……いちご飴を食べながら、どんな顔をしていたんですか?」

「そうだね……」

蒼は、少し考え込むようにした。

「すごく幸せそうだったよ」

「…………」

「それから、絵を見たときは、いちご飴を持っていたことを忘れたみたいに夢中になっていた」

「…………っ!」

「だから、印象に残ったんだと思う」

るなは、ゆっくりと顔を覆った。

「……もう、先輩の記憶から、いちご飴を消すことはできないんですね……」

「無理じゃないかな」

「うわぁぁぁん!」

蒼は、楽しそうに笑った。

るなも、恥ずかしさに耐えきれず、とうとう笑ってしまった。

だって、仕方がない。

あの日の自分は、確かにいちご飴に夢中だったのだから。

そして今も、いちごの話をすれば、すぐに目が輝いてしまうのだから。

それでも。

そんな自分を覚えていてくれる人がいる。

恥ずかしい失敗も、夢中になった瞬間も、絵を見て心を動かされたことも。

全部まとめて、自分の大切な思い出として覚えていてくれる人がいる。

それは、るなにとって、何よりも温かいことだった。

「……先輩」

「うん?」

「今度、いちご飴を食べに行きましょうね!」

「いいね」

「今度は、ちゃんと前を見て歩きます!」

「期待しているよ」

「本当ですからね!」

るなは、胸を張った。

そのあと、ほんの少しだけ間を置いて、付け加えた。

「……たぶん!」

「たぶんなんだ?」

「だ、だって、おいしそうだったら、つい……!」

二人は、また笑った。

冬のイルミネーションは、夜の街を優しく照らし続けている。

そして、二人の間には、またひとつ、新しい思い出が増えた。

昔のスケッチブックを開いたことで、思い出した、あの日のこと。

あの日の光。

あの日の出会い。

そして、いちご飴に夢中だった、ひとりの女の子。

その女の子は今、絵を描いた人の隣で、真っ赤になりながら笑っている。

あの日から続く光は、今日も二人の心の中で、静かに輝いていた。

 第3節「同じ景色、違う気持ち」

スケッチブックを閉じた蒼は、しばらくその表紙を見つめていた。

紺色の表紙には、長い時間をともに過ごしてきた証のように、細かな擦れ跡が残っている。

その中には、大学の近くの風景も、秋の並木道も、雨の日のカフェもある。

そして、まだるなに見せていない、あの日の絵も。

「……先輩?」

隣から声をかけられ、蒼は顔を上げた。

「うん?」

「何か考えごとですか?」

「少しね」

「もしかして、次に描く絵のことですか?」

「それもあるかな」

「それも?」

るなは、首を傾げた。

蒼は、スケッチブックをバッグにしまいながら、広場の向こうを見た。

「今夜の景色を、どう描こうかなって考えていたんだ」

「今日のイルミネーションですね!」

「うん」

「やっぱり、描きたくなりますよね。こんなにきれいなんですもん!」

るなは、勢いよく立ち上がった。

目の前には、大きなクリスマスツリー。

枝の先には金色のライトが無数に灯り、てっぺんの星が夜空に向かって輝いている。

ツリーを囲むように並んだ木々には、白や青の光が飾られていた。

足元には小さな光の粒が流れ、まるで地面の上に星空が広がっているようだった。

「わぁ……やっぱり、何度見てもきれい……!」

るなは、思わず胸の前で両手を合わせた。

その姿を見て、蒼も立ち上がる。

「少し向こうまで行ってみようか。あそこからだと、ツリーと並木道を一緒に見られそうだよ」

「はい!」

二人は、ゆっくりと歩き始めた。

今度のるなは、ちゃんと前を見ていた。

足元を確認して、歩く人を避け、蒼の隣を歩いている。

……もっとも、目の前にいちご飴の屋台が現れたら、どうなるかはわからない。

今のところ、屋台は見当たらなかった。

そのため、るなは安心してイルミネーションを眺めていられた。

「先輩、あっちの光、少し紫色っぽく見えませんか?」

「そうだね。青い光と、周りの暖色の光が混ざって見えるのかもしれない」

「不思議ですね。同じライトなのに、見る場所によって色が違うみたい」

「周りの光や、背景によっても見え方が変わるからね」

「……あっ!」

るなは、何かに気づいたように声を上げた。

「それって、絵も同じですか?」

「絵も?」

「はい! 同じものを描いても、背景とか、光の当て方とか、見る角度によって、全然違って見えるんですよね?」

「うん。そういうこともあるね」

蒼は、うれしそうにうなずいた。

「るな、よく覚えていたね」

「えへへ。先輩に教えてもらったことですから!」

その言葉に、蒼は少しだけ目を細めた。

初めて出会った頃のるなは、絵を見ながら、次々と質問をしてきた。

どうして光がこんなに明るく見えるのか。

どうして絵の中の人たちは、こんなにも楽しそうなのか。

どうしたら、見たものをこんなふうに描けるのか。

ひとつ答えると、また新しい疑問が生まれる。

るなは、そのたびに目を輝かせていた。

あの頃の彼女にとって、蒼は、自分の知らない世界を見せてくれる人だった。

そして今も、彼女は景色を見て、新しい発見を楽しんでいる。

ただ、以前とは少し違うことがあった。

今のるなは、景色を見ながら、ときどき蒼の表情を確かめるようになっていた。

自分がきれいだと思ったものを、先輩もきれいだと思っているだろうか。

自分が面白いと感じたことを、先輩にも聞いてほしい。

この光景を見て、先輩は何を考えているのだろう。

そんなことが、自然と気になるようになっていた。

*

並木道を抜けた先には、小さな展望スペースがあった。

そこからは、広場全体を見渡すことができる。

ツリーの光。

並木道の光。

遠くのビルの窓からこぼれる光。

それらが重なり合い、街全体が大きな一枚の絵のように見えた。

「……すごい」

るなは、言葉を失った。

さっきまで歩いていた場所も、少し離れて眺めると、まったく違った景色に見える。

近くではひとつひとつのライトが目に入っていた。

けれど、ここから見ると、それぞれの光がつながり、ひとつの大きな景色を作り出している。

「ここから見ると、全体がよくわかりますね」

「うん」

「近くで見るのも好きですけど、遠くから見るのもいいなぁ……」

るなは、しばらく景色を見つめていた。

その横顔を、蒼は静かに見ていた。

初めて出会った夜も、るなはこんなふうに、絵をじっと見つめていた。

ただ、あのときの彼女は、絵を見ているうちに、描いた本人への興味を少しずつ深めていった。

今は違う。

目の前の景色を見ている彼女の隣に、自分がいる。

そのことが、蒼には不思議で、そしてうれしかった。

「……るな」

「はい?」

「少し、こっちを見てくれる?」

「えっ? はい!」

るなが振り向く。

蒼は、その表情を見て、ふっと微笑んだ。

「今、すごく楽しそうな顔をしていたから」

「……え?」

「その顔を見ていたら、絵に描いてみたくなった」

るなは、ぴたりと固まった。

「…………」

「……るな?」

「…………っ!」

数秒後。

「えええええっ!?」

広場に、るなの声が響いた。

「わ、私ですか!? 今の私をですか!?」

「うん」

「イルミネーションじゃなくて!?」

「イルミネーションも描きたいよ」

「も、も、も、もしかして、私も描くんですか!?」

「そう言ったつもりだけど……」

「~~~~っ!!」

るなは、両手で頬を押さえた。

熱い。

ものすごく熱い。

十二月の夜だというのに、顔だけ真夏のようだった。

「せ、先輩! 心の準備が! 心の準備が必要です!」

「さっきも聞いた気がするね」

「何度でも必要なんですぅ!」

蒼は、楽しそうに笑った。

「じゃあ、今日は無理に描かないよ」

「……えっ?」

「また今度、るながいいよと言ってくれたら」

るなは、顔を覆っていた手を、少しだけ下ろした。

「……いい、ですけど」

「うん?」

「……私でよければ、描いてください」

今度は、るなの声が小さくなった。

蒼は、ゆっくりとうなずいた。

「ありがとう」

その言葉に、るなはまた頬を赤くした。

けれど、さっきのように慌てて顔を隠すことはしなかった。

先輩が自分を描いてくれる。

そう考えると、恥ずかしい。

でも、それ以上に、うれしかった。

あの日、自分は先輩の絵を見て、もっとこの人の世界を知りたいと思った。

その先輩が今、自分を絵に描きたいと思ってくれた。

それは、るなにとって、とても特別なことだった。

*

「……先輩」

「うん?」

「私、初めて先輩の絵を見たときのこと、今でもよく覚えているんです」

るなは、再びイルミネーションへと視線を戻した。

「最初は、ただ、きれいだなって思ったんです。でも、絵の中の人たちを見ていたら、どうしてこんなふうに描けるんだろうって気になって」

「うん」

「それで、先輩にいろいろ聞いてみたくなったんです」

るなは、少し照れくさそうに笑った。

「……あのときの私は、先輩のことを何も知らなかったんですよね」

「そうだね」

「どんな人なのかも、何が好きなのかも、どんなふうに絵を描いているのかも。全然知らなかったのに……」

言葉を切り、隣にいる蒼を見上げる。

「もっと知りたいって、思ったんです」

蒼は、静かにるなの言葉を聞いていた。

「今も、そう思う?」

穏やかな問いかけだった。

るなは、一瞬だけ目を丸くした。

そして、すぐにうなずいた。

「はい!」

迷いはなかった。

「今も、先輩の絵をもっと見たいですし、先輩のことも、もっと知りたいです」

「……そっか」

「でも……」

るなは、少しだけ言葉を探した。

「今は、それだけじゃないんです」

蒼が、彼女を見た。

「それだけじゃない?」

「はい」

るなは、イルミネーションの向こうに広がる街を眺めた。

「昔は、先輩が描いた景色を見て、こんな世界があるんだって思っていました。私が見ていたものと、先輩が見ていたものは違うんだなって」

冷たい風が、二人の間を通り抜けた。

るなは、マフラーを少し整えてから続けた。

「でも、今は……」

彼女は、隣の蒼を見つめた。

「先輩と一緒に、同じ景色を見られることが、すごくうれしいんです」

蒼は、すぐには答えなかった。

ただ、るなの言葉を受け止めるように、穏やかな表情で見つめていた。

「同じイルミネーションを見て、きれいだねって言い合ったり。先輩が何を考えているのかなって想像したり。私が気づいたことを話して、先輩が教えてくれたり……」

るなは、少しだけ笑った。

「そういう時間が、好きなんです」

言い終えると、胸の奥がじんわりと温かくなった。

自分でも、少し驚いていた。

以前なら、こんな気持ちをうまく言葉にできなかったかもしれない。

先輩の絵が好き。

先輩の世界を知りたい。

その気持ちは、今も変わらない。

でも、今の自分にとって大切なのは、絵の中にある景色だけではなかった。

絵を描いた人と、同じ景色を見ていること。

同じ時間を過ごしていること。

そして、その時間を、これからも重ねていきたいと思えること。

それが、今のるなにとっての幸せだった。

「……ありがとう、るな」

蒼が、静かに言った。

「俺も、こうして一緒に景色を見られるのがうれしいよ」

るなは、目を見開いた。

「……本当ですか?」

「うん」

「……先輩も?」

「もちろん」

蒼は、イルミネーションへ視線を向けた。

「同じ景色でも、一人で見ているときと、誰かと見ているときでは、感じ方が変わることがあるからね」

「……はい」

「今日の景色も、きっと、るなと一緒に見たから覚えていると思う」

その言葉を聞いた瞬間、るなの胸が、きゅっと締めつけられた。

うれしかった。

ただ、きれいな景色を見たというだけではない。

今日の景色は、先輩と一緒に見た景色になる。

それが、何よりもうれしかった。

*

しばらく、二人は黙ってイルミネーションを眺めていた。

遠くから、楽しそうな子どもたちの声が聞こえてくる。

カップルが並んで写真を撮り、友人同士が笑いながらツリーの前を通り過ぎていく。

小さな女の子が、母親の手を引きながら、空に向かって指を伸ばしていた。

「ママ、あのお星さま、きれい!」

「本当ね。大きなお星さまだね」

そんな会話が、風に乗って聞こえた。

るなは、思わず微笑んだ。

「……みんな、うれしそうですね」

「うん」

「同じイルミネーションを見ているのに、みんな、違うことを考えているのかもしれませんね」

「そうかもしれないね」

「家族で来た人は、家族の思い出になるし。友達と来た人は、友達との思い出になるし……」

るなは、隣の蒼を見た。

「恋人同士で来た人は、恋人との思い出になるんですよね」

「そうだね」

「……私にとっては」

るなは、ほんの少しだけ声を小さくした。

「先輩と一緒に見た、冬のイルミネーションです」

蒼は、るなを見つめた。

彼女は、少し照れくさそうに笑っていた。

「きっと、来年になっても思い出すと思います。あの日、先輩と一緒に見たなぁって」

「俺も、そう思うよ」

「……本当ですか?」

「うん」

蒼は、少しだけ微笑んだ。

「来年、またここに来たら、今日のことを思い出すと思う。るながツリーを見て驚いていたこととか、俺のスケッチブックを見たがっていたこととか」

「……あっ!」

るなは、慌てて蒼を見た。

「ツリーを見て驚いていたことは、覚えていてもいいですけど!」

「うん」

「スケッチブックを見たがっていたことも、まあ、いいですけど!」

「うん」

「……あんまり、細かいことまで覚えていなくてもいいですからね!?」

蒼は、少し考えるような顔をした。

「それは、難しいかもしれないな」

「どうしてですか!?」

「るなとの時間は、覚えていたいから」

「…………っ!!」

るなは、言葉を失った。

まただ。

また、そんなことを、さらりと言う。

心の準備が必要だと、何度も伝えているのに。

「……せ、先輩」

「うん?」

「……今の、ずるいです」

「そう?」

「そうです!」

るなは、真っ赤になった頬を両手で押さえた。

蒼は、優しく笑っていた。

その笑顔を見ていると、るなは思う。

出会ったばかりの頃は、先輩の表情ひとつにも、どきどきしていた。

今でも、もちろん、どきどきする。

けれど、以前とは違う。

緊張するだけではない。

安心する。

うれしい。

もっと話したい。

もう少し、一緒にいたい。

そんな気持ちが、自然に胸の中へ広がっていく。

先輩の隣にいることが、特別でありながら、少しずつ自然なことにもなってきた。

それは、二人の間に積み重なった時間があるからなのだろう。

*

「……先輩」

「うん?」

「私、ひとつ気づいたことがあるんです」

「何?」

るなは、イルミネーションを見上げた。

「昔は、先輩の絵を見て、光ってすごいなって思っていたんです」

「うん」

「でも、今は、光そのものだけじゃなくて、その光を誰と見ているかも、大切なんだなって思います」

蒼は、静かにうなずいた。

「一緒にいる人によって、同じ景色でも違って見えることがあるよね」

「はい」

るなは、うれしそうに微笑んだ。

「夏の花火も、秋の夕焼けも、冬のイルミネーションも……。きれいだったことは、もちろん覚えています。でも、それだけじゃなくて、先輩と一緒に見たことも、全部覚えているんです」

夏の夜。

夜空に大きく広がった花火。

胸がいっぱいになって、何を言えばいいのかわからなくなった瞬間。

秋の帰り道。

夕焼けに染まる街を、先輩と並んで歩いた時間。

言葉がなくても、不思議と寂しくなかったこと。

そして、今。

冬の光に包まれた街で、同じ景色を見ながら、こうして話をしている。

どれも、違う季節の思い出だ。

けれど、るなの中では、ひとつの物語のようにつながっていた。

「……だから、今日も」

るなは、蒼を見上げた。

「先輩と一緒に来られて、よかったです」

蒼は、少しだけ目を細めた。

「俺も、そう思うよ」

そして、ほんの少しだけ、るなのほうへ体を向けた。

「るな」

「はい?」

「もう少し、ここで見ていこうか」

「……はい!」

るなは、笑顔でうなずいた。

それ以上、何も言わなくてもよかった。

二人は、並んで立ったまま、冬のイルミネーションを見つめた。

光は、変わらず輝いている。

ツリーの星も、並木道のライトも、遠くのビルの窓も。

けれど、るなには、初めて見たときとは違う景色に感じられた。

あの日は、絵の中に光を見つけた。

今日は、隣にいる人と一緒に、その光を見ている。

それだけの違いなのに、景色はこんなにも温かい。

*

やがて、広場の時計が、夕方から夜へと時間が進んだことを知らせた。

イルミネーションは、少しずつ色を変えていく。

白い光が青へ。

青い光が紫へ。

そして、金色の光が、まるで星のように浮かび上がった。

「わぁ……!」

るなは、また目を輝かせた。

「さっきと色が違います!」

「演出が切り替わったんだね」

「同じ場所なのに、全然違う景色に見えますね!」

「そうだね」

蒼は、しばらく光の変化を眺めていた。

そして、バッグから小さなメモ帳を取り出した。

「……先輩?」

「少しだけ、メモしておこうと思って」

「今の景色を?」

「うん。色が変わるタイミングや、光の広がり方を忘れないように」

蒼は、鉛筆を走らせ始めた。

るなは、その手元をじっと見つめた。

鉛筆が紙の上を滑る音。

迷いなく引かれていく線。

ときどき顔を上げて景色を確認し、また紙に視線を落とす仕草。

何度見ても、見飽きない。

初めて出会った夜も、こうして絵を描いていたのだろう。

その姿を見て、るなは思った。

――あのとき、先輩の絵に出会えてよかった。

あの絵がなければ、きっと自分は、蒼という人を知ることもなかった。

でも、もし今、もう一度あの夜に戻れたとしても。

自分は、やっぱり同じように絵を見たいと思うだろう。

光を描く人。

光の向こうにいる人たちまで描こうとする人。

そして今、自分の隣で、同じ景色を見てくれる人。

「……先輩」

「うん?」

「私、先輩が絵を描いているところを見るの、好きです」

蒼は、鉛筆を止めて顔を上げた。

「そう?」

「はい。何か、すごく楽しそうだから」

るなは、少しだけ笑った。

「それに、先輩が描いた絵を見ると、私も、もっといろいろなものを見てみたくなるんです」

「……それは、うれしいな」

「だから、これからも、いっぱい描いてくださいね」

「うん。描くよ」

蒼は、メモ帳を閉じた。

「それから、るなにも、また見てもらいたい」

「……!」

るなの目が輝いた。

「本当ですか?」

「もちろん」

「じゃあ、私、楽しみにしています!」

蒼は、うなずいた。

その言葉を交わしただけで、二人の間には、またひとつ、未来の約束が生まれたようだった。

次に絵を見せてもらう日。

次に一緒に景色を見る日。

次に、どんな話をするのだろう。

そんなことを考えるだけで、るなはうれしくなった。

*

帰り道。

二人は、広場を離れ、駅へ向かう並木道を歩いていた。

さっきまで見ていたイルミネーションが、少しずつ遠ざかっていく。

それでも、街の光はまだ、二人の歩く道を照らしていた。

「今日は、たくさん見ましたね」

るなが言った。

「そうだね」

「ツリーも、並木道も、いろいろな色の光も……。それに、先輩のスケッチブックも見せてもらえたし!」

「楽しんでもらえたなら、よかった」

「もちろんです!」

るなは、元気よく答えた。

そして、少しだけ考えてから、付け加えた。

「……でも、いちばんうれしかったのは」

「うん?」

「先輩と一緒に、イルミネーションを見られたことです」

今度は、照れながらも、はっきりと言えた。

蒼は、るなを見つめた。

「……ありがとう」

「えへへ」

るなは、照れくさそうに笑った。

少し前までなら、こんなことを口にするのにも、ずいぶん勇気が必要だったと思う。

今でも、恥ずかしくないわけではない。

けれど、伝えたい気持ちを、以前よりも自然に言葉にできるようになった。

それは、蒼が、るなの言葉を大切に聞いてくれるからだ。

何を言っても、すぐに否定したり、笑ったりしない。

ときには冗談を言って、るなを真っ赤にするけれど。

それでも、最後には、いつも優しく受け止めてくれる。

だから、るなも少しずつ、自分の気持ちを伝えられるようになった。

駅前の交差点に差しかかったとき、るなはふと、屋台の並ぶ通りを見つけた。

その中に、赤い飴がきらきらと光っているのが見えた。

「…………」

るなの視線が、ぴたりと止まった。

蒼は、すぐに気づいた。

「……るな?」

「……はい?」

「今、何を見ていたの?」

「……い、いえ、何でもありません!」

るなは、慌てて前を向いた。

しかし、視線がちらりと屋台へ戻ってしまう。

赤い飴。

つやつやの表面。

串に刺さった、かわいらしいいちご。

どう見ても、いちご飴だった。

蒼は、しばらくその様子を見ていた。

「……食べたい?」

「…………」

「るな?」

「……食べたいです」

るなは、小さな声で答えた。

蒼は、笑った。

「じゃあ、買いに行こうか」

「……いいんですか!?」

「うん。ただし」

「た、ただし?」

「今度は、ちゃんと前を見て歩くこと」

「もちろんです!」

るなは、胸を張った。

「先輩! 私、ちゃんと前を見て歩きます!」

「うん」

「いちご飴を食べていても、周りを確認します!」

「それなら安心だね」

「はい!」

るなは、勢いよくうなずいた。

そして、屋台へ向かって歩き始めた。

……ところが。

「わぁ、見てください! いちごが大きいです! あっ、こっちのは飴がきれいに透明で……!」

「るな」

「はい?」

「前」

「……あっ!」

るなは、慌てて前を向いた。

蒼は、楽しそうに笑っていた。

「……やっぱり、いちご飴には勝てないんだね」

「ち、違います! 今のは、商品の確認です!」

「商品の確認?」

「はい! どれを買うか、慎重に選んでいるんです!」

「なるほど」

「はい!」

るなは、堂々とうなずいた。

その姿に、蒼はまた笑った。

あの日、いちご飴に夢中になって、蒼の絵にぶつかってしまった女の子。

その女の子は今も、いちご飴を前にすると、目を輝かせてしまう。

でも、今は違うこともある。

隣には、そんな彼女を笑いながら見守ってくれる人がいる。

るなも、蒼の笑顔を見て、恥ずかしそうに笑い返す。

同じ景色を見ている。

同じいちご飴を見ている。

けれど、二人の心に映るものは、出会った頃とは少しずつ変わっていた。

あの日、るなは、絵の中に光を見つけた。

今日は、その光を一緒に見てくれる人の隣にいる。

そして、明日も、来年も。

新しい景色を、きっと一緒に見ていくのだろう。

いちご飴を手にしたるなは、幸せそうに笑った。

「……先輩!」

「うん?」

「これ、半分こしませんか?」

蒼は、少し驚いたあと、微笑んだ。

「いいよ」

「やったぁ!」

るなは、うれしそうに笑った。

その笑顔を見ながら、蒼は思った。

同じ景色でも、誰と見るかで、こんなにも違って感じられる。

初めて出会った夜、彼は、光を描いていた。

今は、隣で笑うるなと一緒に、光を見ている。

その違いが、蒼にとっても、何より大切なものになっていた。

冬の街は、今日もきらきらと輝いている。

その光の中で、二人は並んで歩いていく。

同じ景色を見ながら。

違う気持ちを知りながら。

そして、少しずつ、同じ未来を思い描きながら。
 

 第4節「先輩が見ている世界」

冬の夜空に、無数の光が瞬いていた。

街路樹を包む金色のイルミネーション。青白く輝く光のトンネル。広場の中央にそびえる、大きなクリスマスツリー。

ツリーの先端には、ひときわ明るい星が飾られている。

その周りを、小さな光が雪のように散りばめられ、足元には光の粒がこぼれ落ちているようだった。

広場を歩く人たちは、思い思いに立ち止まり、スマートフォンを構えたり、記念写真を撮ったり、隣にいる誰かと笑い合ったりしている。

恋人同士で肩を寄せる人。

子どもの手を引きながら、ツリーを見上げる家族。

友達と並んで、何度も写真を撮り直している女の子たち。

ひとりで静かに光を見つめる人もいた。

同じ場所に、同じ光がある。

けれど、その光を見つめる人の表情は、ひとりひとり違っていた。

「……きれいですねぇ」

星野るなは、思わず両手を胸の前で合わせた。

「去年も、この辺りのイルミネーションを見たことがあるんですけど……今年は、なんだか違って見えます」

「どう違うんだ?」

隣を歩く桐生蒼が、優しい声で尋ねた。

るなは、少し考えてから顔を上げた。

「うーん……なんて言えばいいんでしょう。去年もきれいだなって思ったんです。でも、今年は……」

そこで、るなは蒼の顔を見た。

彼は急かすことなく、続きを待ってくれている。

「……先輩と一緒に見ているから、もっときれいに見えるんです」

言ってから、るなの頬がほんのり赤くなった。

「……あっ、い、今のは、その……!」

「その?」

「えっと……景色がきれいだという話です! はい! 景色のお話!」

「うん。聞いてるよ」

「本当ですか?」

「本当」

「……先輩、絶対ちょっと笑ってますよね?」

「少しだけ」

「少しだけって言いましたね!?」

蒼は、とうとう小さく笑った。

るなは頬を膨らませたものの、すぐに自分も笑ってしまった。

こうして、なんでもない会話を交わせること。

自分の言葉を、先輩がちゃんと受け止めてくれること。

そして、照れてしまうようなことを言っても、からかいすぎずに笑ってくれること。

そんなひとつひとつが、るなにはうれしかった。

夏祭りの頃は、先輩の隣にいるだけで心臓が大騒ぎだった。

何を話そう。変なことを言っていないかな。嫌われていないかな。

そんなことばかり考えて、家に帰ってから会話を何度も思い返したものだ。

けれど今は、緊張がなくなったわけではないけれど、それ以上に、隣にいる安心感が大きくなっている。

先輩の隣で笑う自分が、少しずつ自然になっていた。

「るな」

「はい?」

「ちょっと、ここで待っていてくれる?」

蒼は、広場の端にあるベンチを指さした。

そのベンチは、イルミネーションがよく見える場所に置かれていた。背後には小さな植え込みがあり、目の前には光のトンネルが続いている。

「もちろんです。……あっ、もしかして?」

るなは、蒼が肩に掛けているバッグを見た。

「スケッチブックですか?」

「正解」

蒼はバッグから、いつものスケッチブックを取り出した。

るなの目が、ぱっと輝く。

「わぁ……!」

その声に、蒼が顔を上げる。

「そんなに楽しみ?」

「楽しみです!」

るなは、思わず即答した。

「先輩がどんなふうに描くのか、見てみたいんです。前に見せてもらった絵も、すごく素敵でしたから」

「あのときの絵、覚えてる?」

「もちろんです!」

るなは、胸を張った。

「だって、忘れられませんもん。キラキラした光だけじゃなくて、そこにいる人たちまで、なんだか生き生きしていて……」

そこで、るなは少しだけ声を落とした。

「……私、あの絵を見たとき、初めて思ったんです。イルミネーションって、こんなふうにも見えるんだって」

蒼は、スケッチブックを手にしたまま、るなの顔を見つめた。

「そう言ってもらえるのは、うれしいな」

「本当ですか?」

「うん。自分が描いたものを見て、誰かが何かを感じてくれる。それって、描いていてよかったと思える瞬間だから」

その言葉に、るなは小さくうなずいた。

そして、蒼がスケッチブックを開くのを、わくわくしながら見つめた。

ページをめくる音が、冬の夜にかすかに響く。

さらり。

さらり。

何枚かのページを過ぎて、蒼は新しいページを開いた。

「じゃあ、少しだけ描こうかな」

「はいっ!」

るなは、背筋をぴんと伸ばした。

「……るな、そんなに気合いを入れなくても大丈夫だよ」

「えっ!? でも、先輩の制作現場ですよ!?」

「制作現場って……」

「はい! 貴重な現場です!」

「大げさだなあ」

蒼は笑いながら、鉛筆を取り出した。

その横顔を見て、るなは自然と口を閉じた。

蒼の表情が、少しずつ変わっていく。

先ほどまでの柔らかな笑顔は残っているのに、目線だけが静かに景色へと向けられていた。

イルミネーションの配置を確かめるように、ツリーを見上げる。

光の強さを比べるように、少し目を細める。

それから、広場を歩く人たちへ視線を移した。

るなは、その様子をじっと見つめていた。

先輩が絵を描いているところを見るのは、何度目だろう。

それでも、何度見ても不思議だった。

同じ景色を見ているはずなのに、先輩の目には、自分とは違う何かが映っているように感じるのだ。

「……先輩」

「ん?」

「今、何を見ているんですか?」

蒼は鉛筆を止めずに答えた。

「光と、人かな」

「光と……人?」

「うん」

彼はツリーの近くにいる親子へ視線を向けた。

小さな女の子が、父親の手を引いて、ツリーの下にある飾りを指さしている。

父親は、娘の指さす方向へ顔を向けたあと、しゃがみ込んで目線を合わせた。

何かを説明しているらしい。

女の子は何度もうなずき、最後には両手を広げて、うれしそうに笑った。

その笑顔を見て、父親も笑った。

「例えば、あの親子」

蒼が静かに言った。

「ツリーの光は、そこにある。でも、あの子にとっては、ただきれいなだけじゃないと思うんだ」

「……どういうことですか?」

「初めて見る大きなツリーかもしれないし、去年も家族で見に来た思い出の場所かもしれない。お父さんに何か教えてもらったことが、うれしいのかもしれない」

蒼は、鉛筆を走らせながら続けた。

「本当のところは、本人に聞いてみないとわからないけどね」

るなは、もう一度、親子を見た。

さっきまでは、ツリーの美しさに目を奪われていた。

けれど、改めて見てみると、光の前で笑っている女の子の表情が、さっきよりもずっと印象的に見えた。

ツリーの光が女の子の瞳に映っている。

けれど、女の子の顔を輝かせているのは、それだけではない。

隣にいるお父さんと、同じものを見ている。

自分の見つけたものを、一緒に喜んでくれる人がいる。

そのことも、きっと彼女の笑顔につながっているのだろう。

「……あ」

るなの口から、小さな声がこぼれた。

「今、わかった気がします」

「何が?」

「先輩の絵に、どうして人がいるのか」

蒼は、少しだけ目を細めた。

「どうしてだと思う?」

るなは、すぐには答えなかった。

広場を見渡す。

青い光のトンネルをくぐりながら、手をつないで歩く恋人たち。

ツリーの前で、何枚も写真を撮っている友達同士。

ベンチに座って、温かい飲み物を飲みながら、ゆっくり話している年配の夫婦。

誰もが、同じ光の中にいる。

でも、それぞれが見ているものは、きっと少しずつ違う。

「……先輩は、イルミネーションそのものだけを描きたいんじゃないんですね」

「うん」

「その光を見て、どんな顔をしたのか。誰と一緒にいて、どんな気持ちになったのか。そういうものも、一緒に描きたいんですか?」

蒼は、鉛筆を止めた。

そして、ゆっくりとうなずいた。

「そうだね。全部を正確に描けるわけじゃないけど、できるだけ、その場にあったものを残したいと思ってる」

「その場にあったもの……」

「光の色や形は、写真でも残せるでしょう?」

「はい」

「でも、その光を見たときの気持ちは、写真に写る部分だけじゃないと思うんだ」

蒼は、スケッチブックを少し傾けた。

そこには、まだ描き始めたばかりの線が並んでいた。

大きなツリー。

光の粒。

ベンチの近くにいる人影。

そして、ツリーを見上げる親子の姿。

線はまだ少ないのに、そこには不思議な温かさがあった。

「同じツリーを見ていても、うれしい人もいれば、懐かしいと思う人もいる。誰かを思い出す人もいるだろうし、ひとりで静かに過ごしたい人もいる」

蒼は、描きかけのページを見つめた。

「そういう気持ちが、その人の表情や仕草に少しでも表れていたら、僕はそこも描きたいんだ」

るなは、何も言わずに聞いていた。

「もちろん、僕が勝手に想像しているだけのこともある。だから、描くときは決めつけないようにしているんだ。その人にはその人の物語があるから」

「……物語」

「うん」

蒼は、優しく笑った。

「この場所で、たまたま同じ光を見ている。でも、みんなが同じ理由でここにいるわけじゃない。そう考えると、景色って面白いと思わない?」

るなは、ゆっくりとうなずいた。

「……はい」

胸の奥が、じんわりと温かくなった。

先輩は、光を描いている。

けれど、その光の向こう側にいる人たちのことも、ちゃんと見ているのだ。

きれいなものを見つけるだけではなく、その場所にいる誰かの気持ちまで、大切にしようとしている。

それは、絵の描き方だけの話ではないような気がした。

先輩は、きっと普段から、目の前にいる人のことを、ちゃんと見ようとしている。

相手が何を感じているのか。

何を伝えようとしているのか。

言葉にならない気持ちが、どこに隠れているのか。

もちろん、何もかもわかるわけではない。

でも、わからないからといって、簡単に決めつけたりしない。

相手の気持ちを想像して、ゆっくり向き合おうとする。

だから、先輩の絵には、こんなにも温かいものが宿るのだろうか。

「……先輩って」

「うん?」

「絵を描いているとき、すごく優しい目をしているんですね」

思いがけない言葉だったのか、蒼は少し驚いた顔をした。

「優しい目?」

「はい」

るなは、照れながらも続けた。

「光を見ているときも、人を見ているときも。なんだか、その景色を大切にしようとしているみたいです」

「……そう見える?」

「見えます!」

今度は、はっきりと答えた。

「私、最初に先輩の絵を見たとき、どうしてあんなふうに光が描けるんだろうって思ったんです。イルミネーションも、花火も、すごくきれいで……」

るなは、あの夜のことを思い出した。

屋台の明かり。

夜空に広がる花火。

手に持っていた、真っ赤ないちご飴。

そして、夢中でそれを食べながら歩いていた自分が、勢いよくぶつかってしまった男の子。

散らばった紙。

慌てて謝った自分。

そのとき、地面に落ちた一枚の絵が、目に飛び込んできた。

あの絵を見なければ、きっと今、こうして隣を歩くこともなかった。

「でも、今は……」

るなは、目の前のスケッチブックを見つめた。

「先輩が、どうしてあんな絵を描くのか、少しわかった気がするんです」

蒼は、静かに彼女の言葉を待った。

「先輩は、光だけじゃなくて、その光を見ている人のことも好きなんですね」

言葉にした瞬間、るなは少し恥ずかしくなった。

「……あっ、もちろん、全部の人を好きっていう意味じゃなくて! えっと、なんていうんでしょう……!」

「わかってるよ」

蒼が、柔らかく笑った。

「景色の中にいる人たちも、大切にしたいってことだろう?」

「そうです! それです!」

るなは、ほっと胸をなで下ろした。

「よかったぁ……。私、ちゃんと説明できてます?」

「うん。ちゃんと伝わってる」

「……えへへ」

その言葉が、何よりもうれしかった。

先輩の見ている世界を、少しだけ知ることができた。

それだけではない。

自分が感じたことも、ちゃんと先輩に伝わった。

そんな小さな出来事が、ふたりの間に、静かな温もりを生んでいた。

***

しばらくして、蒼はスケッチブックを膝の上に置いた。

「るなは、どう?」

「えっ?」

「この景色を見て、何を感じる?」

突然の質問に、るなは目を丸くした。

「わ、私ですか?」

「うん」

「えっと……きれいだなぁ、とか。寒いけど、来てよかったなぁ、とか……」

「うん」

「あと……」

るなは、隣に座る蒼をちらりと見た。

言おうかどうしようか、迷った。

でも、先輩は自分の感じたことを尋ねてくれている。

なら、正直に答えてもいいのかもしれない。

「……先輩と一緒にいられて、うれしいです」

小さな声だった。

けれど、蒼にはちゃんと聞こえたらしい。

彼は、鉛筆を置いて、るなを見た。

「そっか」

「……はい」

「僕も、うれしいよ」

「……っ!」

るなの顔が、一瞬で赤くなった。

「せ、先輩! そういうの、急に言わないでください!」

「聞かれたから、答えただけだけど」

「それは、そうですけどぉ……!」

るなは、両手で頬を押さえた。

冷たい冬の空気が、熱くなった頬を少しだけ冷ましてくれる。

それでも、胸のどきどきは収まらない。

蒼は、そんなるなを見て、楽しそうに笑った。

「るなは、わかりやすいね」

「わかりやすくないです!」

「そう?」

「そうです!」

「じゃあ、今はどんな気持ち?」

「えっ!?」

るなは、目を見開いた。

蒼は、悪戯っぽく笑っている。

「今の表情も、描いたら面白そうだなと思って」

「ええっ!? こ、これをですか!?」

「うん。真っ赤になって、慌てているところ」

「だ、だめですっ! それは絶対だめです!」

「どうして?」

「だって……!」

るなは言葉に詰まった。

恥ずかしいから。

そんな顔を絵に残されたら、後で見返すたびに思い出してしまうから。

そして何より、先輩が自分をそんなふうに見ていると思うと、どうしようもなく胸がいっぱいになるから。

「……だって、恥ずかしいんです」

最後は、小さな声になった。

蒼は、少しだけ表情を和らげた。

「そっか。じゃあ、今は描かないでおくよ」

「……本当ですか?」

「本当」

「……よかったぁ」

るなは、ようやく息をついた。

けれど、蒼は続けた。

「でも、いつか描かせてくれるとうれしいな」

「……え?」

「るなの笑顔も、こうして景色を見ているときの顔も。僕は、ちゃんと覚えておきたいから」

その瞬間、広場のざわめきが遠くなった気がした。

るなは、蒼の顔を見つめた。

先輩は、冗談を言っているわけではなかった。

いつもの穏やかな目で、まっすぐにこちらを見ていた。

「……先輩」

「うん?」

「それって……私も、先輩の絵の中に入れるってことですか?」

蒼は、少し驚いたあと、優しくうなずいた。

「もちろん」

「……!」

るなの胸が、きゅっと締めつけられた。

初めて出会ったあの夜。

自分は、先輩の描いた絵に心を奪われた。

光が美しかったから。

その景色を、もっと見てみたいと思ったから。

先輩が、どんなふうに世界を見ているのか知りたくなったから。

けれど今、先輩は言ってくれた。

自分もまた、その絵の中に入れるのだと。

ただ絵を見せてもらうだけではない。

自分が見ている景色も、先輩が見ている景色も、少しずつ重なっていく。

いつか、先輩が描く世界の中に、自分の笑顔が残るかもしれない。

それは、るなにとって、とても特別なことだった。

「……私、先輩の絵に描いてもらえるような女の子になれるでしょうか?」

思わず、そんな言葉がこぼれた。

蒼は、不思議そうに首をかしげた。

「もう、なってると思うけど」

「……えっ?」

「だって、今だって僕の目の前にいるから」

蒼は、スケッチブックを軽く持ち上げた。

「描きたいと思ったものを描くんだ。特別なポーズをとってもらわなくてもいいし、無理に笑わなくてもいい。るながるならしい表情をしてくれたら、それでいい」

「……るならしい表情」

「うん」

彼は、少し考えてから付け加えた。

「例えば、いちご飴を見つけたときの顔とか」

「……っ!」

るなは、勢いよく蒼を振り向いた。

「先輩っ! それ、まだ覚えてるんですか!?」

「忘れるわけないだろ」

「ううう……!」

るなは、両手で顔を覆った。

「だって、あれは……! あのときは、いちご飴が……!」

「うん。いちご飴が?」

「……おいしかったんですもん」

最後は、しょんぼりとした声になった。

蒼は、とうとう声を立てて笑った。

「知ってるよ」

「……先輩、絶対、私のことをいちご飴の人だと思ってますよね?」

「それだけじゃないよ」

「本当ですか?」

「うん。いちご飴が好きで、食べ物の話になると目が輝いて、うれしいときはすぐ顔に出て……」

「ま、待ってください! それ、褒めてますか!?」

「褒めてるよ」

「本当ですかぁ……?」

るなは、疑わしそうに蒼を見た。

蒼は、笑いながらうなずいた。

「るなといると、いろんな表情が見られるから」

「……いろんな表情?」

「うん。驚いた顔も、笑った顔も、ちょっと拗ねた顔も。どれも、るならしいと思う」

るなは、今度こそ何も言えなくなった。

先輩は、自分のことをよく見ている。

自分でも気づかないような表情まで。

うれしいときに目が輝くこと。

恥ずかしいときに視線をそらしてしまうこと。

おいしいものを食べているとき、つい夢中になってしまうこと。

そんな何気ないところまで、先輩は見つけてくれている。

そして、そんな自分を、面白がるだけではなく、好きだと言ってくれる。

「……先輩」

「うん?」

「私、先輩の絵が好きです」

今度は、照れながらも、はっきりと言えた。

「でも……」

るなは、スケッチブックを見つめた。

「先輩が、絵を描いているときのことも、もっと好きになりました」

蒼は、静かに目を見開いた。

「絵の中に何を描くのかだけじゃなくて、何を大切にしているのかも、少しわかった気がするんです」

るなは、ゆっくりと言葉を続けた。

「先輩は、光をきれいに描きたいだけじゃないんですね。その光を見ている人たちが、どんな気持ちでそこにいるのか。誰と一緒に、何を思っているのか……。そういうものも、ちゃんと大切にしているんですね」

「……そうだね」

「だから、先輩の絵を見ると、景色だけじゃなくて、そこにいる人のことまで気になっちゃうんだと思います」

るなは、少しだけ笑った。

「私、あの夜に先輩の絵を見つけられて、本当によかったです」

蒼は、しばらく黙っていた。

やがて、ゆっくりと口を開いた。

「……僕もだよ」

「え?」

「るなが、あの絵を見てくれてよかった」

蒼は、スケッチブックのページに目を落とした。

「描いているときは、誰かに見てもらえるかどうかなんて、わからないからね。自分が描きたいと思って描いているだけで」

彼は、少し照れたように笑った。

「でも、あの夜、るなが絵を見てくれて。どんなところが好きだったのか、こうして話してくれる。そうすると、あのとき描いていた時間まで、特別なものになった気がするんだ」

「……先輩」

「だから、ありがとう」

その言葉に、るなは胸がいっぱいになった。

お礼を言いたいのは、自分のほうだった。

あの夜、先輩の絵に出会えたこと。

こうして、隣にいられること。

自分が見つけた小さな感動を、先輩と分け合えること。

そのすべてが、うれしかった。

「……こちらこそ、ありがとうございます」

るなは、笑顔で答えた。

「先輩が見ている世界を、これからも、もっと見てみたいです」

蒼は、その言葉を大切に受け止めるように、静かにうなずいた。

「うん。これからも、たくさん見せるよ」

***

そのとき、広場の向こう側から、歓声が上がった。

「わあっ、見て見て! 色が変わった!」

「本当だ! さっきまで金色だったのに!」

クリスマスツリーのライトが、ゆっくりと色を変え始めていた。

金色から、白へ。

白から、淡い青へ。

そして最後には、やわらかな桃色が、ツリー全体を包み込んだ。

「……わぁ!」

るなは、思わず立ち上がった。

「先輩、見てください! ピンク色です! かわいい!」

「うん。きれいだね」

「すごいですねぇ……。さっきの金色も好きですけど、こっちもいいなぁ……」

るなは、ツリーを見上げたまま、何度もうなずいた。

「これ、ずっと見ていられますね!」

「そうだね」

蒼も立ち上がり、ツリーを見上げた。

そして、少しだけ視線を横へ動かした。

そこには、ツリーを見上げるるなの姿があった。

光を受けた瞳。

驚きと喜びが混ざった表情。

寒さで少し赤くなった頬。

その顔は、先ほどまでスケッチブックに描いていた景色とは違う、今この瞬間だけのものだった。

蒼は、そっと鉛筆を持ち直した。

「……先輩?」

るなが、不思議そうにこちらを見た。

「また、描いているんですか?」

「うん。少しだけ」

「何を描いているんですか?」

「今の景色」

「……景色?」

「うん」

蒼は、スケッチブックを見せた。

そこには、色を変えたツリーと、その前に立つ人たちの姿が描かれ始めていた。

小さな子どもが、両手を上げて喜んでいる。

恋人同士が、顔を見合わせて笑っている。

友達同士が、スマートフォンを構えながら、楽しそうに話している。

そして、その少し端に。

光を見上げる、ひとりの女の子の姿があった。

長い髪が、冬の風に揺れている。

目の前の光に夢中になって、頬を緩ませている。

るなは、その絵を見て、息をのんだ。

「……これ」

「まだ、描きかけだけどね」

「……私、ですか?」

蒼は、少しだけ照れたように笑った。

「うん」

「……!」

るなは、もう一度、絵を見た。

そこに描かれているのは、いつもの自分だった。

特別な服を着ているわけでもない。

ポーズを決めているわけでもない。

ただ、目の前の光に夢中になっている。

それだけなのに、絵の中の自分は、いつもより少しだけ特別に見えた。

自分が見ていた景色を、先輩も見てくれていた。

そして、その景色の中にいる自分まで、大切に描こうとしてくれている。

「……先輩」

るなは、胸の前で両手をぎゅっと握った。

「私、こんな顔をしていたんですね」

「うん。楽しそうだった」

「……自分では、よくわからなかったです」

「夢中になっていたからかな」

蒼は、優しく笑った。

「るなは、きれいなものを見つけると、すぐに表情が変わるんだ」

「……そうなんですか?」

「うん」

「……いちご飴を見つけたときも?」

「もちろん」

「そこは忘れてくださいぃ……!」

るなは、思わず顔を覆った。

蒼の笑い声が、冬の夜に響いた。

けれど、るなも笑っていた。

恥ずかしい。

でも、うれしい。

自分の何気ない表情を、先輩が覚えていてくれる。

そのことが、たまらなくうれしかった。

やがて、るなはそっと手を下ろした。

「……あの、先輩」

「うん?」

「その絵……いつか、完成したら、もう一度見せてください」

蒼は、すぐにうなずいた。

「もちろん」

「約束ですよ?」

「約束」

るなは、ほっとしたように笑った。

「……楽しみです」

「僕も、描くのが楽しみだよ」

その言葉を聞いて、るなは不思議な気持ちになった。

絵が完成する日が楽しみ。

その絵を見せてもらえる日が楽しみ。

そして、その日までに、先輩とどんな景色を見られるのかも楽しみだった。

冬のイルミネーション。

春の桜。

夏の花火。

秋の紅葉。

これから先、ふたりで見る景色は、きっといくつも増えていく。

そのたびに、先輩は何を見つけるのだろう。

どんな光を描き、どんな表情を残すのだろう。

そして、自分はその景色を見て、何を感じるのだろう。

考えるだけで、胸が弾んだ。

「……先輩」

「今度は何?」

「これからも、いろんな景色を一緒に見ましょうね」

蒼は、一瞬だけ驚いた顔をした。

それから、穏やかに笑った。

「うん。一緒に見よう」

「……えへへ」

るなは、うれしそうに笑った。

その笑顔を見て、蒼も笑った。

ふたりの目の前では、ツリーの光が再び金色に戻っていく。

同じ場所。

同じツリー。

同じイルミネーション。

けれど、さっきよりも、少しだけ違って見えた。

るなは、もう一度、広場を見渡した。

光の下で笑っている人たち。

誰かの手を握って歩く人。

写真を撮りながら、何度も笑い合う人。

静かに立ち止まり、思い出を胸にしまっているような人。

そのひとつひとつに、それぞれの物語がある。

先輩は、そんな物語を想像しながら、光を描いているのだ。

そして今、自分もまた、先輩と一緒に、この景色の中にいる。

ただ光を眺めるだけではなく。

その光を見つめる人の気持ちを想像しながら。

隣にいる人の表情を、大切に思いながら。

「……先輩の見ている世界って、素敵ですね」

るながぽつりと言うと、蒼は彼女を見た。

「そう思ってもらえたなら、うれしいよ」

「はい」

るなは、まっすぐにうなずいた。

「でも、私……」

「うん?」

「先輩が見ている世界を、知りたいだけじゃなくなっちゃいました」

蒼の目が、少しだけ大きくなった。

るなは、自分の言葉を確かめるように、ゆっくり続けた。

「先輩が何を見て、何を感じて、どんなことを大切にしているのか……もっと知りたいです」

頬が、少しずつ赤くなる。

それでも、今度は目をそらさなかった。

「それから……私も、先輩と一緒に、いろんなものを見つけていきたいです」

言い終わった瞬間、心臓が大きく跳ねた。

少しだけ、勇気を出した。

いつもより、ほんの少しだけ素直になれた。

蒼は、しばらくるなを見つめていた。

そして、ゆっくりと微笑んだ。

「……うん。僕も、そうしたい」

その返事は、とても静かだった。

けれど、るなには、何よりも確かな言葉に聞こえた。

「……えへへ」

今度の笑顔は、照れながらも、自然にこぼれたものだった。

蒼はスケッチブックを閉じ、バッグにしまった。

「そろそろ行こうか。冷えてきたし」

「はい!」

るなは、元気よく返事をした。

そして、歩き出そうとして――。

ふと、広場の向こうにある屋台に気づいた。

赤くて、つやつやしたものが、ライトに照らされている。

白い湯気の向こう。

きらきらした飴の向こう。

見覚えのある、あの赤い輝き。

「……あっ!」

蒼が、隣で小さく笑った。

「るな?」

「……い、いえ! 何でもありません!」

「本当に?」

「本当です!」

るなは、慌てて前を向いた。

けれど、視線はどうしても屋台のほうへ引っ張られてしまう。

「……いちご飴」

「聞こえてるよ」

「……おいしそう」

「それも聞こえてる」

「……」

るなは、そっと蒼を見上げた。

「……先輩」

「うん?」

「今度は、ちゃんと前を見て歩きます!」

蒼は、こらえきれずに笑った。

「うん。期待してる」

「本当ですからね!」

「じゃあ、いちご飴は一緒に買いに行こうか」

「……えっ?」

るなは、ぱっと顔を上げた。

「いいんですか!?」

「もちろん。せっかくだから」

「わぁ……! 先輩、大好きです!」

言ってから、るなはぴたりと固まった。

「…………あ」

蒼も、少しだけ目を見開いていた。

冬の空気が、ふたりの間をすっと通り抜けた。

「……るな?」

「ち、違います! 今のは、いちご飴を一緒に買いに行ってくれる先輩が、優しくて、大好きという意味で……!」

「うん」

「えっと、その……!」

「わかってるよ」

蒼は、いつもの優しい笑顔で言った。

「僕も、るなと一緒にいるのが好きだから」

「…………っ!」

るなは、とうとう言葉を失った。

今度こそ、顔が真っ赤になってしまった。

けれど、蒼はそれ以上、からかわなかった。

ただ、そっと手を差し出した。

「行こうか」

るなは、その手を見つめた。

そして、少しだけためらってから、自分の手を重ねた。

「……はい」

指先が触れ、手のひらが重なる。

冷たい冬の夜なのに、そこだけが、ぽかぽかと温かかった。

ふたりは、並んで歩き出した。

イルミネーションの光が、足元に長い影を落としている。

るなは、隣にいる蒼を見上げた。

先輩の見ている世界を、もっと知りたい。

先輩が大切にしているものを、自分も大切にしたい。

そして、いつか自分も、先輩にとって大切な景色のひとつになれたら。

そんな願いが、胸の奥で、静かに光っていた。

あの日、偶然出会った一枚の絵。

その絵が、ふたりを結びつけた。

けれど今は、もう絵を見るだけではない。

同じ景色を見て。

同じ時間を過ごして。

ときには笑って、ときには照れて。

少しずつ、互いの心にあるものを知っていく。

先輩が見ている世界。

自分が見ている世界。

そのふたつが、これからも重なっていく。

「……先輩」

「ん?」

「いちご飴、半分こしましょうね♡」

蒼は、思わず笑った。

「うん。半分こしよう」

「えへへ。約束です!」

るなは、うれしそうに笑った。

その笑顔を、蒼はそっと心に刻んだ。

いつか、この瞬間を絵に描く日が来るかもしれない。

冬の光の中で、いちご飴を楽しみにしている女の子。

その隣で、彼女の笑顔を見つめている自分。

そんな何気ない時間も、きっと大切な景色になる。

光は、ただそこにあるだけではない。

誰かの笑顔を照らし、誰かの思い出を照らし、誰かと誰かの心を、そっと近づけてくれる。

そして今夜。

ふたりの間にも、小さな光が灯っていた。

それは、街を彩るイルミネーションのように、眩しくきらめく光ではない。

隣にいるだけで安心できること。

言葉を交わすだけで、うれしくなること。

一緒に見た景色を、いつまでも覚えていたいと思うこと。

そんな、静かで温かな光だった。

るなは、蒼の手を握り直した。

「……先輩と一緒に見る景色、これからも楽しみです」

蒼は、彼女の手を優しく握り返した。

「僕もだよ、るな」

ふたりは、光のトンネルへと歩いていった。

その先には、まだ見たことのない景色が待っている。

まだ知らない季節が待っている。

そして、ふたりで重ねていく、新しい思い出が待っている。

冬の夜は、静かに深まっていく。

けれど、ふたりの心に灯った光は、消えることなく、優しく輝き続けていた。

先輩が見ている世界を、もっと知りたい。

そして、これからは――その世界を、一緒に見ていきたい。

それが、今のるなの願いだった。
 

 

-オリジナル小説, 恋愛